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【917 ジャニスの誇り】

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「クックック、あっけないものだなウィッカーよ、余が少し本気を出せば一瞬で決着がつく。これこそが皇帝の力だ」

氷の槍を放った右手を下げ、皇帝は倒れ伏すウィッカーを見下ろした。

氷の槍で貫かれた胸からは大量の血が流れ出て、地面を赤く染めている。
一目で致命傷だと分かる。


頭を撃って終わりにしてもよかったが、何も分からないまま死なれてはつまらない。
ウィッカー、貴様は余の顔を殴ったうえに、余の灼炎竜まで打ち負かした。皇帝に対してここまで食い下がってきたのだ。楽に死ぬ事など許されん。
本気を出した余と貴様の差というものを、理解したうえで死んでもらわねば、溜飲が下がらんのだよ。



「ウィッカーー---ッ!」

ジャニスは倒れているウィッカーに駆け寄った。傷口である背中に手を当てると、ベッタリと血液が付着する。極めて危険な状態だ。即死でもおかしくない・・・ジャニスの顔に緊張と焦りの色が浮かぶが、すぐに強い光がウィッカーを包み込んだ。

「ヒールか、無駄だ。胸を貫いたんだぞ?こいつはもう死んだも同然、いやもう死んでいるかもしれんな。貴様が優れた白魔法使いだとは聞いているが、その傷はヒールで治せるものでは・・・・・なん、だと?」

皇帝は目を疑った。

倒れているウィッカーの体の下からは、次から次へと血が流れ出していた。当然だ。胸に穴を空けられたのだから。体中の血が流れ出るのも時間の問題だった。
しかし大量の出血が見る間に治まっていき、傷口が塞がっていくのだ。

「・・・これほど、なのか・・・」

回復魔法のヒールは万能ではない。
使い手の魔力にもよるが、骨折以上の怪我、内臓破裂など命に関わってくる怪我の治療は非常に難しい。
王宮に仕えているベテランの白魔法使いが、数人がかりで治療にあたりやっと治せるくらいである。

その基準から言えば、胸に空けられた穴を塞ぐ事など、まずできるものではない。
しかしジャニスはたった一人で治療を行い、ほんの数十秒で出血を止め、傷を塞ぎつつある。
自分の目で見ても信じられなかった。だからこその皇帝の動揺だった。


「ウィッカー、もう少し・・・もう少しだからね!」

ジャニスの魔力が高まり、両手から発する光がより大きくなる。

「・・・やめろ・・・」

黙って見ていた皇帝だったが、静かに、しかしよく通る声で言葉を発した。
ウィッカーはたった今倒したのだ。皇帝である自分との力の差を分からせ、愚かにも挑んできた事を後悔させてやった。その勝利の余韻に浸っていたのに、ジャニスがウィッカーを治療するという事は、それを台無しにする行為だった。

「・・・・・」

皇帝の言葉はジャニスに届いていた。皇帝との距離はほんの数メートルである。崩壊した城には吹雪は入り込んでくるが、この距離で声が聞き取れない事は無い。
だがジャニスは振り返らない。言葉を返す事もない。口を噤んだまま、ウィッカーへの治療を続けた。


「・・・やめろと言っているのだ。聞こえんのか?」

自分に背を向けて治療を続けるジャニスに、皇帝は殺意を含んだ冷たい言葉を発した

「・・・・・」

しかしジャニスはまたしても何も反応を見せなかった。

皇帝の存在など無いものとして扱い、ただ一心にウィッカーにヒールをかけ続けている。
そしてその回復力の高さは、常識と言う枠にとらわれるレベルではなかった。
ものの一分足らずでウィッカーの容態は危険を脱し、呼吸も安定してきているのだ。

これほどのヒールを使える者は、過去にも並ぶ者はいない。

白魔法使いジャニスがいれば、どれだけの命が救えるだろうか。
ジャニスは国の宝と言っていい程に、かけがえのない存在だった。

そしてその治癒能力の高さが、皇帝の怒りを爆発させた。


「貴様ァァァッツ!何度も言わせるな!ヒールをやめろと言っているんだァァァー--ッツ!」

皇帝である自分の言葉を無視するなど許されない。
怒りに満ちたドス黒い魔力の波動を放出し、ジャニスを吹き飛ばす!

「うぐッ!」

地面に倒され、その体を転がされて壁へと叩きつけられる。
肉体的な強さは一般人と何も変わらないジャニスに、戦闘能力は一切無い。
皇帝の魔力の波動を浴びただけで、体を起こせない程のダメージを受けていた。


「致命傷だったのだぞ?それを、こうも容易く回復させるとは・・・余の勝利を邪魔しおって、貴様・・・なめてるな?」

地面に散らばっているガラス片や砂利を踏みつけながら、皇帝は倒れているジャニスに向かって足を進めた。

「・・・立つ事もできんのか?やはり戦闘にもっともむかない白魔法使いだな。たった一撃でこのざまだ」

「うっ・・・」

皇帝は倒れているジャニスを見下ろしながら、吐き捨てるようにそう口にした。
ジャニスは痛みに耐えながら、体を起こそうと肘をつき、歯を食いしばって頭を上げる。
一本に結んでいた明るい栗色の髪は今の衝撃で解けて、バサリと両肩から流れている。


「・・・・・ふむ、そうだな・・・」

ジャニスの横顔を見て、皇帝は腕を組むと、何かを思案するように呟いた。

腰を落とし、おもむろにジャニスの頭を掴むと、力任せに自分に顔を向けさせる。

「痛ッ・・・う、は、離せ!」

「ふむ・・・器量は良い、気も強い、そしてこの魔力・・・殺すには惜しい。よし、貴様は余の妻にしよう」

口元を歪めて笑う皇帝。金色の目を細めて、ジャニスを品定めするように見る。

「・・・なッ!ふ、ふざけるな!誰がお前なんかに!」

予想だにしない皇帝の言葉に、ジャニスは一瞬その意味を理解できなかったが、すぐに声を荒げて怒鳴りつけた。自分の頭を掴む皇帝の腕を掴み、引き離そうと力を入れる。

「クックック、面白いではないか。カエストゥスを滅ぼす余に、カエストゥスの貴様が妻となるのだ。なに、故郷の事などすぐに忘れる。皇帝の妻となる栄誉の方が大きいからな」

「馬鹿にするな!私はカエストゥスで産まれ育った事を誇りに思っている!なにより私はジョルジュ・ワーリントンの妻だ!死んでもお前の妻になどならない!」

「ほう・・・これは意外だった。あの男に妻がいたのか、しかもそれが貴様だったとはな。だが、もうどうでもいいではないか?ジョルジュ・ワーリントンは死んだ。貴様の夫は無様に死んだのだよ。死んだ男に操を立ててどうする?くだらなっ・・・!?」


パン!と、肉を打つ乾いた音が響いた。


「私はジャニス・ワーリントンだ!夫を侮辱する事は許さない!」


全ての音が消えたかのように、静寂が場を支配する。

皇帝は何が起きたのか一瞬理解できなかった。
だが左の頬に感じる痛みに、自分がジャニスに頬を張られたのだと理解した。


「・・・・・そうか、だったら貴様も愛する男の後を追うがいい」


感情のこもらない冷たい声でそう言い放つと、皇帝はジャニスに腹に右手を当てた。

次の瞬間、氷の刃がジャニスを貫いた。
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