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15話
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「────〝精霊術〟か」
誰かが口にした声が伝播する。
魔法と比べれば、身近とはとてもじゃないが言えない代物。
とはいえ、知識を有していない人間で溢れているが、それでも〝精霊術〟は誰もが知らないものではない。
このパーティーに参加していた貴族は、全員が全員私達と同世代ではなく、貴族として数十年と生きてきた者もいる。
そんな彼らが、〝精霊術〟の知識を欠片すら持ち得ていない訳がないのだ。
だからこそ、露見してしまう事は仕方がないと言えば仕方がなかった。
どうにか隠す方法もあったが、今回の騒動を上書きするという目的を達成する為には、避けては通れない道であったから。
眼前に広がる溢れんばかりの緑。
宙には、目を惹く光が飛び交う。
その正体とは────〝精霊〟。
どうにも、私がこの行動を敢行するにあたってハクが急いで周辺にいた〝精霊〟達に声を掛けてくれたらしい。
「成る程。そういう事でしたか」
納得の感情が広がってゆく。
ヴァンの才能はあくまで、魔法に限ったもの。〝精霊術〟の心得があるという話は一度として出回った試しがない。
だったら、この現象を引き起こした張本人はヴァン一人ではない。
ならば、手助けをした人物は誰か。
その疑問にぶち当たった貴族達の視線が、一斉に私へと集まる。
しかし、得心しているのは貴族の中でも私に対して殆ど無関心を貫いていた人間だけ。
迎合するように、姉のアリスと一緒になって散々陰口を叩いていた貴族令嬢。
その父母は、あからさまに視線を泳がせていた。
何故なら、彼らからすればその展開は望むべきものではないから。
散々陰口を叩いていた相手が、次期公爵家の跡取りの婚約者に指名されてしまった。
そうなれば、家格の低い貴族であればあるほど、これまでの事に対する報復に怯えてしまう。
私はそんな面倒臭い事をする気もなければ、そもそも寄せられていた罵倒や陰口を殆どシャットアウトしていたからこれからも無関心を貫くつもりだけれど、向こうはそうでないのだろう。
どうにかして、粗を探そう。
どうにかして、この話を────。
そんな思惑が飛び交っていたからだろう。
場は、異様なくらい静まり返っていた。
けれど程なく、その静寂は破られる事となる。
ぱち、ぱち、ぱち。
何処からともなく響くその音は、拍手だった。
誰もが美しいと評すだろうこの空間に、拍手を向けるその行動は、決して可笑しなものではない。〝精霊術〟と魔法の合わせ技。
もし仮にこの場に詩人がいたならば、己の語彙を尽くして賛美をしてくれていたやもしれない。
だから、拍手は決して場違いなものではない。ない筈なのだ。
なのにどうしてだろうか。
私はその拍手に対して、反射的に顔を顰めてしまった。
だけど、その理由はすぐに判明した。
拍手をしている人間が纏う雰囲気が、あまりに異様だったから。
「……今回は偶々、アリス・アイルノーツが利用されたが、本来はどうやって親父殿の結界を壊そうとしていたんだろうな」
小声で、私にだけ聞こえる声量でヴァンがそんな事を口にする。
今回の婚約の一件は、恐らく誰にも漏れていなかった筈だ。
そもそも、ヴァンとカルロスさんの二人で決められていた事だし、だからといってこうなる未来まで予想出来ていたとは思い難い。
ならば、本来、お姉様に代わって結界を壊す役目を負っていた人間がいたのではないだろうか。
「……内側から、壊す……としたら」
当然、得られる答えは一つしかない。
要するに、今回のパーティーに招待される人間に混ざっていた。
だが、おかしい。
ここまでの結界を展開しておくという保険をかけるカルロスさんが、誰も彼もを招待するなどという下手を打つだろうか────否。
であるならば、成り代わっていた。
これが、正解だ。
