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失ってしまうのかと

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 重い瞼を開けた途端、視界を占めた真っ白な天井。最近ようやく見慣れてきた天井。

 ……施設の中、だよな? 妙に身体が怠いせいか、頭の中も霧がかかったみたいにぼんやりする。

 全身を包み込む柔らさに目を向ければ真っ白な布団にシーツ。清潔な白ばかりを映していた視界に黒く艷やかな髪がサラリと映る。憂いを帯びた彫りの深い顔が俺を見下ろしていた。

「黒野……先生?」

 苦しげに細められていた紫の瞳が僅かに微笑む。血管が浮き出た大人の手が、俺の頬を労るように撫でた。

「良かった……どこか痛むところはないか?」

「えっと……」

 ……痛くは、ないな。全身が筋肉痛みたいに重たいだけで、他は何とも。

「ない、ですね……特には」

「そうか……青岩君も問題なく目覚めたよ。一時間程前にね」

 あお、いわ……青岩……アサギさん……

 直接脳髄に叩き込まれたみたいだった。ぶわりと溢れて洪水みたいに流れ行く映像が、頭を駆け巡っていく。

 青く輝く光の翼に白銀の鎧、真っ青なマントを靡かせ微笑むアサギさん。しゃがれた声で嘲笑う真っ黒な鎧兜。ヤツの黒い腕が俺を庇ってくれたアサギさんの首を絞めて、それで……

「……皆、君を心配して」

「何処、ですか?」

「え?」

「何処に居るんですか!? アサギさっ……ゴホッゴホ……くっ……ぅ……」

 勢いよく上体を起こしたからだ。いきなり叫んだからだ。軋んだ身体に針で刺したような鋭い痛みが走り、喉が絡んで思わず咳き込んだ。

 温かい手がゆったり背を撫でてくれ、目元に滲んだ雫を指先で拭ってくれる。

 しばらくしてからトクトクと聞こえた水の音。サイドテーブルに置かれたペットボトルから注がれたグラスが俺にそっと差し出される。

「……ありがとう、ございます」

「ゆっくり飲みなさい」

 小さく含み、じわりと潤していく冷たさに思わず息が漏れていた。両手でちびちび、湯呑みを啜るみたいに傾けている俺を見つめる紫がゆるりと細められる。

「……隣の部屋だ」

 弾かれるように顔を上げた俺に指し示すように気怠げな瞳が動く。その先に、細く長い長方形のガラス窓のついた白い扉があった。

 あの先にアサギさんが……そう思うと居ても立っても居られなかった。

「起きたらすぐに知らせて欲しいと……こらっ、レン!」

 飲みかけのグラスをサイドテーブルに預け、ベッドを飛び降りる。「まだ安静にしていないと」と気遣う声を背に受けたけど、構ってなんていられなかった。

「アサギさん!!」

 整然とした部屋に響き渡る程、勢いよく開け放った俺に視線が集まる。

 緑、赤、黄、青。仲良く丸くなっていた四色の内、スクエアタイプのレンズ越しに俺を見ている青い瞳がじわりと滲んだ。

「レン君……」

 ヒスイ、赤木さん、ダイキさん、皆とテーブルを囲むように腰掛けていたソファーから、弾むように立ち上がったアサギさん。

 安堵したように微笑む彼の細い首に巻かれた包帯が俺に突きつけてくる。あの悪夢みたいな光景は現実だったんだと。

 ……でも、生きてる。また俺に微笑みかけてくれてるんだ。

「大丈夫かい? 身体の具合、うわっと」

 気がつけば足が勝手に動いていた。一気に込み上げてきた熱い衝動のまま、歩み寄ってきていた彼の胸元に飛び込んでしまっていたんだ。

 スラリと伸びた背に腕を回し力を込める。温かい。

 頭の上から息を飲むような音が降ってきて、続けてクスリと笑う声。ジャケットにシワが寄るくらい強くしがみついてしまっている俺を、引き締まった長い腕が優しく抱き締め返してくれた。

「……無茶……しないで下さいよ……俺、アサギさんが死んじゃうかもって……怖くて……」

 ホントに怖かった……一緒に帰れないんじゃないかって……

 正直、今でも少し怖い。ちゃんと俺に微笑みかけてくれてるのに……くっついていないと、温度を、鼓動を感じていないと怖い。

「ごめんね……でも、お互い様だろう? 僕だって怖かったんだよ? 君を失ってしまうかもって……」

 困ったように細い眉を下げてはいるものの、アサギさんはどこか嬉しそうだ。青い瞳を細め、いつも平坦な線ばかり描いているラインが緩やかな笑みを描いている。

「……ごめ……なさい……っう……っ……」

 言葉が喉に引っかかって、しなやかな指に目元を拭われて、ようやく気づいた。泣いてるって。

 そしたらますます込み上げてきてしまった。何処で切ったんだ? って見つけた瞬間、痛くなっちゃう擦り傷と一緒だ。涙腺がぶっ壊れたみたいにボロボロ溢れて止まらない。

 こうなったらもう流し切るしかないだろう。人前だろうが知ったことか。っていうか今更だろう。泣きっ面なんか初対面の時に晒したんだから。

 開き直り、均整のとれた胸元に頬を寄せようとして、防がれた。顎をそっと持ち上げられ、柔らかく微笑む唇に泣きじゃくっていた口を塞がれて。

「っ……ひっく……んっ? ん……ふ、ぁ……」

 周りから「は?」だとか、「な!?」だとか、「ズルい!」とか苛立ちと驚きを含んだ羨望の声が聞こえたけれど、すぐさま遠のいてしまう。

 俺を見つめて離さない透き通った青空に夢中になってしまう。溺れてしまう。

 頭をよしよし撫でられながら、啄むみたいに優しく唇を食まれたり……じゃれ合うみたいに押しつけ合ったり。

 不思議だ……触れたら触れた分だけ嬉しくなっちゃう……心の中がほわほわした温かいもので満たされていく。幸せ、なのかな?

