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十分なのに、バアルさんが側に居てくれているだけで
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「お次は左足を……はい、結構です」
手早く畳まれた水着は、手品みたいに彼の手から消えていった。代わりに、見覚えのある下着が現れた。
なんだかんだ慣れてきたんだろう。目の前で起こる不思議なことは魔術なんだろうと。
そうやって、さっさと片づけられるようになったからだ。気になったのは水着の行方ではなく、下着の方だった。
もう洗ったのか? 仕事が早いな。
いやでも確か、俺が穿いていたのは、明るめの青だったよな? 黒じゃなくて。でも、形どころかメーカーも同じなんだけど……
「申し訳ありません。貴方様が身につけていた物は洗濯中でして……代わりに同じものを作らさせていただきました」
心の中に浮かんでいた疑問は、すぐに解決された。新たな疑問も湧いたけれど。
「作ったって……こんな短時間で、ですか?」
彼の手元にあるボクサーパンツを、まじまじと眺める。
見れば見るほど、ただの色違いにしか見えないんだけど……もしかして、物を複製する魔術でもあるのかな?
「貴方様が此方で生活をされていくにあたり、着替えが一つきりしか無いのは、大変不便でございましょう?」
バアルさんさ尋ねながらも、お手伝いを続けている。音もなく跪き、俺が足を通しやすい様に、パンツのゴムを広げて構えている。
「まぁ、そうですね」
その動作があまりにも自然だったので、なんの疑問も持たなかった。
それどころか、彼を待たせてはいけないと、肩に手を置いていた。そうして右、左と順番に足を入れてしまっていた。
「ですから、こちらが用意するものより、着慣れているであろう貴方様のお召し物を元に、いくつか作成させていただくことにしたのです」
俺が足を通したのを確認すると、ゆっくり引き上げられていく。非常に心もとなかった俺の下半身が、ようやくマシになった。
「え、まさか……トレーナーとかも全部、ですか?」
「はい。ご心配なさらずとも、布地や糸には最高品質の物を使っております。その道のプロが、ひと針ひと針手縫いにて仕上げた一級品でございます」
ニコリと微笑んだ彼が、スラリと伸びた長い腕を広げる。ミュージカルかなんかのカーテンコールでする挨拶みたく、頭を下げながら胸の辺りに手を当てた。
それが、合図だったかのようだ。ぽんっと何もない空間から衣服が現れ、俺の前でふわふわと浮かんだ。
見た目は、いつもの部屋着の色違い。なのだが、恐る恐る触れてみると確かに違いは明白だった。
すべすべとした触り心地の良さに、掌に乗せても持っているのか分からない軽さに、思わず口がぽかんと半開きになってしまう。
「……ご満足いただけなかったでしょうか?」
「いやいや、まさか……むしろ良すぎて申し訳ないというか、なんというか……」
「そのお言葉をいただけて安心致しました」
不安そうに沈んだ声色が、明るさを取り戻す。花が咲くように綻ぶ口元に、落ち着きかけていた鼓動が、また煩くなってしまった。
「どうか、お気になさらないで下さい」
俺に向かってゆっくり伸びてきた大きな手が、頭をくるんでいたタオルを外していく。
短いお陰か、吸水性抜群の生地のお陰なのか。その両方なのかもしれないけど。ほとんど乾いていた俺の髪を、長い指が整えながらそっと撫でた。
「全ては、私の我が儘ですので」
「我が儘……ですか?」
「はい。貴方様にはより良い物を、より快適な暮らしを、ご提供させていただきたいのです」
髪を梳くように撫でていた指が、ぴたりと止まり、緑色の瞳に影が宿る。
「誠に情けなく思っております……そういうことでしか、貴方様の心を癒すお手伝いを出来ない私めを……」
「バアルさん……」
わずかに声を震わせ、苦々しく唇を噛み締める彼の表情はホントに辛そうで。出会ったばかりの俺の為に、心を砕いてくれる優しさに目の奥が熱くなった。
「でも、俺……もう、十分過ぎるほどもらってますよ?」
ぴくりと跳ねた大きな手に、自分の手をそっと重ねる。俺の気持ちが、少しでも彼に伝わるように。
「あの時バアルさんが迎えに来てくれなかったら、今頃どうなってたか分からないし……」
怪我だけで済んでいたらいいけど、もしかしたら死んでいたかもしれない。
地獄で死んだらどうなるかなんて分からないけど、痛い思いをするのはゴメンだ。
二度も、死ぬなんて……そんな恐ろしいこと考えたくもない。
「それに……バアルさんが側に居てくれるだけで、俺……」
ふわりと鼻先をハーブの香りが擽ったかと思うと、全身が温かいものに包まれる。
もしかしなくても……抱き締められてるのか? バアルさんに?