「常識的に考えて、初めから内側にいた。と考えるのが正解だろうな」
限りなく正解であろう答えに辿り着いた瞬間、気持ちの悪い汗が背中を伝う。
苦笑いを浮かべるなど、感情を顔に出さなかったのが私に出来る精一杯の強がりだった。
……社交性がなかったツケがここで回ってきちゃったか。
見覚えはある。
何度もエスターク公爵家が主催するパーティーに私も参加していたから。
でも、纏う雰囲気が貴族のソレとはまるで違う。
浮かべている笑顔も、仮面のように思えて薄気味悪い。一体、彼は、誰なのだろうか。
「……キークス?」
そんな彼の異様な雰囲気に呑まれながらも、尋常とは程遠い彼の名前を呼ぶ声がひとつ。
────キークス。
確かその名前は、どこかの子爵家に籍を置く人間だった筈。
鼻につくような発言を度々口にしていたので、覚えがあった。
だが、名前を呼ばれた筈の本人は、その呼び掛けに応じるどころか反応ひとつ見せない。
それどころか、独白のような呟きを、気味の悪い笑みを浮かべながら口にする。
「全く、ここまで予定が狂わされたのは初めてですよ。カルロス・エスタークの弱味を握る事には失敗し、どころか協力者は捕縛された。まぁ、碌に情報らしい情報を持ってはいないので大した問題ではないのですが」
男は、がしがしと乱雑に髪を掻きむしる。
その言葉を信じるならば、ハクが今回の下手人を既に捕まえてくれたという事だろう。
ならば、残るはこのキークス、と呼ばれた貴族に成り代わっているであろうこの人物のみ。
「だからまあ、予定外の邪魔が入ったという事でとっとと退散をするつもりでしたがあ? いかんせん、あなた方が将来有望な魔法師と〝精霊術師〟過ぎた。お陰で、こうしてボクが姿を見せる羽目になった。この一点に限り、誇っていいですよ」
先の拍手は、この幻想的光景に対してでなく、己に逃げ道を与えなかった私達への賛辞だった、と。……違和感の正体が判明した。
優秀過ぎたというのは、この〝擬似固有結界〟から抜け出す手段が術者をどうにかする事を除いて見つからなかった、という事だろう。
だからこうして、姿を見せざるを得なかった。
「……おい、キークス!! お前何かおかしいぞ。一体どうしちまっ────」
「嗚呼もう、五月蝿いですねえ。少し、黙ってて貰えますか」
キィン、と何かが収束する音が僅かに鼓膜を掠める。
そしてその直後、キークスであった彼の様子を心配する青年貴族に掌が向けられた。
直後、嫌な予感がした。
「……ッ、伏せて!!!」
乱暴ではあったが、咄嗟に反応出来ずにいた青年貴族を覆うように〝精霊術〟を展開。
分厚い葉と花が、一瞬にして彼を覆った事で、突如として生まれた爆発から間一髪で守る事に成功する。
「おや。意外ですね。守るのですか。貴女の立場を考えれば、守るどころかそのまま容認していても誰からも非難は飛ばなかったでしょうに」
「……それとこれとは話が別、です。それ、より、いま。何をしようとしたのか、分かってるんですか」
「ええ、勿論。鬱陶しい雑音を消そうとしただけですが?」
近所の庭でも散歩してくるような調子で、当たり前のように人を殺そうとした目の前の人物に、私は嫌悪感を隠し切れない。
しかも、恐らく私達の動揺を誘う為といった目的ではなく本当に耳障りだったからという理由一つでだろう。
どういう倫理観を持っていれば、それらの行為を容認出来るのだろうか。
「しかし、素晴らしいですね。アレに反応して人を守り切れてしまう、とは。実に素晴らしい〝精霊術〟の使い手です。カルロス・エスタークを失脚させる為の作戦も頓挫し、協力者も捕われた。その中で手ぶらで帰るというのは些か、躊躇うところでしたが────」
────ここにいい手土産があるではないですかぁ。
男の焦点が私に合わせられると同時、粘着質な声がぶれたと認識した瞬間、男の姿がかき消え、私の目の前に現れる。
まるで、場面が無理矢理に差し込まれたかのように。
そのせいで、彼の言葉を聞き取るという余裕すら失う。
伸ばされる手。
