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【396 樹々に囲まれた小屋の中で ⑥】

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「・・・朧気ながら見えてきた。この川沿いの道は、ブリッジャー渓谷で戦死した兵達が、あの世へと渡るために通る道なのじゃろう」

外から小屋の中を覗く兵士達。土気色のその顔には生気は無く、誰もが虚ろな表情だった。
焦点の合わない目はブレンダンとクラレッサの二人を見ているようで、全く違うどこか別なところを見ているようにも見える。

「あの世・・・死者の世界ですね」

クラレッサはブレンダンの腕に掴まりながら、自分達の目の前の死者達を見ている。

「そうじゃ。ここを死者の通り道と仮定しよう。普通は死者に遭遇する事は無い。じゃが、ワシらはなんらかの理由でここに捕らわれてしまったんじゃ」

「なんらかの理由・・・・・私達が死者の通り道に捕らわれる理由・・・もしかして」

クラレッサは一つの可能性に思い当たり、ブレンダンに顔を向けた。

「そうじゃ、ワシとクラレッサが持つ力・・・霊力じゃ」

「霊力・・・この森から出るには、霊力がカギになるのでしょうか?」

クラレッサの問いにブレンダンは、おそらく、と一言だけ返し頷いた。

この不可解な状況で考えられる事は、それしかなかった。
クラレッサにとりつく亡者、列をなして歩く兵士の霊、これらと自分達にある接点は霊力しかない。
この森から脱出するためには、霊力がカギになるとしか考えられない。

しかし、どうすればいい?
小屋を取り囲んでいる死者達に霊力をぶつければいいのか?
しかし、それで脱出できる確証はない。それに国のために戦い散った彼らに、そんなマネはとてもできない。

今現在、小屋を囲む兵士達の霊、死者達はこちらを覗き見ているだけで、小屋の中に入って来ようとする気配はない。
床下から這い出て来た亡者達も、今は姿を見せてこない。
しかしブレンダン達も現状を打破する策が見いだせず、膠着状態に陥っていた。


その時、小屋の引き戸の前から聞き覚えのある声がした。


『クラレッサ・・・・・僕だ・・・開けてくれ・・・・・』


「・・・兄、さま?」

それはクラレッサにとって忘れる事のない、たった一人の兄テレンスの声だった。






「兄様!兄様!」

結界から飛び出そうとするクラレッサを、ブレンダンは慌てて腕を掴み抑えた。

もちろんブレンダンも驚きは隠せない。
テレンスは死んだはずだと耳を疑ったが、最後の瞬間自分にクラレッサを託した男の声を聞き間違えるはずがないと、感覚的なものではあるがほぼ確信に近い印象を持った。

だが仮に、この一枚の壊れた戸を隔てた向こうにいる者がテレンスだとして、一体目的はなんだ?
あれ程妹の事だけを考え、最後には妹のために命を散らした男だったが、まさか死して恨み言を言いに来たとでも言うのだろうか?

ブレンダンは頭に浮かんだテレンスへの猜疑心を振り払った。

いいや!そんなはずはない!
テレンスとはあの場で戦っただけで、付き合いと呼べる程のものはなにもない。
だが、それでも人柄は分かったつもりだ。
テレンスは妹の幸せだけを願っている。ならば、ここに来たのも妹のために違いない。


開けてもいいだろう・・・・・


『クラレッサ・・・僕だよ・・・テレンスだ・・・開けてくれ』

「おじいさん!離してください!兄様が来てくださったんです!」


・・・一瞬手を離しそうになったが、ある疑念が頭をかすめ慌てて掴みなおした。


本当にテレンスなのか・・・?


