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1巻
1-2
しおりを挟む「どうして兄上が謝るんですか」
「本来ならば、これはオレの役目だ。だが、父上はオレが向かう事を認めなかった」
「それはそうでしょう。兄上はこの国に欠かせないお人だ」
「だからといってお前が死んでいい人間なわけではない!! オレは知ってる。お前が、ファイが優しいヤツだという事は」
「……随分と高評価ですね。いいんですよ、そんな取り繕おうとしなくても」
「本当に〝クズ王子〟ならば、卑下するような事は言わん……死ぬなよファイ。怖くなったら逃げ帰ってこい。オレが庇ってやる」
俺達兄姉の中でも特に、俺とグレリア兄上の仲は良すぎる。
俺からしてみれば、たまに相談に乗ったり、話を聞いたりしたくらいなんだが、兄上にとって相談できる相手というのは得難いものだったらしい。
立場抜きにオレに本音をぶつけてくるヤツはお前が初めてだよ、と笑う兄上の笑顔が未だに忘れられない。
「兄上には俺が、戦争で死に花咲かせてくると言うような武人に見えましたか?」
「……く、くははっ。そう、だったな。悪い、無用な心配だったな」
「伊達に〝クズ王子〟なんて呼ばれてませんから」
「お前は強いな」
「どうしてです?」
儚く笑うグレリア兄上の言葉に疑問を抱く。
俺が強い人間? そんな馬鹿な。俺程弱く、馬鹿な人間はいないだろうに。
「オレはさ。初めての戦争では、援軍の将として参加したんだ。勝ち戦だった。けど、震えが止まらなかった」
「あぁ、そういう事ですか」
なるほどと、俺は微笑む。
グレリア兄上の震えは、当然の事だ。この上なく正しい反応だ、それは。人の死が蔓延る場所を思って震える事は、正常に他ならない。
「俺は……」
少し言葉に詰まる。
何を言うのが正解なのか、少し迷い、僅かな逡巡を経て、
「俺は、馬鹿だから。戦場がどういった所なのか分かってないんだと思います。いざその時になったら震え出しちゃうかもしれません」
俺はグレリア兄上に嘘をついた。
戦争は、闘争は、俺の記憶にこびりついている。
震えるなんて事は、あり得ない。
それ程までに、俺という人間は壊れ切っていた。
「そう、か。困った時はフェリに指示を仰ぐといい。オレも何度か世話になっていてな。腕は保証する」
「それは頼もしいですね」
「フェリを付けるからには、父上もお前を死なせたくはないんだろう。あまり責めないでやってくれ」
「責めるだなんて、そんなつもり毛頭ありませんよ」
だって俺は。
「誰かを責められるような人間じゃ、ありませんから」
救いようのない人間だという事を誰よりも、自覚しているのだから。
第三話 歓待
「ま、これが妥当だわな」
父上に役目を与えられ早一日。
飛行艇を使い、やってきたのはディストブルグから見て北東に位置する――アフィリス王国。
援軍を向かわせるという旨を書き記した書簡を父上が予め送り届けていたのか、早朝にもかかわらずその国境付近の荒地には、俺達を出迎えんとする兵士達でちょっとした人集りが生まれていた。
飛行艇が着陸するや否や、多くの兵士達が駆け寄ってきてくれたものの、こちらを取りまとめる者が〝クズ王子〟であると知った途端、目に見えて落胆の色が浮かんだ。
――グレリア殿下が来てくださっていれば。
――勝てない戦いと踏んで〝クズ王子〟を寄越したのか。
などなど。俺がいるというのに陰口があちらこちらから聞こえてくる。
盟約の下に援軍としてやってきた俺は、アフィリス王国の為に少なくとも一度は戦わなければならない。それが体裁というやつだ。
逆に言えば、一度でも戦ったなら〝クズ王子〟が長く留まるわけがない。
なら、陰口の一つや二つ、言ってしまっても問題はないだろう、というわけだ。
悲しいかな、俺としても長く留まるつもりはなかったので、ここは笑うしかない。
「……殿下」
「どうしたよ。俺に同情なんてあんたらしくもない。陰口なんざ言われ慣れてる事は知ってるだろ。今更どうも思わないさ。これは自分で蒔いた種だ。甘んじて受け入れるっての」
隣のフェリにそう言ってやる。もちろん、本心からだ。
人から向けられる悪意には以前から慣れていたし、どうこう言うつもりもない。
ただ何もなく終わりさえすれば、俺から言う事は何もないのだ。