意識の間隙をついたような行動だったが故に、私の身体は硬直してしまう。
魔法による兆候もなしに、ここまで人外染みた動作をどうやって。
そんな疑問を抱く私だったが、男の手が私を捉えるより先に、勢い良く何かに引き寄せられる。
それが、抱き寄せられたという事実である事に気が付いたのは、私の鼻腔をよく知る匂いが擽ってからだった。
「その動き、見た事がある。お前、帝国軍人か」
「おや。博識ですねえ?」
身長差のせいで、ヴァンの胸に頭を突っ込むような形になってしまっているが、それでも私の聴覚を遮るものはないのでその言葉は明瞭に聞こえた。
「……帝国、軍人」
王国の隣に位置する国。
私は基本的に内外共にあまり興味を抱いていなかったので、殆ど詳しくない。
だけど、そんな私であっても帝国についてはあまりいい噂を聞いた試しがなかった。
故に、眉根が寄った。
「精霊の次は帝国か。よくもまあ、他国の王位継承問題に首を突っ込んでくるもんだ」
何故、力を貸しているのか。
何故、首を突っ込んでいるのか。
疑問だらけだ。
ただ、少なくともそうするだけの理由があるのだろう。
そして、それにあたってエスターク公爵家────もとい、カルロスさんが邪魔と思われている事はまごう事なき事実である筈だ。
「だが正直な話、王位継承は俺に言わせれば、どうでもいい」
貴族として凡そ相応しくない発言だ。
しかし、それはヴァンの本心からの言葉だろう。そもそも、エスターク公爵家は中立の立場をひたすら貫いている上、公爵家でありながら政治に殆ど介入をしていない。
エスターク公爵家の次期当主としても、実はある意味、正しい発言でもあった。
本人としては、面倒臭い事は御免かつ、貴族と進んで関わりたくない。なんて思っているが故の発言なのだろうけれど。
「だから、本音を言えばエスターク公爵領の民さえ不幸にならないなら、勝手にやればいいとすら思ってる。ただしそれは、俺の身内に手を出していない場合に限り、だがな」
そこで私は気付く。
カルロスさんの執務室から持ってきた筈の魔導具を、なぜかヴァンは何一つとして持っていなかった。
────いつの間に。
そんな感想を抱くと同時、その訳が判明する。
「────」
場の空気が、緊迫する。
場を埋め尽くす程に展開された無数の魔法陣が、張り詰めた空気を作り出す。
所々で聞こえてくる息をのむ音の重奏。
「……多重魔法陣。それも、その高速展開。魔導具の助けを得ているとはいえ、噂には聞いていましたが、化物ですねえ」
「なら、その化物の逆鱗に触れた事を後悔してろ」
言葉と共に、私の首付近に回されていたヴァンの腕が離れる。
そして、離れていろと言わんばかりにヴァンが私の前に立った。
本来ならば、そこで庇われるがままに守られておけばいいのだろう。
でも、私はそう在るつもりはなかった。
他でもない自分自身が、先程面前で「対等」でありたいという意思表示を行った。
故に、それを覆す気は毛頭なく、どこまでも貫いてやる気でいた。
しかし、魔法師同士の戦闘において、ヴァンの手助けが出来るほど、私に能力があると自惚れている気もない。
だからこそ、周囲に注意と視線を向けた。
ヴァンの魔法の腕は疑いようもない。
そんな彼に「万が一」があるとすれば、間違いなく、他の要素が絡んだ時だろう。
私は、その「万が一」を消してしまえばいい。
傲慢のように聞こえるだろうが、今の私ならばそれが出来る。
この、〝ディア・ガーデン〟が展開されている今ならば、私にだって出来る。
だから。
「ええ。後悔していますとも。ですが、まだ青い」
「それは、どうでしょう」
「……なに」
男の視線の動き。
空気の異変。筋肉の膨らみ方。
それらも含めて注視していた私は、言葉を被せる。
直後、ここにきて漸く、初めて男の顔から余裕が失われた。
香炉を使用して以降、心ここに在らずといった様子で茫然自失となっていたお姉様の身体を、蔦や葉が拘束。
他の貴族の面々も、万が一がないように〝精霊術〟を用いて守りにかかる。
