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それは、まるで悪夢のような

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「……アサギさん?」

 側に居てくれたハズの彼が吊り上げられている。

 身に纏っていた白銀の守りが解け、隊員服姿になってしまっている彼が必死に藻掻いている。人の形をした、黒く大きな手に細い首を締め上げられて。

 ……大きな影? いや、違う。闇に溶けるような黒く鈍い光沢を帯びた鎧。悪魔のような角を生やしたフルフェイスの兜。施されている独特な装飾が少しだけ、守護者の皆が纏う白銀の鎧と似ているような……いや、まさか。

「レンく……逃げ、るんだ……はや、く……」

 ひび割れたレンズ越しに苦しげな青い瞳が俺を見る。見ているだけで怖気が走る黒い兜も。

「ほう……貴様が神子か」

「ひっ」

 猛禽類の嘴のように尖った正面が緩慢な動作で俺を見据える。ただそれだけで喉が締まり、歯がカチカチと音を立て始めた。背筋を内臓を暗い寒気が撫でていく。

 ……身体に力が入らない……怖い…………でも、逃げたくない!

「はは、案ずるな。殺しはしないさ。貴様にはまだ果たして貰わねばならぬ役割があるからな」

 至極愉快そうに鎧兜が笑う。勝ち誇っているんだろう。アサギさんの命を手中に収めているんだから。

 何か手は……助けはムリだ……異変に気づいてくれてるとしても間に合わない。俺が何とかしないと……

 手の甲に冷たい感触がコツリと触れる。腰に着けていた円柱。いざという時の最終手段。決して悟られないように震える手で筒を握った。

 どう襲われたのか俺の目じゃ追えなかった。だから、きっとチャンスは一回こっきりだ……当てなきゃ終わる。一緒に帰れなくなる。

 そんなの……絶対にイヤだ!!

「……コレとは違ってな!」

 固いものが軋むような、鈍いイヤな音がした。

「がッ……く……ぁ……」

 潰れた悲鳴を漏らす口の端から泡が溢れる。首を掴む漆黒の手に抵抗していた腕がだらりと下がっていき、宙を蹴るように暴れていた長い足がびくびく震え出す。

「アサギさんッ!!」

 涙に濡れた虚ろな青が俺を見た。

「に、げ…………れ……ん……」

「面白い、死の間際でも神子を想うか……気が変わった。苦しまずに殺ってやろう! その気骨に敬意を表してな!!」

「止めろッ!!」

 底面のスイッチを押した瞬間手に収まった白銀のハンドガン。アーケードのモニターではなく、初めて人の形に向けた銃口は不思議と震えはしなかった。

 固い引き金を力いっぱい引いて放ったピンクで紫な輝きが、高笑う兜を捉える。

 煌めき、弾けて、ドサリと鈍い音。角が折れ、ひび割れた兜を覆い隠すように頭を抱えた鎧の足元で、崩れ落ちたアサギさんが弱々しく呻いた。

「アサギさん!」

 生きてる……良かった……間に合ったんだ……!

 考えるよりも先に足が動いていた。早く、ヤツが怯んでいる内にアサギさんの元へ! 絶対一緒に帰るんだ!!

