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775 ジャレットの号令

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「ミゼル、これクリスから。お昼に食べてってさ」

「お、おう、悪いな」

朝出勤すると、事務所でアゲハがミゼルさんに手提げを渡していた。
どうやら弁当のようだ。

アゲハは今、クリスさんの宿屋に部屋を借りている。
帝国から出てきたアゲハには当然住まいは無い。だから女性陣がアゲハの住まいをどうしようか相談した結果、クリスさんの宿屋の空き部屋を借りる事になった。

レイチェルとシルヴィアさんは、実家に来て一緒に住むかと声をかけたが、それはさすがに申し訳ないと断った。それにアゲハは意外に大金を持っていた。帝国に仕えていた時に稼いだもので、浪費する事もなく貯めていたらしい。
それならばと決まったのが、クリスさんの宿屋だった。
宿屋だから本来は部屋貸しはやっていないようだが、相談してみると月単位の前払いならと話しが通った。朝食、夕食付の契約なので、アゲハは楽でいいと言っている。


「食べ終わったら洗っておいてね?帰りに私が持っていくから。それとも今日来る?」

「あ、いや、今日は遠慮しておこうかな、酒はやらないで真っすぐ帰った方がね・・・金貯めないと」

「・・・そう、それはいい心がけだ。知り合って日は浅いが、クリスが良い子なのは私も分かる。あんたとの関係も聞いてるよ。禁酒してるんだってね?」

言葉の端々に含まれる圧力に、ミゼルさんの額から汗がしたたり落ちる。

「な、なんだよ・・・それが、どうかしたのか?」

やや上ずった声でミゼルさんがアゲハに言葉を返すと、アゲハは目を細めて首を少しだけ横に振った。

「いや、文句なんてないさ。禁煙と禁酒頑張れよ?応援してるからな」

「お、おう・・・」

顔は笑っているが、なぜか背筋が寒くなるような目を向けられ、ミゼルさんはかろうじて返事をするだけで精一杯だった。




「兄ちゃん兄ちゃん、あの女怖ぇよ。ここに来てまだ一週間ちょっとなのに、もう完全に女帝だぞ?なんとかしてくれよ」

テーブルに座ってコーヒー飲んでいると、隣に座っているリカルドが小声で耳打ちをしてきた。

「いや、そう言うなって。仕事はしっかりしてるし、今のもクリスさんを想っての事だろ?」

「兄ちゃんはどっちの味方なんだよ?男か?それとも女か?うちはただでさえ、レイチェルとシルヴィアって言う二強がいんのに、あいつも加わったら男の発言力がさらに弱くなんだぞ?分かってんのか?」

曖昧に笑って言葉を返したせいか、リカルドは鼻がくっつくくらい顔を近づけて、俺に凄んできた。
確かにレイジェスは女性が強い。ジャレットさんはまぁまぁ強く言う時はあるけど、俺も含めて他はだめだ。
いや、ジーンだけは違うな。ジーンは人当たりが良いし、基本的に人を尊重して話すから、あのユーリだってジーンの言う事は素直に聞く。
アゲハも今のところジーンとはぶつかっていないし、ジーンに話しかける時は、他の男連中と話すより口調が丁寧に聞こえる。

「・・・ジーンがいるから大丈夫じゃないか?困ったらジーンに頼んで言ってもらえよ。ジーンの言う事なら、多分普通に聞いてもらえるぞ?」

適材適所とも言うし、男女の橋渡し的な事はジーンが一番だろう。
そう思ってそのまま告げると、リカルドは思い切り溜息をついて首を横に振った。

「はぁ~~~、兄ちゃんにはプライドがねぇのか?カチュアとイチャイチャし過ぎて、牙が抜けちまったのかよ?困ったらジーンに代わりに言ってもらえだ?兄ちゃん何歳だよ?いつまでも親の脛かじるガキじゃねぇんだよ」