 気がつけば俺の方がせがんでいた。もうちょっと、もうちょっとだけ……とくっつけていた体温が不意に離れていってしまう。

「は、ん……アサギさん……」

「ふふ、良かった……止まったね」

 止まったって……何が? そんな疑問に答えるように細く長い指先が俺の目元を優しく撫でていく。

「僕の為に泣いてくれるのは嬉しいよ……でも、君には笑っていて欲しいんだ。好きなんだ。レン君の笑顔が」

「ふぇ……」

 鷲掴みにされてしまった。真っ直ぐな言葉と眼差しに大きく跳ねた鼓動が踊り出す。

 そんな……俺だって、好きだ。ドキドキして胸が熱くなって堪らなくなるんだ。アサギさんに微笑みかけてもらえるだけで。

「……うん、やっぱり可愛い。満面の笑顔も、今みたいにはにかむ笑顔も」

 僅かに空いてしまっている俺達の距離を柔らかい微笑みが詰めていく。今度は俺からも埋めていこうとして……

「ちょーっと待った!」

 馴染みのある声に待ったをかけられてしまった。

「流石に二人の世界過ぎない? あおちゃん大変だったから目ぇ瞑ってたけどさぁ……」

「二人共元気そうで何よりなんだがな……」

「青岩先輩ばっかり抜け駆けしすぎですよ!!」

 いかにも不満げに目を細め、唇を尖らせるダイキさん。喜びと寂しさが混じった複雑な顔で頬を掻く赤木さん。今にも泣きそうなくらいに瞳を潤ませ、歯噛みするヒスイ。

 ……完全に忘れてた。アサギさんしか見えてなかった。皆も居てくれてたのに。

 申し訳無さやら恥ずかしさやらで一気に顔が熱くなる。咄嗟に離れようとしたけれど、抱き締める腕は離してくれなかった。それどころかますます力を込めて、不穏な空気を漂わせている三人に平然と言い放つ。

「黄川君と赤木君は別として……緑山君は、この後レン君の部屋で朝までいっぱい触れ合えるだろう? だったら今くらい僕に譲ってくれたっていいんじゃないか?」

「それは、そうですけど……って何でそれを?」

 矛先がぐるりと変わった。

「レンレンの部屋で?」

「朝までいっぱい触れ合える?」

 じっと俺達を見つめていた黄と赤が、わたわたと泳ぎまくっている緑に注がれる。びくりと見開き幅広の肩を震わせたヒスイが、赤木さんとダイキさんと距離を取るように後ずさっていく。

「……そ、添い寝してるだけですから!! 撫でさせてもらったり、キスもさせてもらってますけど……」

「全っ然だけじゃないじゃん!!」

「その口でよく抜け駆けだと言えたな?」

 な、何で二人共怒ってるんだ? 我儘言って、甘えちゃってる俺に怒るならまだしも……

「ま、待って下さい! 全部俺が悪いんです! ヒスイは何も悪くな」

「いい加減にしろ!!」

 混沌としかけていた空気を静まらせた通りのいい声。

「……黒野先生」

 扉の前で長く艷やかな髪をくしゃりとかきあげ、深い溜め息を吐いた紫の瞳が呆れたように俺達を見つめている。

「全く……二人共怪我人なんだからな? こんな所でごちゃごちゃ騒いでる暇があったら、しっかり食べてゆっくり休みなさい」

 しなやかな指でトントンと自分の首を指し示して見せる。正論だ。大事はなかったとはいえ、アサギさんも俺もあの鎧兜にこっぴどくやられたのだから。

「……済みません」

「……ごめんなさい」

「君達も、二人が心配なのは分かるが程々にな」

 俯く俺達に続いて、それぞれ謝罪の言葉を口にしながら頭を下げたヒスイ達。また一つ、今度は仕方がないな、と言いたげに息を吐いてから大きな手が俺を招いた。

「レン」

「は、はい」

 今度は何について怒られるんだろうか、と身構えていると手を取られ、白いカードをそっと手のひらに乗せられた。見覚えがあるっていうか、俺の部屋のキーにそっくりだ。

「……これは?」

「大部屋のカードキーだ。今日は一緒に居たいんだろう? 青岩君と。追加で三人加わっても十分眠れる広さのベッドがある。どうするかは、皆で決めなさい」

 決まっているようなものだろうが……と微笑む先生の言う通りだった。そっと皆を窺えば期待に満ちた四色の瞳に見つめ返されたんだから。

「ありがとうございますっ」

「ただし、夜更かしはするなよ? いいな?」

「はいっ」

「いい返事だ」

 ゆっくりお休み、と頭を撫でてくれた先生に手を振り、別れ。皆と一緒に高級感のある大きな部屋に訪れた俺を待っていたのは、さっきとはまた違う混沌だった。
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