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生と死の狭間にて
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身体が落ちていく、底の見えない真っ暗な穴へと。落ちて、飲まれて、沈んでいく。
目を開けても何も見えなくて、勿論音も、大好きな二人の声も聞こえなくて。唯一感じることが出来るのは、重力に従って全身が下へ下へと引っ張られていくような感覚だけだ。
終わりの見えない落下の最中、ふと気付く。
…………あれ? 大好きな、二人……って誰のこと、だったっけ?
そもそも、好きってどんな気持ちだったっけ?
……俺って、誰…………だったっけ?
「ねぇ、大丈夫? お顔が真っ青よ?」
心配そうな響きを含んだ、少し掠れた声が頭の中で聞こえた途端。目の前が真っ白に染まっていく。気がつけば俺の前には、
「よかった。初めましてがこんな形になるなんて思わなかったけど……会えて嬉しいわ」
薄いピンク色の短い髪を後ろに緩く撫でつけた、男の人が微笑んでいた。真っ白なテーブルの上で手を組む彼は、線が細く、目元に優しい雰囲気を感じさせる。
いつの間にか、俺自身も彼の向かいの席に座っていた。たった今、淹れたばかりなのかな。俺と彼の前に置かれている花柄のティーカップからは、甘い香りと一緒に白い湯気が立ち上っている。
「えっと、あなたが俺を助けてくれたんですか?」
さっきまで俺は、真っ暗な場所で一人、落ち続けていたはずだ。それなのに、ここには、俺達が座っている椅子とテーブルしかない。見続けていると、目がチカチカしてきちゃいそうなくらい真っ白な空間、ここに瞬間移動していたってだけでも不思議なのに。
「助けるのは、私じゃないわ。私は、貴方を招いただけ」
招いただけ……って、あんな暗くて嫌な場所から連れてきてくれたんだから、助けてくれたとしか思えないんだけどなぁ。
笑顔の形の口のまま答えた彼の意味深な言葉に、余計に頭の中がこんがらがってしまいそうだ。
「どーせ待ってる時間は変わらないんだし。だったら、あんな陰気な場所に一人でいるより、こっちで私とお茶してる方がよっぽど有意義でしょう?」
自分の置かれている現状どころか、何故か自分自身のことまで、霧がかかったみたいにボヤけて思い出せない。
だけど、この人がいい人だってことは分かる。じゃないと、あんな怖い場所まで、わざわざ俺を探しに来てくれるはずがないもんね。
「そう……ですね。ありがとうございます、ここに連れてきてくれて」
「お礼なんていいわよ、私がやりたくてやっただけ。そんなことより、どうぞ召し上がって? 貴方の為に、淹れたんだから」
「……いただきます」
人当たりがよさそうな笑顔に勧められ、カップを手に取ると、冷えきっていた指先に温かさが染みてくる。
「美味しい……」
口いっぱいに広がった、ほのかな甘さと優しい香りのお陰かな。お腹だけじゃなくてなんだか胸の辺りもぽかぽかしてくるや。
「ふふ、よかった。お代わりもあるわよ?」
あっという間に空にしてしまったカップを見た彼が、鼻唄まじりに上機嫌に、同じ花柄のポットから紅茶を注いでくれる。
よっぽど喉が乾いていたのかな。結局、追加でもう二杯、お代わりしてしまったんだ。
◇
「……ここはね、狭間なの。貴方がいた世界と死者の世界とのね」
ただでさえ静かな、俺達しかいない真っ白な空間に、静かにカップを置いた彼の言葉が頭の中で大きく響く。
「……俺、死んだんですか?」
誰だって死ぬのは怖いし、嫌だろう。でも、俺が感じた恐怖や悲しみは、そういった俺自身だけのものじゃなかった。
何か大事な人達を置いてきてしまったような、自分の一部が無理矢理引きちぎられ、離れ離れにされてしまったような。俺という存在が無くなってしまう以上の苦しさが、胸を締めつけ、視界を滲ませた。
