上 下
620 / 1,298

619 生き残った乗客 ③

しおりを挟む
「エマちゃん、お姉ちゃんの髪で遊ばないでねー?」

「お姉ちゃんの髪の毛ふわふわしてるー!とっても気持ち良いの!」

「あははは、そんな事初めて言われたわー」

肩車しているエマに、髪の毛を揉まれたり撫でられたりして、ラクエルはくすぐったそうに笑っている。すっかり打ち解けた二人を見て、エマの母リリアはクスクスと笑った。

「うふふ、ラクエルさん、ありがとうございます。肩痛くないですか?」

「ん?あぁ、大丈夫大丈夫。てか、アタシ鍛えてるからさぁ、軽い軽い」

そう言ってラクエルは歯を見せて笑うと、自分の頭にしがみ付くエマの背中をポンポンと叩いた。

「ラクエルさんは、どうしてこの船に乗ったんですか?」

「ん?・・・あ~、別に~、なんとなくかなぁ。ママさんはなんで?」

「うふふ、なんとなくで船に乗るなんて、ラクエルさんは面白いですね。私は・・・エマと二人で、新しい人生のスタートするため・・・です」

少し表情に影を落とすリリアに、ラクエルはリリアとエマが、なぜ父親と一緒でなかったのかを感じ取った。この船の転覆で離れ離れになったのかと思っていたが、そうではないようだ。

「・・・ふ~ん、いいね、それ」

ラクエルは前を向いたまま、のんびりとした口調で言葉を返した。

「・・・いい、ですか?」

「うん。新しい人生始められるっていいじゃん?だって、どこにでも行けるよね?新しい場所で、新しい仕事して、今までの嫌な事全部無かった事にできるじゃん?羨ましいよ・・・」

「・・・ラクエルさん・・・」


自分には魔道剣士としての生き方しかできない。
ラクエルにとって、新しい生き方なんて考える事もできなかった。

リリアもまた、どこか寂し気に見えるラクエルに、なにかを抱えていると感じとったが、深く立ち入る事はしなかった。自分もまた抱えているものがある、それは口にする事も躊躇いがある。
だからラクエルの気持ちも考えられるし、軽々には踏み込まない。


「おい!貴様ら!何をくっちゃべっとるか!今がどういう状況か分かっとるのか!」

フランクが先頭を歩き、その後ろにはリリア達。そしてそれに続いてマイク達が歩いている。

「お、お姉ちゃん、こ、怖い・・・」

「あー、大丈夫だって、あんなデブ無視していいから」

ラクエルは自分達に向けられるマイクの怒声を、鼻で笑って流した。
さっき首にナイフを押し当てられたばかりなのに、この物言いは神経が太いと感心すらできる。

現在いる場所は転覆前の二階、二等客室のフロアである。
貴族ではないが、商売などである程度の成功を治めている、裕福な人間が入れる場所だった。

本来であれば、このフロアを歩くだけでも感動があったであろう。だが今は割れた窓ガラスの破片が散らばり、足元を優しく包むはずだった赤い絨毯は、投げ捨てられたように通路の端で裏返っていた。
足場の悪さに注意しているため、立ち止まる事もあったが、それでも進むペースは悪くない。
下から来る水にも追いつかれていないので、まだ時間に猶予はあった。

この状況下でのマイクの苛立ちは、さっき自分を脅したラクエルに対してのものが大きかった。
子爵家当主である自分が、小娘にナイフで斬られ脅されたのだ。
一旦は恐怖し委縮してしまったが、まるで遠足気分で子供とペチャクチャ話している姿を見て、マイクの怒りの導火線に再び火が付いたのだった。

「おい!貴様だ貴様!ちょっと腕がたつからと言って、この俺にそんな態度をとっていいと思ってるのか!?俺は貴族なんだぞ!貴様のような平民とは住む世界が違うんだ!そこの母親もさっきノロノロして俺の邪魔をしたんだからただですむと思うなよ!娘も同罪だ!分かったか!」


マイクの怒鳴り声を背中に浴びて、ラクエルは立ち止まった。
自分の肩に腰を下ろしているエマの脇を掴んでそっと下ろすと、その頭を優しく撫でる。

「お・・・お姉ちゃん・・・」

マイクの怒声ですっかり怯えてしまったエマを見て、ラクエルはリリアに、頼むね、とだけ告げた。

その時のラクエルの表情に、リリアは背筋が凍り付く思いだった。


殺す・・・


それは混じり気の無い純粋な殺気だった。

その目に睨まれれば動く事さえできずに命を絶たれる。
そう思わせる程に冷たい目と、研ぎ澄まされた殺気に、リリアは何も言えずただ黙ってその場に立ち尽くす事しかできなかった。


