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8話
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†
「お久しぶりですな、殿下」
「……俺を閉じ込めた張本人がよくいう」
王城の外れに位置するひと気のない場所。
供回りもつけずに二人────ウェルバ・ハーヴェンとゼフィール・ノールドは歩いていた。
だが、お互いの間にある溝を指し示すように、その二人の間には絶妙な距離があいていた。
「閉じ込めたとは人聞きの悪い。貴方という魔法使いから、他の人間を守った、と言って貰いたいですな?」
「伯父上を〝暴走〟に追いやり、多くの被害を生み出した張本人が、他の人間を守った、だと? 馬鹿も休み休み言え。お前はただ、魔法使いという存在を嫌悪しているだけだろう。くだらん理由をつけるなよ、人殺し」
曰く正義と、大多数を救う為に仕方なくやった事であると宣うウェルバを真っ向からゼフィールは非難する。
「……一体、何の話ですかな」
「お前が一番知っている事だろう。俺は、魔法使いだぞ」
「……あぁ、そうであったのう。これだから魔法使いという連中は煩わしい」
ウェルバから、取り繕っていた敬語口調が消える。
人智を超えた能力を有する者。
それが、魔法使い。
彼らの能力をもってすれば、過去を調べることも、頭の中を覗く事も容易でしかない。
もっとも、そこには適性という壁が存在するものの、彼らが普通の人間とは異なる存在である事は否定しようのない事実であった。
「……そこまで知っておきながら、何故公言せなんだ? 何故、知らぬふりを通しておった? バレンシアードの小僧に助けを求めれば、あやつは儂を排除する為に動いたであろうに」
「それこそお前の思う壺だろう。伯父上の一件以降、魔法使いという存在は忌避されてきた。俺が、あの塔に閉じ込められる時、反対したのがクヴァルだけだったのが良い例だ。俺が何を言おうと誰も聞く耳を持とうとはしなかっただろうな」
────よく考えられている。
ウェルバは素直にそう思った。
もし、魔法使いでなければ、良き統治者となった事だろう。その点を惜しみながらも、しかし、こうも頭の切れる人物となったのは〝魔法使いであるから〟かと思いつつ、溜息を漏らした。
事実、ウェルバは万が一の事を考えて常に行動をしていた。
城には彼の息が掛かった人間が多数存在している。ゼフィールが何か行動を起こしてとしても、ウェルバには何の影響もなかった。
「それに、これ以上クヴァルを巻き込む訳にはいかない」
「だから、儂の呼び掛けに応じたという訳か」
「俺は両親からも見捨てられている。国を追われるのは時間の問題だろうさ」
今は、バレンシアード公爵という強大な盾が付いている。
そして、クヴァルによってルシアータ公爵家という盾も得た。
当分はゼフィールが国を追われる事はないだろう。だが、時間の問題である事は変わらない。何故ならば、それを本来画策していた人間からすれば、この展開は面白くないから。
だから、まず間違いなく何かしらの行動を起こしてくる。それ故に、時間の問題。
画策がゼフィールに対してのみ害になるものならばまだいい。だが、その矛先はクヴァルに向く可能性が高かった。
それもあって、ゼフィールはこの呼びかけに応じていた。
「別に今更、俺がどうなろうと構わない。だが、これでも受けた恩に報いるくらいの気概は持ち合わせているつもりだ」
「……ほお?」
「信用も、信頼もない俺に、伯父上の無念を晴らす術はない。だが、恩に報いる事なら出来る。俺がいなくなれば、次にお前の矛先はバレンシアード公爵。ノヴァに向くだろう? 悪いが、それは認めてやれない。だからこそ────」
────俺と共に死んでくれ、ウェルバ・ハーヴェン。
ぶわり、と視覚化出来るほどの濃密な殺意の奔流が一瞬にして膨れ上がり場を席巻する。
だが、この場にその殺意で身を怯ませる弱者は存在しなかった。
むしろ────。
「ふ、ふはは、ははははハハハハハハ!!! やはり血の繋がりは誤魔化せんか!? お前の伯父も似たような事をほざいておったわ。兵器でしかない魔法使いの癖に、あやつもまるで人間のような事を宣っておったわ!!」