加えて、男自身も何やら企んでいたようだが、その企みは彼の足下に浮かんだ魔法陣によって阻まれた。
「思い込みって、怖いですよね」
ヴァンと比べれば児戯にも等しい魔法の運用。ヴァンが行使していたならば、男は気付いて何らかの対処をした事だろう。
けれど、使用者が私であったが故に、反応が遅れ、出来なかった。
何故ならば、私は元々、碌に魔法を扱えない「落ちこぼれ」令嬢であった筈だから。
「練度もひどいものなのに、使えない筈の人間が使ったともなれば、こうも綺麗にハマる」
魔法は今も、「殆ど」使えない。
そこに一切の虚偽は含まれていない。
ただ、伊達にエスターク公爵家に出入りしていた訳じゃない。
ヴァンとハクの手助けを受けて、辛うじてレベルだけど、「少し」は魔法を使えるようになった。言ってしまえば、子供騙し。
でも、使う場面を選びさえすれば、それは鋭利な刃となる。
「何か策を弄そうとしていたみたいですけど、だめです」
「く、ハッ、やってくれます、ねえ……!!」
私が使った魔法は、初歩も初歩。
魔法の行使を阻害するジャミングの魔法。
一瞬の足止めしか出来ないけれど、今はその一瞬さえあれば事足りる。
そこに、ヴァンの魔法。
「ならば……っ、ちぃッ」
思考をものの一瞬で切り替えた男は、周囲へ視線を向ける。
しかし、それより先に徹底的に守りを固められていた現状に、男は鋭く舌を打ち鳴らす。
「本当に、やってくれますねえ……!! なら、ひとまずここを」
────離れなくては。
私達を害する事は後回しに、どうにかしてこの窮地を逃れようとする男だったが、そんな彼に、ヴァンは一言。
「もう遅い」
防ぐ手段を失い、対処を必然的に一歩後からしか出来なくなった男の顔に、明確な焦燥が滲んだ。そして、周囲の人間は私が守っている事をいいことに、容赦のない大火力で────。
赤い光を帯びた魔法陣が、猛威を振るう。
「────〝煉獄〟────」
誰かが口にした声が伝播する。
魔法と比べれば、身近とはとてもじゃないが言えない代物。
とはいえ、知識を有していない人間で溢れているが、それでも〝精霊術〟は誰もが知らないものではない。
このパーティーに参加していた貴族は、全員が全員私達と同世代ではなく、貴族として数十年と生きてきた者もいる。
そんな彼らが、〝精霊術〟の知識を欠片すら持ち得ていない訳がないのだ。
だからこそ、露見してしまう事は仕方がないと言えば仕方がなかった。
どうにか隠す方法もあったが、今回の騒動を上書きするという目的を達成する為には、避けては通れない道であったから。
眼前に広がる溢れんばかりの緑。
宙には、目を惹く光が飛び交う。
その正体とは────〝精霊〟。
どうにも、私がこの行動を敢行するにあたってハクが急いで周辺にいた〝精霊〟達に声を掛けてくれたらしい。
「成る程。そういう事でしたか」
納得の感情が広がってゆく。
ヴァンの才能はあくまで、魔法に限ったもの。〝精霊術〟の心得があるという話は一度として出回った試しがない。
だったら、この現象を引き起こした張本人はヴァン一人ではない。
ならば、手助けをした人物は誰か。
その疑問にぶち当たった貴族達の視線が、一斉に私へと集まる。
しかし、得心しているのは貴族の中でも私に対して殆ど無関心を貫いていた人間だけ。
迎合するように、姉のアリスと一緒になって散々陰口を叩いていた貴族令嬢。
その父母は、あからさまに視線を泳がせていた。
何故なら、彼らからすればその展開は望むべきものではないから。
散々陰口を叩いていた相手が、次期公爵家の跡取りの婚約者に指名されてしまった。
そうなれば、家格の低い貴族であればあるほど、これまでの事に対する報復に怯えてしまう。
私はそんな面倒臭い事をする気もなければ、そもそも寄せられていた罵倒や陰口を殆どシャットアウトしていたからこれからも無関心を貫くつもりだけれど、向こうはそうでないのだろう。
どうにかして、粗を探そう。
どうにかして、この話を────。
