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612 迫り来る音

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「オ・・・・ゴ・・・・・」

「ハァ・・・ハァ・・・オアァァァァァッツ!」

プラットの手斧がディリアンの頭を叩き割る寸前で、ビリージョーの右の拳がプラットの左頬を殴りつけた。
そのまま声を張り上げ、左足を振り上げてプラットの顔を正面から蹴り抜く。
感触で鼻の骨を砕いた事は分かった。プラットは両の鼻の穴から血飛沫を飛ばし、よろよろと後ろに下がる。手すりは無く、あと数歩下がれば階下まで落下する事になる。

ビリージョーは躊躇わなかった。

蹴り抜いた左足を腰の高さまで戻すと、右足で床を強く蹴り、そのまま足元も定まらないプラットの胸板を、左の前蹴りで撃ち抜いた。

宙に飛ばされたプラットは、そのまま重力に従い真っ逆さまに階下に落ちて行った。



「ハァッ・・・ハァッ・・・」

プラットが落下した事を見て、ビリージョーは膝を着いた。
体中傷だらけだった。肩も腕も胸も腰も腿も、全身の肉が削ぎ取られて、血だらけだった。
呼吸が荒いのは精神的なものだけでなく、出血と痛みによるところも大きい。

「うっ、ぐぅ・・・ハァッ、ゼェッ・・・なんとか、間に合ったか・・・」

ビリージョーはどんなに力を入れても、体を固める灰を砕く事はできなかった。

だからビリージョーは灰を砕く事は諦めた。
肉を削ぎ取られながらも、力まかせに無理やり腕を、足を抜き取り、そして駆けた。

震える両手を見つめ、自分がどれだけムチャをしたのか理解する。
だが、それよりも今は一刻でも早くディリアンを手当てしなければならない。

後ろで倒れているディリアンに近づき、その状態を見て、ビリージョーの顔が険しくなった。

何度何度も殴られた事で、中世的で綺麗だった顔は腫れあがり、切れた瞼や唇、鼻からの出血で血まみれになっていた。顔だけじゃなく、おそらくは体中あざだらけになっているだろう。

「・・・ひでぇ・・・ディリアン、今助けてやるからな」

ビリージョーは腰に下げた革の巾着から、鉄製の筒を取り出すと、ディリアンの頭を慎重にそっと持ち上げ、中身の液体を少しづつ口に流し込んだ。

「飲めるか?・・・ちょっとづつでいい、なんとか飲み込め」


口の端から少し薬が流れ落ちるのを見て、ビリージョーは状況が思った以上に深刻だと悟る。
飲み込む力も残っていないのか?

「・・・おい!ディリアン!しっかりしろ!お前はこんなとこで終わる程やわなヤツじゃないだろ!起きろ!飲むんだ!」


ビリージョーの叫びが聞こえたのか、僅かにディリアンの喉が波打つ。

「お・・・そうだ!飲め、もっと飲め!いいぞ、頑張れディリアン!」

少しづつ、ゆっくりと口に流される液体を飲みこむディリアンを見て、ビリージョーの表情にやっと安堵の笑みが浮かんだ。

一口に回復薬と言っても、店によって効果はもちろん、売り方も様々である。
レイジェスでは透明な小瓶に入れて販売しているが、今回ビリージョーはアラルコン商会で買った回復薬を、自分で用意した鉄の筒に入れ替えて持ち運んだ。戦闘になった場合、瓶では割れる恐れがあるからである。
そして効果だが、アラルコン商会はロンズデールで一番の品質を持つ回復薬を用意している。
一本分を飲み干すと、少しだがディリアンの呼吸が落ち着き、腫れた瞼が少し開いてディリアンの意識が戻った。これまで見た中で一番の即効性に、ビリージョーは感嘆の息を漏らした。

「・・・おい、大丈夫か?頭痛くないか?」

意識は戻ったが、まだ少しぼんやりとしているのだろう。
少しの間虚空に目を彷徨わせていたが、やがて焦点が定まると、ディリアンは小さく口を開いた。

「・・・あ・・・ツ」

何か言おうとして、口を押さえる。何本も歯が折られ、唇も口内も切れているのだ。
話す事ができないのだろう。

「いい、無理に話すな。危険なところは脱したと思うが、お前は重症も重症だ。早くヒールをかけなきゃならない。白魔法使いのサリーを探そう。シャクールと一緒なら、きっと無事だ」