その場の誰もが、ラクエルから目を離しはしなかった。
だが、誰一人としてラクエルの動きを追う事はできなかった。

次にラクエルの姿を目にしたのは、ラクエルがマイクを後ろから組み伏せ、その頬にナイフの刃を当てているところだった。


「・・・アタシさぁ、黙ってろって言ったよね?聞く耳持たないんなら、これいらないよね?」

腹の底に響くような低い声は、マイクは震え上がらせるには十分だった。

「ひぃっ!」

鋭い痛みに体がビクリと反応する。
自分の右の頬を伝い、口の中に流れ込んでくる生暖かい液体がなにか分かり、マイクは体を強張らせた。

「でっけぇ耳たぶ・・・このまま落としてやろうか?」

「お、俺に、こ、こんな事して、た、ただですむと、お、思ってるのか!お、俺は子爵・・・」


「なんで自分は生きて帰れるって思ってんの?」


「ウ、ギャアアアアアアーーーーッツ!」

真っ赤な血と共に、マイクの右耳が宙に飛び散った。

強烈な痛みが脳天に突き刺さり、マイクの絶叫が響き渡る。

耳を切り取られ、マイクはようやく理解した。
自分がどれだけ危険な人間を相手に、からんでいたかという事を。

「ひ、ひぃぃ、だ、だずけ、て・・・」

脂汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で命の懇願をするが、ラクエルは眉一つ動かす事はなかった。

「じゃあね、次はマシな人間に生まれ変われるといいね・・・」

「待って!殺しちゃ駄目だラクエルさん!」

ナイフを逆手に持ち直し、マイクの首に押し当て、突き刺そうと力を込めた時、フランクが声を上げてラクエルを止めた。

「・・・なに?」

「う・・・ま、待ってくれ。ラクエルさん、殺しちゃ駄目だ・・・そりゃ、マイクさんの言い方は悪かったけど、殺しちゃいけない」

「なんで?こいつはエマとママさんに危害を加えると予告していた。将来に不安の種は残しておけないよね?あの時殺しておけばって後悔してからじゃ遅いんだよ?分かる?」

ラクエルに睨まれ、フランクは後ろに下がりたい欲求をこらえるのに精いっぱいだった。
フランクは船乗りとして体を鍛えていた。軍人でもない体力型としては、十分に強い部類に入る。

だが、目の前の金色の髪をした自分より年下の女性は、自分なんて足元にも及ばない程の戦闘力を持っている。
フランクは自分にできる事は、言葉を選んで話す事だけだと理解した。

「・・・エマちゃんとリリアさんのために怒ったのか・・・ラクエルさん、あなたはとても優しい人なんだね」

「あ?・・・優しい?アタシが?」

「うん。だってそうだろ?自分で言ったじゃないか?二人に危害を加えようとしたからって」

フランクが静かに笑うと、ラクエルは口を閉じてフランクを睨むように見つめた。


「ラクエルさん、どうかナイフを収めてくれないか?マイク様もさすがに懲りたろう・・・もう充分だよ。あなたは本当はとても優しい人なんだ。一緒に行こう・・・」

自分の言葉がラクエルに届いている。
悩むように俯き、眉根を寄せるラクエルを見て、フランクは説得が通じていると確信を持った。

そしてフランクはラクエルに歩み寄り、手を差し出した。
ラクエルは少しの間その手を見つめ、やがて手を重ねた。


「・・・まぁ、アタシも・・・ちょっとやりすぎたかなって思ってたし?このくらいで勘弁してやってもいいかなって・・・」

「うん、このくらいで許してあげてよ」

ラクエルの説得がスムーズにできた事に、フランクはほっと息を付いた。

「・・・でも、さ・・・」

しかし、説得が成功し安堵の表情を浮かべるフランクとは逆に、ラクエルの表情は雲り、陰を落としていた。

ラクエルのその金色の瞳は、フランクの背中に隠れているエマへと向けられていた。
しかし怯えているのか、ラクエルが呼びかけても、フランクの腰にしがみついて顔を見せようとしない。

「エマ・・・あ、ははは・・・そう、だよね・・・やっぱり、怖がらせた、よね・・・ははは、いいんだ。うん・・・そうだよね」

頭をかいて、ポツリポツリと冗談めかして言葉を口にするラクエル。
その表情にはあきらめと悲しみ、二つの感情が入り混じって見えた。

「あのさ、フランク・・・ここからはアタシ一人で行くよ・・・エマと、ママさんの事、頼んだね・・・」

ラクエルはフランクから手を離した。

「ま、待って!」
「待ってください!」

ラクエルはそう言い残し、フランクとリリアが呼び止めるのも聞かずに、足早にフランク達の横を通り抜けた。


その時・・・一陣の風と共に、なにかがラクエルの後を追うように駆け抜けた。

風切り音と共に、ラクエルの背中に振り下ろされるダガーナイフ。

しかし殺気を感じ取ったラクエルは不意打ちにも反応し、振り向き様に同じくナイフでその攻撃を受け止めた。


「・・・赤毛の女、久しぶりじゃん?・・・アタシ、今機嫌悪いから手加減できないよ?」

「城で会って以来だな?魔道剣士ラクエル・・・悪いが、一瞬で決めさせてもらうぞ」


レイチェルとラクエル、二人の視線が交差する。

突如冷たい空気がレイチェルの頬を撫でた・・・
そしてラクエルのナイフと攻めぎ合う、レイチェルのダガーナイフが氷漬けになった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幼少期に溜め込んだ魔力で、一生のんびり暮らしたいと思います。~こう見えて、迷宮育ちの村人です~