ウェルバは哄笑を轟かせ、これでもかと言わんばかりに嘲笑う。
「誰かを助ける為に、自分の命を犠牲にしよった阿呆よ!! だがそのお陰で儂はあやつを殺せたのだがのう!?」
一瞬にして無数に展開される氷柱のような氷の刃。それらがウェルバに向かうと同時、何処からともなく取り出された杖によってその攻撃は防がれる。
「魔法使いとの戦い方はよく知っておる。お前の伯父を、誰が殺したと思っとる」
ゼフィールの叔父は優秀な魔法使いだった。
誰からも信を置かれ慕われていた、そんな魔法使いだった。
だからこそ彼の暴走は衝撃的であったし、そんな彼に殺されかけた現王妃の心情は如何様なものであっただろうか。
「確かに、儂を殺すと宣うだけあってよく洗練されておる。魔法使いを殺す事に入れ込んでいた儂でなければ殺せていたであろうよ。だが、それで本当に良いのか? ゼフィール」
「気安く俺の名前を呼ぶな、人殺し」
余裕綽々と言葉を紡ぐウェルバに対し、ゼフィールは立て続けに魔法を行使する。
しかし届かない。
まるで次に何がくるのか分かっているかのように、ウェルバは防いで見せる。
────……魔法使いでもない人間がどうして。
焦燥感と共に押し寄せるその感想を押し殺し、やって来る言葉を切り捨てる。
「仮にお主が儂を殺したとしよう。バレンシアードの小僧はそれでも上手くやるであろうな? だが、ルシアータの小娘はどうなる?」
そこで、ゼフィールの思考が止まる。
身体が一瞬、硬直してしまう。
「儂とお主の信用は天と地。両者が死んだともなれば、まず間違いなくお主が悪で、儂がその被害者よ。ハーヴェン公爵家の現当主を殺した王子の元婚約者。ああ、これから先、あの小娘にどのような未来が待ち受けているであろうな?」
「……あいつは俺とは無関係だ」
「足繁く、お主の下に通っておったらしいな? 健気な小娘よなあ?」
「あいつと俺は一切関係ないッ!!」
「……バレンシアードの小僧以外はそばに寄せ付けもせなんだお主が、随分と入れ込んでおるのだな。そんなに良い女であったか? あの小娘は」
攻撃の再開。
随分と粗の目立つその攻撃に、ウェルバはほくそ笑む。
これこそが彼の狙い。
意味もなくゼフィールの神経を逆撫でる言葉を口にしている訳ではない。
感情の激昂こそが、魔法使いの暴走に必要不可欠であると知っているからこそ、ウェルバはあえて挑発のような物言いをしているのだ。
『……どうして私の事を無視するんですか、殿下。ちょっと酷くないですか。私、殿下の婚約者なのに』
ゼフィールの頭の中で繰り返される言葉。
それは、ここ数週間の間で勝手に居着いた己の婚約者の言葉。
初めは適当にあしらってやれば勝手にいなくなるだろうと思っていた婚約者のこと。
だが結局、彼女はどんなに冷たく接しても変わらずゼフィールに世話を焼いてきた。
『殿下は勘違いなさってるようですけど、別に私は殿下の機嫌を取りたい訳じゃないです。初日にも言ったように、私は殿下のお友達になりたいんです』
まるで分からなかった。
カレン・ルシアータが何を考えているのか、ゼフィールにはまるで分からなかった。
その点、クヴァル・バレンシアードはまだ分かりやすかった。ちゃんとした理由があって、ゼフィールに世話を焼いていたから。
クヴァルには世話になっていた。
だから、そうする事で少しでも気が楽になるのなら。そう思ってゼフィールは彼が世話を焼く事を不承不承ながら黙認していた。
『私は殿下の事を知りたい。知って、助けになりたい。だからその為にもお友達になりたいんです』
恩義も、後ろめたさもない人間にああも献身的に世話を焼こうとする。
素晴らしい人間だと思う。
そこに含まれる作り物めいた胡散臭さを除きさえすれば、理想的な婚約者であり、女性だろう。
クヴァル然り、彼女からは悪意を感じられない。恐らく、悪い人間ではないのだろう。
しかしゼフィールがこれまでに培った感性が、カレンを信用する事を拒んでいる。
どうせいつか、あいつも俺を軽蔑する。
見捨てる。背を向ける。
だったら、初めから心を許さない方がいい。
誰も省みず、誰も愛さず、信用せず、背中を預けない。そうすれば、救われる事はないが、傷付くこともない。
己の世界に必要なのは、己だけ。
己だけを信じ、己の為だけに生きる。
