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ダイキさんじゃ、ダメですか?

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 不意に、俺を見つめる黄色の瞳が熱を帯びる。囁くように尋ねる声もちょっとだけ、甘ったるく聞こえた気がした。

「レンレンさえ良ければさ……予行練習する?」

「予行練習、ですか?」

 そっと手を握られ、繋がれた。

 何だかムズムズしてしまう。柔らかい手のひらから、絡む指から伝わってくる体温が、心地いいのに落ち着かない。

 手元ばかりを見ていると前の空気が揺らいでそして、さらに近くなった大きな熱。頬に添えられた手のひらに従い顔を上げた途端、射抜かれた。

「うん。キスの練習」

 真っ直ぐな眼差しに、大きく跳ねた心臓ごと。





 今日は黄川クンとよろしくね! と博士に告げられ始まった本日の訓練。

 まず始まったのはごめんなさい合戦だった。黄川さんは赤木さんと同じで初対面でのことを、俺は自分だけ覚悟が決まっていなかったことを。

 どちらも気にしていないよ、大丈夫だよ、の応酬によってあっさり終結し、これからよろしくお願いしますの握手を交わせたんだけどさ。

 その後、さてどうしましょうか? となった時、まずはお互いのことを知ろうよ? お話ししよ? と提案されたのが始まり。

 明るい声から、どーぞどーぞ! と招かれたのは、おもちゃ箱のような部屋だった。部屋の大部分を占める棚には隙間なく本、いや、ゲームソフトが並ぶ。

 奥にある木製のシンプルなデスクには、画面の大きいデスクトップパソコンが陣取り、ヘッドレストや肘置きのついたスタイリッシュな見た目の椅子。

 確か、ゲーミングチェアだっけ? とにかくカッコいい高そうな椅子があった。

 主の趣味を凝縮したエリア。部屋の左半分以外は、あまり俺の部屋と大差ない。

 大きなテレビに広いベッド。ソファーにテーブル、冷蔵庫。エアコンに電子レンジ、ポット等一人で暮らすには十分な家具家電の目白押し。

 それから、多分あの扉の先はホテルみたいな洗面所とバスルームだろう。コピーペーストしたみたいに位置が一緒だからな。

「やっぱり、緊張しちゃうね……自分の部屋見せるの。呼んどいてなんだけどさ」

 直ぐ側で聞こえた、気恥ずかしそうな声。色々物珍しくて夢中になってたから気づかなかった。

 いつの間にか隣には部屋の主が。黄川さんが、肩まで伸ばした黄色の髪を、細長い指に巻きつけるみたいに弄りながらはにかんでいる。

「ご、ごめんなさい。じろじろ見ちゃって」

 大分不躾だったよな。今更だけど。招かれた直後に無言でキョロキョロ見回してさ。

「んーん。それよりさ、スゴいでしょ? ココに連れて来られた時にさ、オレ達のモチベの為に何でも用意してくれるって言われたからさ。めっちゃワガママ言っちゃった!」

 良かった。気分を害した訳ではなさそうだ。

 スラリと長い腕を広げ、趣味部屋の方を指し示すその瞳はキラキラ輝いている。よっぽどお気に入りらしい。次々とコレはね、アレはね、と指し示しながら紹介してくれる。

 こだわり抜かれた自慢の品々。一般人な価値観では、結構な額がかかっていそうだけど……お国からしたら安いもんか。世界と天秤にかけるのだから、尚更。

「レンレンも、必要な物とかあれば遠慮せずにガンガン強請っちゃいなよ? オレ達の中で一番大変なポジションなんだからさ」

 またしても、瞬間移動のごとく眼の前にいた黄川さんに、両手をぎゅっと握られる。

 必要な物、か。今の所、なに不自由してないからな。ここのご飯、美味しいしさ……って、今なんつった?

