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【271 王位継承の儀 ④】

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なんだあの女・・・・・


エロールは呼吸を止めて壁に背中を押し付けると、自分の存在を消すように微動だにせずにいた。

エロールのただならぬ様子を見て、ブレンダン達四人は、エロールと同様に物音一つしないように気配を殺し、その場での一切の動きを止めた。


エロールは呼吸の音さえ漏れる事を恐れるように口に手を当てる。
心臓の鼓動がやけに耳に付く。極度の緊張状態により足が震え、今すぐにでも座り込みたい衝動に駆られる。

だが衣擦れの音さえ出す事をためらわれるこの瞬間、エロールはギリギリの精神状態で意地を保った。



なんなんだあの女は・・・・・



あの瞬間、年相応のごく普通の女性のように、侍女に微笑みを向け言葉を交わしていたブロートン帝国の白い髪の女に、ほんの少しだがエロールは気が緩んだ。


皇帝の護衛に付ける程の実力者のはずだが、この女自身は戦いを望んでいないのかもしれない。
優しそうに、穏やかな笑みを浮かべる白い髪の女を見て、ほんの少しだが気が緩み、小さく微かに息を付いた。


その時だった・・・・・


まるでその息遣いに反応したかのように、白い髪の女がエロールの方に顔を向けたのだ。

なぜそう思ったのかは分からない。
だが、ここであの女に見つかる事だけは絶対にダメだ。

そう頭で思うより、体が反応する方が早かった。

白い髪の女がエロールの方に顔を振り向けるまで、時間にしてほんの1秒もなかっただろう。

だが、その一秒にも満たない刹那の時に、エロールの生存本能、危険察知は、白い髪の女が振り向くまでの首の動きまで、コマ送りのように瞬間瞬間で捕らえ、女の目の端が見えそうになった際どいタイミングで、なんとか通路の陰に体を隠すことができた。



目が合ったら俺はどうなっていた?


あの女は白魔法使いだ。それは間違いない。感じ取れる魔力は白魔法のそれだ。
攻撃手段は魔道具しかないはずだ。

セシリア・シールズは火の精霊の加護を特に強く受けており、その強い加護を持って自分と瞳を合わせた者に、熱を帯びた気を当てる事ができる。

五年前、ヤヨイはその気を受けて大量に汗をかき、体に大きなダメージを受けたと聞いた。


だがセシリア・シールズの瞳による攻撃は、俺が聞いた限りでは体にダメージを与えるものだ。


この白い髪の女は違う・・・・・
体へのダメージならば、覚悟を持って耐えようとする気持ちが働く。

だが、この女から俺が感じたのは恐怖だ。
それも絶対に見られては駄目だと、本能が訴える程のとてつもない恐怖。

あの女に一体なにがある!?



王位継承の儀が始まる前、最初に応接室に入るところを見た時とは、全く印象が変わった白い髪の女に、エロールはただ得体の知れない恐怖を感じていた。



ブレンダン、パトリック、ペトラ、ルチルの四人も、エロールに何があったか聞く事ができずにいた。

だが、自分達が身を隠しているこの通路の角、この角を曲がった先の応接室。

そこからこちらに向けられている異様な圧力。
蛇が蛙を見つけ飲み込まんとするような、獲物を見つけた捕食者の歓喜。

指一本動かす事も躊躇われる強い緊張感が場を支配し、それぞれの額に、背中に、体中に嫌な汗が浮かび服を濡らしていく。



一歩、こちらに向け床を踏む足音が聞こえた。


その足音にエロールの心臓が跳ね上がる。

エロールの姿は見られなかったはずだ。
だが、なにかある。なにかに見られていたかもしれない。なにかいるのかもしれない。
そう感じたのであろう。


エロールも誰も、通路の角から顔を出し確認する事はできない。

そして足音はまた一歩近づいてきた。非常にゆっくりと・・・・・まるで、一歩足を前に出すたびに立ち止まっているのかと思う程ゆっくりと・・・・・

あるいはあえてゆっくりと歩いているのかもしれない。
こちらが動けず足音に怯える様を想像して楽むために・・・・・



通路の角で身を隠している五人。
エロールも、パトリックも、ペトラも、ルチルも、誰一人動く事ができなかった。
だがブレンダンだけは、この異様な空気に抑え込まれる状況を打破しようと行動を起こした。



