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1070 残りの力

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「おーい、カっちゃん、なにぼんやりしてんだよ?」

ジャレット・キャンベルは、店舗裏の赤いベンチで、ぼんやりと空を眺めているカチュアに声をかけた。

今日は澄み渡るような青空が広がり、風の心地よい日だが、カチュアは心ここにあらずといった様子だ。


「あ、ジャレットさん・・・休憩ですか?」

「おう、昼時だし店ん中も空いてきたからな。食えるうちに食っとかねぇと。カっちゃんはもう終わりか?」

ジャレットはカチュアの隣に腰を下ろすと、カチュアが手にしているサンドイッチに目を向けた。
手作りの玉子サンドは、二口三口しか口をつけられておらず、籠の中にも手付かずのサンドイッチが残っている。

「うん・・・あんまり食欲なくて」

「・・・カっちゃんよぉ、心配なのは分かるけど、食わねぇと駄目だぜ?倒れちまうぞ?」

小さく笑うカチュアに、ジャレットは眉根を寄せると、少しだけ強い口調で話した。

「・・・うん」

カチュアはそんなジャレットの顔を少しだけ見つめると、小さく頷いてサンドイッチを一口かじり、水筒の水を口に含んだ。

心配しているからこそ、時には強く言うのだ。
それが分かっているから、カチュアは黙って食事を再開した。

ゆっくりとだが、カチュアが食べ始めたところを見ると、ジャレットも弁当箱を膝に乗せて、フタを開けた。

「・・・わぁ、すごい!・・・ジャレットさん、これシルヴィアさんが作ったんですよね?」

「ん、おう、そうそう、俺にこんなの作れるわけないじゃん?シーちゃんが作ってくれたんだよ。シフトが一緒の日は、だいたい作ってくれるぜ」

ジャレットの弁当にチラリと視線を向けたカチュアは、その色とりどりで美味しそうな弁当に驚き、ぐいっと身を乗り出した。

「やっぱりシルヴィアさんすごいなぁ、人参でお花作ってるし、これ時間すごいかかってると思いますよ?毎朝早起きしてるんだろうなぁ。ジャレットさん、シルヴィアさんの事、大事にしないとバチ当たりますよ?」

「おいおい、急に元気になったな?いや、そりゃ料理しない俺だって、これに手間暇かかってんのくらい分かるって。だからいつも感謝してんだぜ?カっちゃんはよ、俺がシーちゃんを泣かせるような男だって思うわけ?」

花細工の人参を箸で掴むと、ジャレットは一言、確かにすげぇな、と呟いて口に入れた。

「いえいえ、そんな事本気で思ってませんよ。ジャレットさんて、見た目はすごい遊んでそうだけど、実はとっても人情味のある人だって分かってますから・・・・・今だって、私の事気にかけてここに来てくれたんですよね?」

カチュアが視線を落とすと、ジャレットはその背中を、ポン、と軽く叩いた。

「・・・俺はよ、カっちゃんは強くなったなって思ってんだぜ。本当は心配でも、アラやんを笑顔で送り出せんだから大したもんだよ。ちょっと前のカっちゃんだったら、顔に出てたと思うんだよな。店ん中でも普通にしてるし、すげぇ成長したって思ってるよ」

「・・・そんな事ないです。こうしてジャレットさんに気付かれて、心配かけて・・・私は全然成長なんてしてないです」

「カっちゃんよぉ、俺に気付かれんのはしかたねぇって」

「え?・・・なんでですか?」

「そりゃ、俺が良い男だからだよ。困った時にはどこからか現れて、みんなを元気付ける良い男だからに決まってんだろ?」

親指を立てて、やたら白い歯を見せて笑うジャレットに、カチュアは一瞬目を丸くすると、口に手を当てて大笑いした。

「ぷっ!あはははははははは!なに言ってるんですかぁ!笑わせないでくださいよ!」

「あ、ひっでぇ!そんな笑わなくてよくない?けっこうマジで言ってんだけどな」

ジャレットが大きく肩をすくめて抗議するが、怒っているようで全く怒っていないのは一目で分かる。カチュアにはそれがジャレットの優しさだとすぐに分かった。

しばらく笑いが止まらなかったが、やがて目元の涙を指でぬぐい、カチュアはジャレットにニコリと微笑んだ。


「・・・ジャレットさん・・・ありがとう」

「おう、それだよそれ、やっとちゃんと笑ったな。さっきまではよ、どっか作ってる感じだったからな。カっちゃんよ・・・アラやんは絶対帰って来るから、あんま心配し過ぎんなよ?普通にして待ってんのが一番だと思うぜ」