「大丈夫よ死んでないわ。だから、そんな悲しい顔しないで」
少し尖った爪に、明るいピンクの化粧を施している大きな手が、俺の方へとゆっくり伸びてきて、頭をそっと撫でてくれる。
優しいその手つきに一瞬だけ頭の中に、誰かの明るい笑顔と穏やかな笑顔が過った気がした。
「ここに来たのは、貴方が二人に愛されているからよ。ちょっとした奇跡を起こしちゃうくらいにね」
「え?」
ぼんやりとしてしまっていた俺に、嬉しさを隠しきれないとばかりに声を弾ませ、少し目尻の下がった瞳でウィンクする。
「じゃないと……生きたまま、魂だけ都合よく一時的に避難させるなんて、そんな芸当出来ないもの」
俺の頭からそっと手を引いてから、軽く頬杖をつき、長い足を組み替えた彼が、
「肝心の当人達は、自分達が起こしたことに全く気づいていないみたいだけど。まぁ、一瞬だったし、それだけ貴方を守ることに必死だったんでしょうね」
私、これでも魂に関してはスペシャリストなのに、嫉妬しちゃうわぁ……と大げさなため息を吐いた。
「魂がこっちにいるお陰で上手く呪えなかったのかしら? 身体への浸食も、あまり進まなかったみたいだしねぇ」
顔の横で手を合わせ、身体をくねくね揺らし、ホンっと愛の力って偉大だわー、とうっとりとした顔をしている彼の言葉は。俺にはよく分からなかったけど……何故か胸の中がふわふわして、勝手に頬が下がってしまっていたんだ。
「あら、お迎えがきたみたい。楽しい時間って過ぎるのが早いわよねぇ」
目尻を下げて微笑む彼の姿が、少しずつ見えなくなっていき、俺の身体が温かい光に包まれていく。
「大丈夫、安心して身を委ねなさい。すぐに貴方の大切な人達のところに戻れるわ」
最後まで初対面の俺のことを気遣ってくれている彼に、お礼を言いたいのに声が出ない。それどころか身体も指の先すら動かせず、意識がだんだんと遠のいてしまう。
最後に、今度はちゃんと向こうで会いましょうね、と低めの掠れた声が、頭の中で響いた気がした。
目を開けても何も見えなくて、勿論音も、大好きな二人の声も聞こえなくて。唯一感じることが出来るのは、重力に従って全身が下へ下へと引っ張られていくような感覚だけだ。
終わりの見えない落下の最中、ふと気付く。
…………あれ? 大好きな、二人……って誰のこと、だったっけ?
そもそも、好きってどんな気持ちだったっけ?
……俺って、誰…………だったっけ?
「ねぇ、大丈夫? お顔が真っ青よ?」
心配そうな響きを含んだ、少し掠れた声が頭の中で聞こえた途端。目の前が真っ白に染まっていく。気がつけば俺の前には、
「よかった。初めましてがこんな形になるなんて思わなかったけど……会えて嬉しいわ」
薄いピンク色の短い髪を後ろに緩く撫でつけた、男の人が微笑んでいた。真っ白なテーブルの上で手を組む彼は、線が細く、目元に優しい雰囲気を感じさせる。
いつの間にか、俺自身も彼の向かいの席に座っていた。たった今、淹れたばかりなのかな。俺と彼の前に置かれている花柄のティーカップからは、甘い香りと一緒に白い湯気が立ち上っている。
「えっと、あなたが俺を助けてくれたんですか?」
さっきまで俺は、真っ暗な場所で一人、落ち続けていたはずだ。それなのに、ここには、俺達が座っている椅子とテーブルしかない。見続けていると、目がチカチカしてきちゃいそうなくらい真っ白な空間、ここに瞬間移動していたってだけでも不思議なのに。
「助けるのは、私じゃないわ。私は、貴方を招いただけ」
招いただけ……って、あんな暗くて嫌な場所から連れてきてくれたんだから、助けてくれたとしか思えないんだけどなぁ。
笑顔の形の口のまま答えた彼の意味深な言葉に、余計に頭の中がこんがらがってしまいそうだ。
