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606 優しさと迷い

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間合いがまるで違った。

今更ながらに気付いたが、リコ・ヴァリンの遠距離からの攻撃は、伸縮自在な武器によるものではない。おそらく武器の正体は透明な剣。そして攻撃手段は剣を振るう事によって、衝撃波のように斬撃を飛ばしているんだ。

目算だが、リコ・ヴァリンと俺との距離は、およそ5~6メートル。
なじみのあるこの距離間は、ボクシングのリングの端と端くらいだ。
それだけ離れているのに、攻撃を当て放題のリコ・ヴァリンに対して、俺はやっと距離を詰めて拳を振ろうとしても、その時すでに、そこにその姿はないのだ。

このままでは負ける。

誰が見てもそう思うだろう・・・・・


相手のペースに巻き込まれたなら、立ち止まってけんに回れ。
それは村戸さんが俺に教えてくれた事だった。

格上の相手との試合でも、俺はそうして勝ってきた。

どんな強者でも必ず固有のリズムがある。俺は、リコ・ヴァリンには正面から向かっても、絶対に捉えきれないと早い段階で悟った。
だから攻撃は当たらないものと割り切って、リコ・ヴァリンの動きを見る事に重点を置いた。


どの程度まで近づけば動くのか?
俺の後ろに回るまでにかかる時間は?
背後から直接攻撃をする時は、どこを狙ってくるのか?

それら全てを見極めるために、百を超える斬撃を受け続け、ずいぶんボロボロにされたものだ。
上半身は裸に近いほど服を破られ、両手のグローブは、革の下の鉄糸が完全にむき出しになっていた。致命傷こそ避けてはいたが、頬も肩も胸も全身に裂傷を負った自分の体を見て、自嘲気味に笑いがでた。


だが、それが報われる時が来た。

「オラァァァァッツ!」

守りを固めて、がむしゃらに距離を詰めて右フックを放つ。だが、俺が拳を放った時には、リコ・ヴァリンは超スピードで姿を消してしまう。

問題ない・・・ここまでは計算通りだ。

ここから一呼吸の間に、高確率で背後から首を狙った斬り払いが来る。

俺の狙いはそこだ。

右フックの空振りは狙い通り。したがって体勢を崩す事はない。
そのまま頭二つ分腰を落とすと、直後に頭上を風切り音が通り過ぎる。

腰を落とすと同時に、背後の敵に対して背中を向けたまま、後ろに向かって強く床を蹴った。
そのまま一連の流れで腰を捻ると、驚きに目を開いたリコ・ヴァリンを視界に捉える。

いかに素早かろうが、剣を振り切った直後では、次の行動に一呼吸必要である。

この硬直時間が俺の勝機だ!
この一瞬のために、ここまで耐えてきたんだ!


左手を伸ばし、リコ・ヴァリンの右手首に手をかける。

掴んだ!これで武器は封じた!このまま倒して抑え込む!



腕力では俺が上だ。だから掴んでしまえば、それで勝利だと思った事が慢心だったのだろう。


「きっと、キミはとても優しいんだろうね。だって、私を殴らないで抑え込もうとしたでしょ?でも、殺し合いに男も女もないんだよ?キミは優しいから負けたんだ」


リコ・ヴァリンの左手に光る何かが、俺の右脇腹を刺し貫いていた。

「・・・ぐっ、ま、さか・・・」

刺された事を認識すると、耐えがたい程の痛みが脳に突き上がってくる。

これまでずっと右手で剣を振るってきていたはずだ・・・なぜ・・・なぜここにきて左手に持ち替えた?

自分が刺された事は理解できる。
だが、なぜ刺されたのか理解できない事を、リコ・ヴァリンは俺の表情から読み取ったようだ。

「このまま削っていても、いずれは私が勝ったと思う。でも、いずれでは遅い。この船は数時間のうちに沈むけど、このフロアが水で埋まるのには、そう時間はかからない。そして、足場が水で埋まったら、私のスピードも少なからず影響は受ける。スピードの利が無くなれば、キミにも勝ちの目が出て来る。だから、そうなる前に決める必要があった。キミが私の行動パターンを読んでいる事は分かってた。だから私は背後からの一撃はずっと首を狙っていた。そしてキミは罠にかかった。キミが仕掛けてくるのは気配で分かった。だから今回は右手を振った後、すぐに剣を左手に投げ渡した。そして刺したってわけ・・・キミ、けっこう強かったよ」


