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4巻
4-3
しおりを挟む「それに、何か勘違いしてるみたいだけど、わたしだって戦えないわけじゃない。自衛はできるし、レームやウルだっている」
「ハッ」
侮蔑を込めて、コーエンが笑う。まるで分不相応の愚か者と言うかのような、嘲りと哀れみを織り交ぜた眼差しでエレーナを射抜いている。
「確かに、そこらの兵士と比べたなら戦えるんだろうが……所詮はその程度だ」
「へぇ……ッ?」
売り言葉に買い言葉。事態の収拾がつかなくなりそうな予感で場が埋め尽くされていたが、
「『氷葬』」
聞き慣れないその言葉に全員の注意が向き、剣呑な空気が幾分か和らぐ。
「歴史的価値に理解を示さないボンクラではあるが、そんな二つ名を付けられた〝英雄〟が遺跡にいる。今回の作戦の責任者だ。あいつがいる限り、あんた程度じゃ話にならない」
「……随分と好き勝手に言ってくれるね」
「それが事実だ」
また、〝英雄〟か。
心の中で俺は人知れず辟易する。
掃いて捨てるほどいるわけじゃないだろうに、何故か〝英雄〟との出会いが異様な程に多過ぎる。
ふと、自分の腰に視線を落とす。
そこには無骨な影色の剣がひと振り。
剣を手にするという事が何を意味するのか。
俺は誰よりもそれを分かっていたはずだ。臓腑の裏まで、魂の芯にまで染み付いていたはずだ。
これを嫌と言うならば、何があっても剣を執るべきではなかった。決して近寄らせず、ひたすら遠ざけるべきであった。しかし俺はそうはしなかった。
「俺とその『氷葬』とやらをぶつけると?」
「確実に逃がすならば、同格以上の人間が必要だろう?」
そこで、俺は言い淀んだ。
これがコーエンの罠である可能性は十二分にあり得る。むしろその確率の方が高いだろう。
帝国側の、会って間もない人間なのだ。信頼する理由もされる理由も、どこにも見当たらない。
だから彼の言葉を嘘と断じ、この場に背を向けたとしても誹られる謂れはない、のだが。
「分かった」
俺は内心の葛藤にかぶりを振り、コーエンに肯定の意を示す。
「結論俺は、エレーナを助ければいいんだろ」
「ああ、そうだ」
「……なら、それがたとえ罠だろうが引き受けてやるよ」
盗み聞きした会話から察するに、エレーナは〝異形〟の猛威にさらされた人間だ。
〝異形〟に衰える事のない憎悪を向ける俺であるから、彼女には同情に近い感情を抱いてしまう。
――似たような境遇の人間は、どんな運命の悪戯か、おんなじ場所に集まって来ちまうんだ。
そんな言葉が不意に俺の脳裏に過る。
果たして誰の言葉だったのか。それはもう思い出せない程に昔の言葉であるという事だけしか、俺には分からなかった。
第五話 遺跡
「……コーエン・ソカッチオか」
それは凡そ感情を感じさせない、機械質な声であった。
「そこにいる奴らは何者だ」
「カルサスの王女。それと、その供回りだ。外で偶々出くわした。目的地がここだと言うんで、こうしておれが連れてきた。ただそれだけだ」
簡潔に、淡々と。
遺跡前にて、門番を担っていた相手の問いに、コーエンがにべもなく答えを返す。
「カルサスの王女、か」
そう口にするや否や、兵士の男が這うような視線をエレーナに向ける。
無言の十数秒間。
それを経て、
「確かに聞いていた特徴と一致する……上からも、お前を通せと命を受けていた」
彼は道を開けた。
供回り。
コーエンがさも当然のように、ウルとレームに加えて俺の事もそう紹介した際、怪訝な視線こそ向けられたものの、呼び止められはしなかった。
ひと振りの剣を腰に下げた小柄な少年。
……成る程、確かに。
俺が兵士の立場であったとしても、恐らく呼び止めはしなかっただろう。余計な騒動を起こさないで済んだ己の幼さに、今回ばかりは感謝をした。
そこへ。
「待て」
少しだけ、威圧のような力強さが込められた声がかかる。
「どうしてお前まで遺跡に向かおうとしている? コーエン・ソカッチオ」
先頭で足早にこの場を後にしようとしていたコーエンが、名指しで呼び止められる。
同時、俺の脳内で想起されたのは、遺跡の手前でコーエンが口にした言葉。