「れん、れん?」

「渾名。その方が仲良くなれるかなって思って。イヤだった?」

 天音レン。だからレンレンか。

「いえ、嫌ではないですね……」

 何か、新鮮だな。基本的に名字呼びばっかだったからな。下で呼ばれるにしろ、呼び捨てか君付けだったし。

 ハの字になっていた眉がぴょこんと上がる。花が咲くみたいな笑顔が眩しい。ハリウッドな俳優さんみたいに鼻筋の通った顔をしているもんだから、余計に。

「そっかぁ、良かった! じゃあさ、オレにも渾名つけてよ! どうせ、一つくらいしか変わんないでしょ? オレ達」

 ね、ね、いいでしょ? と尋ねる様は、さっきの後光が降り注ぐイケメンスマイルと打って変わって、子供みたいだ。

 いや、子犬だろうか。チワワとか、そういう愛らしさ100%な感じ。世の女性、何なら男性のハートも容易く射止めてしまいそうだ。

 ホント、うちのメンツは粒ぞろい過ぎる。そんな四人と訓練とはいえ、影と戦う為とはいえ、ハグしてキスしろとか……俺、その内とはいわず呪われるのでは? 世間から。

「オレ、黄川ダイキだから……きーやんとか、ダイちゃんとか、お揃いでダイダイとかでもいーよ? とにかく、親しみさえ込めてくれれば、何でもウェルカム!」

 俺が自分の将来について憂いてる内に、話が進んでしまっていた。

 呼ばれるのに慣れていない俺だ。呼ぶ方なんてもっと慣れていない。例えで出されたラインナップですら、俺にとっちゃあハードル高めだ。かといって名字呼びはなぁ……

「じゃあ、ダイキさんで」

「えー」

 唯一の逃げ道を選んだ結果、不満だと言わんばかりにうらめしげな目で見られてしまった。

 何でもウェルカム! じゃなかったのかよ。いやまぁ、納得出来ない気持ちは分かるけれど。

「……ダメ、ですか?」

「下の名前呼びは、近い感じがして嬉しいんだけどさぁ……さん付けって、ちょっと壁感じちゃうじゃん?」

「じゃあ、めいいっぱい親しみを込めて、ダイキさんって呼びます!」

 かつて、ここまで声のトーンを上げたことがあっただろうか。

 それくらいの心持ちで、ダイキさんっの部分だけ、後ろに可愛い絵文字が付きそうなテンションで呼んでみる。恥をかなぐり捨てた甲斐はあったみたいだ。

「ズルいなぁ……そんな風にされちゃったら、いいよって言うしかないじゃん」

 気が変わったら、いつでも呼び方変えてくれていいんだからね、と付け加えられたものの、取り敢えず納得はしてくれたみたいだ。良かった。



 手伝おうとした俺に、お客さんなんだから、とソファーに座らせ、冷蔵庫へと向かったダイキさん。

 しばらくして、よっこらせ、と俺の隣に腰掛けた。2リットルのペットボトルを小脇に抱え、お盆にグラスを二つ、大皿に盛られたポテトチップスを乗せて。

「炭酸大丈夫? レモンも」

「好きですよ」

「良かった。お茶とか水もあるから、飲みたくなったら遠慮なく言ってね」

「ありがとうございます」

 手早くグラスに注がれたレモン味の炭酸ジュースを受け取ると、かんぱーい、と軽くグラスをくっつけてくる。好きにつまんでね、お代わりあるから、とポテチを勧められた。チーズ味だった。

 あまりのお友達の家感覚に、気張っていた肩はもうゆるっゆる。訓練だってことを、うっかり忘れてしまいそうだ。昨日、赤木さんとのトレーニングがいかにもなスパルタだったしな。

 とはいえ、最終目標は仲良くなること。その為ならば手段や過程は何でもいいんだから、どちらも間違ってはいないのだけれど。

「ところでさ、昨日はあかぎっちと何してたの? 参考までに知りたいんだけど……あ、勿論言いたくないなら、それでいいんだけどさ」

「大丈夫ですよ。昨日はトレーニングルームで、赤木さんに指導してもらってました。俺の足が速くなれるように」

「うっわぁ……めっちゃあかぎっち……確かに大事だけどさ」

 どうやら、彼のトレーニング好きは周知の事実らしい。細い眉を顰めるダイキさんは、げんなりしている。またかよ、って感じで。

「今朝も付き合ってもらったんです。早い時間だったんですけど、今日はヒスイも一緒に」

 今朝のモーニングコールは博士ではなく、赤木さんだった。通話に出た途端、トレーニングルームで待ってるぞ! と元気な声で。

 お陰でバッチリ目が覚めたけど。一緒に寝ていたヒスイもろとも。

 そういえば……「訓練があるから明日は早朝から頑張ろうな!」って約束してたんだった。慌ててトレーニングウェアに着替えていたところでヒスイから「赤木さんと? じゃあ俺も行く」ってなって二人で向かうことに。

 予定のないヒスイの参戦にびっくりしたんだと思う。赤木さんは、俺とヒスイを見比べて何やら複雑そうな顔をしてたっけ。すぐに昨日と同じ、熱血トレーナーに変わったけれど。

「あ、もしかして今朝、食堂に三人で来たのって……」

「はい、終わってシャワー浴びた後に、一緒にご飯行こうってなって、それで……」

「へぇー……なんか、イイ感じに修羅場ってんねぇ」

「しゅら? ああ、確かに赤木さんのトレーニングはめっちゃ厳しいっていうか。一瞬だけ、この世の果てが見えたような気がした時もありましたけど」

 ポテチを笑顔な口へと放り、塩気のある油っこさを甘酸っぱい炭酸で流しながら、楽しそうに相槌を打ってくれていたダイキさん。彼の緩やかに持ち上がっていた口角が、ひくりと歪む。

「ねぇ、それ、軽く魂抜けかかってない? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ! そういう時ってなんかめっちゃ楽しいっていうか、疲れが吹き飛ぶんですよ! だから」

「ハイってるじゃん! 絶対、極限状態の時になるヤツじゃん!」

 額に手のひらを当て、くしゃりと鮮やかな黄色の髪を掴む。何やらブツブツと呟いていたけれど、トーンの低さと声の小ささも相まって上手く聞き取れなかった。トレーニングバカって言葉以外は。

 重く長い溜め息の後、ゆっくりと向き直った黄色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。

「頑張るのはいいことだけど、無理しちゃダメだよ? 身体壊しちゃったら、元も子もないんだからね?」

「はい……ごめんなさい」

 気がつけば頭を下げていた。心配してくれる彼の表情があまりにも真剣で、圧倒されてしまったんだ。

 その理由も、すぐに分かった。教えてもらえたんだ。
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