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655 復讐者

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手を休めるな!

右ボディ!左ボディ!体がくの字に折れて顎が下がってきたところへ、腰を左へ捻り体ごと叩きつけるような右フックをダリルの左頬に叩き込む!

手ごたえは十分!ダリルの首がねじ切れそうなくらい振られ、足がよろめいたところに、ダメ押しの左ボディアッパーを腹に突き刺す!!

手応えは十分だ!
見た目だけで言えばヘビー級だが、これだけ芯を捉えてクリーンヒットさせたんだ!
ダメージは・・・・・


「なっ・・・バカな・・・」

「・・・いい、攻撃だ・・・私より小さく、私より細い腕、そんな体でよくこれほどの力が出せるものだな」

俺より頭半分は高い位置から見下ろすその目に、ゾクリと背筋が震え、俺は大きく後方に飛び退いた。

「バ、バカな!いくら体格差があっても、これだけまともに入ってノーダメージだって!?」

口の端からは血が滲み出ているが、それだけだった。
あれだけ殴られたにも関わらず、ダリル・パープルズの顔は涼し気で、痛みも何も感じていないようにしか見えない。

「どうした?もうお終いか?」

親指で口の端の血を拭うと、ダリル・パープルズは余裕を見せるかのようにニヤリと笑った。
いや、実際余裕なのだろう。こっちに近づいて来る足取り、その顔を見る限り、虚勢ではない確かな自信に満ちている。

ダリルが近づいて来る分、後ろに下がると、足元から苦し気な声が聞こえた。

「アラ、タ・・・き、気を、つけろ・・・ヤツは、何らかの魔道を、使っているはずだ、俺達も・・・何もできなかった・・・」

まだ体を起こせずにいるガラハドさんが、肘を着き顔を上げていた。

乗船前の一週間、俺はガラハドと、素手での手合わせをした事もある。
ダリル・パープルズに負けず劣らずの巨体で、非常にタフだった。
だが、そのガラハドさんでさえ、立てない程の大きなダメージを受けている。

「・・・魔道具だって・・・こんなにタフで、ガラハドさんを倒す程の力が・・・!?」

いや、まて・・・そうか、難しく考える必要はない・・・そうか、そのままなんだ!

「ふっ・・・気が付いたようだな?」

ハッとした俺の表情を見て、ダリル・パープルズは軽く肘を曲げて俺を指差した。
その目はまるで、答えて見ろと言うようにどこか楽し気だった。

「ダリル・パープルズ・・・お前の魔道具は、肉体を強化するんだな?」

目の前に立つ大柄な男ダリル・パープルズは、返事の代わりに俺を見下ろしながら薄く笑った。






いつもは他者を見下すような、歪んだ眼光を見せているそ目には、今は焦りと動揺がハッキリと見えている。痛みと精神的なものからくる、じっとりとした嫌な汗を全身にかきながら、ラルス・ネイリーは口を開いた。

「・・・久しぶり、ですねぇ・・・坊ちゃん」

言葉が震えなかった事に、内心安堵してネイリーは目の前に立つ、復讐者に笑いかけた。

軽く柔らかそうだった白い髪は、血と汗でベッタリと肌にへばり付き、
女性と見紛うような整った綺麗な顔は、どれだけ殴られたのか、赤紫の痣で腫れている。
全身がズブ濡れなところを見ると、ここまで上がって来るまでに、水に飲まれるほど追い詰められたのかもしれない。

満身創痍なのは見れば分かる。
よく地力で立っているなと、褒めてやりたくなる程だった。

だが、自分を見るその金色の瞳を見て、ネイリーは喉元にナイフを当てられているかのような、凄まじい殺気に震えあがりそうになった。

怒り、恨み、憎しみ、そんな感情は今まで数えきれない程向けられてきた。
実験体に使われた者からの罵詈雑言など、飽きる程聞かされたものだ。


だが、・・・だが、この目はなんだ・・・?
その瞳は確かに自分を映している。だが、あまりにも・・・あまりにも静か過ぎる・・・


ディリアン・ベナビデス。
彼の事は覚えている。今から五年前、一年程仕えた公爵家の人間だ。
口下手で捻くれた性格をしていたから、使用人達からも腫れもの扱いされていた。
だからこそ、付け入りやすかった。

ちょっと親身になって話しを聞いてやれば、すぐに俺に気を許して熱心に魔法を習ってきた。
扱い辛いディリアンが俺には気を許している。これだけで公爵家から厚い信頼を得る事ができ、結果研究をするための多額の資金や、環境も難なく手にする事ができた。

