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656 もう一つの奥の手

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後ろを取られた事は初めてだった。

私はスピードには自信がある。
マルコス・ゴンサレスだって私の本気を目で追う事がやっとだったし、ゴールド騎士のアルベルト・ジョシュアでさえ、速さで私を上回る事はできなかった。
誰が相手でも、スピードで負けた事はない。

「・・・とった」

背中に感じた気配に咄嗟に身を捻ったが、直後に走った鋭い痛みに倒れそうになる。

「いい反応ね・・・でも、ちょっと深いみたい」

リコ・ヴァリンは右手に持つ、極限まで薄く研ぎ澄まされた不可視の剣を振るい、ガラスの剣の切っ先に付いた鮮血を床に払い飛ばした。

「・・・はぁ・・・ふぅ・・・」

呼吸が乱れる・・・背中に感じる強い痛みに、傷が決して浅くない事を知る。

「驚いた・・・私が後ろを取られるなんて・・・」

「そう?・・・私があなたより速かっただけの事よ」

背中から流れる血が腰を濡らし、腿へと流れていく。
痛みと出血にそう長くは戦えない事を察する。


「・・・はぁ・・・ふぅ・・・・・・・ハァァァァァッツ!」


両手に持つナイフを握り直し呼吸を整えると、私は全身全霊の気を放った!
それは空気を震わせ、正面に立つリコ・ヴァリンにあらん限りのプレッシャーをぶつけた。


「・・・なに、これ?」

その場に立っている事さえ許さない程のプレッシャーに、それまで表情のなかったリコ・ヴァリンに、初めて動揺が見えた。


「これを凌げればお前の勝ちだ・・・・・受けてみろ!」

床石が砕ける程強く蹴り抜くと、レイチェルの姿はリコ・ヴァリンの前から文字通り消えた。

それは連双斬と対を成す、レイチェルのもう一つの奥の手、トップスピードを維持したままの連続攻撃・・・・・

限舞闘争げんぶとうそう!」



「なッ!?」

右の蹴りだった。
辛うじて反応できたその攻撃を、リコ・ヴァリンは左腕を畳んで受け止める。


「ハァッツ!」

続けざまに繰り出される左のナイフは、リコ・ヴァリンの右胸に向かって真っすぐに突き出される。
それを左に飛んで躱すと、リコ・ヴァリンは右手のガラスの剣を、レイチェルの首に向かって横一線に振るった。

しかしガラスの剣がレイチェルの首に触れる事はなかった。
剣が空を通過した時には、レイチェルは姿勢低く構え、左右のナイフを外から内へ交差させるように、リコの両足を斬り付ける。

「・・・私が、斬られ・・・!?」

レイチェルの動きに反応できたリコ・ヴァリンは、天井高く飛び上がってレイチェルのナイフを躱していた。だが、僅かにかすめた両の刃は、リコの左右の足に一筋の赤い線を付けていた。

「ハァッ!」

飛び上がったリコに体勢を整える猶予さえ与えず、一瞬で同じ高さまで飛びあがったレイチェルの左の蹴りが、リコの右脇腹にめり込んでいた。

「うっ!」

「落ちろォォォーーーッ!」

レイチェルがそのまま空中で足を振り抜くと、リコは勢い強く蹴り落とされていく!

「ぐぅッ!」

その体を床に打ち付けそうになるが、スレスレで体を縦に回転させて、左手と両足でタイミングを合わせて床を弾き、衝撃を和らげて後方に飛び退く。

「ッ!?」

顔を上に向けた時には、すでにレイチェルの姿はなく、背後に感じた気配に体を捻ると、その直後に背中を切り裂かれる鋭い痛みが走り、顔を歪ませられ悲鳴が漏れそうになる。

「ぐっ・・・!」

振り返ると、レイチェルの右のナイフから鮮血が飛び散っていた。

「ヤァッ・・・!?」

そのままガラスの剣で突きを放とうとすると、一瞬にして眼前まで距離を詰められ、驚きからリコの動きが僅かに硬直する。

右肘だった。

胸に撃ち込まれたその固く尖ったものに、リコは全身が痺れそうな程の衝撃を受け、その場に崩れ落ちそうになった。

「ハァッ!」

レイチェルの左膝がリコの腹部に深くめり込み、リコの口から短いうめき声が漏れる。

・・・は、速い!
スピードそのものは私とほぼ互角、けれどの女・・・この女はとんでもない事をしている!

「セァッ!」

レイチェルは左の膝を抜くと同時に、右足でリコ・ヴァリンの腹を蹴り上げた!

「ッ・・・あ、ぐッ・・・!」

呼吸が止まる程の衝撃が腹から全身を駆け抜け、苦痛の声を漏らして顔が歪む。
そしてリコの小さな体は、レイチェルの頭上高く舞った。

・・・こ、この女・・・と、止まっていない!
トップスピードのまま、一瞬もブレーキもかけずに動き続けている!
し、信じられない・・・!

レイチェルの技の正体に気付いたリコだが、胸への肘と、腹部への二発で、すでに反撃の気力と体力が奪われていた。

「止めだァァァーーーッ!」

頭の上へと蹴りで飛ばされたリコの背に向かって、レイチェルは両手のナイフを構えて飛びかかった!
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