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585 クルーズ船出航の日

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12月12日 クルーズ船当日。

港では、大海の船団のギルバート・メンドーサ号の前に、噂の大型客船を一目見ようと大勢の人々が集まっていた。

大型客船ギルバート・メンドーサ号は、大海の船団の持てる全ての造船技術、大量の資金と人員を投入して造り上げた船である。

全長で215.2メートル。全幅25.1メートル。
旅客定員は、1等旅客 759人。2等旅客 483人。3等旅客 914人。乗組員 775人。
そして帝国の大臣およびその関係者には、一等船室より上の、特等が用意されている。

観衆の視線も好意的なものがほとんどだった。
それは船長であるウラジミール・セルヒコが、以前行った演説によって、クルーズ船への期待と関心が高まった結果である

帝国の大臣を招待してのクルーズ船は、大勢の国民に歓迎されたものでなければならない。
そう考えたウラジミールの目論見は、成功したと言っていい。

それは、豪華絢爛な客船を目にした事による、精神の高揚がもたらしたものかもしれないが、あの日のウラジミールの演説は、国王の意を汲んで、和平のためのクルーズであると強調していた。

それは歴史上戦争経験がなく、平和主義の多いロンズデール国民の気持ちを掴み、多くの支持を集める事にも繋がっていた。



「・・・すごいな。数千・・・いや、もっといるかもしれないぞ。この人だかりなら、隠れる必要もないかもしれないな」

何列にも並ぶ人波の中、俺達は船から数十メートルは後方に立ち、状況を静観していた。

「アラタ、油断は禁物だぞ。連中も私達が来る事は想定しているはずだ。計画通りにすすめる」

レイチェルは黒いキャスケットを目深に被っている。
赤い髪が目立つという理由からだ。そして紺色のダッフルコートを着て、一般人として溶け込んでいるが、コートの下は戦闘の準備が出来上がっている。

オープンフィンガーの革のグローブ。腰にはナイフを二本と、バトンを一本。
機動力が一番の武器だというレイチェルは、できるだけ重い装備はしないようにしている。
肘当てと膝当てには鉄を使っているが、鉄はそれだけである。

そして軽い上にグリップ力がある、滑りにくい愛用のブーツ。
これらの装備は、レイチェルが協会でマルコス・ゴンサレスと戦った時と同じである。


「あ、悪い。そうだよな。なんだかこの雰囲気がすごくてさ」

「あー、それは分かるかな。なんかさ、お祭り騒ぎって感じだから、こっちも盛り上がってきちゃう感じだよね」

そう話す俺に、シャノンさんも同調してきた。
普段より少し大きく声を出さなければ聞こえないくらい、周囲の盛り上がりはすごいものがある。

シャノンさんはベージュのニット帽をかぶり、シルバーグレーのファーが付いた、黒いブルゾンを着ている。

「あたしもアラルコン商会の娘だからね。こういう時、顔が広いと大変だ」

黒いサングラスを取り出してかけると、ちょっと見たくらいではシャノンさんだと分からなくなった。
どうだ?と言わんばかりにニコリと笑うシャノンさん。帽子にサングラス、まるで日本の芸能人だ。


「それにしても、あの船には貴族だけじゃなく、一般客も乗せるんだな?帝国の大臣も来るんだから、貸し切りかと思ってた」

率直な疑問を口にすると、それを拾って答えたのはシャクールだった。

「それはそうだろう。考えてもみろ?あれ程巨大な船を造るのに、どれだけの金がかかると思う?私も船は素人だが、莫大な金がかかるのは想像がつくぞ。今度はそれを動かして、船内では帝国をもてなすためのパーティーも開くそうじゃないか?一人でも多くの客を入れて、少しでも早く金を回収したいところだろう」

言われてみればその通りだ。シャクールの指摘は的を得ている。
燃料に人件費、その他諸々どれだけかかるか想像もできない程だ。帝国の人間は当然無料だろうし、そうなれば取れるところから取るしかない。部屋を余らすなんて、そんなもったいない事ができるはずがない。

今回のクルーズ船は、帝国との和平をより強固にするためとの名目だったため、ロンズデールの町の人からの注目度も高く、一般枠の三等船室も満室になったのは、ウラジミールにとって幸運だった。

「なるほど、確かにシャクールの言う通りだな」

素直にシャクールの言葉に頷いて見せる。
シャクールの隣にはサリーさんがいつものように、寄り添うように立っている。
メイド姿というのも目立つからか、今日は黒いワンピースの上に、白のボアコートを羽織っている。

「そういう事だ。お?誰か出てきたぞ。あいつは誰だ?」

船のタラップから、スーツ姿の身なりの良い男が降りて来た。
歳の頃は60に差し掛かろうというところだろう。やや細身で、端正な顔立ちをしている。
白と黒の入り混じった髪は綺麗に後ろに撫でつけられており、年齢と共に顔に刻まれていったシワは、その男の厳格さを表しているようにも見える。

「あの男が、ギルバート・メンドーサ。大海の船団のオーナーだよ。船と同じ名前でしょ?」

その男を目にすると、それまでにこやかだったシャノンさんの表情が、とたんに厳しくなった。

「え、じゃあ、あの男が大海の船団のトップ?」

「そう。ワンマンで冷血漢のクズ野郎だよ。帝国の大臣が来るし、自分の名前を付けた船の処女航海だからね、やっぱり来たか」

シャノンさんは大海の船団のオーナーには、かなり嫌悪感を持っているようだ。
そう言えば、昔大海の船団で働いていたというミゼルさんも、待遇の悪さにグチを言っていたな。
日本で言うところの、ブラック企業なのかもしれない。


タラップを降りた大海の船団のオーナーは、集まった人々へ挨拶をすると、船を造るための苦労、このクルーズ船への想いなどを演説し始めた。


「・・・と。いう訳であります。では、私からの話しはこのくらいにして、このクルーズ船の特別なお客様をご紹介しましょう。ブロートン帝国大臣、ダリル・パープルズ様です!」

本日一番の歓声が上がり、思っていた以上に帝国が歓迎されている事に驚きも感じ得た。

ロンズデールでは、帝国が優遇されている。
帝国の人間というだけで、物を安く買えるし、宿にも安く泊まれる。
露骨な帝国贔屓のせいで、国民感情は帝国に対して反発しかないと思っていたからだ。

「意外だな、こんなに歓迎されてるなんて・・・」

「あぁ、そりゃあね、商売人以外は別に被害を受けてるわけじゃないからね。ちょっと面白くないなって思うくらいはあるだろうけど、今日はお互いの国の発展とか、繋がりを強くするためって名目だからね。細かい事をどうこう言うより、これからのために歓迎しようって気持ちになってるんじゃないかな」


「・・・出て来たぞ。あれが噂の大臣か・・・」

標的を見ろと言うように、ビリージョーは全員に聞こえるように言葉を発した。

船の前に姿を現したその男こそ、ブロートン帝国大臣ダリル・パープルズ。
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