それが一番だ。
一番だと、分かっていた筈なのに、
『私は知ってますから。殿下が、お優しい事を。誰よりも気遣い屋で、優しいって事を私は知ってますから』
『おれは知ってる。ゼフィールが、底抜けに優しい事くらい。お前の伯父もよく言ってたよ。あいつは優しいやつなんだって。大丈夫。この世界の全員がお前の敵になったとしても、おれだけは味方してやる。ゼフィール』
僅かな隙間を潜り抜けて、入り込んできた二人のお人好しの存在が、ゼフィールの頭の中をどうしようもなく掻き乱す。
原作では明言こそされていなかったが、ゼフィールが狂った理由はただひとつ。
絶望に染まった世界の中、たった唯一いた理解者であり、味方であったクヴァル・バレンシアードを、ゼフィール自身が己の暴走によって殺してしまったが故に、彼は狂った。
だが、幸か不幸か、クヴァルの死が奇跡的にゼフィールを正気に戻した事で事態は収束した。
そして、クヴァルの息子であり、魔法使いであったノヴァに、ゼフィールはクヴァルを己が殺した事だけを伝えた。
背景を伝えれば、それにノヴァを巻き込んでしまうと思ったから伝えられなかった。
ゼフィールは、ノヴァにお前は俺を恨む権利があると伝え、クヴァルの死を許されようとも、許されたいとも考えなかったゼフィールの不器用さ故に、彼らは犬猿の仲となった。
〝クラヴィスの華〟は、そんなやり切れない出来事だらけのお話だ。
なのに、誰も救われなかった。
「俺、が、お前を殺せば全てが解決する」
ゼフィールは結論を出す。
クヴァルの優しさに頭を悩ませることも。
カレンの節介に筆舌に尽くしがたい感情を抱く事も。
何もかもが解決する。
ここでクヴァルへの恩返しと、伯父の無念を己の手で晴らせば、何もかもが解決する。
その筈なんだと自分自身に思い込ませ、ゼフィールの攻撃は更に苛烈なものとなる。
「ああ、そうとも。お主が儂を殺しさえすれば全てが解決するであろうなあ? が、それは叶わぬ妄想よ。ああ、それと、どうして儂が魔法使いのような真似事が出来ておるのか、気にならんか?」
きひきひ、と意地の悪い笑みを浮かべながら、ウェルバは語る。
「この杖にはのう、とある魔法使いの心臓を組み込んでおるのだ。それ故に、儂は魔法使いの真似事が出来ておる。もっとも、お主らのように無尽蔵にとはいかんがの。ああ、誰の心臓で造られたのか、気になるであろう? ゼフィール。お主には特別に答えてやろう。これはな、お主の伯父の心臓でつくったものよ」
「……外道、が……ッ」
「おぉ、おお!! そうよ、そうよその調子よ! くふ、くふふは、ハハハハハハ!! 怒れ怒れ!! しかし、お主に儂は殺せぬがな!!!」
何故ならば、とウェルバは言葉を続けた。
「お主はここで、伯父と同様に暴走を引き起こし、この王都を火の海に変えるのだ!! そして今度こそ王族の権威は失墜し、儂がその地獄の中の光となる!! なに、安心せい! 魔法使いに味方をするバレンシアードの小僧もお主と同じ場所に送ってやる。儂がお主らに代わって新たな国を作ってやるわ。魔法使いを排斥した素晴らしい国をなァ!!?」
そして、機は熟したとばかりに懐から妖しく光る鉱石をウェルバは取り出し、掲げた。
魔法使いの暴走とは、感情の高揚、激昂によって引き起こされるもの。
ウェルバが掲げた鉱石は、それに呼応して力を発揮する特殊な鉱石。
その光が一層強く発光すると同時、ゼフィールでも、ウェルバでもない声が轟いた。
「ゼフィール!!」
殺す、殺す殺す殺す殺す殺す────。
憎しみ、怒り、嘆き、辛み。
様々な負の感情を綯い交ぜにした殺意をウェルバに向けるゼフィールが、鉱石の魔力に当てられると同時に聞こえた声。
「……なんと」
誰にも知らせていないはずの場所に、こうも短時間でたどり着けたその人物が持つ偶然に、ウェルバは感嘆の声を上げた。
そして、奸計を企てていた張本人は、この場にいる筈のない人物の言葉に目を見開く。
これが、バレンシアード公爵ならまだ分かった。
「どうしてここが分かりおった? 小娘」
だが、現れたのは彼ではなく、ゼフィールと歳の変わらない小娘────カレン・ルシアータだった。
「お久しぶりですな、殿下」
「……俺を閉じ込めた張本人がよくいう」