――歴史を知る上で都合が良かったから帝国に身を置いている。
それはつまり、彼自身が帝国に信を置いていないという事。恐らく帝国側の人間も、彼の考えに気づいているのだろう。
それでも手元に置いている理由は、その優秀さ故か。
「カルサスの王女ならば、遺跡の手掛かりについて何か知っているのではと考えただけだ」
「……成る程」
仮初の答えでこそあるものの、何らおかしな話ではない。
歴史に心身を捧げ、僅かな手掛かりにすら縋る。そんなコーエンの行動理念は末端の兵士達にも広く知られていたらしい。
兵士の男は納得したのか、コーエンから厳しい視線を逸らした。
「そういう事ならば問題はない」
肩越しに振り返っていたコーエンは、相手の回答を耳にするや否や、また先へと歩き出す。
ひと呼吸置く事すら惜しいとばかりに歩みを進めるその様子はまるで、焦っているようで。
必要以上に俺の思考が巡り始めていた。
彼の焦りは、『氷葬』なる〝英雄〟とかち合う可能性があるという事が理由に他ならない。〝英雄〟の地位にある彼が焦る理由など、それ以外に存在し得ないからだ。
そして、俺自身も焦らなければならない理由があった。
〝異形〟の手がかりは、何があっても二の次になどできない。そんな前世からの業のような思考回路に嫌気が差すが、フェリとラティファがここまで探しに来る可能性だってあるからだ。
「……シヅキ?」
だからさっさと用を済ませて……などと思考の渦にとらわれ、足を止めていた俺に声が掛かる。
「……ん?」
おかげで我に返り、前を見る。
先頭のコーエンは既に随分と前を歩いており、今の声の主であるエレーナが不思議そうに俺を見詰めていた。
「あー……いや、悪い」
なんと言い訳をしようかと一瞬だけ考えるも、手短に「悪い」のひと言で済ませる事にした。
エレーナも別段疑問を抱かなかったのか。首肯を一度だけ挟み、コーエンに追い付くべく駆け足気味に進み出す。俺もまた、それに続こうとした時――
「カルサスの王女がやってきた。対象の他に『心読』と護衛が三人いる」
俺達がある程度離れた事を確認した途端、コーエンの行動を認めたはずの兵士が、誰かに報告を始めていた。
人よりも五感は優れていると自負する俺で、ギリギリ聞こえるかどうかの声量。その声が決して友好的なものでない事を理解したが故に、
「……めんどくせぇ」
溜息と共に気怠い言葉が俺の口を衝いて出た。
厄介事になりそうだと予め聞いていたものの、実際にそうなると確信を抱けば、鬱々ともする。
不幸中の幸いは、遺跡に辿り着くまでには幻術の結界を通らなければならないという事。加えて、遺跡付近に〝迷いの森〟に滞在する帝国の重要人物が集結しているであろう事。
フェリやラティファがこの場に辿り着く事は、限りなく不可能と言っていい。だから俺は、彼女達に累は及ばないだろうと、なけなしの安心感を抱いていた。
◆◆◆
めらめらと揺らめく、篝火の深緋が散見される。
時折、がらがらと音を立てて燃え盛る薪の音が耳朶を打つ。
コーエンに案内された遺跡は、神秘的という言葉がこれ以上なく似合う場所であった。もし俺が詩人であれば語彙を尽くして賛美しただろう。
「ああ」
遺跡に足を踏み入れた俺が何よりも先に口にした言葉。
それは――
「気持ちが悪い」
侮蔑であり――この場において俺だけが理解できる褒め言葉であった。
篝火の暖色に照らされる壁。
そこには絵が描かれていた。
狂った世界が。穢れた世界が。壊れ切った、世界が。
だからこそ、俺は気持ちが悪いと言う。
あの世界をこんな壁画一つで再現し、こうも容易く思い起こさせてくれたルドルフの才能を、俺なりに称えたのだ。
「それで――」
己の脳内にふつふつと湧いた過去の記憶に背を向けて、俺はコーエンへと向き直る。
この不快感の払拭はきっと、一生涯不可能だろう。だが、俺の中を埋め尽くす感情を隠す事は造作もなかった。なにせ、夢の世界で幾度となく俺は、懐古し続けていたのだから。
「あんたは何が聞きたいんだ? コーエン・ソカッチオ」
これまでの様子から時間がないのだろうと察していた俺は、早速本題へと切り込む。しかし。
「まず、お前に聞いておきたい事が一つある」
