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635 脱出の手段

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「もう一度聞く、ここは治療室だが何をしている?」

腰丈で、厚手ウールのダブル前の外套だ。
白い生地に黒い鍔のキャップは、船乗りが被るマリンキャップ。
2メートルはあるだろう体躯、そして鋭い青い双眸で、バルデスとサリーを射抜くように見る。

体力型の中でも抜きんでた体付きのウラジミールは、まさに巨人といっていいほどだった。
肉体的な強さは一般人と変わらない魔法使いの二人からすれば、ウラジミールの眼光を浴びる事は、それだけで相当なプレッシャーである。

ビリビリとした威圧はバルデスでさえ体にくるものがった。

そしてそれに耐えながら、バルデスとサリーは最初に考えた事が、なぜ今ウラジミール・セルヒコがここにいるのか?
二人は同じ疑問を抱いたが、答えも同時に察しがついた。
下の階からはどんどん水が押し寄せてくるのだ。当然上に逃げてきたのだろう。
そしてもう一つ気付いた事がある。

それはウラジミールの姿と表情である。
頭から水を被ったようにずぶ濡れで、油汚れや、血液と思われる赤黒い汚れも見える。
平静を装ってはいるが、僅かに呼吸も乱れて、汗もかいている。
どうやらウラジミールも、この転覆と水でそれなりに疲労しているようだ。
赤黒い汚れは、もしや鮫と交戦し、その返り血を浴びたからかもしれない。


僅かな時間の逡巡だったが、バルデスとサリーが質問に答えずに口を閉じていると、ウラジミールがその大きな足で一歩室内に踏み込み、見限ったように呟いた。

「・・・だんまりか、じゃあしかたないな。カーンの言う侵入者かもしれんし、ここで始末・・・」

「お、お待ちください!私達はただ傷の手当をしようと、薬を取りに探しに来ただけです!驚いてしまいお返事が遅くなった事は申し訳ありません!」

ウラジミールの体から殺気が滲み出た時、サリーが慌てた様子でウラジミールの前に飛び出し、両手を握り合わせ懇願し始めた。

切れ長の目には涙が浮かび、怯えるように声が震えている。

「・・・傷の手当?・・・あぁ、そっちの男か?」

「はい、彼が怪我をしてしまって・・・それで傷薬を探していたんです。あなた様はこの船の方ですよね?勝手に入ってしまった事は申し訳ありません。ですが、この状況で私達も必死だったのです。どうかお見逃しください」

ウラジミールは、サリーから少し離れたところに立っているバルデスに目を向けた。
サリーのヒールで怪我は治したが、ボロボロで血の跡も付いている服を見て、ウラジミールは納得したように二度三度うなずいた。

「そうだったのか、事情は分かった。俺はウラジミール・セルヒコと言う。この船の船長だ。原因は不明だが、船になにかがぶつかったようでこの有様だ。この階に緊急脱出用のボートがあるから、それを取りに来てお前達を見かけてな・・・驚かせてすまなかったな。不正侵入者がいると聞いててな、もしやお前達がと思ったんだ」

「まぁ、侵入者なんて怖いですね!出航してすぐの転覆でしたから、どうしてと思ったのですが、もしやその侵入者の仕業ではないでしょうか?シャー君、私達もボートに乗せてもらって逃げましょう!」

シャー君!?

突然サリーからウルウルとした怯えの目を向けられ、更にシャー君などと、今まで一度も呼ばれた事のない呼ばれ方をしたバルデスは、さすがに言葉につまったが、それでもなんとか合わせて言葉を返した。

「お、そ、そうだな!お、俺もそれがいいと思うよ、サっちゃん!」

サっちゃん!? 俺!?

バルデスの一人称と、サっちゃんと呼ばれた事に、サリーも同様したのか目を丸くする。
だがすぐに我に返り、ウラジミールにもう一度言葉をかけた。

「船長様、お願いです。私達も同行させてくださいませ!私達には帰りを待っている年老いた父と母がいるのです!」

「お、そ、そうか・・・別にかまわんぞ。薬はもういいのか?」

ころころ表情の変わる二人に、ウラジミールは変わったカップルだなと少し首を傾げた。

「はい。丁度見つけたところでしたので大丈夫です。では、案内よろしくお願いいたします」

ウラジミールが背を向けて部屋を出ると、サリーとバルデスは目線を合わせて後に続いた。


ボートがある・・・

今、無防備に背を向けているウラジミールに、攻撃をする事は可能だ。
ウラジミールが強敵なのは分かる。このチャンスを生かせば、楽に倒せるかもしれない。
だが、脱出の役に立つ物があるというのなら、それを確保してからでいい。
それがバルデスとサリーの出した答えだった。

バルデスはパンツの右ポケットに入れた充血剤を、確認するように握った。


すまんなアラタ、もう少しだけ耐えてくれ。
このフロアにあるボートの場所を確認したら、すぐに助けてやる。

「どうした?こっちだぞ」

立ち止まったバルデスに、ウラジミールが声をかける。
バルデスは短く返事をすると、そのまま後を追いかけた。
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