「どーせ待ってる時間は変わらないんだし。だったら、あんな陰気な場所に一人でいるより、こっちで私とお茶してる方がよっぽど有意義でしょう?」
自分の置かれている現状どころか、何故か自分自身のことまで、霧がかかったみたいにボヤけて思い出せない。
だけど、この人がいい人だってことは分かる。じゃないと、あんな怖い場所まで、わざわざ俺を探しに来てくれるはずがないもんね。
「そう……ですね。ありがとうございます、ここに連れてきてくれて」
「お礼なんていいわよ、私がやりたくてやっただけ。そんなことより、どうぞ召し上がって? 貴方の為に、淹れたんだから」
「……いただきます」
人当たりがよさそうな笑顔に勧められ、カップを手に取ると、冷えきっていた指先に温かさが染みてくる。
「美味しい……」
口いっぱいに広がった、ほのかな甘さと優しい香りのお陰かな。お腹だけじゃなくてなんだか胸の辺りもぽかぽかしてくるや。
「ふふ、よかった。お代わりもあるわよ?」
あっという間に空にしてしまったカップを見た彼が、鼻唄まじりに上機嫌に、同じ花柄のポットから紅茶を注いでくれる。
よっぽど喉が乾いていたのかな。結局、追加でもう二杯、お代わりしてしまったんだ。
◇
「……ここはね、狭間なの。貴方がいた世界と死者の世界とのね」
ただでさえ静かな、俺達しかいない真っ白な空間に、静かにカップを置いた彼の言葉が頭の中で大きく響く。
「……俺、死んだんですか?」
誰だって死ぬのは怖いし、嫌だろう。でも、俺が感じた恐怖や悲しみは、そういった俺自身だけのものじゃなかった。
何か大事な人達を置いてきてしまったような、自分の一部が無理矢理引きちぎられ、離れ離れにされてしまったような。俺という存在が無くなってしまう以上の苦しさが、胸を締めつけ、視界を滲ませた。
「大丈夫よ死んでないわ。だから、そんな悲しい顔しないで」
少し尖った爪に、明るいピンクの化粧を施している大きな手が、俺の方へとゆっくり伸びてきて、頭をそっと撫でてくれる。
優しいその手つきに一瞬だけ頭の中に、誰かの明るい笑顔と穏やかな笑顔が過った気がした。
「ここに来たのは、貴方が二人に愛されているからよ。ちょっとした奇跡を起こしちゃうくらいにね」
「え?」
ぼんやりとしてしまっていた俺に、嬉しさを隠しきれないとばかりに声を弾ませ、少し目尻の下がった瞳でウィンクする。
「じゃないと……生きたまま、魂だけ都合よく一時的に避難させるなんて、そんな芸当出来ないもの」
俺の頭からそっと手を引いてから、軽く頬杖をつき、長い足を組み替えた彼が、
「肝心の当人達は、自分達が起こしたことに全く気づいていないみたいだけど。まぁ、一瞬だったし、それだけ貴方を守ることに必死だったんでしょうね」
私、これでも魂に関してはスペシャリストなのに、嫉妬しちゃうわぁ……と大げさなため息を吐いた。
「魂がこっちにいるお陰で上手く呪えなかったのかしら? 身体への浸食も、あまり進まなかったみたいだしねぇ」
顔の横で手を合わせ、身体をくねくね揺らし、ホンっと愛の力って偉大だわー、とうっとりとした顔をしている彼の言葉は。俺にはよく分からなかったけど……何故か胸の中がふわふわして、勝手に頬が下がってしまっていたんだ。
「あら、お迎えがきたみたい。楽しい時間って過ぎるのが早いわよねぇ」
目尻を下げて微笑む彼の姿が、少しずつ見えなくなっていき、俺の身体が温かい光に包まれていく。
「大丈夫、安心して身を委ねなさい。すぐに貴方の大切な人達のところに戻れるわ」
最後まで初対面の俺のことを気遣ってくれている彼に、お礼を言いたいのに声が出ない。それどころか身体も指の先すら動かせず、意識がだんだんと遠のいてしまう。
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