何となく、コーエンが俺に何を尋ねたいのかが透けるように分かった。
だから、小さく自嘲めいた笑みを浮かべる。
あまり聞いてほしくはない事だったから。
それは決して誇れるものではないと、己自身が決めつけていたから。
「お前は一体何者だ?」
「もう名乗っただろ? シヅキってさ」
「……そういう事ではないと、お前自身が一番分かっているだろう」
平気な顔をして嘯いてやると、半眼で呆れられながら図星をつかれた。
「おれはお前という人間を一度覗いている……その時読めたのは、二人分の生」
やはり、コーエンは気づいていたらしい。
「一人はファイ・ヘンゼ・ディストブルグという〝クズ王子〟と呼ばれる王子の生」
どこからか聞こえた、息を呑む音。音の出所は、少し離れた場所で壁画を眺めていたエレーナか。もしくは彼女の護衛役であったウルか、レームか。
「もう一人は、シヅキと呼ばれていた剣士の生だ」
「――どういう事、それ」
話の途中にもかかわらず、エレーナが怪訝顔で割り込んでくる。
「言葉の通りだ。そいつは紛れもなく人生を二回歩んでいる。一度目はシヅキと呼ばれていた剣士としての生。そして二度目が今現在。ファイ・ヘンゼ・ディストブルグとしての生」
「……ぇ」
「所謂、転生というやつなのだろう。俄かには信じ難い事であるがな」
何もかも筒抜けか、と諦念にも似た感情が溢れ出す。だけど、その感覚は少しだけ懐かしいものであった。
「そこまで知ってるなら尚更、質問の意図が分からねえ。そこまで分かってるんなら、あえて何者だなんて尋ねる必要はないだろうが」
そもそも、他でもない俺自身が自分の現状に疑問を抱いている。どうして、ファイ・ヘンゼ・ディストブルグとして生を受けてしまったのか。
今でこそ、殺し損ねていた〝異形〟を鏖殺する為か、などと思うが、実際のところは分からない。
「それに、俺は遺跡についての解読に協力するとは言ったが、質問に何でも答えるとは言ってねえ。だから……その質問に答える義理はねえよ」
一度は全てを投げ捨てて死に逃げた俺である。この身はどこまでもろくでなしの畜生。それを自覚しているから、己を貶める言葉は何度も何度も使う。己の業を刻み付けるように。
それでも過去を否定するつもりは毛頭無かった。そして、それをひけらかすつもりも。
「…………」
俺の返答に、コーエンは不快感を隠そうともせずに眉根を寄せていた。
けれど、関係ない。
「……そう、だな」
微塵も譲る気配を見せない俺に、コーエンは諦めたようにかぶりを一度振る。
「ならば質問を変えよう……この壁画は、一体何だ?」
リーシェン・メイ・リィンツェルのようには、俺の全てを覗ききれなかった故の質問だろう。
だが俺はそれを、ふ、と嘲り哂った。
「とある人の言葉を借りるとすれば、これは『救い』なんだとさ」
「……『救い』だ?」
「ああ、そうだよ。とあるロクでなしが描いた『救済』。その成れの果てがコレだ。醜い化け物が跋扈する地獄のような世界が『救い』だったのさ」
法も規律も、当然として求められる人倫も。
何もかもが『当たり前』ではなかった世界。
一人ではどうにもできず、他人の手を取る余裕なんてものもどこにもなくて。そんな彼らに手を差し伸べたのが、〝異形〟を生み出した張本人である〝黒の行商〟であった。
苦しみも、悲しみも、何もかもを忘れさせてくれる。そんな夢のような〝丸薬〟を、彼は弱き者に差し出した。
……初めは本当に『救い』のつもりだったのかもしれない。
であるならば、その『救い』がただ化け物に変貌させる種であったのだと気づいた時点で、彼はそこで立ち止まらなければならなかった。
しかし〝黒の行商〟は〝異形〟への変貌までもを『救済』と捉え、世界を壊す事が『救い』であると答えを得てしまった。
「あの世界には、三種類の人間がいた。『救い』に身を委ねてしまった弱者と、『救い』に身を委ねられない人間と、好き勝手に生きるロクでなし。そんな三種類の人間がいたんだ」
一番悪いのは、壊れた世界を是としたロクでなし共。
次に悪いのが、押し付けの『救済』を掲げた〝黒の行商〟。
幾度となく目にした。ただの人間が〝異形〟に変貌してしまう瞬間を。
