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788 退き際

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魔道具 引斥いんせきの爪。アタシはこれほど万能な物はないと思っている。
左手の黒い爪は相手を弾き、右手の白い爪は引き寄せる。

単純で分かりやすい。だからこそいくらでも応用が利くし、使いどころを選ばない。


「くっ、やってくれたな・・・灼炎竜!」

ケイトの黒い爪から発せられた衝撃波で、吹き飛ばされたジャームール・ディーロは、左手を振るい炎の竜をケイトに差し向けた。

背中に土をつけられたジャームールの心中を表すかのように、炎の竜は荒々しいまでの勢いでケイトを食らわんと大きな顎を開いて襲い掛かった。

「そんなのじゃアタシは捕まえられないよ」

押し寄せる炎に竜の熱波にも、ケイトの表情に焦りは微塵もなかった。

魔法使いが灼炎竜から、足で逃げ切る事は不可能と言ってもいい。
そして青魔法使いのケイトには、結界しか防ぐ手立てが無いと思われるが、ケイトには結界を張る仕草さえ見られなかった。
代わりに右手を真横に向けて、人差し指を伸ばす。

「自分で言うのもなんだけど、やっぱアタシの魔道具が一番だわ」

右手の白い爪は物を引き寄せる。それは人であれ物であれ、白い爪からの魔力をぶつけられれば例外はない。
しかし、動かせない程に巨大な質量である物はどうなるだろうか?


「バイバーイ」

にこやかに左手を挙げるケイト。

目の前まで迫った炎の竜が、今まさにケイトを呑み込もうとしたその瞬間、ケイトの体は引き寄せられるように、十数メートル先の建物に向かって、文字通り飛んで行った。

「なにっ!?」

完全に捕らえたと思ったうえに、予想だにしないこの躱され方は、ジャームールの意表を突いた。

「よし、完全に竜は引き離した!あとは任せたからね!」

建物の壁にぶつかる寸前で魔力を弱め、体と壁との接触時の衝撃を弱める。
ケイトは地に足をつけると、自分の役目は終わったと告げ、ジャームールの頭上に目を向けた。


「ちっ、魔道具か?どうやら逃走に使えそうな魔道具らしいな。だがいつまでも逃げ・・・」

ジャームールは手を離れた炎の竜に魔力を送り、再びケイトに追撃をかけようとするが、とつぜん頭の上に降りた影に、顔を上げて振り返った。


「ダァァァー--ッ!」

空から落ちて来た金色の髪の少年は、逆手に持った大振りなナイフを、そのままジャームールの脳天目掛けて振り下ろした!

「くっ!もう一人いたのか!?」

間一髪首を捻り躱したが、左の側頭部をかすめ、刻まれた一筋の赤い線から鮮血が噴き出る。

「残念、一人じゃない。二人だ!」

エルウィンが建物の屋根から飛び降り、ジャームールの注意を引いたその時、物陰に身を潜めていたアラタが飛び出した。
頬を斬られた痛み、そして間一髪で頭を刺されていたという、少なからずの動揺から反応が遅れ、ジャームールは、アラタの接近を許してしまった。

「し、しまっ・・・」

「ラァッッッツ!」

左のアッパーがジャームールの顎を弾き上げた。




根が真面目なアラタにとって、今の状態は決して好ましいものではなかった。
敵とはいえ、たった一人を複数人で攻める事は本意ではない。

だが、割り切る事にした。

この世界に来て一年程だが、この世界の戦いとは殺し合いなのだという事を、身をもって味わった経験からの決断だった。

そして帝国が仕掛けてきているこの状況は、もはや戦争だと言えるだろう。
ならば綺麗事は言っていられない。
町の被害を最小限に抑えるためには、一刻も早くこの帝国の刺客を叩く事が最優先なのだ。