そんな思惑が飛び交っていたからだろう。
場は、異様なくらい静まり返っていた。
けれど程なく、その静寂は破られる事となる。
ぱち、ぱち、ぱち。
何処からともなく響くその音は、拍手だった。
誰もが美しいと評すだろうこの空間に、拍手を向けるその行動は、決して可笑しなものではない。〝精霊術〟と魔法の合わせ技。
もし仮にこの場に詩人がいたならば、己の語彙を尽くして賛美をしてくれていたやもしれない。
だから、拍手は決して場違いなものではない。ない筈なのだ。
なのにどうしてだろうか。
私はその拍手に対して、反射的に顔を顰めてしまった。
だけど、その理由はすぐに判明した。
拍手をしている人間が纏う雰囲気が、あまりに異様だったから。
「……今回は偶々、アリス・アイルノーツが利用されたが、本来はどうやって親父殿の結界を壊そうとしていたんだろうな」
小声で、私にだけ聞こえる声量でヴァンがそんな事を口にする。
今回の婚約の一件は、恐らく誰にも漏れていなかった筈だ。
そもそも、ヴァンとカルロスさんの二人で決められていた事だし、だからといってこうなる未来まで予想出来ていたとは思い難い。
ならば、本来、お姉様に代わって結界を壊す役目を負っていた人間がいたのではないだろうか。
「……内側から、壊す……としたら」
当然、得られる答えは一つしかない。
要するに、今回のパーティーに招待される人間に混ざっていた。
だが、おかしい。
ここまでの結界を展開しておくという保険をかけるカルロスさんが、誰も彼もを招待するなどという下手を打つだろうか────否。
であるならば、成り代わっていた。
これが、正解だ。
「常識的に考えて、初めから内側にいた。と考えるのが正解だろうな」
限りなく正解であろう答えに辿り着いた瞬間、気持ちの悪い汗が背中を伝う。
苦笑いを浮かべるなど、感情を顔に出さなかったのが私に出来る精一杯の強がりだった。
……社交性がなかったツケがここで回ってきちゃったか。
見覚えはある。
何度もエスターク公爵家が主催するパーティーに私も参加していたから。
でも、纏う雰囲気が貴族のソレとはまるで違う。
浮かべている笑顔も、仮面のように思えて薄気味悪い。一体、彼は、誰なのだろうか。
「……キークス?」
そんな彼の異様な雰囲気に呑まれながらも、尋常とは程遠い彼の名前を呼ぶ声がひとつ。
────キークス。
確かその名前は、どこかの子爵家に籍を置く人間だった筈。
鼻につくような発言を度々口にしていたので、覚えがあった。
だが、名前を呼ばれた筈の本人は、その呼び掛けに応じるどころか反応ひとつ見せない。
それどころか、独白のような呟きを、気味の悪い笑みを浮かべながら口にする。
「全く、ここまで予定が狂わされたのは初めてですよ。カルロス・エスタークの弱味を握る事には失敗し、どころか協力者は捕縛された。まぁ、碌に情報らしい情報を持ってはいないので大した問題ではないのですが」
男は、がしがしと乱雑に髪を掻きむしる。
その言葉を信じるならば、ハクが今回の下手人を既に捕まえてくれたという事だろう。
ならば、残るはこのキークス、と呼ばれた貴族に成り代わっているであろうこの人物のみ。
「だからまあ、予定外の邪魔が入ったという事でとっとと退散をするつもりでしたがあ? いかんせん、あなた方が将来有望な魔法師と〝精霊術師〟過ぎた。お陰で、こうしてボクが姿を見せる羽目になった。この一点に限り、誇っていいですよ」
先の拍手は、この幻想的光景に対してでなく、己に逃げ道を与えなかった私達への賛辞だった、と。……違和感の正体が判明した。
優秀過ぎたというのは、この〝擬似固有結界〟から抜け出す手段が術者をどうにかする事を除いて見つからなかった、という事だろう。
だからこうして、姿を見せざるを得なかった。
「……おい、キークス!! お前何かおかしいぞ。一体どうしちまっ────」
「嗚呼もう、五月蝿いですねえ。少し、黙ってて貰えますか」
キィン、と何かが収束する音が僅かに鼓膜を掠める。
