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623 悪霊の槍
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アロル・ヘイモンの記憶にある一番古い感触は、己の背丈よりずいぶんと大きな、鉄の槍の冷たさだった。
ロンズデールには戦争の歴史が無い。
ゆえに軍はあっても、武の発展はブロートン帝国、クインズベリー国に比べ大きく後れをとっていた。
王宮仕えだった父は変わり者だったのかもしれない。
ロンズデールでは戦争は起きない。
国の治安を維持するための武力を持てばいい。その程度の認識が多い兵士達の中で、父は日々の鍛錬んを怠る事はなかった。
誰よりも国を想い、誰よりも汗を流し、そして誰よりも強かった。
そんな父の子供として生まれたのだ。物心がついた頃には、毎日を修行に費やされる事は、当然だったのだろう。
同年代の子供と遊んだ記憶はない。
来る日も来る日も、父と修行だけの日々。
辛くなかったか?遊びたくはなかったか?
そう問われれば、辛かったし遊びたかったが答えである。
だが、父は信念を持って武術を教えていたし、何より母は、修行の後に必ず自分を抱きしめて癒してくれたのだ。
少なくとも愛されて育った。
それで充分だった。
15の歳になると、自分とまともに戦えるのは、父以外にはいない程に鍛えられていた。
父と同じく王宮の兵士として仕える事ができ、自分の実力は当時の国王陛下にも覚えが良かった。
このまま順当に育っていれば、国王の側近として、確固たる地位を得られたかもしれない。
だが、武にだけ打ち込んできたためか、自分も父も城の権力争いにはまるで気が向かなかった。
訓練中の事故で父が死に、母はそれが原因で心を病んで塞ぎ込んだ。
そして父の後ろ盾を無くした自分は、いつの間にか隊の中で居場所を奪われ、孤立させられていた。
15にして兵士の中で最強だった自分は、目立ち過ぎたのだろう。
上から煙たがられ、活躍の場を与えられる事はなかった。
しかし、それでも日々の修行を怠る事はなかった。
今後決して日の目を見る事が無いとしても、体に染み付いた習慣は簡単に消えるものではない。
たった一人でも、父との記憶を頼りに修行を続けていた。
10年が経った。
25になったが、自分の待遇は変わらなかった。
すでに隊の中では、自分は憂さ晴らしに使っていいという認識になっているようで、すれ違いざまに肩をぶつけられたり、心無い言葉を浴びせられる事も多かった。
今思えば、この時の自分は色々な事を諦めていて、ただ何も考えずに毎日を生きているだけだったと思う。
だから何をされても怒りすら湧いてこず、後輩にも馬鹿にされていたのだろう。
しかし、あの日を境に全てが変わった。
一日の仕事が終わり、自分はいつも通り個人訓練を行うため、着替えて更衣室を出た。
誰も自分の事は見向きもしない。
黙って着替えて黙って出る。それが当たり前になっていた。
更衣室を出てしばらく歩くと、ふとタオルを忘れた事に気が付く。
必ずしも必要なものではない。
愛用の二本の槍は持っているし、稽古着も着ている。
汗を拭くタオルがなくても支障が出る程ではない。
この時、タオルを諦めて真っ直ぐ修練場に行っていれば、今日と変わらない明日が待っていただろう。
だが、自分は戻った。
そして更衣室にいた同僚を一人残らず血の海に沈めた。
そしてその足で自宅へ戻ると、心を病んだ母を連れて国を出た。
50年前の事だ。
「くッ!」
「ほう、心臓を一刺しにしてやろうと思ったが、よく躱したものだな。さすがはガラハドだ」
ヘイモンはガラハドの横殴りの右拳をしゃがんで躱すと、そのまま右手の槍をまっすぐに突き出した。
狙いはガラハドの心臓である。だがガラハドは左足で床を蹴り、槍の一刺しを躱した。
だが、完全には躱しきれず、僅かに左胸をかすらせていた。
ヘイモンの持つ槍は刃長さが20cm、柄60cm、自分の身長の半分より少し長い程度である。
とても長物とは呼べないが、小柄なヘイモンはこれを、武器として盾として使いこなしていた。
「ほれっ!」
「ぐぅッ!」
両肩、そして胸を一呼吸で刺す。
咄嗟に後ろに飛び退いたため、深くは抉られなかったが、それでもヘイモンの槍の刃先はガラハドの血を吸って赤く濡れている。傷は決して浅くはない。
「はぁ・・はぁ・・」
「どうしたガラハド?ずいぶん苦しそうだな?お前、こんなもんだったか?それにあの棒はどうした?この事故で無くしたのか?」
ヘイモンの体から滲み出る黒く邪悪な気。
それを前にしているだけで、精神をすり減らしているのに、ヘイモン自身の力量もガラハドを大きく上回っており、その攻撃はとても凌ぎきれるものではなかった。