月並 瑠花
ファンタジー
※ファンタジー大賞に微力ながら参加させていただいております。応援のほど、よろしくお願いします。 「出て行けっ! この家にお前の居場所はない!」――父にそう告げられ、家を追い出された澪は、一人途方に暮れていた。 そんな時、幻聴が頭の中に聞こえてくる。 『秋篠澪。お前は人生をリセットしたいか?』。澪は迷いを一切見せることなく、答えてしまった――「やり直したい」と。 その瞬間、トラックに引かれた澪は異世界へと飛ばされることになった。 スキル『倉庫(アイテムボックス)』を与えられた澪は、一人でのんびり二度目の人生を過ごすことにした。だが転生直後、レイは騎士によって迷宮へ落とされる。 ※2018.10.31 hotランキング一位をいただきました。(11/1と11/2、続けて一位でした。ありがとうございます。) ※2018.11.12 ブクマ3800達成。ありがとうございます。

異世界に追放されました。二度目の人生は辺境貴族の長男です。

ファンタスティック小説家
ファンタジー
 科学者・伊介天成(いかい てんせい)はある日、自分の勤める巨大企業『イセカイテック』が、転移装置開発プロジェクトの遅延を世間にたいして隠蔽していたことを知る。モルモットですら実験をしてないのに「有人転移成功!」とうそぶいていたのだ。急進的にすすむ異世界開発事業において、優位性を保つために、『イセカイテック』は計画を無理に進めようとしていた。たとえ、試験段階の転移装置にいきなり人間を乗せようとも──。  実験の無謀さを指摘した伊介天成は『イセカイテック』に邪魔者とみなされ、転移装置の実験という名目でこの世界から追放されてしまう。  無茶すぎる転移をさせられ死を覚悟する伊介天成。だが、次に目が覚めた時──彼は剣と魔法の異世界に転生していた。  辺境貴族アルドレア家の長男アーカムとして生まれかわった伊介天成は、異世界での二度目の人生をゼロからスタートさせる。

召喚魔法使いの旅

ゴロヒロ
ファンタジー
転生する事になった俺は転生の時の役目である瘴気溢れる大陸にある大神殿を目指して頼れる仲間の召喚獣たちと共に旅をする カクヨムでも投稿してます

神々の間では異世界転移がブームらしいです。

はぐれメタボ
ファンタジー
第1部《漆黒の少女》 楠木 優香は神様によって異世界に送られる事になった。 理由は『最近流行ってるから』 数々のチートを手にした優香は、ユウと名を変えて、薬師兼冒険者として異世界で生きる事を決める。 優しくて単純な少女の異世界冒険譚。 第2部 《精霊の紋章》 ユウの冒険の裏で、田舎の少年エリオは多くの仲間と共に、世界の命運を掛けた戦いに身を投じて行く事になる。 それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。 第3部 《交錯する戦場》 各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。 人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。 第4部 《新たなる神話》 戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。 連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。 それは、この世界で最も新しい神話。

だって私、悪役令嬢なんですもの(笑)

みなせ
ファンタジー
転生先は、ゲーム由来の異世界。 ヒロインの意地悪な姉役だったわ。 でも、私、お約束のチートを手に入れましたの。 ヒロインの邪魔をせず、 とっとと舞台から退場……の筈だったのに…… なかなか家から離れられないし、 せっかくのチートを使いたいのに、 使う暇も無い。 これどうしたらいいのかしら?

【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?

歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。 それから数十年が経ち、気づけば38歳。 のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。 しかしーー 「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」 突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。 これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。 ※書籍化のため更新をストップします。

元34才独身営業マンの転生日記 〜もらい物のチートスキルと鍛え抜いた処世術が大いに役立ちそうです〜

ちゃぶ台
ファンタジー
彼女いない歴=年齢=34年の近藤涼介は、プライベートでは超奥手だが、ビジネスの世界では無類の強さを発揮するスーパーセールスマンだった。 社内の人間からも取引先の人間からも一目置かれる彼だったが、不運な事故に巻き込まれあっけなく死亡してしまう。 せめて「男」になって死にたかった…… そんなあまりに不憫な近藤に神様らしき男が手を差し伸べ、近藤は異世界にて人生をやり直すことになった! もらい物のチートスキルと持ち前のビジネスセンスで仲間を増やし、今度こそ彼女を作って幸せな人生を送ることを目指した一人の男の挑戦の日々を綴ったお話です!

転生先ではゆっくりと生きたい

ひつじ
ファンタジー
勉強を頑張っても、仕事を頑張っても誰からも愛されなかったし必要とされなかった藤田明彦。 事故で死んだ明彦が出会ったのは…… 転生先では愛されたいし必要とされたい。明彦改めソラはこの広い空を見ながらゆっくりと生きることを決めた 小説家になろうでも連載中です。 なろうの方が話数が多いです。 https://ncode.syosetu.com/n8964gh/

処理中です...