 灰色の床を飛ぶように蹴り、めいいっぱい腕を伸ばす。力なく倒れた長身にもう少しで手が届く。あと一歩。あと一歩で……

「ふむ、輝石の輝きか……」

「っあ!?」

 分かったのは痛いってことだけだった。その次に息苦しさがやってきて、そこでようやく首を掴まれたことに気づく。

 真っ黒なガントレットを纏う片手が、赤子でも捻り上げるかのように軽々と俺を持ち上げている。

 甲高い音を鳴らし足元に転がった俺にとっての唯一の希望。白銀のハンドガンが重々しい金属を纏う黒い足に踏み潰された。

「我らにしか扱えぬ崇高なる輝きを資格なき者に扱えるよう貶めるとは……何とも欲深いことだ」

「う……ぁ……」

 鈍い音が頭に響き、息苦しさが増す。無理矢理止められているせいだ。口を開こうが鼻で吸おうが入ってこない。藻掻けば藻掻いた分だけ苦しさが増すばかりだ。

 死ぬ……のかな? 霞がかった頭に浮かんだ恐怖に視界がじわりと滲んでいく。

「くく、そう怯えるな。言っただろう? 貴様はまだ殺しはしないと……だが、多少壊しても問題なかろう」

 俺の命を握っている手を引き離そうと足掻いていた両手。こっちは力いっぱい掴んでいたってのに……その片方をあっさり外され捻られる。左腕が指先から肩までピキリと軋んだ。

 直感的に悟った……折る気だ。さっきだって平然とアサギさんを苦しめていた。息の根を止めようとしていた。そんなヤツが躊躇なんてしないだろう。腕の一本くらいで。

「ッ……」

「怖いか? ならば乞うといい。許してやろう。代わりにアレの腕をへし折ることになるがな」

 痛くて……苦しくて……目を動かすのも難しかった。それでも気力を振り絞り、落とした視線の端に力なく倒れたままの青が映る。

 ……アサギさん……

 ふわりと甦った柔らかい笑顔。真っ直ぐな言葉。俺を好きだと言ってくれた優しい人。

 少しでも可能性があるならば……俺は……

「……や、よ……」

「ん?」

「……腕ぐらい……くれて、やるよ……だから、アサギさんは……彼だけは、助け……」

「……貴様もか」

 苦々しく、忌々しげに吐き捨てる。

「……ならば望み通りに……ッ!?」

 覚悟していた痛みは訪れなかった。

 突然短く呻き、よろめいた鎧兜。ヤツのふくらはぎに、青く輝く矢の先端が固い金属を貫き深々と刺さっていた。黒いグローブを纏う手によって。

「……離、せ……レン君を……離せッ!!」

 上体すらまともに起こせていないのに……輝石で作られた矢を握り締め、鎧兜の手から俺を救おうとしてくれている。

「アサギ……さ……」

 頬を伝う熱が、俺を苦しめている黒い手にぽとりと落ちた。

「どいつもこいつも……不快な目をしよって……」

 しゃがれた声が苛立ちに震える。苦しげに睨めつける青の瞳を潰さんと重たい足を振り上げる。

 止めろ……止めてくれ!!

 声にならない俺の祈りに聞き慣れた三人の声が応えてくれた。

「レンッ!! 青岩先輩ッ!!」

「二人から離れろ!!」

「……ぶっ飛ばす!!」

 薄闇に閉ざされた扉を開け放ち、飛び込んできた緑、赤、黄。斧、大剣、槍、光輝く武器を手にした皆を捉えた瞬間。

「……少々分が悪いか」

 鎧兜が小さく唸ってから静かに足を地面へと下ろし、ゴミでも放るみたいに俺を投げ捨てた。一気に流れ込んできた空気が逆に苦しい。

「は、っあ……」

「レン君!」

「「「レンッ!!」」」

 不思議と痛みはなかった。頭を庇う間もなく冷たいコンクリートへ落とされたハズなのに。

 ボヤけかかった視界に映るボロボロの笑顔。眼鏡はひび割れ、額や頬、色んなところに擦り傷を負いながらも柔らかく見つめる安堵に満ちた青空。

 ……痛くないハズだ。アサギさんが受け止めてくれたんだから。

 駆け寄ってくる皆のブーツが鳴らす音に、しゃがれた声が混じる。

「まぁいい……貴様らが足搔いたところで何も変わらぬ。もう間もなくだ。間もなく我らの神が復活を果たされる……ようやく取り戻せるのだ……」

 薄れゆく意識の中、切望の声を聞いた気がした。

 ……セレネ、ようやく君を……

 噛み締めるような呟きを最後に、俺の意識はぷつりと闇に飲まれた。
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