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557 仇

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オズベリー・ベナビデス。
ベナビデス公爵家の当主、トレバーの父である。

オズベリーには、トレバー以外にも二人の息子がいるが、長男のトレバーを殊更深く溺愛していた事は広く知られている。
そのトレバーを亡くしたオズベリーの悲しみは如何ばかりか。

それは、肉付きの良かった頬がげっそりとコケ、血色の良かった肌はカサカサと乾き、薄くなり白い物ばかりになった頭髪、そして落ちくぼんだ眼下から覗く、生気を失い淀んだ目が物語っていた。

「・・・ビリージョー・・・何をしにここへ来た?」

腹に響くような低く重い声だった。
通路の丁度真ん中に立ち、訝し気にビリージョーを見るオズベリー。

かつての面影が無いとまでは言わないが、そのあまりの変わり様に、ビリージョーは言葉を失っていた。

クインズベリー城を出て10年。
10年あれば人が変わるには十分な時間である。かつては肥満と言われてもおかしくなかった体付きが、別人のように小さく細くなっていたとしても不思議ではない。

だが、目の前に立つ老人の変化は見た目だけのものではなかった。

もっと根源的な・・・そう、人間を形作るなにか、魂とでも言おうか・・・それそのものが変わったように思える程の変貌だった。

185cm程ある長身のビリージョーとは、背丈で30cmは差があるだろう。
しかし、声をかけられるだけで、まるで臓物を握られるような、腹にくる圧迫感。
立っているだけで冷や汗をかかされるこの恐ろしい圧力はなんだ?

投げかけた問いにいつまで答えないビリージョーに、オズベリイーは舌打ちをすると、その一歩後ろに立つアラタとレイチェルにジロリと目を向けた。

「貴様らは?」

たった一言、簡潔な問いかけだった。
だが、その言葉を浴びせられたアラタとレイチェルにも、ビリージョーが感じたものと同等の、強い不快感、重圧、息苦しくなる圧迫感が、肩に背中にのしかかった。

「・・・私は、レイチェル・エリオット。この者はサカキ・アラタと申します。先の偽国王の件で、女王陛下に謁見に参りました」

こめかみを伝い落ちる一筋の汗が、顎の先から滴り落ちる。
それを拭う事もせず、まっすぐにオズベリーの目を見たまま、言葉を返したレイチェルの胆力は、流石と言う他ない。

「ほぅ、耳に覚えのある名だ。サカキ・アラタ・・・マルコス・ゴンサレスを倒し、此度は国王に化けた不埒者さえ討ったそうだな・・・・・大した力だ」

「は、はい・・・ありがとうござい・・・」


「その力で我が息子も殺したのか?」


「うッ・・・・!」

突如、アラタの体が見えないなにかで締め上げられる。
全身に力を入れて抵抗しなければ、握り潰されると生命の危機を覚える程の圧力に、歯を食いしばり耐える。

「ベナビデス卿!なにをする!?」

レイチェルが声を上げる。
見えない攻撃について、オズベリーの仕業と明確に非難したのは、オズベリーがアラタに対して、右手を向けていたからである。丁度、何かを握るように指を曲げて。

「ワシの息子・・・トレバーの無念と苦しみの、ほんの一欠片でも味わわせてやる」

オズベリーはアラタだけを見ていた。
怨嗟の念に憑りつかれたように、その落ちくぼみ暗く濁った眼には、そこの知れない憎しみしか見えない。

「くそっ!」

自分の言葉がまるで届いていない事を察し、レイチェルが床を蹴ったその瞬間、レイチェルよりも一歩先んじて前に出た男がいた。

「やめろ!」
「ぐっ!」

ビリージョーである。
公爵家当主のオズベリーを羽交い絞めにして、アラタへ向けていた右手を反らさせると、まるで縛られていたなにかが解けたように、アラタはその場に崩れ落ちて膝を着いた。

「ウッ・・・ゲホッ!ゲホッ!」

「アラタ、大丈夫か!?」

胸に手を当て咳き込むアラタに、レイチェルが駆け寄った。
一先ずオズベリーはビリージョーが押さえた。ならば自分はアラタの状態を確認しておくべきだ。

「ハァッ・・・ハァッ・・・な、なんだ今のは?」

「店長から聞いた事がある・・・魔道具、見えざる手。その名の通り、見えない手で相手を掴むやっかいな魔道具だ。使い手の魔力に比例して、強さと大きさを変えるそうだが、まさかベナビデス卿がその使い手だとは思わなかった」