王城の外れに位置するひと気のない場所。
供回りもつけずに二人────ウェルバ・ハーヴェンとゼフィール・ノールドは歩いていた。
だが、お互いの間にある溝を指し示すように、その二人の間には絶妙な距離があいていた。
「閉じ込めたとは人聞きの悪い。貴方という魔法使いから、他の人間を守った、と言って貰いたいですな?」
「伯父上を〝暴走〟に追いやり、多くの被害を生み出した張本人が、他の人間を守った、だと? 馬鹿も休み休み言え。お前はただ、魔法使いという存在を嫌悪しているだけだろう。くだらん理由をつけるなよ、人殺し」
曰く正義と、大多数を救う為に仕方なくやった事であると宣うウェルバを真っ向からゼフィールは非難する。
「……一体、何の話ですかな」
「お前が一番知っている事だろう。俺は、魔法使いだぞ」
「……あぁ、そうであったのう。これだから魔法使いという連中は煩わしい」
ウェルバから、取り繕っていた敬語口調が消える。
人智を超えた能力を有する者。
それが、魔法使い。
彼らの能力をもってすれば、過去を調べることも、頭の中を覗く事も容易でしかない。
もっとも、そこには適性という壁が存在するものの、彼らが普通の人間とは異なる存在である事は否定しようのない事実であった。
「……そこまで知っておきながら、何故公言せなんだ? 何故、知らぬふりを通しておった? バレンシアードの小僧に助けを求めれば、あやつは儂を排除する為に動いたであろうに」
「それこそお前の思う壺だろう。伯父上の一件以降、魔法使いという存在は忌避されてきた。俺が、あの塔に閉じ込められる時、反対したのがクヴァルだけだったのが良い例だ。俺が何を言おうと誰も聞く耳を持とうとはしなかっただろうな」
────よく考えられている。
ウェルバは素直にそう思った。
もし、魔法使いでなければ、良き統治者となった事だろう。その点を惜しみながらも、しかし、こうも頭の切れる人物となったのは〝魔法使いであるから〟かと思いつつ、溜息を漏らした。
事実、ウェルバは万が一の事を考えて常に行動をしていた。
城には彼の息が掛かった人間が多数存在している。ゼフィールが何か行動を起こしてとしても、ウェルバには何の影響もなかった。
「それに、これ以上クヴァルを巻き込む訳にはいかない」
「だから、儂の呼び掛けに応じたという訳か」
「俺は両親からも見捨てられている。国を追われるのは時間の問題だろうさ」
今は、バレンシアード公爵という強大な盾が付いている。
そして、クヴァルによってルシアータ公爵家という盾も得た。
当分はゼフィールが国を追われる事はないだろう。だが、時間の問題である事は変わらない。何故ならば、それを本来画策していた人間からすれば、この展開は面白くないから。
だから、まず間違いなく何かしらの行動を起こしてくる。それ故に、時間の問題。
画策がゼフィールに対してのみ害になるものならばまだいい。だが、その矛先はクヴァルに向く可能性が高かった。
それもあって、ゼフィールはこの呼びかけに応じていた。
「別に今更、俺がどうなろうと構わない。だが、これでも受けた恩に報いるくらいの気概は持ち合わせているつもりだ」
「……ほお?」
「信用も、信頼もない俺に、伯父上の無念を晴らす術はない。だが、恩に報いる事なら出来る。俺がいなくなれば、次にお前の矛先はバレンシアード公爵。ノヴァに向くだろう? 悪いが、それは認めてやれない。だからこそ────」
────俺と共に死んでくれ、ウェルバ・ハーヴェン。
ぶわり、と視覚化出来るほどの濃密な殺意の奔流が一瞬にして膨れ上がり場を席巻する。
だが、この場にその殺意で身を怯ませる弱者は存在しなかった。
むしろ────。
「ふ、ふはは、ははははハハハハハハ!!! やはり血の繋がりは誤魔化せんか!? お前の伯父も似たような事をほざいておったわ。兵器でしかない魔法使いの癖に、あやつもまるで人間のような事を宣っておったわ!!」
ウェルバは哄笑を轟かせ、これでもかと言わんばかりに嘲笑う。
「誰かを助ける為に、自分の命を犠牲にしよった阿呆よ!! だがそのお陰で儂はあやつを殺せたのだがのう!?」
一瞬にして無数に展開される氷柱のような氷の刃。それらがウェルバに向かうと同時、何処からともなく取り出された杖によってその攻撃は防がれる。