そしてその直後、キークスであった彼の様子を心配する青年貴族に掌が向けられた。
直後、嫌な予感がした。
「……ッ、伏せて!!!」
乱暴ではあったが、咄嗟に反応出来ずにいた青年貴族を覆うように〝精霊術〟を展開。
分厚い葉と花が、一瞬にして彼を覆った事で、突如として生まれた爆発から間一髪で守る事に成功する。
「おや。意外ですね。守るのですか。貴女の立場を考えれば、守るどころかそのまま容認していても誰からも非難は飛ばなかったでしょうに」
「……それとこれとは話が別、です。それ、より、いま。何をしようとしたのか、分かってるんですか」
「ええ、勿論。鬱陶しい雑音を消そうとしただけですが?」
近所の庭でも散歩してくるような調子で、当たり前のように人を殺そうとした目の前の人物に、私は嫌悪感を隠し切れない。
しかも、恐らく私達の動揺を誘う為といった目的ではなく本当に耳障りだったからという理由一つでだろう。
どういう倫理観を持っていれば、それらの行為を容認出来るのだろうか。
「しかし、素晴らしいですね。アレに反応して人を守り切れてしまう、とは。実に素晴らしい〝精霊術〟の使い手です。カルロス・エスタークを失脚させる為の作戦も頓挫し、協力者も捕われた。その中で手ぶらで帰るというのは些か、躊躇うところでしたが────」
────ここにいい手土産があるではないですかぁ。
男の焦点が私に合わせられると同時、粘着質な声がぶれたと認識した瞬間、男の姿がかき消え、私の目の前に現れる。
まるで、場面が無理矢理に差し込まれたかのように。
そのせいで、彼の言葉を聞き取るという余裕すら失う。
伸ばされる手。
意識の間隙をついたような行動だったが故に、私の身体は硬直してしまう。
魔法による兆候もなしに、ここまで人外染みた動作をどうやって。
そんな疑問を抱く私だったが、男の手が私を捉えるより先に、勢い良く何かに引き寄せられる。
それが、抱き寄せられたという事実である事に気が付いたのは、私の鼻腔をよく知る匂いが擽ってからだった。
「その動き、見た事がある。お前、帝国軍人か」
「おや。博識ですねえ?」
身長差のせいで、ヴァンの胸に頭を突っ込むような形になってしまっているが、それでも私の聴覚を遮るものはないのでその言葉は明瞭に聞こえた。
「……帝国、軍人」
王国の隣に位置する国。
私は基本的に内外共にあまり興味を抱いていなかったので、殆ど詳しくない。
だけど、そんな私であっても帝国についてはあまりいい噂を聞いた試しがなかった。
故に、眉根が寄った。
「精霊の次は帝国か。よくもまあ、他国の王位継承問題に首を突っ込んでくるもんだ」
何故、力を貸しているのか。
何故、首を突っ込んでいるのか。
疑問だらけだ。
ただ、少なくともそうするだけの理由があるのだろう。
そして、それにあたってエスターク公爵家────もとい、カルロスさんが邪魔と思われている事はまごう事なき事実である筈だ。
「だが正直な話、王位継承は俺に言わせれば、どうでもいい」
貴族として凡そ相応しくない発言だ。
しかし、それはヴァンの本心からの言葉だろう。そもそも、エスターク公爵家は中立の立場をひたすら貫いている上、公爵家でありながら政治に殆ど介入をしていない。
エスターク公爵家の次期当主としても、実はある意味、正しい発言でもあった。
本人としては、面倒臭い事は御免かつ、貴族と進んで関わりたくない。なんて思っているが故の発言なのだろうけれど。
「だから、本音を言えばエスターク公爵領の民さえ不幸にならないなら、勝手にやればいいとすら思ってる。ただしそれは、俺の身内に手を出していない場合に限り、だがな」
そこで私は気付く。
カルロスさんの執務室から持ってきた筈の魔導具を、なぜかヴァンは何一つとして持っていなかった。
────いつの間に。
そんな感想を抱くと同時、その訳が判明する。
「────」
場の空気が、緊迫する。
場を埋め尽くす程に展開された無数の魔法陣が、張り詰めた空気を作り出す。
