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【839 黒き戦慄】

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黒い肌が特徴的な大男だった。

頭の両サイドは刈り上げて、頭頂部だけ残した黒い髪は編み込んでいる。
鼻の下、口の周りに生やした髭は、顎の下まで伸ばしており、男の貫禄を助長させているようにも見えた。
逞しさを感じさせる太い眉に、闘争心を覗かせる強く黒い目は、じっと前を見据えていた。


黒き破壊王デズモンデイ・ワイルダー。
今年で52を数えるが、その肉体に衰えは見えず、体の内からは静かだが並々ならぬ闘争心が滲み出ていた。

身の丈は実に218cm、後ろに並ぶ兵達よりも、軽く頭一つ以上高い。
体重132キロ。筋骨隆々という言葉を体現したような体躯だった。

盛り上がった両肩に支えられている、常人の倍を伺わせる太い首。
黒い鎧の隙間から覗く二の腕は、腿と見間違う程に逞しく太い。

巨木を思わせる程に密度のある両足は、10や20の数ではとても動かせると思えないくらい、大地に根を張っているように感じられた。


「・・・見られたな・・・遠距離偵察用の魔道具か」

前方に広がる平野を見据えたまま、黒い肌の指揮官は呟いた。
10キロも離れたカエストゥス軍を、肉眼で捉えたわけではない。
だが、己の肌に触れた視線は感じ取れた。正確な距離までは測れないが、今自分が見ている景色の先に、こちらの様子を伺っている者がいる。それだけは分かった。


「よこせ」

黒い肌の指揮官ワイルダーが、前を向いたまま一言だけ呟いた。
決して大きな声ではなかったが、冷や汗が流れ出るような空気の張りつめたこの空間では、その呟きは後ろに待機している兵達の耳にやけにはっきりと聞こえた。


「ワ、ワイルダー様・・・こ、こちらでございます」

鎧が擦れる音を鳴らしながら、屈強な体力型が二人で抱えて持って来たのは、巨大な鉄の槍だった。

この二人の兵も、身長190cmはあるだろう。帝国軍の体力型として恥じる事のない肉体を持ち、こうして前線に立っている。だがワイルダーと比べると一回り、いや二回りも小さく見える。
単純に体つきの差だけでなく、ワイルダーの持つ威厳と風格が見た目以上に、大きな差となって表れていた。

ワイルダーは槍を一瞥すると、無言のまま左手一本で掴み取り、軽々と頭上で振り回すと、地面に突き立てた。

ワイルダーよりも高さのあるその巨大な槍は、直径で40cm、高さ250cmという代物だった。
鍛えられた兵士二人で運んで来た事を考えれば、その重量も相当なものであろう。
普通に考えれば人が使える武器ではない。だが、この黒き破壊王の異名を持つ男は例外だった。


「どれ、はるばる帝国までお越しいただいたんだ。挨拶はせねばなるまいな」


そう言葉を口にすると、ワイルダーはゆっくりと槍を肩の上まで持ち上げ、目線の高さで固定した。

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・・・」

深く大きく空気を吸い込むと、吸い込んだ空気に比例するように、ワイルダーの左腕がさらに大きく膨らんでいく。それは筋肉の膨張だけで鎧を破壊しかねない程だった。ワイルダーの鎧はミシミシと嫌な音を立て始め、肩当てはいつ弾けとんでもおかしくない程に、軋んで揺れている。


その様子を後ろで見ている兵達は、あまりのプレッシャーに恐怖で体を締め付けられ、微動だにする事ができなかった。
この黒い肌の指揮官は、言うまでもない事だが味方である。
帝国軍の将としてこの場に立ち、進軍してくるカエストゥスを殲滅するためにここにいる。

だが、あまりにも底が見えなかった。
恐怖さえ感じる程の圧倒的なプレッシャーは、この場で呼吸をする事さえ躊躇われる程だった。


兵達が固唾を飲んで見つめるなか、やがて腕の膨張を終えたワイルダーは、肺から全てを絞り出すように、ゆっくりと息を吐き出していく・・・・・


そして、フッ!と短く鋭く、最後の一息を吐き出した直後、その山のごとし巨体がうねりを上げた!

右足を大きく前に踏み出す!踏み込んだ足場はひび割れ、後ろに控える兵達の足元さえを揺るがす。
左手で握り構えていた、鋭く尖った長く巨大な鋼鉄の塊を、その大木を思わせる程に膨らんだ腕をしならせて投げ飛ばした!


突風だった。

ワイルダーの繰り出した投擲、それに伴う全身運動は、風を斬り裂き、衝撃波を生み出した。
それ程の圧をまともに受けた背後の兵達は、立っている事さえできずに足を救われ腰から地面に落ちる。


誰もが思った・・・・・我らを指揮しているこの黒い肌の男は、本当に同じ人間なのか?


大の男二人でやっと運んだ巨大な槍を、左手一本で軽々と持ち上げ、そしてはるか彼方へ・・・おそらく10キロ先のカエストゥス軍に向かって投げたのだろう。

届くはずがない。届くわけがない。


だが、すでに視界から消えた槍と、投擲のあまりの勢い、風圧によって押しつぶされた草花を見ると、もしや本当にと思わせされて、誰一人として口を開く事ができなかった。







「・・・ッ!なんだ!?」


最初にソレを察したのはジョルジュだった。
魔法ではない。正体不明のなにかが、ものすごい速さで自軍へと向かって来る。


躱せるか?否、ソレはもう目前まで迫っている。
ここにいる10万の軍勢をすぐに回避に向けられるはずもない。


「何かくるぞ!結界を張れーーーーーーー-ッツ!」


最前列に立っていたジョルジュは、振り返るなりそう叫んだ。

カエストゥス軍は優秀だった。
突然のジョルジュの指示にも瞬時に対応し、大半の青魔法使いは結界を張る事ができた。
それぞれが、上級魔法にも対抗できる結界だった。


誤算があったとすれば・・・・・・・


「な、にぃッ!?」


カエストゥス軍が結界を張り巡らせた直後、巨大な鋼鉄の槍がカエストゥスの青い結界を粉砕し、兵達を撃ち貫いた。


ジョルジュに誤算があったとすれば、黒き破壊王デズモンデイ・ワイルダーの投擲は、上級魔法さえはるかに上回る威力だった事である。





「・・・どれ、俺の挨拶は気に入ってもらえたかな?」

ニヤリと口の端を持ち上げる黒い肌の指揮官に、己の投擲の結果は見えない。
だが、はるか遠くを眺めるその黒い目は、確かな手ごたえを感じていた。
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