あんな醜く、穢らわしいもののどこに救いがあるのだと悩み抜いて。弱者である彼らもなりたくて〝異形〟になったわけではないと知って。そんな彼らにつけ込むように〝黒の行商〟は『救い』であると宣って。
彼らの慟哭を知った上で、結局〝異形〟に身を委ねてしまった者を幾度となく斬り殺すしかなくて。
理性を差し出した〝異形〟が、己の家族だった者を殴殺する光景も何度も見た。醜い光景を、何度も、何度も。
そして気づけば、俺も先生達のように〝異形〟という存在を心の底から恨んでいた。
「……この壁画は、今言ったうちの二番目だった人間が遺したもの。殺し尽くしたのも、二番目の人間だよ」
ルドルフとトラウムがこうして遺跡としてあの世界を遺した理由は、一つしか考えられなかった。
「……欠片程も認めたくはなかったけど、あの世界でならば〝異形〟という存在もまだ、認められた。あの世界では、〝異形〟に身を堕とす事も少なからず仕方がなかったと、俺ですら言えるから」
コーエンが投げ掛けてきた質問には既に回答している。故にこれ以上の言葉は不要と理解しているのに、口は止まってくれない。〝異形〟の話となると頭に血が昇る癖は、未だ治ってはいなかった。
「でも、この世界に〝異形〟は間違っても要らねえよ」
この世界に、〝異形〟が存在していい理由なんてただ一つとてなかった。
だから俺は怒っていた。
最早、それは衝動といってもいい。
「覚えておけ、コーエン・ソカッチオ」
どうせ、彼は俺という人間を一度覗いている。
だったら、下手に言葉を飾る必要もない。
「この遺跡は、二度とあの歴史を繰り返さないようにと戒めを込めて残された遺跡だ」
ルドルフを知る俺だからこそ、そう断じる。
「歴史を追うのはお前の自由。だから口出しするつもりはねえけど……あんたの追ってる歴史は、間違っても綺麗なものじゃない。もっと、醜くて穢れた汚点の塊だ」
だからこそ。
「もしあんたが〝黒の行商〟と同じように〝異形〟に手を伸ばす事があれば、俺は間違いなくあんたを斬り殺すぞ……あまり、足を踏み入れ過ぎないでくれよ」
第六話 時間遡行
張り詰める剣呑な空気。
しかしそんな雰囲気も、続くコーエンの言葉によってほんの微かに和らいだ。
「……そう凄まないでくれ。確かにおれは歴史の探求者であるが、お前のような奴と安易に敵対する程自惚れてはいない。仮に足を踏み入れるとしても、リスクリターンの見極めは最低限するつもりだ」
俺としては、安易に踏み込まないでくれるならばひとまずはそれで良かった。
「……とはいえ。成る程、この壁画は警告であったか」
腑に落ちたと言わんばかりの表情をコーエンは浮かべる。
「道理でおれがうまく読み取れないわけだ」
彼の通称は――『心読』。
人に限らず、物からもその内奥を読み取る事ができる能力から付けられた二つ名である。
そんな彼を以てしても、壁画に込められた溢れんばかりの憎悪が邪魔をして、上手く読み取れなかったのだろう。
長年の悩みが払拭されたからか、晴れやかな表情を浮かべるコーエンであったが、
「――待っ、て」
対照的に、震えた声で制止の言葉を口にする人物がいた。
――エレーナだ。
「じゃあ、『時の魔法』はどこにあるの……?」
「少なくとも、俺はそんな魔法の存在は知らない」
俺は続けて答える。
「それと、この遺跡にその手掛かりはないだろうな」
この遺跡に関わったであろう人物は、俺の想像が正しければルドルフとトラウムの二人だけ。
あの二人の血統技能は俺も把握していた。彼らの能力が、エレーナの言うような『時の魔法』には掠りもしない事を。
「どこから聞きつけたのかは知らねえけど、申し訳ないが、俺の記憶を掘り返してもそんな魔法の手掛かりは微塵もない」
「……まっ、て。待って。待って、よ。わたしは」
『時の魔法』という存在を頼りに生きてきたのに。
続くであろう言葉は、容易に想像がついた。
俺は一度、エレーナと時間の遡行について語り合っていた。だから、彼女がどれ程そこに賭けていたのかを知っている。
恐らく彼女は〝異形〟によって心を、当たり前の日常を容赦なく蹂躙された被害者だ。戻れるものならばさぞ、戻ってやり直したい事だろう。その気持ちは痛いくらい分かってしまう。