意識が戻ったばかりのディリアンは、現在の状況を全てを理解はできていない。
だが、体の痛みが、自分が今どんな状態かを教えてくれる。

この体ではなにもできない・・・・・

そう理解したディリアンは、黙って頷く事で、ビリージョーに全て任せる意思を示した。

「よし、じゃあおんぶす・・・!?」


ディリアンの体を起こし、背中に背負おうとしたその時、ビリージョーはその音に気が付いた。

壁を叩くような重い音が、足元への振動と一緒に響き伝わって来る。
そしてそれは少しづつ、徐々に大きく強くなってくるのだ。


「なんだ・・・この音は?下から、近づいて来る・・・?」


ディリアンの体を壁に寄せて、ビリージョーは吹き抜けのフロア中央に体を向けて構えた。
そこはついさっき、カレイブ・プラットを蹴り落とした場所だ。
いかに体力型とは言え、あれだけのダメージを負った状態で、数メートルの高さから落下すれば、まず助からないだろう。
命が残ったとしても、動けるはずはない・・・・・

しかし、足元に伝わる振動、そして階下から近づいて来る重く響く音に、ビリージョーはまさかと思わずにはいられなかった。

ゴクリと飲み込んだ唾の音が、やけに大きくハッキリと脳に伝わる・・・・・


そしてソレは姿を現した



「・・・まさか・・・壁を歩いて来たのか・・・どうやって?」


最初に見えたのは靴の裏だった。
そしてそのまま膝を曲げ、踏みつけるように床を踏むと、振り子のように上半身が持ち上げられる。

ソレは血濡れのカレイブ・プラットだった。

右腕はダラリと下がっている事から、おそらく上げる事ができない状態なのだろう。
左手に手斧が握られている事から、プラットが手を使わず、足だけで壁を上ってきたという証明になった。

憤怒、憎悪、怨恨、あらゆる負の感情を乗せたその形相に、ビリージョーは一瞬だが怯んでしまった。

なんて顔してやがる・・・これが人間の顔か!?


「ウガァァァァァァァーーーーーッッッツ!」


咆哮!
潰された喉の奥底から絞り出した、手負いの獣の最後の絶叫!

手斧を振り上げて突進してくるプラット。その気迫はビリージョーを下がらせ、先手を奪うに十分足り得るものだったが、そのダメージは隠しきれなかった。

ディリアンの魔力の糸に、筋繊維を切られ骨を砕かれる程締め上げられ、ビリージョーには階下にまで蹴り落とされた。そのダメージは気迫で埋められるものではない。


・・・遅い、精神力でカバーしきれない程、肉体は甚大なダメージを負ってるんだ。

だったら、こいつでキッチリ止めをくれてやる!

腰に下げたナイフを抜き取る。
前長30cm、刃渡り20cm、両刃のダガータイプのナイフである。
右手の指先で器用に回し逆手に持つと、プラットの喉元に狙いを付ける。

「ウォォォォォーーーッツ!」

ビリージョーも前に出た!
頭に振り下ろされるプラットの手斧を、身体を回し躱すと、そのまま更に深く踏み込んでプラットの懐に入り込む。
そのままプラットの喉元を切り裂こうとナイフを振るうと、プラットは大きく飛び上がった。
そして空中で体を前方回転させると、両足を天井に向かって蹴り付ける。


「くっ!」

それは最初に見た光景と同じだった。
何らかの魔道具だろう。プラットはまるで根を張ったように天井に足裏をくっつけ、そのままこちらを見下ろすと、ベストのポケットから、またも黒く小さな球を取り出した。

灰の球。
最初にビリージョーを固めて、動けないように固定した魔道具である。

ニヤリと薄く笑うと、プラットは目下のプラットに向かって灰の球を投げ落した。

灰の球の発動条件は一つ。
投げる前に球がへこむ程に強く掴む。五秒後にそれは灰となってしまうため、投げるタイミングは慎重に見極める必要がある。

球にひびが入り砕けると、灰の雨がビリージョーの頭に降りかかる。

一目で躱す事はできないと悟ったビリージョーだったが、この時ビリージョーもプラットも予想だにしない現象が起きた。
なんとビリージョーの頭の上に青く輝く結界が張られ、頭に落ちて来るプラットの灰を防いだ。


こ、これは・・・くっ・・・ディリアン!

振り返りはしなかった。だが、ディリアンが結界を飛ばして護ってくれた事だけは確信していた。

ばか野郎!お前の方がずっと重症なのに、俺なんかに魔力を使いやがって!
だけど・・・ありがとうよ・・・

おかげで・・・・・

「こいつを斬る事ができる!」


ビリージョーは顔を上げてその場で跳躍した。

まさか結界で防がれるなんて考えもしなかったプラットに一瞬の隙ができる。
そしてビリージョーには、その一瞬で十分だった。


微かに聞こえる風切り音・・・・・ビリージョーのナイフが、プラットの喉を切り裂いた。
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