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【369 託した想い】

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「う・・・」

テレンスが目を開けると、夕焼けに赤く染まった空が目に映った。

「お、起きたかの?」

次いで耳に入ってきた声に、反射的に飛び起きる。
忘れるはずもない。それは今しがたまで戦っていたカエストゥスの魔法使い、ブレンダン・ランデルだったからだ。

「ほっほっほ、2時間くらい寝てたかの、まぁ大丈夫なようじゃな?クラレッサに感謝せいよ。お前さんの怪我を治したのは、妹のクラレッサじゃ」

ここが戦場である事を分かっているのかいないのか、緊張感の欠片も無いのんびりとした声色だった。

そしてブレンダンから距離をとり、今自分が置かれている状況を確認する。

さっきまで戦っていた場所からは移動しているようだ。
かと言って、この戦場でのカエストゥスの陣営でもない。

水の流れる音に振り返ると、すぐ後ろに川があった。
見上げると崖に挟まれている事が分かる。どうやら渓谷の下の川にいるようだ。

「お前さんの体が血まみれだったんでな。洗ってやらねばならんと思うて、ここまで運んできたんじゃ。ちとやり過ぎたようじゃな。あぁ、足元には気を付けるんじゃぞ。そこの川は流れが速いし深いからな」

ブレンダンは川を指して忠告をしてくる。
空を飛べる黒魔法使いには無縁な忠告であるが、ブレンダンにとってそんな理屈は関係ない。
危ない物は危ないと教える。それが子育てだった。


「ところで、お前さんはクラレッサに言うべき事があるじゃろ?お前さんに腹を殴られた妹がお前さんの怪我を治したんじゃぞ?」

続けて発せられた言葉には、ハッキリとした厳しさがあった。
そしてそこで初めて、ブレンダンの隣で足を崩す形で腰を下ろしているクラレッサに目がいった。

「なんじゃ?ワシの隣におったのに今気が付いたのか?まぁ・・・自分がおかれている状況によほど驚いたという事か・・・」

「ク、クラレッサ・・・お前、なんで?」

なんでブレンダンの隣に?
なんで戦わない?

なんで・・・・・

自分を心配そうに見つめる妹の目を真っ直ぐに見返す事ができず、テレンスはそれ以上言葉を続ける事ができなかった。




「・・・兄さま、ご無事でなによりです」

助け船という事ではない。
クラレッサは純粋に兄が目を覚ました事を喜んでいた。

「クラ、レッサ・・・」

やはりブレンダンの影響だろう。
この短い時間でずいぶんと表情が豊かになった。

自分がブレンダンに破れた事は理解した。
そして妹に自分を治療させ、カエストゥスの他の兵士がいない場所に連れて来ている事からも、害意を加える気が無い事も分かる。そもそも何かするつもりならば、とっくにそうしているだろう。

では、目的はいったいなんだ?
そう考えた時、クラレッサが思いもよらぬ事を口にした。


「兄さま、私この戦争が終わったら、おじいさんと一緒にリサイクルショップというお店で働きたいです」


一瞬、妹が何を言っているのか理解できなかった。

働きたい?言葉の意味は理解できる。
だが、クラレッサが働くという意味が理解できなかった。

そしてリサイクルショップとはなんだ?

帝国にも様々な仕事がある。
テレンスだって宝石商の父を持っていたのだ。
商売というものも分かっているつもりだ。

酒場、服屋、武器屋、宿屋、色々ある。

だが、リサイクルショップとはなんだ?

そしてなぜブレンダンと一緒に働くと言う言葉が出て来る?


「・・・クラレッサ、お前の言っている事が・・・よく分からない。働くってどういう事だ?」

戸惑いながらも疑問に感じた事をそのまま聞くと、クラレッサはまるで夢を見る様に目を細めて空を見上げると、口元には微笑みを持って答えた。


「おじいさんは孤児院の他に、要らない物を買い取って修理して販売するお店を営んでおられるそうです。それがリサイクルショップというそうです。兄さまが寝てらっしゃる間、そのお店の話しを聞いておりました。
思えば・・・父さまの宝石店も最初は楽しかったです。ハッキリとは覚えておりませんが、ガラスケースの中でキラキラ輝く宝石、それを笑顔で買っていくお客様・・・父さまも・・・お仕事に誇りを・・・もって、らっしゃいました・・・・・」


「ク・・・クラ、レッサ・・・?お、お前・・・泣いてる、のか?」


妹に残った左目から流れる一滴の涙・・・



信じられない。

あの日、父と母を殺したクラレッサの手を引いて国を出て、浮浪孤児として2年、各地を流れた。

そして10年前運良く・・・いや、クラレッサの力を考えれば、皇帝との出会いは運命だったのかもしれないが・・・

皇帝に拾われた僕達二人は、この年まで帝国の庇護の下生きて来れた。

皇帝には感謝してもしきれない。
そこに俺達の・・・特にクラレッサに対する打算があったとしても、それは当然だろう。
なんの見返りもなく、浮浪孤児二人に金をかけて世話をする理由などないのだから。

