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【752 時の牢獄 ⑰ 静かな風】

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「アン、ナ・・・アンナ・・・・・アンナァァァァァー----ッツ!」

目の前で妹が倒れ伏している。
その現実が信じられなかった・・・信じたくなかった。

自分も妹も覚悟を決めて戦いに臨んだ。

だが・・・自分をかばって命を散らすなんて・・・

アンナの胸の下からにじみ出て広がる赤い流動体は、溶け込むように大地に滲み入り黒く染めていく。

背中に、腕に、足に・・・何本もの長物が突き刺さっている。

アンナはピクリとも動かない。
出血を見れば、確認するまでもなく息絶えている事は分かる。


「・・・・・・・・」

テリーは立ち上がる事もできず、ただ動かなくなった妹の前で頭を下げて、体を震わせていた。


「ほっほー!いやぁ、まさかアンナが体張るとはなぁ~、美しい兄妹愛じゃねぇか。でも、どうせすぐ兄貴も死ぬ事になるんだからよぉ、無駄死にだったなぁー--!あーはっはっはっは!」

砂利を踏み鳴らしながら、カシレロはテリーの背後に立った。

可愛い妹の死を前に、どんな情けない顔をしているのか見てやろう。
そんな醜い感情が顔に浮かんでいるが、テリーはカシレロが後ろに立ってもまるで反応する事がなかった。

「・・・チッ、おい、もう心が折れちまったのかよ?・・・あ~あ、つまんねぇな。まぁ、しょうがねぇか、もうここで殺しちまおう。皇帝、いいッスよね?」

そこで初めてカシレロは振り返り、皇帝に顔を向けた。


「・・・ああ・・・カシレロ・・・お前に任せる」


死に直面したからだろうか。
目が落ちくぼみ、頬がコケ、この僅かな時間で、ずいぶん消耗したように見える。
さっきまであった威厳はどこに消えたのか、言葉にも力が無く、かろうじて声を出している印象だった。



「・・・はい。じゃあ、殺っときますね」

・・・こりゃあ、もう長くはねぇな。

返事をするカシレロの目は、獲物がどこまで弱ったかを観察するような、肌にまとわりつくものだった。

明らかに皇帝は弱っていた。
軍事大国ブロートン帝国の皇帝は、何よりも強さが求められる。
衰えたと言っても、それでも皇帝は帝国で最強の黒魔法使いに変わりはなかったが、今の皇帝はどうだろうか?
ファーマー兄妹は気に入らないが、皇帝をここまで追い詰めた事は、感情を抜きにして称賛に値すると認めざるをえなかった。


「テリーよぉ、お前らはすげぇよ。皇帝をこんなにしちまうんだから。けど最後に勝てなきゃ意味ねぇよな?」

左手で小石を掴むと、それを瞬時に大振りのナイフへと変えて逆手に握る。

先に投げた砂利をナイフや薙刀に変えているのは、青魔法兵団団長、ジャリエール・カシレロのオリジナル魔法にして奥義、物体変換である。
小さく細かい砂利を、何十倍もあるナイフに変えれる事から、どれほど並外れた魔法かは分かり得よう。

「さて、それじゃあ・・・お別れだテリーーーーッツ!」

カシレロはナイフを振り被ると、大きく声を上げてテリーの脳天目掛けて振り下ろした!




「・・・・・は?」


確かに叩きつけたと思った。
脳天にナイフを突き立てた衝撃が来るはずだった。
だが、カシレロの手には全く手応えが無く、それどころか今自分が目にしているものが、まるで理解できなかった。


「え・・・?手は・・・・?俺の手・・・俺の・・・俺の手ぇぇぇぇぇーーーーーッツ!」

左腕の肘から先が無い。無くなっている。
何か鋭利な刃物で切り取られたかのうように、綺麗に無くなっていた。
あまりに見事な切られ方だったのか、痛みを感じるまでに一瞬の間ができる。
そしてカシレロが、己の腕が切断された事を意識すると同時に、大量の血液が噴き出した。

「ぐあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーッツ!」

カシレロの絶叫が天に響き渡る。
噴き出す大量の血に、焼けた鉄でも押し付けられるような耐え難い痛み。
パニックになりながらも、右手に持つ赤ん坊を投げ出さなかったのは、この赤ん坊が生命線だと理解しているからこそだった。