「・・・いや、そう言うお前も、最初俺になんとかしてくれって泣きついたじゃねぇ・・・」
「お!ユーリ!そのチョコ俺にもくれよ!」

リカルドは俺の言葉をさえぎるように高い声を出すと、俺の二つとなりの椅子に座るユーリに足早に寄って行った。


「・・・・・あいつ!」

「あはは、まぁまぁアラタ君、怒らない怒らない、ね?」

さすがにムカっとしてリカルドを睨むと、隣に座るカチュアが俺の手を握ってなだめて来る。

「う・・・ん~、カチュアがそう言うなら・・・」

本気で怒ってないでしょ?そう言うように、ニコニコ笑顔で俺を見つめるカチュアに、リカルドへの毒気を一瞬で抜かれてしまう。

「あははは、どうやらカチュアの方が強いみたいだね?」

正面の椅子に座るジーンが、一連のやり取りを見て笑って声をかけて来た。

「ほんとだよねー、アラタ結婚三ヶ月で、カチュアに主導権取られてんの?」

ジーンの隣に座るケイトも、おかしそうに俺に目を向けて笑っている。
この二人もこの秋に結婚式を挙げる予定だ。ケイトはジーンにとにかく尽くすから、結婚しても今と変わらない姿が簡単に想像できる。


「いや、そんな事・・・あ、レイチェル遅くない?」

そんな事ないと言い返そうとしたが、微笑みながら俺をじっと見つめるカチュアの視線に頬が少し熱を持ち、照れ隠しのように話しを逸らした。

時計を見て、もうすぐ開店時間だと気が付いた。
今日はレイチェルも出勤すると聞いていたが、このままではレイチェル抜きで開店になる。
レイチェルは遅刻なんて一度もした事が無い。
むしろいつも人より早く来ているくらいだ。まだ遅刻ではないが、こんなに遅いのは珍しい。

「そう言えば、確かにレイチェルにしては遅いよね?どうしたんだろ?」

俺の言葉を聞いて、カチュアも疑問に思ったようだ。
壁掛け時計に目を向けて、不思議そうに言葉を口にした時、従業員用の出入口が勢いよく開けられて、ふわっとした少し短めの金髪の少年が、息を切らせながら事務所に足を踏み入れた。

「あれ、エルウィン・・・どうした?大丈夫か?」

治安部隊のエルウィン・レブロン。
一年前、俺が協会に連れて行かれた時、脱出に協力してくれた少年だ。

肩を息をしている事から、どれだけ急いでここに来たのか察せられる。
アラタが椅子から立ち上がり、エルウィンに近ずくと、エルウィンはアラタの両肩を掴み、息を切らしたまま叫ぶようにうったえた。

「はぁ、はぁ・・・アラタさん、大変です!また暴徒が現れました!力を貸してください!」

暴徒・・・その言葉を聞いて、俺は一年前のあの事件を思い出した。
突然町民達が暴れ出し、誰彼構わず襲いかかったのだ。
そしてレイジェスに襲撃をかけた、殺し屋と呼ばれるディーロ兄弟。

幸い犠牲者は出なかったが、またあの事件が繰り返されると言うのか?

「エルウィン、暴徒って去年町で暴れたアレで間違いないな?場所はどこだ」

「はい、今朝から首都のあちこちで、突然町の人達が暴れだしたんです!こっち方面はまだのようですが、この分じゃすぐだと思います。今、治安部隊と騎士団が鎮圧してるんですが、数がどんどん増えていてとても手が足りません!レイチェルさんもすでに動いてます。お願いします!」

エルウィンの真剣な眼差しに、俺は分かったと頷いて、ジャレットさんに顔を向けた。


「アラヤン、分かってるって。よーしみんな!今日は臨時休業だ!町の人達はレイジェスのお客さんだからな、俺らがしっかり護らねぇとな。いくぞ!」


パーマがかったロングウルフを掻き上げると、ジャレットさんは立ち上がって号令をかけた。
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