立場を考えれば、奴隷のように扱ってもいいはずだ。
だが、予想に反して僕達は大事にされていたと言っていいだろう。


しかし・・・あの日以来クラレッサが笑う事、そして泣く事は一度も無かった。


きっと、あの日クラレッサは感情を全て無くしてしまったんだ。
ずっとそう思っていた。

だけど違った・・・・・


「そっか・・・・・・・・・うん、そっか・・・・・」


「・・・兄さま?・・・なぜ泣いているのです?」


ちゃんと、感情が残ってるじゃないか・・・・・

妹の涙をそっと指先で拭ってやると、クラレッサは少し驚いたように、え?と小さく言葉をもらした。

だけどすぐに、じゃあ私も、そう言って僕の目元にその白く細い指先を伸ばす。

「クラレッサ・・・くすぐったいよ・・・」

「兄さま、我慢してください」


クラレッサ・・・お前、今笑ってるよ・・・・・


そうか・・・僕は間違っていたのかもしれないな。
妹を護る事だけを考えて生きて来た。
どんな形であれ護ってみせる・・・それだけを考えて生きて来た。

でも・・・生きるという事は、そこに喜びも楽しみもあってこそなんだ。

時には涙する事もある。
苦しくて辛い事もある。

だけど・・・・・

「クラレッサ・・・お腹、殴ってすまなかった・・・大丈夫か?」

「はい・・・大丈夫です。兄さま、私は分かってますから、お気になさらないでください」

僕が気にしないように、クラレッサに微笑みながら労わりの言葉をかけてくれる。
その優しい笑顔に胸が痛くなる。

やはり、ここから先は僕ではないな・・・


「・・・ブレンダン・・・妹を、クラレッサを頼めるか?」

「え、兄さま・・・」

「・・・うむ。もちろんじゃ。お主はどうする?」

驚くクラレッサの肩越しにブレンダンに顔を向けると、ブレンダンは意外そうな目を開いたが、すぐに温かみのある柔らかい口調で返事をくれた。

あの日、僕達が最初にブレンダンと出会っていれば・・・・・
いや、考えてもしかたのない事だ。時は戻らない。

そして皇帝には多大な恩がある。
それもまた事実だ。


「僕は帝国へ戻らなければならない。この10年、僕とクラレッサは皇帝のおかげで生きて来れた。
ブレンダン・・・このクラレッサを見て、きっとクラレッサが人間らしく生きるには、あなたが必要なんだと感じる事ができた。だからこれからのクラレッサの人生はあなたにまかせたい。
だけど、僕まで帝国を離れるわけにはいかない。皇帝に受けた恩は僕がクラレッサの分も、一生をかけてでも返さなければならない。それに、僕はカエストゥスの兵を何人も殺した。ここの指揮官もな・・・今更そっちには行けない」

クラレッサはこの戦争でカエストゥスの人間を誰一人として殺していない。
クラレッサだけなら、きっとブレンダンがなんとかしてくれるだろう。

ブレンダンは何か言いたげな顔をしたが、自分を納得させるように黙って何度か頷くと、分かった、とだけ短く答えてくれた。


「・・・確かにな。お主の殺した男、マーヴィン・マルティネスはワシの盟友じゃ・・・若い時にはよくこの国の未来について語り合ったものじゃ。そんな友を殺したお主に思うところがないかと問われれば・・・全く無いとは言えん」

「・・・あぁ、そうだろうな。だから僕は行けない」

「じゃがな・・・マーヴィンは若者の未来を常に考えておった。お主がマーヴィンとの戦いで、何か一つでも感じ取ってくれておったら・・・お主が歩む道を正そうとしてくれれば、ヤツも本望じゃろうて。そして辛く険しい道じゃが、お主が生きて償いをしたいと言うのであれば、ワシはいくらでも力になるぞ」


これは帝国からの侵略戦争だ。
多くの血が流れた。改心したと言っても割り切れないところはどうしてもある。
だが、長い時間をかけても償いに生きる事はできる。


「ブレンダン・・・・・あぁ、もし僕にその道が残っていたら・・・その時は・・・」


その時は僕も一緒に・・・・・


差し出した手を見て、ブレンダンは少し驚いたように目を開いた。
でも、すぐにニコリと笑って僕の手を取ろうと手をのばす・・・・・



その時、ブレンダンとテレンス、二人の間を引き裂くかのような鋭い炎が上空から走った。



「むッ!」
「クッ!」

瞬時に手を引き後方に飛ぶテレンスとブレンダン。
二人が飛び退くとほぼ同時に、一瞬前まで立っていた地面に炎が突き刺さり、そして焼き焦がしながら斬り裂いた。

「クラレッサ!」

炎に斬り裂かれた地面、そしてそれを挟むようにテレンスとブレンダンが分かれ立つ。
一瞬の後、二人を隔てるように背丈程もある炎の壁が吹き上がった。


「兄さま!私は大丈夫です!」

直前でブレンダンに手を引かれたクラレッサも、その一撃を無事にかわせていた。
クラレッサの声を聞き、テレンスの表情に安堵が浮かぶ。


「・・・あやつは」

ブレンダンが崖の上に立つその襲撃者の姿を目に捉える。
その視線を追うようにテレンスも頭上を見上げ、そして眉を潜め声を上げた。


「・・・どういうつもりだ?セシリア!」


崖の上に立っていたのは、ブロートン帝国第一師団長のセシリア・シールズ

夕焼けが赤い髪をより赤く染める。

深紅の片手剣を突きつけたセシリアが、その赤い唇に薄い笑みを浮かべ見下ろしていた。
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