「魔法使いとの戦い方はよく知っておる。お前の伯父を、誰が殺したと思っとる」
ゼフィールの叔父は優秀な魔法使いだった。
誰からも信を置かれ慕われていた、そんな魔法使いだった。
だからこそ彼の暴走は衝撃的であったし、そんな彼に殺されかけた現王妃の心情は如何様なものであっただろうか。
「確かに、儂を殺すと宣うだけあってよく洗練されておる。魔法使いを殺す事に入れ込んでいた儂でなければ殺せていたであろうよ。だが、それで本当に良いのか? ゼフィール」
「気安く俺の名前を呼ぶな、人殺し」
余裕綽々と言葉を紡ぐウェルバに対し、ゼフィールは立て続けに魔法を行使する。
しかし届かない。
まるで次に何がくるのか分かっているかのように、ウェルバは防いで見せる。
────……魔法使いでもない人間がどうして。
焦燥感と共に押し寄せるその感想を押し殺し、やって来る言葉を切り捨てる。
「仮にお主が儂を殺したとしよう。バレンシアードの小僧はそれでも上手くやるであろうな? だが、ルシアータの小娘はどうなる?」
そこで、ゼフィールの思考が止まる。
身体が一瞬、硬直してしまう。
「儂とお主の信用は天と地。両者が死んだともなれば、まず間違いなくお主が悪で、儂がその被害者よ。ハーヴェン公爵家の現当主を殺した王子の元婚約者。ああ、これから先、あの小娘にどのような未来が待ち受けているであろうな?」
「……あいつは俺とは無関係だ」
「足繁く、お主の下に通っておったらしいな? 健気な小娘よなあ?」
「あいつと俺は一切関係ないッ!!」
「……バレンシアードの小僧以外はそばに寄せ付けもせなんだお主が、随分と入れ込んでおるのだな。そんなに良い女であったか? あの小娘は」
攻撃の再開。
随分と粗の目立つその攻撃に、ウェルバはほくそ笑む。
これこそが彼の狙い。
意味もなくゼフィールの神経を逆撫でる言葉を口にしている訳ではない。
感情の激昂こそが、魔法使いの暴走に必要不可欠であると知っているからこそ、ウェルバはあえて挑発のような物言いをしているのだ。
『……どうして私の事を無視するんですか、殿下。ちょっと酷くないですか。私、殿下の婚約者なのに』
ゼフィールの頭の中で繰り返される言葉。
それは、ここ数週間の間で勝手に居着いた己の婚約者の言葉。
初めは適当にあしらってやれば勝手にいなくなるだろうと思っていた婚約者のこと。
だが結局、彼女はどんなに冷たく接しても変わらずゼフィールに世話を焼いてきた。
『殿下は勘違いなさってるようですけど、別に私は殿下の機嫌を取りたい訳じゃないです。初日にも言ったように、私は殿下のお友達になりたいんです』
まるで分からなかった。
カレン・ルシアータが何を考えているのか、ゼフィールにはまるで分からなかった。
その点、クヴァル・バレンシアードはまだ分かりやすかった。ちゃんとした理由があって、ゼフィールに世話を焼いていたから。
クヴァルには世話になっていた。
だから、そうする事で少しでも気が楽になるのなら。そう思ってゼフィールは彼が世話を焼く事を不承不承ながら黙認していた。
『私は殿下の事を知りたい。知って、助けになりたい。だからその為にもお友達になりたいんです』
恩義も、後ろめたさもない人間にああも献身的に世話を焼こうとする。
素晴らしい人間だと思う。
そこに含まれる作り物めいた胡散臭さを除きさえすれば、理想的な婚約者であり、女性だろう。
クヴァル然り、彼女からは悪意を感じられない。恐らく、悪い人間ではないのだろう。
しかしゼフィールがこれまでに培った感性が、カレンを信用する事を拒んでいる。
どうせいつか、あいつも俺を軽蔑する。
見捨てる。背を向ける。
だったら、初めから心を許さない方がいい。
誰も省みず、誰も愛さず、信用せず、背中を預けない。そうすれば、救われる事はないが、傷付くこともない。
己の世界に必要なのは、己だけ。
己だけを信じ、己の為だけに生きる。
それが一番だ。
一番だと、分かっていた筈なのに、
『私は知ってますから。殿下が、お優しい事を。誰よりも気遣い屋で、優しいって事を私は知ってますから』
『おれは知ってる。ゼフィールが、底抜けに優しい事くらい。お前の伯父もよく言ってたよ。あいつは優しいやつなんだって。大丈夫。この世界の全員がお前の敵になったとしても、おれだけは味方してやる。ゼフィール』