「・・・うっ、ゲホッ!つ、まり・・・俺は、踊らされていた・・・わけか・・・」

鉄臭いものが喉の奥から込み上げてきて、俺はその赤い流動体を口から吐いた。
リコ・ヴァリンの胸に血がかかるが、その紫色の瞳は体に血がかかる事など、まるで気にも留めずにじっと俺を見つめ、言葉を返して来る。

「うん。そうだよ。でもね最後の時、後ろに飛んだ瞬発力、それと私の腕を掴んだ左手の速さ。あれは私の想定を超えていた・・・ねぇ、なんで殴らなかったの?掴めたのなら殴れたはずだよ。そうすれば、倒れていたのは私だった」


リコ・ヴァリンの左手に力がこもるのが、脇腹に刺さった剣を通して感じられた。
声が僅かに固く聞こえるのは、怒りだろうか。


「・・・別に・・・理由、なんて・・・ただ、殴らずに、終わりに、できる、なら・・・その方が、痛くなくて、いいだろ?」

脇腹の焼けるような痛みに顔が歪む、そろそろ立っているのも辛くなってきた。

もう戦う力は残っていない。
けれど、なんとか生き延びなければ・・・必ず生きて帰ると約束したんだ。
どんな絶望的な状況でも、決して諦めてはいけない。

俺の腹に剣を刺すリコ・ヴァリンの左手を掴む。
力が入らないが、それでもこれを抜いて、反撃しなければこのまま殺されるだけだ。

「・・・キミは・・・この状態でも殴らないの?」

リコ・ヴァリンが何かを言っているが、もう耳に入っても頭には入ってこない。
剣を抜くんだ。そして距離をとって、カチュアの傷薬を塗り血止めをする。
この状況ではとても現実的ではないかもしれないが、できる事が他になにも思いつかない。



「どうしたリコ!止めを刺すんだ!」

アラタの腹を刺したまま、なぜか動きを止めているリコ・ヴァリンに、ダリル・パープルズの激が飛んだ。

「・・・ごめんね」
「ぐぁっ!」

リコ・ヴァリンは右手でアラタを押し、左手脇腹を刺す剣を引き抜いた。

力無く倒されるアラタに、リコ・ヴァリンは鮮血滴るガラスの剣の切っ先を向ける。
透明でほとんど見えなかった剣も、今は赤く染まりその形を教えている。


「・・・大臣の命令には従わなきゃいけない。残念だけど、死んでもらうよ。最後にキミの名前を教えてくれないかな?」

僅かな躊躇いがその瞳には見える。
感情表現に乏しいが、自分の意思が無いわけではないようだ。
リコ・ヴァリンは、アラタをできれば殺したくないと思っている。
しかし、大臣の命令であれば、それは命令が優先される。


「・・・サカキ・・・アラタだ・・・」


・・・・・刺された脇腹の強い痛みに、アラタはもはや立つ事さえ困難になっていた。

問われるままに名前を告げたのは、観念したからか・・・それとも・・・・


「サカキ・アラタ・・・うん、分かった。強く優しい男だった。キミの事は忘れない」

ガラスの剣を振り上げる。

そしてリコ・ヴァリンがアラタの首筋目掛けて振り下ろしたその時・・・・・

「ッ!?」

リコ・ヴァリンは自分に向けて投げつけられた何かを感じ取り、自分の頭の上に向けて、血に染まったガラスの剣を振るった。
飛ばされた斬撃が、自分を狙った何か・・・鉄の棒にぶつかり弾き飛ばした。


「チッ、勘の良い姉ちゃんだな!」

声の主は上の階から飛び出すと、弾き飛ばされてクルクルと宙を舞う鉄の棒を掴む。

「アラタ!大丈夫か!?」

後ろにまとめて縛られた真っ白い髪。
190cmはありそうな背丈と、服の上からでも一目で体力型と分かる程、鍛えられた筋肉。

上の階からアラタの前に降り立ったその男は、デヴィン・ガラハド。
今回アラタとコンビを組んでいたが、船が転覆した際にはぐれてしまった男だった。
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