あそこでの実験は本当に有意義だった。
おかげで、強化兵を作るための実験は想定以上に早く進み、大勢の実験体も手に入った。
屋敷のほとんどの人間は死んでしまったが、何人かからは魔力が強化され、成果も得る事ができた。

そして更なる研究を重ね、魔力だけでなく肉体を強化する薬、魔道具も作る事ができた。
最も、適正が無ければ逆に身を滅ぼしてしまいかねない危険な物で、今のところダリル様が使っているだけだが。
本来は日々の訓練で少しづつ鍛えるものを、薬や道具で引き上げるという事は、非常に危険なのだ。


「ラルス・・・・・ネイリー・・・・・」

「うっ・・・!」

名前を呼ばれただけなのに、なぜこうも心臓が跳ねる。
そしてこの声は・・・これほど冷たく響く声は、聞いた事がない・・・

今自分の目の前にいるのは、本当にあの坊ちゃんなのか?

「ぼ、坊ちゃん・・・わ、私は、坊ちゃんの事は、本当に、才能豊かな方だと思ってたんですよ」

弱々しい擦れた声で、坊ちゃんの目を見て訴えるが、私を見るその目には何の感情も浮かんでいない。しかしこれだけは分かる・・・坊ちゃんは、ディリアン・ベナビデスは、ここで私を殺す気だ。

いったい・・・いったい、どうやったら・・・ここまで静かな殺意を持てるんだ!?

「ぼ、坊ちゃん・・・私を、う、恨んでいるのです、か・・・?」

話すだけで右の肋骨が痛む・・・
回復薬は飲んだが、やはり肋骨を砕かれる程の怪我では気休めにしかならない。
か、体さえ・・・体さえ動けば・・・こんな、こんなガキに・・・!

「ネイリー・・・ジェシカはもう三年も寝たきりなんだ・・・」

「ジェ、シカ・・・?」

聞き覚えのない名前だが、必死に記憶をたどると一人のメイドが思い当たった。
そう言えば、一人・・・私意外で坊ちゃんが気を許していたメイドがいたな。
あの女がジェシカというのか?

つまり坊ちゃんは、お気に入りのメイドが薬で寝たきりになったから、私にその復讐を?

「お前に会った時・・・俺は自分がどうなるのか何度も想像した。きっと感情にまかせて掴みかかるんだろうなって・・・そう思っていた。だけど・・・」

ディリアンはネイリーに向けて右手を伸ばした。青く輝く魔力が手の平に集まる。

「ぼ、坊ちゃん・・・な、なにを・・・!?」

なんだ・・・?何をする気だ!?
ディリアンは青魔法使い、攻撃魔法は使えない、ではなぜ私に魔力を向けている?
・・・魔道具か!?


「本当に怒った時、人は静かになるんだな」


ディリアンの右手から放たれた魔力は、ロープのように長く伸びてネイリーの足を、腰を、胸を、腕を、そして首をキツく強く巻き付けた。

「グッ、ウグッ・・・グ、ご、ごれば・・・!?」

「俺の魔道具だ・・・お前はこのまま絞め殺す」

ディリアンは自分でも驚く程に頭が冷えていた。
冷静に、そして積年の恨みを込めて魔力を放出する。

「うぐッ、ガ、あぁがぁぁッッッ!」

どんどん締め付けられていく魔力のロープ。ネイリーは必死にもがくが、腕も絞められているので、なすすべがなかった。


ば・・・ばかな・・・バカな・・・この、わ、わたし・・・が・・・
こんなガキに・・・こんな・・・ここで・・・おわって・・・しまうのか・・・・・

ダ、ダリル、さま・・・た、たすけ・・・・・

薄れゆく意識の中、ネイリーが目を向けた先では、ダリル・パープルズが黒髪の男と戦っていた。

それは見間違いではなかった。
ネイリーの視線に気づいたのか、確かにダリルはネイリーに目を向け、二人の視線は合った。


ネイリーが、ダリルが助けに入ると期待した事は言うまでもないだろう。

だが、ダリルは助けなかった。
薄い笑いだけを見せ、再び目の前の黒髪の男に向き直ると、それきりネイリーに顔を向ける事はなかった。


「なッ!?ぜ・・・・・」

ダ・・・リ・・・ル・・・さま・・・・・な・・・ぜ・・・・・・

骨を砕く鈍い音が鳴ると、ネイリーの首が不自然な角度で曲がった。

ネイリーが反応すらしなくなっても、ディリアンはしばらくの間絞め続けた。
やがてゆっくりと魔力を戻すと、力無く倒れたネイリーを一瞥し、目を閉じて上を見上げた。


「・・・ジェシカ・・・終わったよ・・・」


復讐は遂げた。

けれど心に宿ったものは、スッキリとした爽快感ではなく、寂しさと虚しさだった
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