僅かな隙間を潜り抜けて、入り込んできた二人のお人好しの存在が、ゼフィールの頭の中をどうしようもなく掻き乱す。
原作では明言こそされていなかったが、ゼフィールが狂った理由はただひとつ。
絶望に染まった世界の中、たった唯一いた理解者であり、味方であったクヴァル・バレンシアードを、ゼフィール自身が己の暴走によって殺してしまったが故に、彼は狂った。
だが、幸か不幸か、クヴァルの死が奇跡的にゼフィールを正気に戻した事で事態は収束した。
そして、クヴァルの息子であり、魔法使いであったノヴァに、ゼフィールはクヴァルを己が殺した事だけを伝えた。
背景を伝えれば、それにノヴァを巻き込んでしまうと思ったから伝えられなかった。
ゼフィールは、ノヴァにお前は俺を恨む権利があると伝え、クヴァルの死を許されようとも、許されたいとも考えなかったゼフィールの不器用さ故に、彼らは犬猿の仲となった。
〝クラヴィスの華〟は、そんなやり切れない出来事だらけのお話だ。
なのに、誰も救われなかった。
「俺、が、お前を殺せば全てが解決する」
ゼフィールは結論を出す。
クヴァルの優しさに頭を悩ませることも。
カレンの節介に筆舌に尽くしがたい感情を抱く事も。
何もかもが解決する。
ここでクヴァルへの恩返しと、伯父の無念を己の手で晴らせば、何もかもが解決する。
その筈なんだと自分自身に思い込ませ、ゼフィールの攻撃は更に苛烈なものとなる。
「ああ、そうとも。お主が儂を殺しさえすれば全てが解決するであろうなあ? が、それは叶わぬ妄想よ。ああ、それと、どうして儂が魔法使いのような真似事が出来ておるのか、気にならんか?」
きひきひ、と意地の悪い笑みを浮かべながら、ウェルバは語る。
「この杖にはのう、とある魔法使いの心臓を組み込んでおるのだ。それ故に、儂は魔法使いの真似事が出来ておる。もっとも、お主らのように無尽蔵にとはいかんがの。ああ、誰の心臓で造られたのか、気になるであろう? ゼフィール。お主には特別に答えてやろう。これはな、お主の伯父の心臓でつくったものよ」
「……外道、が……ッ」
「おぉ、おお!! そうよ、そうよその調子よ! くふ、くふふは、ハハハハハハ!! 怒れ怒れ!! しかし、お主に儂は殺せぬがな!!!」
何故ならば、とウェルバは言葉を続けた。
「お主はここで、伯父と同様に暴走を引き起こし、この王都を火の海に変えるのだ!! そして今度こそ王族の権威は失墜し、儂がその地獄の中の光となる!! なに、安心せい! 魔法使いに味方をするバレンシアードの小僧もお主と同じ場所に送ってやる。儂がお主らに代わって新たな国を作ってやるわ。魔法使いを排斥した素晴らしい国をなァ!!?」
そして、機は熟したとばかりに懐から妖しく光る鉱石をウェルバは取り出し、掲げた。
魔法使いの暴走とは、感情の高揚、激昂によって引き起こされるもの。
ウェルバが掲げた鉱石は、それに呼応して力を発揮する特殊な鉱石。
その光が一層強く発光すると同時、ゼフィールでも、ウェルバでもない声が轟いた。
「ゼフィール!!」
殺す、殺す殺す殺す殺す殺す────。
憎しみ、怒り、嘆き、辛み。
様々な負の感情を綯い交ぜにした殺意をウェルバに向けるゼフィールが、鉱石の魔力に当てられると同時に聞こえた声。
「……なんと」
誰にも知らせていないはずの場所に、こうも短時間でたどり着けたその人物が持つ偶然に、ウェルバは感嘆の声を上げた。
そして、奸計を企てていた張本人は、この場にいる筈のない人物の言葉に目を見開く。
これが、バレンシアード公爵ならまだ分かった。
「どうしてここが分かりおった? 小娘」
だが、現れたのは彼ではなく、ゼフィールと歳の変わらない小娘────カレン・ルシアータだった。
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この話は、災難続きでちょっと人生を諦めていた彼女が、一つの出来事をきっかけで、クールだったはずの王太子にいつの間にか溺愛されてしまうというお話です。
*小説家になろう様からの転載です。
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