「はぁッ!はぁッ!うがぁッ!ぐうぅぅぅ・・・テ、テリィィィ!き、貴様ぁぁぁッ!何しやがったぁぁぁーーーッツ!」

額から粘り気のある汗を流し、ギリギリを歯を食いしばりながら、憎悪のこもった目でテリーを睨み付ける。


「・・・・・風よ・・・」

テリーは振り返らなかった。
ただ、ゆっくりと立ち上がると、少しだけ頭を上げて呟いた。

それは静かな・・・とても静かな風だった。
音も立てず、テリーの体を中心に緑色の風が渦巻き出す。

静かで、そしてとても悲しい風だった・・・・・



アンナ・・・・・すまない・・・・・

皇帝を倒す事はできなかった
そして俺のこの最後を力を、息子のために使う事を許してくれ



振り返ったテリーの顔を見て、カシレロは恐怖した。

「な・・・な、なんだよ?お、おいテリー、やる気かよ?いいのか、てめぇのガキが・・・」

うわずった声で、かろうじて言葉を発する。


な・・・なんだコイツ・・・
なんだこの顔は?


テリーは表情の無い顔でカシレロを見ていた
そこには恨みも憎しみも無い。いや、正確には目だけは静かに悲しみを称えていた。
静かな風がテリーからカシレロに向け放たれる


「ぐっ、うわぁぁぁぁぁーーーーーっ!」


まるで台風の直撃でも受けたかのように、カシレロは風に呑まれ吹き飛ばされた。
上も下もなく体をねじり回される。掴んでいる事ができず、宙を舞うカシレロの右手から、赤ん坊が離された。

「ケビン・・・!?」

落下する息子を受け止めようと、駆けだすテリーの目が開かれる。



「おっと、危ない危ない。可愛い赤ちゃんが地面にぶつかるとこだったぜ」

空から落ちるケビンを受け止めたのは、テリーにとって最悪の相手と言えた。

後ろに撫でつけた赤茶色の髪、一件穏やかで優しそうな顔をしているが、その目には計算高さが見える。黒いシャツがはち切れそうな程に、筋肉が盛り上がっていた。


「・・・・・アルバレス」

空中でテリーの息子、ケビンを受け止めたアルバレスは、その巨体には似合わない身軽さで、音も立てずに着地した。

「テリー、こいつがお前の子か?カシレロが嬉々としていたよ。お前の弱点を見つけたってな。まさか今日使う事になるとは思わなかったがな。しかし・・・」

そこで言葉を区切ると、アルバレスは状況を確認するように、辺りを見回した。

「派手にやったものだ。せっかく皇帝と俺達を分断したのに、これでは居場所を教えているようなものだぞ。それに時間をかけすぎたな、俺達が追いつく前にケリをつけられなかった事が敗因だ。まぁ、このカシレロの移動手段は反則みたいなもんだが、他の師団長もあと数分で来るだろう。テリー、もう諦めろ」

「アルバレス・・・お前の・・・いう通り、かもな・・・」

テリーは静かに目を閉じた。

あと一歩で皇帝に勝てた。だが、寸前でカシレロに追いつかれた。
息子を楯にとられ、妹を死に追いやった。

妹は俺のせいで死んだ・・・・・

俺が子供を作らなければ、弱点を持たなければ・・・・・勝てただろう

ここまで積み重ねてきたものを、自分の手で壊してしまった

認めるしかない・・・・・復讐はもう成すことができないと



「テリー、俺がどれだけ惨めか分かるか?皇帝から師団長を任命されたお前が固辞したおかげで、俺が師団長を続けているんだ。それがどれだけ屈辱か分かるか?・・・・・お前が反逆を起こしたと聞いて、俺がどれほど嬉しかったか分かるか?これで堂々とお前を殺す事ができる。俺が最強だと証明できる。そう思っていたのに・・・・・もう放っておいても死にそうじゃねぇか?」


アルバレスが太い指でテリーを指す。

そう・・・即死こそ免れたが、カシレロが降らせたナイフの雨を全身に浴びたテリーは、すでに出血多量である。顔は血の気が引いて白くなり、今も体に突き刺さっているいくつものナイフを見れば、なぜ立っていられるのか不思議な程だった。