「あんたも分かってるだろ。俺は置物だ。働くのは騎士や兵士達。彼らは、逃げる腹づもりの〝クズ王子〟より騎士達の機嫌を取って、少しでも留まってもらおうとしている。実に利己的。あそこまで目に見えてだと好感すら覚えるな」
「ですが、殿下を疎かにするなど到底許せる行為では……」
彼らも分かっているのだ。相手はかの有名な〝クズ王子〟。俺という存在はどこまでも据え置きでしかなく、まともに相手をする必要がないと、したところで意味はないと、分かっているのだ。
だからもういっそ、俺を放置してしまおう。全員が全員そんな思考をしているので、俺がぽつんと放っておかれているような状況に陥っている。
「別に気にしなくてもいい。俺は気にしてない。っていうより、興味がないからな、この国に」
「?」
「今回の件でのみの付き合いで、俺だっていざとなれば、逃げるつもりなんだ。あちら側も俺が自分可愛さにおめおめ逃げ帰るような情けない〝クズ王子〟って分かっているんだろうよ。そしてお互いにそれを理解してる。だから気をつかうだけ無駄なのさ」
「……どうして」
そう言ってフェリは顔を俯かせながら、俺の考えが心底理解できないと言わんばかりの様子で、振り絞るように、悲しそうに嘆く。彼女の表情はひどく歪んでいた。
「どうして殿下は戦おうとしないんですか……っ。それだけ、利己的に己を失わず冷静でいられるのなら、良き戦士になれるでしょう。王族でも剣を執る時代です。実際に、グレリア殿下は剣士でもあります。腕を磨いて、見返してやろうとは思わないのですか……!」
「思わない」
即答だった。
「まず前提として、俺は剣を振るう事を誉れと思っちゃいない。俺が望んでいるのはひたすら続く平和な日常だ。崇められたり、褒められたり、栄光を掴んだり、英雄になったり、国を救ったり。そういった行為は以ての外で、一切興味がないんだよ。俺の場合、〝クズ王子〟と呼ばれる事さえ受け入れれば平和な日常がやってくる。なら、俺はそれを甘受してやるさ」
それは、俺と先生を除いて誰にも理解されない考え。
剣を握り、その果てに辿り着いた場所は、ただ己が斬り殺した骸が広がり、ひたすらに無が続く孤独の一帯。
そこに辿り着き、それを誰よりも理解した一人であるからこそ、俺は剣を握らない。
少なくとも、真に守りたいと思えるものすらないこの地で、俺が剣を握る事は、あり得ない。
俺はもう、剣士ではないのだから。
「考えが甘すぎます、殿下っ……!!」
「甘くて結構。だがな、剣を握れば最後。人は剣に呑まれる事しか選択肢がなくなる」
「……どういう事ですか」
「そのままさ。剣を握った瞬間、人は錯覚を起こす。まるで自分が強くなったかのような錯覚だ。それが死への第一歩。人殺しの武器を当たり前のように振るうようになればもう戻れない。後は、死へ続く道をひたすら真っ直ぐ進むしかなくなる。剣を握る事を誉れとする時点で、この世界は平和から程遠いよ、本当に」
フェリが俯く。
だけど、俺は自分の身を案じて助言してくれた彼女を言い負かしたかったわけではない。
「この世界を生きる上では、あんたの意見の方が正しい。だけど、戦争をなくしたいのならば俺の意見の方が正しい。あんたは王家への忠誠心が高いから、仕えてる相手がどんだけ救いようのない人間でも、バカにされるとそりゃ腹も立つよな。その忠義には、いつか報いてやりたいもんだ」
本心から、そう思う。
彼女は数十年とディストブルグ王家に仕える忠臣の一人だ。ディストブルグ王家の者ならば、どんなカタチであれ、その忠義には報いなければいけないだろう。
「では、殿下。剣を執りましょう。私が必ずや殿下をディストブルグ王家の名に恥じない剣士に育ててみせますので!!」
「すまないが、それだけは勘弁」
「むむ……」
訂正。
可能な限り、報いてやりたいと思う……
「そら、こうしてる間にやっとお出ましか」
動きにくそうな煌びやかな衣装でなく、戦乙女のような身軽な格好で、こちらへ向かってくる一人の女性を見据えながら俺は言う。
「メフィア・ツヴァイ・アフィリス王女殿下……」
彼女の顔に浮かぶ隠しきれない疲労を慮ってか、フェリの声に込められた感情は少し沈んでいた。
「お久しぶりね、八年振りかしら。ファイ王子」
「俺としては、部屋でゆっくりしていたかったんだけどな。グレリア兄上が行けないって事で俺が代わりに来た。別に気にしないぞ? なんでグレリア兄上じゃないんだって喚いてもよ」
「喚けばグレリア王子殿下が来てくれるのかしら」
