上 下
14 / 824

十分なのに、バアルさんが側に居てくれているだけで

しおりを挟む
「お次は左足を……はい、結構です」

 手早く畳まれた水着は、手品みたいに彼の手から消えていった。代わりに、見覚えのある下着が現れた。

 なんだかんだ慣れてきたんだろう。目の前で起こる不思議なことは魔術なんだろうと。

 そうやって、さっさと片づけられるようになったからだ。気になったのは水着の行方ではなく、下着の方だった。

 もう洗ったのか? 仕事が早いな。

 いやでも確か、俺が穿いていたのは、明るめの青だったよな? 黒じゃなくて。でも、形どころかメーカーも同じなんだけど……

「申し訳ありません。貴方様が身につけていた物は洗濯中でして……代わりに同じものを作らさせていただきました」

 心の中に浮かんでいた疑問は、すぐに解決された。新たな疑問も湧いたけれど。

「作ったって……こんな短時間で、ですか?」

 彼の手元にあるボクサーパンツを、まじまじと眺める。

 見れば見るほど、ただの色違いにしか見えないんだけど……もしかして、物を複製する魔術でもあるのかな?

「貴方様が此方で生活をされていくにあたり、着替えが一つきりしか無いのは、大変不便でございましょう?」

 バアルさんさ尋ねながらも、お手伝いを続けている。音もなく跪き、俺が足を通しやすい様に、パンツのゴムを広げて構えている。

「まぁ、そうですね」

 その動作があまりにも自然だったので、なんの疑問も持たなかった。

 それどころか、彼を待たせてはいけないと、肩に手を置いていた。そうして右、左と順番に足を入れてしまっていた。

「ですから、こちらが用意するものより、着慣れているであろう貴方様のお召し物を元に、いくつか作成させていただくことにしたのです」

 俺が足を通したのを確認すると、ゆっくり引き上げられていく。非常に心もとなかった俺の下半身が、ようやくマシになった。

「え、まさか……トレーナーとかも全部、ですか?」

「はい。ご心配なさらずとも、布地や糸には最高品質の物を使っております。その道のプロが、ひと針ひと針手縫いにて仕上げた一級品でございます」

 ニコリと微笑んだ彼が、スラリと伸びた長い腕を広げる。ミュージカルかなんかのカーテンコールでする挨拶みたく、頭を下げながら胸の辺りに手を当てた。

 それが、合図だったかのようだ。ぽんっと何もない空間から衣服が現れ、俺の前でふわふわと浮かんだ。

 見た目は、いつもの部屋着の色違い。なのだが、恐る恐る触れてみると確かに違いは明白だった。

 すべすべとした触り心地の良さに、掌に乗せても持っているのか分からない軽さに、思わず口がぽかんと半開きになってしまう。

「……ご満足いただけなかったでしょうか?」

「いやいや、まさか……むしろ良すぎて申し訳ないというか、なんというか……」

「そのお言葉をいただけて安心致しました」

 不安そうに沈んだ声色が、明るさを取り戻す。花が咲くように綻ぶ口元に、落ち着きかけていた鼓動が、また煩くなってしまった。

「どうか、お気になさらないで下さい」

 俺に向かってゆっくり伸びてきた大きな手が、頭をくるんでいたタオルを外していく。

 短いお陰か、吸水性抜群の生地のお陰なのか。その両方なのかもしれないけど。ほとんど乾いていた俺の髪を、長い指が整えながらそっと撫でた。

「全ては、私の我が儘ですので」

「我が儘……ですか?」

「はい。貴方様にはより良い物を、より快適な暮らしを、ご提供させていただきたいのです」

 髪を梳くように撫でていた指が、ぴたりと止まり、緑色の瞳に影が宿る。

「誠に情けなく思っております……そういうことでしか、貴方様の心を癒すお手伝いを出来ない私めを……」

「バアルさん……」

 わずかに声を震わせ、苦々しく唇を噛み締める彼の表情はホントに辛そうで。出会ったばかりの俺の為に、心を砕いてくれる優しさに目の奥が熱くなった。

「でも、俺……もう、十分過ぎるほどもらってますよ?」

 ぴくりと跳ねた大きな手に、自分の手をそっと重ねる。俺の気持ちが、少しでも彼に伝わるように。

「あの時バアルさんが迎えに来てくれなかったら、今頃どうなってたか分からないし……」

 怪我だけで済んでいたらいいけど、もしかしたら死んでいたかもしれない。

 地獄で死んだらどうなるかなんて分からないけど、痛い思いをするのはゴメンだ。

 二度も、死ぬなんて……そんな恐ろしいこと考えたくもない。

「それに……バアルさんが側に居てくれるだけで、俺……」

 ふわりと鼻先をハーブの香りが擽ったかと思うと、全身が温かいものに包まれる。

 もしかしなくても……抱き締められてるのか? バアルさんに?

 意識した途端に暴れだす心臓に追い討ちをかけるように、首筋には熱い吐息を感じる。

 耳元では聞き心地のいい低音が、俺の鼓膜を優しく揺さぶってくる。

「ご無礼を承知でお願い申し上げます」

「ひゃい……な、なんでしょう?」

 バスローブ越しから伝わってくる体温に、気になっている彼の腕の中にいるという事実に、喉どころか口まで震えていく。うっかり噛んでしまった挙げ句、情けない声まで出てしまっていた。

「しばしの間で構いません、このまま御身を抱き締めさせては頂けないでしょうか?」

 そんな俺の状態なんてお構いなしに腕の力を強め、すがるような弱々しい声で尋ねてくる。

 拒むことなんて、出来なかった。

「す、好きなだけ……どうぞ……」

「ご慈悲に感謝致します」

 そう囁いてから、バアルさんは口を閉ざしてしまった。

 広い背中を、抱き締め返す勇気なんて無い俺は、震える指先で、彼のベストをそっと摘まむことしか出来なかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

ちっちゃくなった俺の異世界攻略

鮨海
ファンタジー
あるとき神の采配により異世界へ行くことを決意した高校生の大輝は……ちっちゃくなってしまっていた! 精霊と神様からの贈り物、そして大輝の力が試される異世界の大冒険?が幕を開ける!

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

処理中です...