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惚れ直すことなんてない、ずっと大好きなんだから

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 するすると飾りの付いた紐がほどかれる。支えを無くした衣が重力に従って、俺の肌の上から滑り落ちた。

 背後から息を飲むような、何かを堪えるような気配がして、冷たいものが俺の背中に塗り広げられていく。

 肌が、ピリピリする。

 別に、古傷が疼いているんじゃない。この部屋の空気のせいだ。

「大分、跡が薄くなってきたな……」

「そうだね……」

 明らかな怒気と悲しみを含んだ声が、頭の上で響く。また少し、部屋の空気が重くなった。

「あー……でも、ほら痛くはないから! もうずっと前のだし。それに、見えないところにしかついてないからさ」

 出来るだけ明るい声で話しかけてみる。

 前を向いてるから見えないけど、優しい二人のことだ。きっと、辛い表情をしているに違いない。

「……そう、だな」

「……これで君の可愛い顔にまで傷を付けてたら、ただじゃおかなかったけどね」

 うーん……無理だな……これは。

 昨日は、俺が温泉やら石鹸の泡やらにはしゃいでたら……いつの間にか機嫌が直ってたんだけどなぁ。

 どうにかして元気づけたいけれど……お薬を塗ってもらってるのに動くわけにはいかないから、抱きつくことも出来ないし。

 かといって、二人が喜んでくれるような、笑顔になってくれるような言葉なんて……俺の頭じゃ全然思いつかないし。そもそも鞭の跡なんて、今まで気にしたことも無かったもんな。

 村長一家と、彼等に選ばれた美人な女性や美形な男性は除いて、村の人間はみんな傷だらけだったから。それが、当たり前なんだって思っていたし。疑問なんて抱いたことも無かったもんなぁ。

「しかし、本当に服で隠れるところばかりだな……」

「まるで狙ってやってたみたいだね……」

 節くれだった指が労るように、丁寧に、俺の身体に刻まれた傷跡をなぞっていく。

「あぁ……そういえば『万が一の時に、商品価値が下がらないように顔は避けろ』って村長が命令してたよ」

 ふと頭の中に甦った、村長と仕置き役の男のやり取りを、何気なく口にしてしまったばかりに。息がしづらいほどに、また一段と空気が重くなってしまった。

「……昔っからさぁ、目には目を歯には歯をって言うよね?」

「とびきり痛い鞭を用意するとしよう」

 言葉の意味は分かんないけど、やり返そうとしてる! 確実に!

 どうしよう……止めなきゃいけないのに、何だか鼻がむずむずして……

「へぷちっ」

 うっわぁ……我慢しようとしたせいで、変なくしゃみが出ちゃったよ……鼻水まで垂れてきちゃったし……

 何とか鼻をすすろうとしていると、程よく弾力のある温かいものに突然全身を包まれる。

「ごめんな、寒かっただろう? 今、俺達が温めてあげるからな!」

「くしゃみも可愛いね! お鼻拭いてあげるから、こっち向いて?」

 二人に身体を満遍なく撫で擦られて、肌触りのいい布で鼻を拭われた。

 あれ? いつものセイとソウだ。さっきまであんなに張りつめていた空気も、いつの間にか元通りになってるし。よく分かんないけど……まぁ、いっか。

 腕をめいいっぱい広げて二人に抱きつく。そのまますり寄っていると、何故か彼等の顔が真っ赤に染まっていって、どこか慌てた様子で俺の衣服を整えていた。




 とん、とん、とん、と色々な形の容器がテーブルの上に並んでいく。それらを運んできた青い蜥蜴達が、尻尾をぴこぴこ揺らしながらてちてちと、自分の持ち場へと帰っていった。

 青い鱗を纏った腕が俺の手を取ると、一つの容器から液体を垂らして皮膚の表面に塗っていく。塗り広げられていく度に、ふわりと花のような香りが俺の鼻をくすぐった。

「これは?」

「保湿効果のあるオイルだ」

「ほしつ?」

 初めて耳にする言葉に、うっかり間の抜けた声でそのまま聞き返してしまう。

「お肌の乾燥を防ぐんだって、セイの受け売りだけどね」

 俺を膝の上に乗せて、包み込むように後ろから抱き締めているソウが答える。俺の首筋に顎を乗せると、柔らかい頬をすり寄せてきた。

 乾燥か……村のひび割れた地面みたいにならないようにする……ってことかな。

「他にもいっぱいあるけど?」

 ちらりとテーブルに目を向けると、今塗られているオイルが入った黒い容器の隣には、白い陶器の入れ物。その隣には、緑色の液体が入った透明な容器が並んでいる。

「それぞれ成分が違うんだ。肌を白くしたり、紫外線から守ったりな」

「へぇ……セイはお薬にも詳しいんだねっ」

 そう言えば、村に一人だけいた薬師の先生の家にも、こんな感じの容器や瓶がいっぱい並んでたっけ。どちらかというと……鼻につくような変な臭いばかりで、セイが使ってくれているような、いい匂いはしなかったけど。