「来ると思うか?」
「……はぁ。無駄に時間を使わせないで。本当にマズい状況なの。悪いけど、今から戦線に加わってもらうわ」
これ以上の会話は必要ないとばかりに、メフィアは俺から視線を外す。その視線の先には俺達が連れてきた兵士達、総勢三〇〇〇。
メフィアは彼らに向けて声を張り上げる。
「今、城の西から敵軍が迫っています。あなた達には今からそちらに向かってもらうわ! その為に、一時的に私の指揮下に入ってもらう。異論はないわね?」
ぎろりと威圧の込もった視線を向けられる。
俺の身の安全が保証されなくなるからと、断わられないように。そんな考えの表れだったんだろうが、生憎と殺意を向けられるのには慣れている。暖簾に腕押しだ。
だけれど、断る理由もなかったので、俺は分かったと頷く。
「だが、フェリは俺の護衛だ。フェリだけは俺の側に置いておく。それで構わないか?」
「構わないわ」
「そりゃどーも」
俺にとって、守りたいヤツは俺自身とフェリくらいだ。それに、一人ぐらいであれば剣を握らずとも十分逃し切れる。
フェリは苦手な人物ではあるが、嫌いな人物ではない。〝クズ王子〟な俺でも見捨てないでくれている大切な臣下の一人だ。
手からこぼれ落ちさせたくないならば、手元に置いておくに限る。先生の教えだ。
前世では守るヤツどころか、知人すら両の手の指の数よりも少なく、その言葉を実践する事はなかったが。
「別に、一人じゃなくて五人くらい側に置いても構わないのよ?」
「いや、メイド長……フェリだけでいい」
「あら、そう」
飛行艇の中で、散々、〝クズ王子〟だなんだと陰口を叩いてきたようなヤツらを側に置く気にはなれないし、俺は元々、側に人を置かない人間だ。
メフィアは俺が自分の保全の為にフェリを側に置くと思ったんだろうが、あえてそれは訂正しない。
〝恐怖〟なんてモノは、随分前に捨ててきた。俺がそう言ったとしても、その言葉を信じるヤツは俺と先生くらいだろうから。
騎士達に作戦内容が伝えられていく中、俺はメフィアに声をかけた。
「実際問題、戦況はどうなんだ。言葉を濁すなよ。それを話す事は、一応でも援軍に来た者に対する礼儀だ」
「戦況自体は、まだそこまで悪くないわ。でも」
そこでメフィアは言葉に詰まる。
いや、言わんとする事は俺でも理解できた。
「〝英雄〟、か」
「そう、それが問題なのよ」
一人いれば万人力。二人いれば国が落ちると言われる〝英雄〟という存在。
彼らがいるという事実だけで相手の兵士の士気は上がり、こちらの士気は下がる。まさに理不尽の塊だ。
「実際、見たから分かるの」
何かを悟った様子で。
「英雄には、勝てない」
彼女は、そう断言した。
「驚いた」
「全然、驚いたようには見えないけど、なんで驚いたの?」
「いや、なに。猪突猛進なメフィア王女殿下が勝てないと断言するなんてな、と思って」
「相対すれば分かるわ。あれはもう、人間じゃない」
別に俺は、メフィアという人間に興味はない。
だが、敵わないと思った程度で諦めるような人間だったかと、俺の記憶に残る彼女と今の彼女を比べた時、言葉にし難い違和感に襲われた。
「そうか」
これ以上、話す事は何もない。
俺はここで話を切った。
人という生き物は、希望に、奇跡に縋る。
それは信仰というカタチで表れたりする。奇跡なるものがあると信じている者は多い。
だが、大半の人間は、それが自分の力では起こせないと断定してしまっている。神のような形而上の存在にしか実現は不可能、と決めつけてしまっている。
しかし以前の世界では、敵わないと悟って尚、挑む者が大半を占めていた。
一矢報いてやるのだと、手をもがれ、胸に穴が空いていても、身体が動く限り、殺す手を休めない。そうして、奇跡を体現していた。
俺も、その一人だった。
女だから。そんな事は戦いにおいて、瑣末でしかない。
どんな逆境にあったとしても、諦めない心を持つ者だけが奇跡に恵まれる。
その事実を知る俺だからこそ、早々に勝てないと決めつけてしまうのは如何なものなのかとふと思ってしまった。まだ身体は動くだろうにと、そんな血生臭い感想を抱いてしまった。
「そうだ、ファイ王子。貴方、戦えるの?」
「戦えると思うか?」
「……不要な問答をさせないで」
「戦えねぇよ。というより、戦う気がない」
「物は言いようね」
「おいおい、どう見たって負け戦だってのにやる気に満ち溢れてるヤツがいたら、そいつは異常者か、余程の自信過剰だな」