「・・・うん、やっぱりジャレットさんは優しいですよね。なんだか気持ちが楽になりました」

そう話すカチュアの表情は和らいでいて、声も弾んでいるように聞こえた。

「・・・おう、んじゃ食ったら午後も頑張ろうぜ」

ニッと笑って返すと、ジャレットは弁当に箸をつけた。



そんな二人の様子を、少し離れた木陰で見ていたシルヴィアは、安心したように微笑んで店内へと戻って行った。

「ふふ・・・さすがね、ジャレット」


ふと、気持ちの良いそよ風が頬を撫でたので、シルヴィアは足を止めて空を見上げた。
雲一つない青空は、見る人の心を穏やかさにして、包み込んでくれるような心地よさを感じる。

けれどそんな天気とは裏腹に、シルヴィアの心には一抹の不安が残っていた。


パウンド・フォーへ向かったメンバーは、クインズベリーでも屈指のメンバーだ。

店長のウィッカーを除けば、レイジェス最強のレイチェル。一騎当千と呼び声の高いゴールド騎士のアルベルト。女王専属護衛に抜擢されたリーザ。元帝国軍師団長のアゲハ。

リカルドの弓の腕は国内で並ぶ者はいないだろうし、回復役のユーリだって、店長に認められた優秀な魔法使いだ。

そして闇に対抗する力として、光の力を持つアラタも同行している。
アラタはあのマルコス・ゴンサレスにも勝ったし、偽国王も倒した男だ。本人は謙虚な性格だから認めてはいないが、もはやクインズベリーでトップクラスの戦闘力を持っている。

闘気を操るシルバー騎士筆頭のレミューに、同じくシルバー騎士序列三位のエクトールもいる。


これだけの顔ぶれだ。心配する事など何もない。

シルヴィアはそう自分に言い聞かせていたが、それでもレイチェル達が出発してから、ずっと胸に残っている微かな不安は消える事はなかった。


・・・みんな、絶対に帰って来てね。


はるか西の空の下で、危険な救出劇に挑んでいる仲間達を想い、シルヴィアは祈った。







「・・・驚いた。貴様まだ立てるのか?」

スカーレット・シャリフが、右手に込めた魔力を撃とうとしたその時、それまで倒れ伏していた黒髪の男が立ち上がった

「げほっ!・・・はぁッ、はぁッ・・・」

完全に意識を失っていると思っていただけに、少し驚かされはしたが、これから始末する事に変わりはない。魔力を込めた右手の照準を、倒れている二人から目の前に黒髪の男に変えるだけだ。

足元はふらつき、頭も下がってスカーレットを見ていない。呼吸も荒く、とても戦える状態には見えない。
本能でなんとか立ち上がったのかもしれないが、子の様子では意識も朦朧としているのではないか?

「・・・口を開く力も残っていないようだな?寝ていれば少しは楽に死ねたものを・・・ん?貴様、体力型だな?・・・魔法使いならばともかく、体力型の貴様がこの炎の中で、どうして生きていられる?」

目の前の黒髪の男、アラタに向けて魔力を撃ち放とうとしたが、スカーレットはアラタが体力型である事に気づき、攻撃を止めた。

今自分が立っている場所は轟々と燃え盛る炎の中なのだ。
火の精霊の加護を受け、強い火魔法耐性のある深紅ローブを着ている自分が、魔力を同調させる事で初めて入れるという空間なのだ。

そんな場所に、なぜ体力型のこの男が生存していられるのだ?

魔法使いとしての好奇心だが、この疑問がスカーレットに攻撃の手を止めさせた。


「はぁッ、はぁッ・・・ぐ、ゲホッ!」

「チッ・・・おい、貴様、私は聞いているんだぞ?なぜ体力型の貴様が、この炎の中で生きていられるんだ?この炎に耐えられる程の、耐火性のある魔道具でも持っているのか?答えろ、答えなければ、貴様の前にここで寝ている女二人が死ぬ事にな・・・ん?」


そこでスカーレットは言葉を切ると、目を細めてアラタをじっと見つめた。


「貴様、それは風か?・・・緑色の風・・・まさか、風の精霊!?風の精霊が貴様を護っているというのか!?」

アラタの首から下げられている樹の欠片、これはヤヨイが使っていた薙刀、新緑の欠片だが、欠片に宿る風の精霊達が、アラタをこの炎から護っていた。
アラタの体を覆う緑色の風は、押し寄せる炎をかき消して一切寄せ付けない。