「お前は平和ボケした連中と違って、日々の鍛錬をしっかりやっとったから、敵対していても目はかけていたんだがな。75の爺を相手にこんなもんか?」
「はぁ・・・はぁ・・・くぅ・・う・・・」
息が・・・苦しい・・・体が・・・思い・・・
おかしい・・・確かに刺されたが、致命傷は避けた・・・こんなに急に、身体に異常が・・・
ガラハドは立っている事ができず、片膝を着いた。
喉が焼け付くように熱く、徐々に呼吸ができなくなってくる。
槍で刺された両肩に胸も、まるで火で焼かれているかのように熱く、それは体の内部まで焼き尽くそうとして来るかのようだった。
これは・・・いったい・・・
「ふぉっふぉっふぉ、効いてきたようだな?我が悪霊の力が」
「あ・・悪、りょう・・・だ、と?」
喉を押さえ、空気をかき集めるように、必死に呼吸をするガラハド。
その姿を目にしながら、ヘイモンはニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「ガラハド、貴様これまで何人殺した?」
「な・・んの、話し・・・だ?」
「戦いに身を置いていれば、一人や二人ではきかんよな?だが、貴様の場合は狼藉者の制圧、賊の盗伐での殺しだろう?虐殺をした事はあるまい?」
「ぐっ・・はぁ・・・ぜぇ・・だ、から、なんの・・・は、なし・・だ?」
「ワシは50年前だ・・・今も鮮明に覚えておるよ・・・連中め、ワシがおらんと思って、実に楽しそうに語っておったわ。訓練と称してワシの父を後ろから殴打し、数人がかりで撲殺したとな。ワシは何も知らんで10年も・・・・・そこで何かがキレたんだな。30人以上はおっただろうが、その場で皆殺しにしてやったわ」
ヘイモンが何を言っているのか、ガラハドにはまるで理解できなかった。
会話の意図が掴めず、ガラハドはそこで黙ったが、それでもヘイモンは話しを続けた。
「その日からだ・・・ワシは殺しを全く躊躇しなくなった。母と二人で大陸を渡り歩き、殺しで金を稼いで生き抜いた。この槍で何人の命を奪ってきた事か・・・・・数えきれん程の多くの命を吸わせてきたからだろうな・・・ある時から、槍に霊ナニカが取り憑いたのだ」
ヘイモンは槍の穂先をガラハドの額に突きつけた。
切れた皮膚から血の一滴が鼻筋を伝い落ちる。
「はぁ・・・ぜぇ・・・」
青い白い顔で苦しそうに呼吸をするガラハド。ヘイモンはその苦しみの答えを口にする。
「それが悪霊だ。ガラハド、貴様は悪霊の気を纏った槍で刺されたが故に、その体を悪霊に蝕まれているのだ。その傷は癒す事はできん。もはや貴様の死は確定しているのだよ」
ロンズデールには戦争の歴史が無い。
ゆえに軍はあっても、武の発展はブロートン帝国、クインズベリー国に比べ大きく後れをとっていた。
王宮仕えだった父は変わり者だったのかもしれない。
ロンズデールでは戦争は起きない。
国の治安を維持するための武力を持てばいい。その程度の認識が多い兵士達の中で、父は日々の鍛錬んを怠る事はなかった。
誰よりも国を想い、誰よりも汗を流し、そして誰よりも強かった。
そんな父の子供として生まれたのだ。物心がついた頃には、毎日を修行に費やされる事は、当然だったのだろう。
同年代の子供と遊んだ記憶はない。
来る日も来る日も、父と修行だけの日々。
辛くなかったか?遊びたくはなかったか?
そう問われれば、辛かったし遊びたかったが答えである。
だが、父は信念を持って武術を教えていたし、何より母は、修行の後に必ず自分を抱きしめて癒してくれたのだ。
少なくとも愛されて育った。
それで充分だった。
15の歳になると、自分とまともに戦えるのは、父以外にはいない程に鍛えられていた。
父と同じく王宮の兵士として仕える事ができ、自分の実力は当時の国王陛下にも覚えが良かった。
このまま順当に育っていれば、国王の側近として、確固たる地位を得られたかもしれない。
だが、武にだけ打ち込んできたためか、自分も父も城の権力争いにはまるで気が向かなかった。
訓練中の事故で父が死に、母はそれが原因で心を病んで塞ぎ込んだ。
そして父の後ろ盾を無くした自分は、いつの間にか隊の中で居場所を奪われ、孤立させられていた。
15にして兵士の中で最強だった自分は、目立ち過ぎたのだろう。
上から煙たがられ、活躍の場を与えられる事はなかった。
しかし、それでも日々の修行を怠る事はなかった。
今後決して日の目を見る事が無いとしても、体に染み付いた習慣は簡単に消えるものではない。
たった一人でも、父との記憶を頼りに修行を続けていた。
10年が経った。
25になったが、自分の待遇は変わらなかった。
すでに隊の中では、自分は憂さ晴らしに使っていいという認識になっているようで、すれ違いざまに肩をぶつけられたり、心無い言葉を浴びせられる事も多かった。
今思えば、この時の自分は色々な事を諦めていて、ただ何も考えずに毎日を生きているだけだったと思う。