「見えざる・・・手?・・・なるほど、確かに、な・・・」

荒い呼吸が落ち着いて来て、考える余裕が生まれてくる。
自分の体を締め上げていたものの正体、それが目に見えない巨大な手だと言うのならば、なるほど、その通りだと思った。

腕を、腹を、腰を、足を強烈に締め上げられた感触を思い起す。
体の右半身と左半身を比べた時、左半身にかかる圧力の方が、肩から膝下まで、ほぼ半身全てを覆う程の広い範囲だった。

それに反して体の右半分は、腰から胸にかけての上半身だけにしか圧力がかからず、右足は自由に動かす事ができた。この体にかかった負荷の場所から想像できる事、敵の見えざる攻撃の正体が、人の手。五本指による握りだという事は、レイチェルの説明通りにイメージし、形作る事ができた。

「アラタ、ダメージは?」

「少し、痺れているが、大丈夫だ・・・けど、あの圧力は・・・レイチェル、掴まれれば、キミでも抜けられないかもしれないぞ。気を付けろ・・・」

レイチェルが非力というわけではない。だが、単純に腕力だけを見るならば、男性であるアラタの方が上である。光の力を使わなかったと言っても、そのアラタが防御に全力を使い、かろうじて耐えられた
握り締めに、レイチェルが耐えられるかと聞かれれば、アラタの答えは否だった。

「あぁ、確かにアレに掴まるのマズイな。それと、見えざる手は魔力の高さに比例すると言っただろ?気を付けるのは見えざる手だけじゃない。公爵の魔法にもだ」

レイチェルはまだダメージの残るアラタの前に立つと、ナイフこそ抜かなかったが、右半身を後ろに引き、軽く握った左手を前に出し構えた。

「アラタ、ベナビデス公爵は黒魔法使いと聞いた事がある。見えざる手の強さを考えれば、相当な魔力だぞ」

「黒魔法か・・・よりによってだな」

膝に手を着き立ち上がると、アラタもまた目の前のベナビデス公爵に警戒の目を向ける。
ビリージョーが羽交い絞めにしているが、黒魔法使いと言うのであれば、その気になれば魔法で抜ける事もできないわけではない。

今、公爵が身をよじり抵抗こそしていても、魔法を使わないのは城内という事を考えての事だろう。
しかし、突然魔道具で攻撃を仕掛けてきたのだ。城内だから絶対に使わないという保証が無いのもまた事実である。

「離せビリージョー!貴様、ワシにこんなマネをしてただですむと思っているのか!?」

「公爵、落ち着いてください!なぜ彼を襲うんです!?我々は女王への謁見にきただけなんですよ!」

「こやつがトレバーを殺したのだろう!?平民風情が公爵家に手を出してなんのお咎めも無くすむわけなかろう!百回殺しても足りぬわ!」

いくらもがいても、魔法使いのオズベリーに、体力型のビリージョーの拘束は抜け出せない。
このまま押さえつけておけばいいだけである。難しい事ではなかった。
しかし、全身からアラタへの憎悪を滲ませ、呪詛と紛う程の雑言をわめき散らすオズベリーに、ビリージョーは寒気すら覚えた。

「・・・ふん、やはり貴様などさっさと始末しておけば良かったのだ。親が料理長で、陛下に気に入られていたから、面倒になるかもしれんと見逃してやったが、貴様も所詮平民だ。ワシを拘束して何様のつもりだ!自分の立場が分からんのか!?」

「な・・・そ、それは・・・どういう・・・」

ビリージョーの脳裏に、つい先刻、アラタ達へ語ったかつての、左目を失う事になった光景が蘇る。

「あぁ!?ワシが何も知らんと思ったか!?トレバーから全て聞いておるわ!貴様への監視も付けておったのだぞ?誰にも話す気はなかったようだが、いつ心変わりするか分からんからな。あの平民騎士の娘がレイジェスとかいう店で働いているそうだな?貴様の無礼な態度への制裁として、あの娘を罰してもよいのだぞ」


一瞬の怯み。
過去の心の傷に深く入りこみ、その上自分のせいでカチュアまで巻き込みかねない事態に、ビリージョーの心は揺さぶられ、オズベリーの動きを封じる両腕の力が緩んでしまった。

その隙を逃さずすり抜けたオズベリーは、憎き息子の仇に対して、再び防御不可能の見えざる手を発しようと、右手を振るおうとした・・・だが・・・


「・・・カチュアに何をするって?」

絶対の自信を持つ魔道具を発動させる事はできなかった。

アラタがオズベリーの襟首を掴み、その体を高々と宙に持ち上げていたからだ。

大切な人を護る。その気持ちの前には身分など何の意味もなさなかった。
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