「これは、どちらかというと……化粧の部類に入るけどな」

 俺の右腕に丹念にオイルを塗っていたセイが、まくっていた袖を戻して、今度は左の袖をまくった。

「化粧? 俺、男だよ?」

 確か、女の人が顔や唇に塗るやつだよな? でも今は、腕に塗って……あれ?

「君は、俺達の大切なお嫁さんでしょ? だからさ、いつまでも可愛く綺麗でいて欲しいんだよ」

 首を傾げていた俺の頭を、赤く大きな手がそっと撫でる。

 ふと顔を上げると、ゆるりと目を細めたセイが、振り向くと、柔らかい笑みを浮かべたソウと目が合って……また、胸の奥がきゅんっと鳴ったような気がした。

「そっか……」

 心が……ぽかぽか、ふわふわする。

 俺の、自惚れかもしれないけど……二人に愛されてるんだなって、そう思った。




「サトルが終わったら、次はソウの番だからな」

「えー……俺はいいっていつも言ってるじゃん」

 別の容器に手を伸ばしながら告げられた言葉に、げんなりとした声でソウが返す。

 そんなに嫌なのかな。俺を抱き締める腕に力がこもって、まるで助けを求めるかのように長い尻尾が、俺の腰にしゅるりと巻きついた。

「よく考えてみろ。俺達の鱗が乾燥しているせいで、サトルの皮膚に傷がついたらどうするんだ?」

 手を止めたセイの、気迫のこもった眼差しがソウに向けられる。

 少しの沈黙の後、風を切るような音と共に赤い腕が勢いよく伸ばされた。

「じゃんじゃん塗っていいからね! セイ!」

 むしろ塗りたくってすっべすべにしてよね!と焦ったような声で早くも腕捲りをし始めている。

「はは、そう来なくっちゃなっ」

 カラカラと明るい笑い声を上げながら、青い手が俺の肌をするりと撫でた。





 健康的な肌色と、それを彩るように散りばめられた赤い鱗が、青い手によってより艶やかに、より鮮やかな光沢を帯びていく。

「どう、サトルちゃん? 俺、男前になった?」

 逞しい二の腕を見せつけるように力こぶを作って、ソウが無邪気に笑う。微笑ましいものでも見るような……穏やかな顔をしたセイが、オイルまみれの手を布で拭っていた。

「うん! いつも格好いいけど、今のソウは……見てると何だか胸がドキドキするよ……」

 どう言ったらいいのか分からないけど、彼の周りがキラキラ輝いて見えて、熱くもないのに頭がぼうっとして。俺が嫉妬した後に、二人から蕩けるような笑顔で甘く囁かれたときみたいに。身体がそわそわして、胸がきゅって苦しくなる。

「えへへー本当に? 惚れ直しちゃった?」

 長い腕が俺を抱き抱え、満面の笑顔でこてんと首を傾げる。

「惚れ直すもなにも……俺、二人のことずっと大好きだよ?」

 生け贄だった俺をお嫁さんにしてくれて、家族になってくれて。いっぱい撫でて、抱き締めて、キスしてくれて。

 温かいものを沢山くれる二人に、惚れてない時なんてあるはずが無いのに。

 全身の力が抜けたみたいに、俺を抱えたままソウがへたりと床に座り込む。何か、大きな音がした方を見ると、セイが床にめり込むように頭から倒れ込んでいた。

「二人とも、大丈夫?」

 俯いたままのソウの頭を撫でながら、セイの方へと手を伸ばす。むくりと起き上がったセイが、俺の掌に吸い寄せられるみたいに頭を押し付けてきた。

「あのさ……セイとソウはさ……俺のこと、好き?」

 俺って結構欲張りなんだな。知らなかった。

 抱えきれないほどの愛情を、二人からもらっているのに……言葉まで、欲しくなるなんて。

「愛してるに決まってんじゃん!」
「勿論、愛してるぞ」

 同時に告げられた温かい言葉に、鼻の奥がツンとして……大好きな二人の笑顔がボヤけていく。

 ニ色の手から優しく頬を、頭を撫でられる度に……熱いしずくがぽろぽろ溢れて、止まらなくなってしまった。
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