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七話

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「……どうして、このような縁談をお認めになられたのですか、お父様」

 ————時は遡り、レラ達がまだルーカス公爵領にて談笑していた頃。

 イグナーツの言葉に怒りの感情を煽られたナターシャはそのまま父のいる執務室へと向かい、ドアを押し開けるや否や、問い詰めるようにそう言葉を口にしていた。

 ナターシャ自身、それとなく知ってはいた。
 知ってはいたのだが、それは与太話か何かだろうと信じて疑っていなかったのだ。

 婚約者を盗られたと知るや否や、ならばと婚約を申し込んでくる王子がいる。
 そんな売れない小説のようなご都合主義な展開があってたまるかと。

 どうせ、尾ひれがついたほら話。

 そう思って、事前に隣国の人間が来ると伝えられていた彼女は、その客人の顔を拝見すべく待ち、そして満を辞して蓋を開けてみれば————何故か、己があり得ないと、一笑に付す程の可能性であると笑っていた可能性が、現実のものとなっていた。

「……これは、流石にカルロス様の生家に対して不義にあたるのではありませんでしょうか」

 まるで、レラの婚約破棄を待っていたかのような対応ではないかと。
 己の行為を棚上げに、そう口にするナターシャであったが、しかし、それに対する父の反応は困ったように首を小さく左右に一度振るだけであった。

「そうはいっても、だな」

 ルーカス公爵家現当主、バルド・ルーカスはナターシャに甘い父である前に、典型的な貴族でもあった。
 だからこそ、千載一遇とばかりに転がって来た機会をナターシャが不満げであるからと捨てる訳にもいかなかった。

 何より、後継でないとはいえ、王族との太いパイプである。

 多少、周囲から何か思われようと、得られるリターンがあまりに大き過ぎた。
 故に、まるでイグナーツとレラを婚約させる為にカルロスの婚約者をナターシャに挿げ替えた。
 そう捉えられようと今回ばかりは仕方がないと済ませようとしていたのだ。

「イグナーツ王子殿下の祖国であるフェルリアと我が国は代々続く友好国。その相手側の王族より、これほど光栄な話を貰えたのだ。無闇に亀裂を入れない為にも、断るわけにもいくまい」

 ————何より、ナターシャ自身もレラにはもっと良い婚約者が見つかる筈だからと応援していたではないか。

 何気なく続けられたバルドの言葉に、ナターシャはうぐっ、と顔を引き攣らせる。

 その一言は単なる嫌味であり、己が優越感に浸る為の言葉であったのだが、そのままの言葉の意味で受け取っているバルドには、それがただのその場限りの心のない応援であったと分からない。

「それとも、何か重大な問題でもあったか?」
「………」

 世間体が悪い。
 そんな理由一つではテコでも動かないと言わんばかりの態度に、今回ばかりはナターシャも口籠る他なかった。

 かくなる上は、お母様に。
 などと考えるナターシャであったが、頼みの綱であるバルドがこの態度である為、恐らく母も無理だろうと諦念。
 しかし、ナターシャはその程度で諦める人間ではなかった。

(お父様もお母様も無理なら……かくなる上は、カルロス様に……)

 どうにかしてレラの幸せをぶち壊したいと願うナターシャは、ついこの間手に入れたもう一つの選択肢に一縷の望みをかけんと、思考を切り替える。

「ないのであれば、今は下がっておいてくれ。私はこれから殿下をお出迎えに行かなくてはならないのでな」

 相手は隣国の王子殿下。
 普段やってくるただの客とはワケが違う。

 公爵家の当主直々に出迎えるべき人間。
 そう判断してるからこそ、今ばかりはナターシャを二の次に扱う他なく、その様子を前に、これも含めてイグナーツの嫌味なのではないのか。

 そんな被害妄想を自分勝手に膨らませていたナターシャは、人知れず、強く歯を噛み締めていた。

 やがて、今のバルドに何を言っても無駄と判断したのだろう。
 出来る限りの取り繕った表情を浮かべながらナターシャは執務室を後にし、自室へと怒り心頭に戻る事になっていた。

「……あり得ない。あり得ないから、あり得ない、あり得ないあり得ないあり得ない……ッ」

 誰もに褒められていた雪のような澄んだ銀髪を乱暴に掻きむしる。
 ヒステリックに同じ言葉を絶えず繰り返すその様子からは、病弱かつ庇護欲をそそられるナターシャ・ルーカスの面影は何処にもなかった。

 ……自分の計画は何処で狂った?

 そんな事を考えながらベッドに身を投げ、枕に顔を突っ伏したナターシャは疲労感に見舞われながらも、脱力した。



 レラ・ルーカスと、ナターシャ・ルーカスの間に確執が生まれたのは今から十年以上も前の話。

 生まれつき病弱だったナターシャにとって、レラは優しい姉であり、そして自分にないものを全て持っている、、、、、、、人間だった。

 容姿にそれなりに優れた姉であった。
 病弱な妹は、後継を産めるかどうか。
 そんな事情から、縁談の話が一切持ち上がらなかったナターシャとは異なり、レラは同格の公爵家の嫡子であるカルロスを婚約者に据えられた。

 そして何より、周囲からも慕われていた。

 誰もが言うのだ。
 誰もが讃えるのだ。

 レラは素晴らしいだ、なんだと。

 そんなレラは、ナターシャにとっても良い姉であった。けれど、ナターシャにとって、そんな姉から優しくされている事は同情されているから。
 もしくは、そんな妹に優しくする自分に酔っている姉にしか見えなかった。

 陰ではきっと、自分を憐んでいるのだと。
 その優しさは、紛い物であるのだと次第に信じて疑わないようになった。
 ナターシャが歪み始めたのは、丁度その頃からであった。


 それからだ。
 彼女が、姉に憎しみに似た感情をぶつけるようになったのは。

 やがてナターシャは、病弱である事をいい事にまずは両親からの同情を一身に得ることにした。
 幸い、両親は病弱に産んでしまったことに負い目を感じている。
 だから、自分を何よりも優遇させるように仕向ける事は、容易なものだった。

 そして、同情を得る方法。
 周囲が望む姿。

 それを試行錯誤し、考えに考え、行動に移した結果、幼少の頃とは真逆の図が出来上がった。

 どんな我儘であろうと、通ってしまう。
 そんな己が第一で、レラが二の次のナターシャが望んだ状況が。

 それから数年の時を経て。
 そんな状況から逃げるようにレラは『王立魔法学院』へと入学をし、その間に全ての根回しは終えた。
 その努力が実り、漸く先日、本来私がいるべき場所であったカルロスの婚約者という立場も取り返した。

 だというのに。
 だというのに、余計な邪魔が入った。

 どうせ、レラも腹の中では手に入れた新しい立場を手に、ざまあみろとでも思ってるのだろう。
 そう思うと、際限なしに怒りの感情がふつふつと沸き上がる。

「…………」

 どんな手を使ってイグナーツの婚約者になったのかは定かでないが、その展開はナターシャにとって許せるものではなかった。

 突っ伏していた顔を無言であげたナターシャの瞳は、どこか狂気を湛えていた。
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