O Fortuna, velut Luna statu variabilis,(おお、運命の女神よ。移ろう月の如く)

秋庭 涼

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Sors immanis et inanis, rota tu volubilis,(恐ろしく、そして虚ろな運命よ、回転する運命の輪よ)

血塗られた白い手を

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35 銃を握るに相応しく

   訓練を受け始めてからというもの、アディはまさに血の涙を流しながらも狙撃手としての技術を確実に習得していった。美しく白かった手は日に焼け、繊細な指にも力が加わるのを日々感じるようになった。

    これにはカヴァッロも少々驚いたようだった。小休止のとき、男はアディにこう言った「まさかここまでやるとはな…過小評価した俺のミスだ」。

「彼を探し出すためなら、何でもやるわ」 
 アディはしっかりした声で宣言する。

「あ、そうだわ」アディがふと思いついたように「女侯爵のマノンってどんな人? ただの領主でも元帥夫人でもなさそうよね」
 
 男はその名前を聞くと、少々身を強張らせた。顔には珍しく焦燥すら浮かんでいる。
 
 「アドリアナ、あんたはマノンには深入りするな」

「それに、彼女についた側が生き残るってどういう意味なの?」
 
 アディの立て続けの質問に、男は小さく肩を竦めると低い声で「前にも言ったが、この国が狂い始めているのはわかってるだろう? マノンはいったんこの国を内側から瓦解させ、異教の魔女と共に新世界を創りあげようとしている。今、軍隊は兵の失踪をはじめとした終わりの見えない異常な戦いに疲弊している。そこでマノンがより容易な終結を進めることを提唱する」

「そんな…まさかエクトールもその魔女とやらの協力者?」
 
 男は一瞬、何か言いたげに口を開いたがすぐに「訓練再開だ、アドリアナ」と立ち上がった。

(エクトール、心まで魔術に毒されないで…)アディは素早く十時を切って短く願った。

36 『犬』とティレジアス

 エクトールを送り出し、ひと仕事終えたティレジアスは例のあばら家でお茶を飲んでいた。出涸らしのひどいお茶だが、そんなことは意に介さず無心に喉に流し込む。その様子はまるでロボットが燃料を取り込むような無機質な仕草だった。
 すると「すみません!」と粗末なドアを叩く音と女の声がした。ティレジアスがドアを開けてみると、襤褸を纏った若い女が一人立っていた。
 
 「お願いします! 中に入れてください! 追われてるんです」
 
 ティレジアスは恐ろしい仕事の内容とは裏腹に、友好的な面も持っていたので女を快く中へと入れた。女を椅子に座らせると「ま、何で追われてるかは訊かないけどね。その代わりあんたも私のこと詮索しないでね」とティレジアスは不気味なまでの無表情のまま忠告する。
 
 「お茶でもどう?」ティレジアスがそのまま厨房へ行き、やかんに火をかけて新しい茶葉を取り出した。
 「まあ、ご親切にありがとうございます。…さようなら」
 
 だが、ティレジアスが振り返ったときにはもう遅かった。いつの間にか背後に忍び寄っていた女によって延髄に刺された長い針が少女の命の鼓動を止めていたのだ。
 『犬』のひとりである女は襤褸の下に隠して持っていた大鉈で倒れたティレジアスの頭部を切断しにかかった。時間はかかったが、なんとか切断に成功した。女は額の汗を拭くと通信機で「任務完了」と仲間に告げる。それから返り血を浴びた襤褸を脱ぐと、エクトールのいた国軍の軍服を着た姿が現れた。制服の星の数で中佐であると判断できる。

 しばらくすると『犬』たちの乗った馬車がこの家までやってきた。
 「中佐、ご苦労だった」大佐の星の数を持った長身の男が灰褐色の瞳を細め女を労った。ただ、制服自体は全く違う。眩ゆいばかりの白銀の軍服。そのほかの『犬』たちもばらばらの軍装だった。
 『犬』たちはティレジアスの家を充分に捜索して、一冊のノートを見つけた。それは彼女による『被洗脳者』とクライアントのリストだった。一番新しいところには「ロアン伯爵エクトール」とある。クライアントは女侯マノン…
 
 「こいつの遺体は解剖に回すぞ。慎重に運べ」大佐が『犬』たちに命ずる。
 
 ティレジアスはミスをしたのだ。彼女は自分の仕事の邪魔さえされなければ、誰でも受け入れる。今回ばかりは相手が女ということで油断してもいた。

「エクトール…確か我々の軍、いえ今は行方不明のアシュトン将軍の麾下にいた者です」中佐の女とほか数名の『犬』たちが大佐に証言する。
「これでもう2人がティレジアスの手にかかったか。これは厳しいな」大佐は天を仰いだ。

「次は執事ですね」

「もしかしたらマノンが手を下すかもしれんが暫く様子を見よう」大佐はそう言って「引き上げるぞ」と『犬』たちに号令をかけた。

『家主』のいないあばら家がそこに残された―

37 狙撃手誕生

「よし、こんなもんでいいだろう」

カヴァッロはアディに向かい「新たな狙撃手の誕生ってわけだ」と満足げにお墨付きを与えた。

それを聞いて、アディはともすれば力が抜けそうになるのをなんとか堪えた。ここまでの道のりの厳しかったこと!

だが、恋人の為ならばと歯を食いしばって厳しい訓練に挑戦していった。以前の自分にないのは心身ともに力だった。そして、力を得た今、改めて恋人を探し出してみせる―そう決意した。

「これで彼のの居場所を聞き出して、女侯の息の根を止めれば」

アディは銃をじっと見つめるもカヴァッロは首を横に振った。

「アドリアナ、そう簡単にマノンの首は取れないぞ」

「どうして? 私がまだ新米だから?」

「それもあるが、マノンの実家は異国の闇社会と密接に繋がっている。運よく女侯を殺れても、必ず報復がある」

カヴァッロは続けて「それに、ここだけの話だがマノンを狙っているのはあんただけじゃない」

「何ですって? 誰が、何のために?」

「そこまでは俺は話せん」カヴァッロは表情を固く引きしめると沈黙した。こうなると更に枉げて聞き出そうとするだけ無駄であることは、今までの付き合いで理解していた。

「つまり、他の人たちより早くマノンに接触して、エクトールの居場所を吐かせなくてはいけないってことね」

アディはゆっくり肯くとうまく女侯を誘き出す方法を模索し始めた。
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