信じられん程恐ろしいヤツじゃ・・・・・
これはワシの魔道具、魔空の枝と同じ霊力じゃ・・・・・しかし、ワシの魔空の枝のように、霊力と魔力を合成し、あくまで魔道具として使用する事を目的としたものではない。

ワシは樹齢千年を超え、神木として祀られる木の枝を使用した。
それも、まずは神木と向き合い、ワシが人々を護るために力を使う事を伝えた上で枝をもらい受けたのじゃ。
つまり、枝との間に心の繋がりもある。


だが、こやつは違う。
こやつが今ワシらに向けて放っている力は、ほぼ霊力・・・しかも強い恨みや、激しい後悔、死ぬ間際の恐怖、殺傷に使用され狂気を付した物を媒介にし、悪霊を宿した呪いの魔道具じゃ。


エロールは、おそらくその魔道具による攻撃を受けそうになった。

間一髪避ける事はできたが、その恐るべき魔道具による攻撃の一旦に触れそうになった。
だから、これほどの恐怖に体を縛られておるのじゃ。


他の三人もそうじゃ。
エロールと違い、敵に触れそうになってはいないが、エロールを通して敵の得体の知れない恐怖を感じ取った。
そして、こちらに向けて放たれる悪霊の、正体の知れない圧力を受けて身動きがとれなくなっている。


無理もない。霊力なんぞ知っている方が珍しい。
そして、知っていても魔道具に利用するなんて発想は普通は出てこんじゃろう。
ワシのように、魔法の研究に生涯を費やした者でやっとであろう。

それをこの白魔法使いの女は、あの若さで目を付けたというのか・・・・・恐ろしい才能じゃ。


額ににじむ汗をぬぐい、ローブの内側に手を入れ、一本の霊力を帯びた枝・・・魔道具、魔空の枝を取り出した。

みんな安心せい。
霊力にも精通しておるワシならば、太刀打ちできる。

まさか、いきなりこれを使うはめになるとは思わなんだがな・・・・・





迫りくる足音が、あと数歩でこの角の陰の中を覗き見できる距離まで迫った時、足音の主を呼ぶ声が応接室側から聞こえて来た。


「クラレッサ、なにをしている?」


若い男の声だった。
名前を呼ばれ足音が止まる。


「なにか見つけたのか?でも、ここでは止めておけ」



「・・・はい。兄様」


少しの 逡巡しゅんじゅんの後、クラレッサと呼ばれた白い髪の女は、応接室に戻るため踵を返した。

角の陰を確認できなかった事に、まだ気が残っているのか、遠ざかる足音はゆっくりとしたものだった。

たっぷり時間をかけてやがて応接室の扉が閉まり、通路に自分達以外、誰の気配もしなくなると、ブレンダンは大きく息を付いた。

それを合図に、それぞれの緊張の糸が切れたのか、エロールはその場に座り込み、パトリック、ペトラ、ルチルも深く息を吐いた。


「・・・・・なんだ・・・・・あの女」

エロールは苦し気に言葉を絞り出した。汗が滴る程に濡れた前髪が額にへばりつく。


「あれは、ワシの魔空の枝と同じ霊力によるものじゃが、あやつのそれは悪霊じゃ・・・・・ワシは皇帝に付いた三人が、七人の護衛で上位の三人じゃと思うておった。じゃが、あの女が一番危険な相手やもしれん」


通路には自分達以外、もう誰もいない。

だがブレンダンは、魔空の枝を強く握ったまま離す事ができなかった。

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