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660 命取り

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・・・カーン。
声にならない声、かろうじて自分だけが聞き取れる囁き声で、目の前の男の名を口にする。

思い返してみれば、最初から敵対していたわけではなかった。
国王派と大臣派で意見は分かれていたが、カーンは憎むべき相手ではなかった。

ロンズデールを想うからこそ、帝国との関係を見直すべきだと主張する大臣派の私達に、カーン達国王派は正反対の主張をしてきた。
帝国に抵抗しても無駄だと。生き残るためには帝国と共に歩むしかない。

カーンが城に入ってから、これまで何度口論してきただろうか。


・・・カーン、あんたはあんたなりに国を想って行動したんでしょうね。
そこだけは認めるわ。

確かに武力で侵略されなければ、生き残る事はできる。けれどロンズデールの誇りはどうなる?

「国を売るなんて・・・・・私にはできない!」

首の後ろから二つに分けて束ねた灰色の髪。その先に付いた玉、魔道具念操玉が浮かび上がり、両肩の脇でゆらゆらと揺れ動き出した。


アラタ君、あなたに教えてもらったボクシング。
そして私のこの念操玉で、この戦い・・・勝手みせる!



いい目だ。リンジー、覚悟を決めたようだな。
もはや言葉はいらんか・・・・・

カーンは正面で構える灰色の髪の女戦士、リンジーに向けた大剣の切っ先をわずかに揺らし、その視線を誘導する。

右へ・・・左へ・・・右・・・・・

三度目、リンジーの視線がわずかに外れたその時、カーンが前に出た!


カーンの大剣は刃潰れており、斬るための剣ではない。
肉厚なその剣で叩きつければ、リンジーの体など一撃で打ち砕くだろう。

直接剣で叩き伏せてもいい。
躱されても床を打ち付ければ、反響の剣の音の能力で倒す事ができる。
どちらにしろ勝ち筋しか見えないカーンの攻撃は、確実性をとったものだった。

突きではなければ、横に薙ぎ払うものでもない。
それは的の大きい胴体を狙った、肩口への斬り落としだった。

大きく振りかぶる事はせず、頭よりわずかに上から振り下ろされるその一撃は、命中度を重視したがゆえ。それでもリンジーの体を叩き潰すには、十分過ぎる威力を持っていた。


さぁどうするリンジー?
横に飛ぼうが、後ろに下がろうが、お前が躱せば反響の剣の音の餌食だ!
かと言ってお前には、これを受けきるだけの腕力はない。
俺が反響の剣を使った時点で、どうあがいてもお前には勝ち目はなかったんだよ!


カーンの剣がリンジーの左肩に入るかと思われたその時、リンジーは左に飛んで大剣を回避した。


やはりそう来るか!受ける事は不可能!
ならば後ろに飛ぶか、剣の軌道とは反対方向の左、そのどちらかに躱すしかないだろう!
だが、どっちに飛ぼうが俺の反響の剣から逃れるすべはない!

振り下ろした反響の剣が、床が砕ける程に強く打ち付ける!

圧縮された音がリンジーの耳へ侵入し、そして内側から脳を揺さぶる!


リンジー、お前は鼓膜を破り音が聞こえ無くなれば、反響の剣を防げると思ったんだろ?
だがそれは間違いだ。
圧縮した音を耳から送り、内部で解放すると言っただろう?
音が聞こえるかどうかの問題じゃない。音が入ればそれでいいだけだ。
つまりお前は、無駄に自分の体を傷めただけだったという事だ!

残念だったな!お前はこれで・・・

「終わりだリンジーーーッ!」


確かにリンジーはよろめいた。当然である。それだけの衝撃を頭の中で受けたのだから。

だが、勝利を確信したカーンが剣を振り上げ、リンジーに止めの一撃を食らわせようとしたその時、突如その顔を上げたリンジーが、一息で自分の懐に踏み込んで来た。



「・・・え?」

な、んで・・・動ける?
率直な疑問に、一瞬だが思考が停止した。それが命取りだった。

「ハッ!」

掌打だった。だが、肩を入れ目の高さから真っすぐ目標を撃ち抜くそれは、まさしく右ストレートだった。

鼻の奥でなにかが砕ける鈍い音が頭に響き、真っ赤な血が鼻から飛び散る。

「グアァッツ!」

「シッ!」

右を戻すと同時に、腰を右に捻り、左の掌打をカーンの右頬に叩き込む。
これもボクシングの左フックだった。
カーンの首がねじ切れるかと思う程、強く殴り飛ばされると、リンジーはそこで頭を左に強く振るった。
その長い髪が頭を振る速さに合わせ、勢いを付けて走り飛んでくる!

硬い金属が、何かを砕くような鈍い音が耳に届いた。
リンジーの髪の先に付けている丸い玉、魔道具の念操玉は、カーンの顔面を撃ち抜いていた。

「ぐガアァァァ・・・・・ッ!」

念操玉は、左の頬骨を砕いたようだった。

頬を押さえ、言葉にならない叫び声を上げながら、カーンはフラフラと頼りない足取りで、一歩、二歩と後ろに下がっていく。

「アガッ・・・グ、ウグ・・・リ、リンジー・・・リンジーーーーッ!」


痛みと怒りに我を忘れ、血走った眼で縦に横に剣を振るうが、冷静さを欠いた攻撃など、
リンジーに当たるはずもなかった。

「ウ、ぐァァァッ!」

大剣を持つ右手の甲を念操玉に打ち砕かれ、剣を落とすと、リンジーは再びカーンに接近し、その顎を左の掌打でね上げた!腰を入れて撃ったそれは、確かにボクシングのアッパーだった。

カーンの口から血が噴き出す!

左を戻すと、右の掌打をカーンの腹に深々と突き刺した。
腹を押さえ、カーンの体が折れ曲がると、再びリンジーの左フックがカーンの右頬を殴り抜いた。

そのまま、右ストレート、左ボディ、右ボディ、左ボディとつなげ、右フックで顔面を殴り抜けると、カーンは膝が折れ、そのまま倒れそうになった。

この時、リンジーは勝利の手応えを感じかけた。
だが、僅かに感じた殺気・・・そうカーンはまだやる気だと、肌で感じ取った。
そしてその直感は正しかった。

「・・・ウ・・・ガァァァァァーーーーッ!」

倒れそうになった体を意志の強さで必死に支え、カーンは絶叫しリンジーに掴みかかった。
それは策も何もない、ただ道連れにしてやるという、歪んだ意志の最後の反撃である。


「やっぱり・・・あんたが大人しくやれてくれるわけないよね?」

だが、その最後の攻撃を想定していたリンジーは、すでに後ろに身を引く体勢を作っており、飛び掛かって来たカーンを易々と避けると、右手を頭より高い位置で振り被った。

飛び掛かってきたカーンを避けた事で、カーンの頭、後頭部が自分の目の前にあった。

「カーンッ!これで終わりよ!」

リンジーの打ち下ろしの右が、カーンの後頭部にめり込み、身体ごと潰すかのように叩き伏せた。


「・・・私の勝ちね」

白目を剥いて横たわるカーンに、静かにそう告げた。
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