だからアラタはためらわず左の拳を振りぬいた。
魔法使いのジャームール・ディーロには、反応もできないハンドスピードであり、クリーンヒットをさせたはずだった。だがアラタの拳が感じた手ごたえは、骨を砕く硬く乾いた感触ではなく、反発力のある何かだった。


「風か!?」

敵が黒魔法使いである場合、防御に風を使う事は常套手段である。
アラタはこの一年でそれを学んだ。ジャームール・ディーロはとっさに顎に風の膜を作り、衝撃を吸収したのだ。
瞬時にそれを理解して、アラタは大きく後方に飛んだ。
このまま拳をまとめて攻め立てる事はできる。だが、敵はここまで追い詰められても、冷静に防御手段を講じるだけの頭を持っている。

深追いは危険だと直感で察し、仕切り直しを選んだ。

そしてそれはこの場にいる全員、ケイト、エルウィン、シルヴィア、リカルドも同様の判断だった。


「・・・ふぅ・・・やるな」

地面から足が浮くほどの威力、まともに受けていれば顎は砕け戦闘不能、命さえ失っていたかもしれない。それほどの拳を受けたにも関わらず、ジャームールは地面に両足で着地し言葉まで発した。
アラタの予想通り、ジャームールは風の膜を張り、その拳をほぼ無効化してみせたのだ。

だが、それでも体を浮かす程の一撃である。
衝撃の全てを完全に吸収する事はできず、ジャームールは着地の際に膝に力が入らず、足元をよろけさせた。

「・・・ノーダメージではないみたいだな」

アラタは冷静に、淡々と事実のみを口にした。
これだけの人数差がある以上、絶対的な優位性が失われる事はないだろう。
だがジャームールからは、追いつられている者の焦りがまるで感じられない。

こいつは何かを隠し持っている。

だが疑念に頭を置く時間はなかった。
ジャームールの体からは炎の竜が、これまでよりも強く大きく燃え上がり、放出された熱波がアラタ達を威嚇する。

「・・・灼炎竜を放った後の、手薄になった防御を狙うとはな。伏兵に気付かなかった俺もまだ甘い。だが、二度同じ手は通用せんぞ。そこの女の竜氷縛が通用しなかった以上、貴様らに俺の炎を消す手段が残っているのかな?」

ジャームールはシルヴィアに目を向けた後、アラタ達を順に一瞥した。
ここまでの短い攻防で、シルヴィア以外には黒魔法使いがいないと見抜いているのだ。


「あら、あれが私の全力だと思ったのかしら?」

シルヴィアの胸元には、雪の結晶をモチーフにしたシルバーのネックレスが光っていた。
氷魔法に限りその威力を大きく上げる魔道具、雪の花。
四勇士レオ・アフマダリエフを完全に封じた、シルヴィアの切り札である。

消耗は見える。だがシルヴィアの目の奥に光る強い自信に、ジャームールは警戒を強めた。
先のぶつかり合いでは、完全に押し負けていたシルヴィアが見せる謎の自信。
それが決して虚栄でない事を、直感で察したからである。


「・・・五対一だ。ここは退いたほうがよさそうだな」

しばらくの膠着状態の後、ジャームールはそう口にして灼炎竜を解くと、全身に風を纏い空へ飛び上がった。

「あら、逃げるのかしら?」

「ふん、安い挑発だな?このまま続けて困るのは、お前達ではないのか?俺達が本気で戦えば、この町が壊滅すると思うがいいのか?」

宙に浮かぶジャームールを見上げ、シルヴィアが軽い調子で言葉を発するが、ジャームールは一笑に付した。できればここで決着をつけておきたいのは分かる。
だが町の被害を最小限に抑える事が、何よりも優先される事を見透かしていたからである。


「・・・嫌な男ね」

「・・・そう遠くない内に、もう一度会う事になるだろう」


その時が俺達の決着をつける時だ


ジャームールは最後にそう言い残すと、アラタ達から視線を切らずにゆっくりとその場を離れて行った。
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