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792 赤い蟲の恐怖

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「ハァァァァァァッツ!」

牙を剥きだし飛んで来る羽虫を、真っ二つに切り裂く。
そのまま手の平でナイフを回して逆手に持ち替え、腹に食らいつこうと飛んできた多足の蟲を、突き刺して仕留める。
カシレロの血液で生まれた蟲は、斬れば血に戻り地面に赤い染みを作った。

左手に握るガラスのナイフの切れ味は、私がこれまで手にしたどのナイフよりも鋭く、集中していなければ切った感触さえ感じられない程だった。
そして特殊なまでの刃の薄さゆえ、まるで重さが無い。ダガーナイフよりもはるかに回転が速く、どんなに小さな蟲であろうと容易に捉える事ができ、腕の疲労も溜まりにくかった。


「ほぉ~、あれだけ小せぇ的を正確に斬ってやがる。黒魔法使いならともかく、体力型でここまで凌いだヤツは初めだな。しかも、右手が使えねぇのになぁ」

左腕の傷口から血を垂らしながら、カシレロはレイチェルを観察し続けた。
素早い動きで巧みに隠してはいるが、右半身を狙う蟲まで、左手一本で斬り続ければ分かる。

「真空波の影響だろうな。フン、あれでよく戦えるもんだ。だが、俺の血巣蟲はこんなもんじゃねぇぜ」

カシレロは腕の傷口に噛みつくように口を付ける。
口いっぱい血を吸い貯めると、おもむろに吐き出した。


「さぁて、こいつはどうかな?」

吐き出された血液は、意志を持っているかのように地面でうごめき、そして人の頭程もある巨大な赤い蟲へと姿を変えた。
丸く膨らんだ腹からは、何本もの先が鋭く尖った脚が伸びる。
口から覗く牙は小さいが数えきれない程もあり、軽く十を超える丸い目が、ギョロリとレイチェルの姿を捉えた。

「行け!」

口の周りを赤く染めたカシレロが鋭く声を発すると、巨大な赤い蟲はその体に似合わぬ速さで、レイチェルへと向かい飛んだ!




「ハッ!」

右の前蹴りで正面から蟲を蹴り潰す。底の厚いブーツの裏から、潰した蟲の赤い血が飛び散る。
絶え間なく襲い来る蟲を斬っては潰し続け、私の体も返り血でずいぶん赤く染まった。


まだか・・・?


顔を狙って飛んで来た三匹の蟲を、瞬時に斬り落とす。


これだけの蟲を作り出したんだ。
そう長くは持たないはずだ。


足元の蟲を踏み潰すと、そのまま群がって来る蟲達を蹴り払う。


アイツだって人間だ。
血を流し続ける事は自殺行為。どこかで限界が来るはずだ。
この攻撃に切れ間ができた時、それがカシレロの限界点であり、私の反撃の時だ!




分かるぜ赤毛ぇ~、テメェが何を考えてるかなんてよ~く分かる!
俺の血巣蟲と戦った連中は、みんな同じ事を考えてたからな!

蟲を作り出すために必要な物が俺の血である以上、どこかで限界が来るはずだ。
だからそれまで耐えればいい。そう思ってんだろ?

馬鹿が!そんな当たり前のリスクを知らねぇで、これを使ってると思ったか?
血の問題なんて初めからねぇんだよ。その理由を教えてやる!




「む!?」

視界の端で捉えた赤い影、それはカシレロが放った大型の蟲だった。
顔にあるいくつもの目、丸く膨らんだ胴体、そして胴から生える何本もの細く鋭い脚、一見すると蜘蛛を連想させるその赤い蟲は、その長い脚で地面を弾くようにして接近すると、レイチェルを捕縛しようとするように、左右の足を大きく開いて飛び掛かった!

「でかいっ、こんなサイズも出せたのか!?」

ここまで5センチ、大きくてもせいぜい10センチ程度の蟲ばかりを相手にしていたため、突然現れた、人の頭程もある巨大な赤い蟲に意表を突かれるが、レイチェルは冷静にナイフを振るい、蟲の胴体を袈裟懸けに斬り裂いた。

左右の足を開き、胴体を見せるようにして飛び掛かかって来たのだから、刺すにしろ斬るにしろ、レイチェルが蟲の胴体を斜めに斬り裂いたという選択は、的の大きさ、刃の入れやすさから考えても至極当然だと言えるだろう。

だが、それはカシレロの思惑通りであった。
ここまで百を超える蟲を放ち、そのことごとくを斬って潰したレイチェルにとって、思考の外だった可能性。

この蟲が魔道具によって生み出された事を考えれば、それは頭に入れておかなければならなかった。

体を真っ二つにしたくらいでは、死なない蟲もいるという事を。



「なにッ!?」


巨大な赤い蟲を真っ二つに斬り裂いたレイチェルだったが、その直後に驚きで目を見開いた。

体の半分を失った赤い蟲だが、その体はまだ血液に戻らず、大きく口を開けると残った胴体の左半分の足を広げて、そのままレイチェルに覆いかぶさった。

「くっ!」

真っ二つ斬り裂いてもなお、勢い衰えずに襲いかかってくる蟲に対しての一瞬の動揺が、レイチェルの態勢を崩し地面に背中をつける事になった。

「このっ・・・!?」

しかし、蟲が口を開きレイチェルに牙を突き立てるまでに、レイチェルがその首を刎ねる事は十分に可能である。レイチェルも押し倒された後の蟲の攻撃は、当然噛みつきだと予想し左手に握るナイフを振るおうとした。

問題はなかった。
予想通り、蟲の攻撃が噛みつきであったならば。


「う、ぁぁぁぁぁぁー----ッツ!」


ナイフを振るおうとしたその時、右腕、右脇腹に突き刺さった強烈な痛みに、レイチェルは悲鳴を上げた。

蟲に残った左半分の脚が、レイチェルの体を突き刺したからである。
そして攻撃はそれにとどまらなかった。

体に突き刺さった蟲の脚が、なにかを吸うように脈を打つ。

レイチェルは自分の体から吸い出される何か・・・それが自分の血だと理解し、そのおぞましさ、そして感じた事のない恐怖に耐えきれず、もう一度悲鳴を上げた。



「赤毛ぇ~、自分の血が足りねぇんならなぁ、他人のをもらえばいいんだよ。俺と血で繋がっている蟲が血を吸えば、魔力を通して俺の体に血を補充できるんだ。これが吸血魔道具、血巣蟲の本領だぜぇ~!」

耳に届いた女の悲鳴に、カシレロは不敵に笑った。
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