意識した途端に暴れだす心臓に追い討ちをかけるように、首筋には熱い吐息を感じる。
耳元では聞き心地のいい低音が、俺の鼓膜を優しく揺さぶってくる。
「ご無礼を承知でお願い申し上げます」
「ひゃい……な、なんでしょう?」
バスローブ越しから伝わってくる体温に、気になっている彼の腕の中にいるという事実に、喉どころか口まで震えていく。うっかり噛んでしまった挙げ句、情けない声まで出てしまっていた。
「しばしの間で構いません、このまま御身を抱き締めさせては頂けないでしょうか?」
そんな俺の状態なんてお構いなしに腕の力を強め、すがるような弱々しい声で尋ねてくる。
拒むことなんて、出来なかった。
「す、好きなだけ……どうぞ……」
「ご慈悲に感謝致します」
そう囁いてから、バアルさんは口を閉ざしてしまった。
広い背中を、抱き締め返す勇気なんて無い俺は、震える指先で、彼のベストをそっと摘まむことしか出来なかった。
手早く畳まれた水着は、手品みたいに彼の手から消えていった。代わりに、見覚えのある下着が現れた。
なんだかんだ慣れてきたんだろう。目の前で起こる不思議なことは魔術なんだろうと。
そうやって、さっさと片づけられるようになったからだ。気になったのは水着の行方ではなく、下着の方だった。
もう洗ったのか? 仕事が早いな。
いやでも確か、俺が穿いていたのは、明るめの青だったよな? 黒じゃなくて。でも、形どころかメーカーも同じなんだけど……
「申し訳ありません。貴方様が身につけていた物は洗濯中でして……代わりに同じものを作らさせていただきました」
心の中に浮かんでいた疑問は、すぐに解決された。新たな疑問も湧いたけれど。
「作ったって……こんな短時間で、ですか?」
彼の手元にあるボクサーパンツを、まじまじと眺める。
見れば見るほど、ただの色違いにしか見えないんだけど……もしかして、物を複製する魔術でもあるのかな?
「貴方様が此方で生活をされていくにあたり、着替えが一つきりしか無いのは、大変不便でございましょう?」
バアルさんさ尋ねながらも、お手伝いを続けている。音もなく跪き、俺が足を通しやすい様に、パンツのゴムを広げて構えている。
「まぁ、そうですね」
その動作があまりにも自然だったので、なんの疑問も持たなかった。
それどころか、彼を待たせてはいけないと、肩に手を置いていた。そうして右、左と順番に足を入れてしまっていた。
「ですから、こちらが用意するものより、着慣れているであろう貴方様のお召し物を元に、いくつか作成させていただくことにしたのです」
俺が足を通したのを確認すると、ゆっくり引き上げられていく。非常に心もとなかった俺の下半身が、ようやくマシになった。
「え、まさか……トレーナーとかも全部、ですか?」
「はい。ご心配なさらずとも、布地や糸には最高品質の物を使っております。その道のプロが、ひと針ひと針手縫いにて仕上げた一級品でございます」
ニコリと微笑んだ彼が、スラリと伸びた長い腕を広げる。ミュージカルかなんかのカーテンコールでする挨拶みたく、頭を下げながら胸の辺りに手を当てた。
それが、合図だったかのようだ。ぽんっと何もない空間から衣服が現れ、俺の前でふわふわと浮かんだ。
見た目は、いつもの部屋着の色違い。なのだが、恐る恐る触れてみると確かに違いは明白だった。
すべすべとした触り心地の良さに、掌に乗せても持っているのか分からない軽さに、思わず口がぽかんと半開きになってしまう。
「……ご満足いただけなかったでしょうか?」
「いやいや、まさか……むしろ良すぎて申し訳ないというか、なんというか……」
「そのお言葉をいただけて安心致しました」
不安そうに沈んだ声色が、明るさを取り戻す。花が咲くように綻ぶ口元に、落ち着きかけていた鼓動が、また煩くなってしまった。
「どうか、お気になさらないで下さい」
俺に向かってゆっくり伸びてきた大きな手が、頭をくるんでいたタオルを外していく。
短いお陰か、吸水性抜群の生地のお陰なのか。その両方なのかもしれないけど。ほとんど乾いていた俺の髪を、長い指が整えながらそっと撫でた。
「全ては、私の我が儘ですので」
「我が儘……ですか?」
「はい。貴方様にはより良い物を、より快適な暮らしを、ご提供させていただきたいのです」
髪を梳くように撫でていた指が、ぴたりと止まり、緑色の瞳に影が宿る。
「誠に情けなく思っております……そういうことでしか、貴方様の心を癒すお手伝いを出来ない私めを……」
「バアルさん……」
わずかに声を震わせ、苦々しく唇を噛み締める彼の表情はホントに辛そうで。出会ったばかりの俺の為に、心を砕いてくれる優しさに目の奥が熱くなった。
「でも、俺……もう、十分過ぎるほどもらってますよ?」
ぴくりと跳ねた大きな手に、自分の手をそっと重ねる。俺の気持ちが、少しでも彼に伝わるように。
「あの時バアルさんが迎えに来てくれなかったら、今頃どうなってたか分からないし……」
怪我だけで済んでいたらいいけど、もしかしたら死んでいたかもしれない。
地獄で死んだらどうなるかなんて分からないけど、痛い思いをするのはゴメンだ。
二度も、死ぬなんて……そんな恐ろしいこと考えたくもない。
「それに……バアルさんが側に居てくれるだけで、俺……」
ふわりと鼻先をハーブの香りが擽ったかと思うと、全身が温かいものに包まれる。
もしかしなくても……抱き締められてるのか? バアルさんに?
意識した途端に暴れだす心臓に追い討ちをかけるように、首筋には熱い吐息を感じる。
耳元では聞き心地のいい低音が、俺の鼓膜を優しく揺さぶってくる。
「ご無礼を承知でお願い申し上げます」
「ひゃい……な、なんでしょう?」
バスローブ越しから伝わってくる体温に、気になっている彼の腕の中にいるという事実に、喉どころか口まで震えていく。うっかり噛んでしまった挙げ句、情けない声まで出てしまっていた。
「しばしの間で構いません、このまま御身を抱き締めさせては頂けないでしょうか?」
そんな俺の状態なんてお構いなしに腕の力を強め、すがるような弱々しい声で尋ねてくる。
拒むことなんて、出来なかった。
「す、好きなだけ……どうぞ……」
「ご慈悲に感謝致します」
そう囁いてから、バアルさんは口を閉ざしてしまった。
広い背中を、抱き締め返す勇気なんて無い俺は、震える指先で、彼のベストをそっと摘まむことしか出来なかった。
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