白魔法使いのいないこの状況では、手を下さずともテリーの死は時間の問題だった。

「・・・だが、お前との因縁にケリをつけるためにも、ここはやはり俺が引導を渡してやろう。覚悟はできているな?テリー」

左手で赤ん坊を抱き、右の拳を鳴らしながら、アルバレスが一歩一歩近づいてくる。


この時、多量の出血で、すでにテリーの意識は朦朧とし始めていた。
アルバレスの言葉も耳に入ってはいるが、頭での理解はほとんどできていない。

ただ、アルバレスが抱いている我が子ケビンだけは、ずっと目で追っていた。


「お、おい!アルバレス!そ、そいつは俺がぶっ殺してやる!手ぇ出すんじゃねぇ!」

テリーの前に立ったアルバレスの背中に向けて、カシレロが怒声を放った。

「ふん、そのざまでよく吠える。その左腕、見事な斬り口だがテリーの風だろ?俺がこなければ、お前は今頃とどめを刺されていたんじゃないのか?黙って俺にゆずれ」

「うるせぇー--ッ!俺がぶっ殺すんだよ!ガキもろとも串刺しにしてやらぁぁぁぁぁー--ッツ!」

残った右手で砂利を掴むと、アルバレスがいる事さえかまわずに、カシレロは勢いよく投げつけた。

砂利は無数のナイフへと変化すると、アルバレスもろともテリーを刺し貫く狂刃となって襲い掛かった。

激高のカシレロ。
目は血走り、口の端からは唾液さえこぼれている。

「なっ!くそが、キレやがった!」

アルバレスは舌を打つと、赤ん坊をテリーに投げつけて飛び上がった。
まともな精神状態ではないカシレロに、これ以上標的にされないようにするためである。
そして、生かしておいてもしかたのない赤ん坊を、ここでテリーと一緒に葬ろうという考えも頭にあった。


テリーは僅かな意識で確かに掴んだ。
胸にあたった小さな存在に、愛おしい温もりを感じる。


「・・・ケビン」

大泣きをしているケビンを、息子をテリーはそっと抱きしめた。


「・・・育てて、やれ、なくて・・・ごめんな」


風の精霊よ・・・・・


最後に一度だけ・・もう一度だけ力を貸してくれ・・・・・

願いが力となる。
緑の風がテリーを中心に放たれる。それは天まで貫く程に大きく、嵐を思わせる程にすさまじい力だった。

「な、な、なにぃぃぃー--ー----ッツ!?」


カシレロは大きく目を開き絶叫した。
撃ち放ったナイフはあっけなく弾き飛ばされ、まるで無力だった。

「ば、馬鹿な!なんだその力は!し、死にぞこないのくせに!死にぞこないのくせにぃぃぃぃー--ッツ!」



カシレロ・・・・・

「消えろ」


短く言葉を口にした


そして次の瞬間、テリーの振るった薙刀から放たれた風の刃が、カシレロの首から下を消失させた。







「な、なんだあの技は!?カ、カシレロ・・・」

宙に飛んでいたアルバレスは、かろうじてテリーの一撃を避ける事ができた。

一瞬、耳に届いた鋭い風切り音。
その後はなにも見えなかった。ただ上空から見て分かったのは、テリーからカシレロまでの直線上は、大きく地面が抉られ、カシレロの首から下が消えてしまったという事だけだった。

「くっ、皇帝は、皇帝はどこだ・・・・・あそこか!皇帝ー--っ!」

カシメロの生死など確認するまでもない。最優先は皇帝である。
アルバレスは着地と同時にあたりを見回して、皇帝の姿を探した。

そして地面に倒れている皇帝を見つけて、急ぎ駆け寄った。

「皇帝、ご無事で・・・・・!?」


地面に倒れている皇帝を目にし、アルバレスは絶句した。

皇帝もまた無事ではなかった。
直撃こそ避けられたが、テリーの風の刃の射程内にいた皇帝は、その一撃で右腕を肩から失っていた。

意識を失い、おびただしい量の血が流れ落ちている。


「こ、皇帝・・・・・ぐ、ぐう・・・うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉー----ッツ!」


咆哮!
大型の猛獣を彷彿させるほどのアルバレスの叫びが、大地を震わせ響き渡った。


「テリィィィィィィー----ッツ!貴様よくも!」

アルバレスは直前まで、皇帝を連れて逃げようと考えていた。
テリーの未知の力は危険過ぎる。このまま戦闘を続ければ、自分も皇帝も危ないと本能的に察したのである。

だが、瀕死の皇帝を目にして保身よりも怒りが勝った。


やはりコイツはここで殺しておかねばならない!
確実に息の根を止めてやる!

アルバレスは拳を握り締めると、怒りの声を上げてテリーへと突っ込んだ!


「粉々にしてやる!死ね!テリィィィィィー----・・・・・!?」


振りかぶった拳をテリーの頭に撃ち放った


・・・だが、アルバレスはその拳がテリーの頭を砕く寸前で止めた


「・・・テリー・・・貴様・・・・・」


もう死んでいる
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