「……貴方、今なんて言った?」
空気に緊張が走る。
怒っているという事は理解ができる。
が、俺は事実を言ったに過ぎない。罪悪感は一切なく、もう一度言う事に躊躇いはなかった。
「負け戦だって言った」
「貴方という人は……っ!!」
女性とは思えない力で胸倉を掴まれる。
周りがなんだなんだとこちらに視線を向けてくるが、俺はお構いなしに言ってやる。
「指揮官が打ちのめされてる時点でこの戦いは勝てねえよ。あんたらの疲労具合から、優勢でない事は俺にも分かる。それに俺は、あんたらと心中しに来たわけじゃねえ。悪いが、一戦交えたら帰らせてもらう」
「勝てそうにないからって、親交ある国を見捨てて帰るっていうの!? 連れてきた部隊が壊滅したわけでもないのに!? ふざけないで!!!」
これでも俺は一国の王子という立場だ。
普段はクズ王子と呼ばれてはいるが、いざという時に限っては親交を重んじる変わった性格をしているとでも、彼女は思っていたのだろうか。
「じゃあなんだ。あんたは俺にアフィリス王国に骨を埋めろと言いたいのか?」
「そんな事は言ってないわよ……っ」
「はっきり言えばいいだろ。兵だけは置いていってくれってな。別に俺は、兵の中にアフィリス王国に残って骨を埋めたいという変わり者がいるならば、無理に止めはしないが……」
そう言って、連れてきた兵士に目をやると、皆があからさまに目を背ける。
「と、いうわけだ。一応、アフィリス王国の国王にも伝えに行く」
「軟禁されても知らないわよ」
「もちろん言葉は選ぶ。だが、俺が軟禁された時点で、この兵達は裏切るかもしれない不安要素に変わってしまう。そんなものを懐に抱えられる程、アフィリス王国に余裕があるとは思えないな」
「裏切れば王子を殺すと言ったら?」
「〝クズ王子〟に価値があるとでも? 残念ながら毛程もねえよ」
今から西方面の救援に向かう。
そしてそれが終われば王との対面。
その次の日の早朝に、俺達はディストブルグ王国に帰るというわけだ。
援軍に向かった部隊は数ヶ月留まるのが常であるが、別に一日だとしても救援に向かった事実は事実だ。盟約に背く事にはなり得ない。
「今の状況について詳しく教えろ」
「……ひと月以上前から籠城を続けているわ。食料や兵士達の疲弊具合からして、一刻の猶予もないわね」
「どうしてそうなるまで放っておいた」
「ある戦線のせいで、身動きがとれなかったのよ……」
眉根を寄せ、苦虫を噛み潰したような表情のメフィアの口から、言葉が絞り出される。
その様子から、そちらも芳しい結果でなかった事は、容易に想像できた。けれど俺は構わず質問を続ける。
「ちなみにそこはどうなった」
「〝英雄〟の手によって散々に荒らされて兵の大部分を失った挙句、惨敗よ。そのおかげで私も休む暇がないわ」
「なるほど、な。ひと月もこもってるなら、相手の方もそこそこ疲労が溜まってるだろう。相手の兵数は?」
「約二〇〇〇。かなり多いわ……」
いや。相手は疲弊した二〇〇〇程の兵士。
ひと月もの間、満足な衣食住がなかった事で、精神的にも疲れが生じてるはず。対してこちらにはディストブルグから連れてきた万全の状態の兵士三〇〇〇。
まぁ、負ける事はないだろう。
俺はそう判断して、メフィアが向かおうとしていたのとは違う方向に足を向ける。
「メフィア王女。俺は今から王に挨拶に行く」
「……貴方、何考えてるの」
「もちろん、兵は置いていく。コイツらは今回に限りあんたの指揮下に入る。その代わりに一人、王城への案内役が欲しい」
「そんなに我が身が大事?」
「何を勘違いしてるかは知らんが、高確率で勝てる戦いに、俺という置物はいらんだろう。元より、俺は戦う気がない。兵士もメフィア王女の指揮下に置く。だというのに俺が必要か?」
「それは……」
「俺には俺の役目がある。それを果たすだけだ。さ、案内人を一人、寄越してくれるか」
俺に対して散々陰口を叩いていた兵士の連中であるが、俺の身を案じたグレリア兄上の厚意により、騎士団の連中が何人か交じっている。
騎士団所属の連中は精鋭。疲弊した二〇〇〇の兵士ごときに遅れはとらない。
「……分かったわ」
「時間は無駄にできない。賢明な判断だ」
こうして俺は、フェリと案内役の一人を伴って、王城へ足を運ぶ事になった。
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