所々で聞こえてくる息をのむ音の重奏。
「……多重魔法陣。それも、その高速展開。魔導具の助けを得ているとはいえ、噂には聞いていましたが、化物ですねえ」
「なら、その化物の逆鱗に触れた事を後悔してろ」
言葉と共に、私の首付近に回されていたヴァンの腕が離れる。
そして、離れていろと言わんばかりにヴァンが私の前に立った。
本来ならば、そこで庇われるがままに守られておけばいいのだろう。
でも、私はそう在るつもりはなかった。
他でもない自分自身が、先程面前で「対等」でありたいという意思表示を行った。
故に、それを覆す気は毛頭なく、どこまでも貫いてやる気でいた。
しかし、魔法師同士の戦闘において、ヴァンの手助けが出来るほど、私に能力があると自惚れている気もない。
だからこそ、周囲に注意と視線を向けた。
ヴァンの魔法の腕は疑いようもない。
そんな彼に「万が一」があるとすれば、間違いなく、他の要素が絡んだ時だろう。
私は、その「万が一」を消してしまえばいい。
傲慢のように聞こえるだろうが、今の私ならばそれが出来る。
この、〝ディア・ガーデン〟が展開されている今ならば、私にだって出来る。
だから。
「ええ。後悔していますとも。ですが、まだ青い」
「それは、どうでしょう」
「……なに」
男の視線の動き。
空気の異変。筋肉の膨らみ方。
それらも含めて注視していた私は、言葉を被せる。
直後、ここにきて漸く、初めて男の顔から余裕が失われた。
香炉を使用して以降、心ここに在らずといった様子で茫然自失となっていたお姉様の身体を、蔦や葉が拘束。
他の貴族の面々も、万が一がないように〝精霊術〟を用いて守りにかかる。
加えて、男自身も何やら企んでいたようだが、その企みは彼の足下に浮かんだ魔法陣によって阻まれた。
「思い込みって、怖いですよね」
ヴァンと比べれば児戯にも等しい魔法の運用。ヴァンが行使していたならば、男は気付いて何らかの対処をした事だろう。
けれど、使用者が私であったが故に、反応が遅れ、出来なかった。
何故ならば、私は元々、碌に魔法を扱えない「落ちこぼれ」令嬢であった筈だから。
「練度もひどいものなのに、使えない筈の人間が使ったともなれば、こうも綺麗にハマる」
魔法は今も、「殆ど」使えない。
そこに一切の虚偽は含まれていない。
ただ、伊達にエスターク公爵家に出入りしていた訳じゃない。
ヴァンとハクの手助けを受けて、辛うじてレベルだけど、「少し」は魔法を使えるようになった。言ってしまえば、子供騙し。
でも、使う場面を選びさえすれば、それは鋭利な刃となる。
「何か策を弄そうとしていたみたいですけど、だめです」
「く、ハッ、やってくれます、ねえ……!!」
私が使った魔法は、初歩も初歩。
魔法の行使を阻害するジャミングの魔法。
一瞬の足止めしか出来ないけれど、今はその一瞬さえあれば事足りる。
そこに、ヴァンの魔法。
「ならば……っ、ちぃッ」
思考をものの一瞬で切り替えた男は、周囲へ視線を向ける。
しかし、それより先に徹底的に守りを固められていた現状に、男は鋭く舌を打ち鳴らす。
「本当に、やってくれますねえ……!! なら、ひとまずここを」
────離れなくては。
私達を害する事は後回しに、どうにかしてこの窮地を逃れようとする男だったが、そんな彼に、ヴァンは一言。
「もう遅い」
防ぐ手段を失い、対処を必然的に一歩後からしか出来なくなった男の顔に、明確な焦燥が滲んだ。そして、周囲の人間は私が守っている事をいいことに、容赦のない大火力で────。
赤い光を帯びた魔法陣が、猛威を振るう。
「────〝煉獄〟────」
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そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
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