だから何をされても怒りすら湧いてこず、後輩にも馬鹿にされていたのだろう。
しかし、あの日を境に全てが変わった。
一日の仕事が終わり、自分はいつも通り個人訓練を行うため、着替えて更衣室を出た。
誰も自分の事は見向きもしない。
黙って着替えて黙って出る。それが当たり前になっていた。
更衣室を出てしばらく歩くと、ふとタオルを忘れた事に気が付く。
必ずしも必要なものではない。
愛用の二本の槍は持っているし、稽古着も着ている。
汗を拭くタオルがなくても支障が出る程ではない。
この時、タオルを諦めて真っ直ぐ修練場に行っていれば、今日と変わらない明日が待っていただろう。
だが、自分は戻った。
そして更衣室にいた同僚を一人残らず血の海に沈めた。
そしてその足で自宅へ戻ると、心を病んだ母を連れて国を出た。
50年前の事だ。
「くッ!」
「ほう、心臓を一刺しにしてやろうと思ったが、よく躱したものだな。さすがはガラハドだ」
ヘイモンはガラハドの横殴りの右拳をしゃがんで躱すと、そのまま右手の槍をまっすぐに突き出した。
狙いはガラハドの心臓である。だがガラハドは左足で床を蹴り、槍の一刺しを躱した。
だが、完全には躱しきれず、僅かに左胸をかすらせていた。
ヘイモンの持つ槍は刃長さが20cm、柄60cm、自分の身長の半分より少し長い程度である。
とても長物とは呼べないが、小柄なヘイモンはこれを、武器として盾として使いこなしていた。
「ほれっ!」
「ぐぅッ!」
両肩、そして胸を一呼吸で刺す。
咄嗟に後ろに飛び退いたため、深くは抉られなかったが、それでもヘイモンの槍の刃先はガラハドの血を吸って赤く濡れている。傷は決して浅くはない。
「はぁ・・はぁ・・」
「どうしたガラハド?ずいぶん苦しそうだな?お前、こんなもんだったか?それにあの棒はどうした?この事故で無くしたのか?」
ヘイモンの体から滲み出る黒く邪悪な気。
それを前にしているだけで、精神をすり減らしているのに、ヘイモン自身の力量もガラハドを大きく上回っており、その攻撃はとても凌ぎきれるものではなかった。
「お前は平和ボケした連中と違って、日々の鍛錬をしっかりやっとったから、敵対していても目はかけていたんだがな。75の爺を相手にこんなもんか?」
「はぁ・・・はぁ・・・くぅ・・う・・・」
息が・・・苦しい・・・体が・・・思い・・・
おかしい・・・確かに刺されたが、致命傷は避けた・・・こんなに急に、身体に異常が・・・
ガラハドは立っている事ができず、片膝を着いた。
喉が焼け付くように熱く、徐々に呼吸ができなくなってくる。
槍で刺された両肩に胸も、まるで火で焼かれているかのように熱く、それは体の内部まで焼き尽くそうとして来るかのようだった。
これは・・・いったい・・・
「ふぉっふぉっふぉ、効いてきたようだな?我が悪霊の力が」
「あ・・悪、りょう・・・だ、と?」
喉を押さえ、空気をかき集めるように、必死に呼吸をするガラハド。
その姿を目にしながら、ヘイモンはニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「ガラハド、貴様これまで何人殺した?」
「な・・んの、話し・・・だ?」
「戦いに身を置いていれば、一人や二人ではきかんよな?だが、貴様の場合は狼藉者の制圧、賊の盗伐での殺しだろう?虐殺をした事はあるまい?」
「ぐっ・・はぁ・・・ぜぇ・・だ、から、なんの・・・は、なし・・だ?」
「ワシは50年前だ・・・今も鮮明に覚えておるよ・・・連中め、ワシがおらんと思って、実に楽しそうに語っておったわ。訓練と称してワシの父を後ろから殴打し、数人がかりで撲殺したとな。ワシは何も知らんで10年も・・・・・そこで何かがキレたんだな。30人以上はおっただろうが、その場で皆殺しにしてやったわ」
ヘイモンが何を言っているのか、ガラハドにはまるで理解できなかった。
会話の意図が掴めず、ガラハドはそこで黙ったが、それでもヘイモンは話しを続けた。
「その日からだ・・・ワシは殺しを全く躊躇しなくなった。母と二人で大陸を渡り歩き、殺しで金を稼いで生き抜いた。この槍で何人の命を奪ってきた事か・・・・・数えきれん程の多くの命を吸わせてきたからだろうな・・・ある時から、槍に霊ナニカが取り憑いたのだ」
ヘイモンは槍の穂先をガラハドの額に突きつけた。
切れた皮膚から血の一滴が鼻筋を伝い落ちる。
「はぁ・・・ぜぇ・・・」
青い白い顔で苦しそうに呼吸をするガラハド。ヘイモンはその苦しみの答えを口にする。
「それが悪霊だ。ガラハド、貴様は悪霊の気を纏った槍で刺されたが故に、その体を悪霊に蝕まれているのだ。その傷は癒す事はできん。もはや貴様の死は確定しているのだよ」
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