「信じられん、滅んだはずのカエストゥスの風が・・・まさか、その力でこの二人も・・・」

スカーレットは視線を落とし、倒れている二人の女戦士を見た。
アゲハとリーザは気を失ったままだが、二人の体もアラタと同じ緑色の風が包み、燃え盛る炎から護っている。

「なっ、アゲハ・・・お前・・・」

スカーレットは倒れている二人のうち、一人がかつての仲間のアゲハだった事に気が付くと、眉を潜めて少しの驚きを顔に出した。
だが目を閉じて僅かな時間何かを思案すると、気持ちを固めたように目を開き、倒れているアゲハを鋭く見据えた。

「裏切り者とは言え、お前はかつての友だ・・・せめて苦しまぬように殺してやろう。だがその前に・・・」


スカーレットはそこで顔を上げると、目の前のアラタに目を向けた。

「まずは貴様だ。デュークを倒したのは貴様だろ?胸の陥没は打撃によるものだ、アゲハは薙刀、もう一人の女も剣だ、そうするとお前しかいない。デュークの黒い光を突破する攻撃力とは恐ろしいものだ。まぁ、もう戦う力は残っていないようだが、容赦はしない。ここで確実に殺してやる」

スカーレットが両手を広げると、深紅のローブの胸元から炎が立ち昇り、そして炎は巨大な鳥を形作った。

「どうだ?これが私の深紅のローブの力だ。炎でどんな生物でも作り出せる。この炎でも焼かれないのだから、貴様を護る風の力は相当なものだろう。火魔法では分が悪いかもしれない。だが物理を伴う攻撃ではどうかな?・・・フン、ここまで言っても何も話さんか?やはり死にかけだな」

スカーレットは、目の前に立つ黒髪の男を挑発するように軽口を叩くが、それでも視線は鋭く、油断なく見据えていた。

ふらふらと頼りない足元。項垂れたまま苦しそうに息を切らしている。顔を上げる事すらできないくらい消耗しているようだ。
女で魔法使いの自分の腕力でも、押せば倒せる。そう思えるくらい目の前の男は弱っている。

だがそれでも、この男にはなにか油断ならないものがある。
直感だが、それはもはや確信に近いものがあった。

その理由の一つが、首から下げている紐についている樹の欠片だ。

あの欠片から溢れ出ている緑色の風。そう、風の精霊の力だ。
なぜ風の精霊の力が使えるのか分からないが、精霊が力を貸しているのなら決して侮れない。

そしてもう一つ。
それはデューク・サリバンを倒した力だ。
もはや精魂尽き果てているように見えるが、それでもまだなにか残っているのかもしれない。

いや、かもではない。なにかあるのだ。

この男はここで立ち上がったのだ。この状況で、この状態で立ち上がったのだ。
つまり、まだ勝ち目があると思っているのではないか?


「貴様、まだ何か持っているな?隠しても分かるぞ。だが言っておこう。私は貴様には近づかない。私はこの距離から貴様を決して近づけない。ここからこの火炎鳥で、貴様をなぶり殺しにしてやる」

スカーレットは二歩三歩と後ろに下がり、アラタと距離をとった。
目算でおよそ7~8メートル。それが魔法使いのスカーレットが、体力型を相手に安全だと思える距離だった。
そして自分の前には先ほど造り出した炎の鳥を置き、しかけるタイミングを計りつつ、相手の攻撃にも備える。


・・・さぁやろうか?なにかあるなら死ぬ前にだすんだね、私の火炎鳥は狂暴だよ!

スカーレットの金茶色の瞳がギラリと光った!


いかに相手が死にかけだとしても全力で潰す。
帝国軍第四師団長にして、黒魔法兵団団長のスカーレット・シャリフに油断も慢心も無い。




・・・・・体中が痛い・・・頭がフラついて何も考えられない。

俺は村戸さんを、止められたのか?

あの時、リーザとアゲハが作ってくれた風穴・・・村戸さんの黒い光にできた僅かな傷・・・

そこに俺は、確かに右を叩き込んだ・・・手応えはあった。

だがそこから先は、なにも分からない・・・・・ものすごい爆発が起きて・・・それで・・・・・


「うっ・・・ぐ、ゲホッ!はぁっ・・・はぁっ・・・」

だ、だめだ・・・苦しい・・・息が・・・俺は、なんで立ってるんだ・・・・・


あれは、火の鳥?・・・あの女、帝国か?

そうか・・・まだ敵が、いたんだな・・・・・アゲハ、リーザ・・・今度は、俺が体を張る番だ。


俺の体に残った僅かな力をかきあつめるんだ。

二発か、三発か・・・もう、何度も拳を振る事はできない。
限られた数の弾を、有効に使え。


「・・・・・カチュア」

目の前の緋色の髪の女が向けてくる殺意に、俺はゆっくりと顔を上げた。
そしてしっかりと前を見て、言葉を口にする。


「俺は、絶対に生きて帰る」


さぁ・・・ゴングだ!
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