「・・・待つんじゃ・・・あの向こうにいるのは、本当にテレンスなのか?テレンスならば開けてもよかろう。ワシもこの声はテレンスだと思う。じゃが・・・いま一つ信じきれんのじゃ。クラレッサ、落ち着いてよく見極めてくれ・・・」

真に迫る声にだった。
クラレッサも立ち止まりブレンダンに顔を向ける。


「この戸の向こうにいるのは本当にテレンスなのか?」


満足に動かす事さえできない壊れた引き戸一枚・・・・・
これがこの世とあの世を分ける境界線。

叩く事も揺する事もしてこないという事は、死者は触れる事ができないのかもしれない。
だから外にいる兵士達の霊も、穴の開いた窓ガラスから、ただじっとこちらを見ているだけなのだろう。

ブレンダンの問いかけに、クラレッサは即答できず迷いが生まれた。
声は兄そのものである。自分のために命まで失った兄が開けてくれと言っているのだ。
何も迷う必要はない。

だが一度迷いが生じると、それはクラレッサの心の枷となって残った。

ブレンダンはクラレッサが考えて出した結論ならば、どんなに疑わしくても受け入れる覚悟である。
見つめ合わせた目はそう告げていた。
クラレッサに全てを委ねたブレンダンの気持ちが伝わってきて、クラレッサは落ち着きを取り戻した。


声だけで判断するのならば、この声は間違いなく兄テレンスである。

しかしどこかが違う
なにかがおかしい
血を分けた妹だからこその直感であった

この戸の向こうに立っているものは、兄の声を使ったナニかだと・・・・・




『クラレッサ・・・・・どうしたんだ?開けてくれないのか?』




これは兄テレンスの声・・・・・あの時自分のために死んだ兄の声・・・・・

でも・・・・・兄じゃない



「・・・・・違います。あなたは兄様じゃない!兄様の声で話しかけないで!」


引き戸の前に立ち強く声を上げた。
今にも泣きだしそうな悲痛な表情で、ハッキリとした拒絶を見せた。

隣に立つブレンダンは、そんなクラレッサの心の内を察するように、静かに優しくその背中に手を当てた。

「・・・兄様じゃない・・・」

もう一度だけ、自分に言い聞かせるように小さく言葉にする。


・・・・・しばしの沈黙があった。
ブレンダンもクラレッサも、引き戸の前のナニかも言葉を発しない。
ただ、耳が痛くなるほどの静寂だけがその場を支配していた。


『・・・・・開けろ・・・開けろ・・・開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ開けろ・・・・・開けろーーーッ!』


空気が震えるような怒声は、目の前の引き戸も吹き飛ばされるのではないかと思える程大きく叩きつけた。
突然全身に浴びせられた怒鳴り声に、クラレッサの体は恐怖に委縮した。


『クラレッサ・・・一緒に行こう・・・僕と一緒にまた二人で一緒にいよう・・・さぁ、ここを開けてくれ・・・』

「・・・違う・・・絶対に違う!兄様はそんな事言わない!兄様はおじいさんに私を託したんです!あなたは兄様じゃない!兄様をこれ以上侮辱しないで!」

兄ではないと分かってしまうと、ソレはもはや得体の知れない恐ろしい声でしかなかった。
まるで体中を虫に這い回られるようなおぞましい感覚を覚え、クラレッサは両手で耳を押さえ叫んだ。


『クラレッサ!クラレッサ!クラレッサ!クラレッサ!クラレッサ!クラレッサ!クラレッサ!クラレッサ!』

「違う!兄様じゃない!違う!違う!違う!」
「クラレッサ!」

力いっぱい目を瞑り、頭を振って否定の言葉を口にし続けるクラレッサをブレンダンがかばうように抱きしめたその時、突然小屋の外が目も開けていられない程強烈に光り輝き、引き戸の前からは断末魔とでも言う程の大きな叫び声が上がった。



光が治まり二人はゆっくりと目を開ける。
突然の静けさに周囲を見回すと、さっきまで窓の外に立っていた兵士達の霊は忽然といなくなっていた。


「・・・なにが、起きたんじゃ・・・」

ブレンダンは状況が掴めずにいると、クラレッサは何かに気付いたように顔を上げ、スルリとブレンダンの腕から抜け出すと、そのまま真っ直ぐに歩き引き戸の前に立った。

「ク、クラレッサ!どうしたんじゃ?まだ開けてはならんぞ」

引き戸に手をかけるクラレッサを見て、ブレンダンが慌てて制止をかける。


「おじいさん、兄様が来てくれてました」


クラレッサは笑顔で振り返り、そのまま引き戸を開けた。
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