「随分と厳しいな。そこの元王女はお前の知己でもあるんだろうに」
頭を抱え、虚ろな目でブツブツと呟きを繰り返すエレーナを横目に、コーエンがそんな言葉を投げかけてくる。
「だから、に決まってるだろ」
――生き続けた先に、『答え』がある。
そう言われ、その言葉に縋って生きてきた俺は結局、『答え』を見つけられなかった。
そして絶望した。
摩耗し、とうの昔に擦り切れてしまった心は修復不可能なまでに壊れきって。その生を強制的に己の手で終わらせてしまった。
そんな過去を歩んだ俺だからこそ、ありもしない希望を持たせる言葉を使う事を拒んだのだ。
「存在しない幻想に浸って一体誰が救われるよ? その幻想に乗っかる方が残酷だろ」
理想に溺れる事ができるのは、現実を知る一歩手前まで。そして溺れるという一時的な逃避の後に待ち受けているものは、より凄惨な現実だけ。
果たしてどちらの方が酷いだろうか。
「わた、しは、変えなきゃいけないんだよ。あの時に、もどっ、て、わたしが変えなきゃいけないんだよ」
か細い声で紡がれる心の慟哭。
「じゃないと、何の為にわたしが生かされたのか、が、分からなく、なる」
生かされたから、死ねなかった。
そんな想いを胸に抱き、懸命し続けたエレーナは、まるで己の映し鏡ではないかと錯覚してしまいそうなくらい、俺と酷似していて。
どうしようもなく、小さく映った。
◆◆◆
ファイが勝手な自己判断の下、コーエン・ソカッチオらと共に遺跡に足を踏み入れていた頃。
宿屋を後にし、彼が辿った道をなぞるように歩き出す二つの人影があった。
「ラティファ」
「はい。何でしょうか、メイド長」
「貴女は……時間を戻せるとしたら、戻したいですか」
「変な質問ですねぇ。メイド長らしくもない」
ラティファと呼ばれた茶髪の女性は、メイド長――フェリの唐突な質問にほんの一瞬驚きこそするも、すぐに普段の調子でにんまりと口角を曲げて笑ってみせる。
「今朝、殿下が仰ったんです。意図は分からずじまいでしたが、どうしてかそんなご質問を」
「成る程。そういう事でしたら、先程の言葉は撤回します。ものすっっ、ごくメイド長らしい質問でした」
己の主の何気ない質問の意図を愚直に模索しながら、考え込む。そのもどかしいくらいの不器用さは、正しくメイド長らしいと、ラティファは楽しそうに破顔を続ける。
折角『シヅキ』なんて偽名を取り決めたというのに、また『殿下』呼びになってしまっていた事に少し引っかかるも、近くに人もいないし今は良いか、と放置を決め込む。
「そうですねえ。私だったら、戻したいと願うかもしれません」
たとえ、己が掲げ続けていた矜持や誓い、思い出や記憶に背を向ける事になるとしても。
本当に変える事ができるのならば。
心の中で密かにそう付け足して、ラティファの表情がほんの僅かに引き締まる。
「でも、そんな都合の良い話はありませんけどね」
万が一にもそんな事は起こり得るはずがないと決めつけるようなラティファの態度に、フェリは少しだけ眉間に皺を寄せた。
「この世界には色んな種類の魔法があります。きっと探せば、今仰ったような『時の魔法』に準ずるものもあるのかもしれません。ですけど、何事にも穴はあります」
「穴、ですか」
「はい。たとえば、シュテン殿下の膨大な魔力量には、身体が耐えきれないという穴がありました。グレリア殿下の魔法には、対象に触れなければならないという穴が。メイド長の降霊にも。シヅキの剣にも。何もかもに、穴がある」
はっとした様子で、フェリはラティファを見詰める。
シュテンやグレリアの事については、ラティファが知っていてもおかしくない。だがどうして、己やファイの事までを知っているのか。
本来知り得ない情報を手にしていたラティファに、驚きを隠せなかった。
「そしてきっと、仮に時間を遡行できるとしても穴は存在してしまう。そんな事を考えてしまうから、私は『かもしれない』なんて不明瞭な言葉でしか返事ができないのかもしれませんねぇ」
――特に。
そうして言葉はまだ続く。
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