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【269 王位継承の儀 ②】
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式場一階、ブロートン帝国の皇帝が座る席の反対側の壁際には、ウィッカーが待機していた。
ウィッカーの前にはカエストゥス国の貴族達が席についており、一見すると彼らの護衛のように見える。
だが、大陸一の黒魔法使いと言われるウィッカーの顔は、当然他国に知られているだろう。
そして五年前の話し合いの場にいたウィッカーを、同席していたブロートン帝国皇帝の後ろに控える、三人が忘れているとも思えない。
素性を隠す必要のないウィッカーの視線は、十数メートル先のブロートン帝国の席を堂々と見据えていた。
皇帝も護衛の三人も、当然その視線に気付いている。
だが、カエストゥス側からなにか仕掛けて来れるはずがないと分かっている帝国は、その視線に対し何も行動を起こす事はなかった。
だが、あまりに露骨な視線に、青魔法使いのジャキル・ミラーは不機嫌そうに眉をしかめ、ウィッカーを睨み返していた。少々気が荒いのかもしれない。
ミラーの隣に立つルシアンは、相手にするな、とでも声をかけているのか、長身ゆえの見下ろす形で、ミラーに何か言葉をかけている。
そして、ウィッカーから一定の距離を保ち、同じく貴族達の後ろで待機しているのはリンダだった。
五年前の話し合いの場にリンダもいたが、発言する事もなく、剣士として名を売っていたわけでもないリンダは、ウィッカーと違い、顔を覚えられていない可能性もあった。
そのためブロートン帝国側には視線を送らず、あくまで貴族の護衛として後ろに控えているという印象を出していた。
ウィッカーが露骨に視線を送っていたのは、ブロートンの意識をできるだけ自分に向け、リンダや他の仲間へ注意がいかないようにする目的もあった。
万が一の時、ウィッカーならば対処できるという信頼の表れでもある。
二階、弥生と反対側の通路にはジョルジュが弓を携え柱の陰に身を潜めていた。
ジョルジュは風を読み、一階の様子を完全に把握していた。
そしてなにか起これば、目に頼らなくても風を掴み、瞬時に矢を射る事は可能である。
後ろを向いたままでも狙いをつける事ができ、振り向いた瞬間に対象に正確に放つ事ができる。
ジョルジュが史上最強の弓使いと言われる所以である。
いつも西から感じている嫌な風は、この日は特に近くで感じられた。
悪意の塊とも思える風の正体は、ブロートン帝国皇帝から発せられていたのだ。
ジョルジュは風と共に生きている。
風の精霊と心を通わせ、自然の温かい風、優しい風を感じる事がなにより好きだ。
街へ出ると、人間の負の感情を持った風を感じる事もある。
街には沢山の人が住んでいる。だから、優しい風ばかりを感じる事ができるわけではない。
それは分かっているが、やはり嫌な風を感じると気分が悪くなる。
ジョルジュは自然の優しい風だけを感じていたく、森からあまり出る事がなくなった。
六年前、ブレンダンとベン・フィングの試合が行われた闘技場、そこに行ったのは興味があったからだ。
ブレンダン・ランデルの伝説は知っていた。
魔戦トーナメント十連覇の生きる伝説。その伝説の男が一日だけ復帰する。
どれほどの実力か見てみたく、久しぶりに街に出た。
そこでも醜悪な風が渦巻き、思わず顔をしかめた程だった。
ブレンダンの対戦相手、ベン・フィングの嫉妬と憎しみの風はとにかく酷いものだったが、殺し屋ジャーガル・ディーロから発せられた、命を軽く見る嫌な風に気分が悪くなった。
悪意を持った二人の風は、ジョルジュがこれまで感じた中で一番酷い風だった。
その後、ジョルジュの住む北の森に攻めて来たディーロ兄弟の長男、ジャーゴル・ディーロも、弟と同様に、人の命を何とも思わない冷たく嫌な風だった。
しかし、そのことごとくを退け、もう二度とあんな風は感じる事がないと思っていた。
だが、一か月前から西から感じる風はそれ以上に、比較にすらならない程にどす黒い風だった。
殺戮、支配、あらゆる欲をはらみ、人の醜さを混ぜ合わせたような吐き気すら覚える醜悪な風だった。
そしてその風は正体は、一階にいるブロートン帝国の皇帝だった。
ジョルジュは確信した。
皇帝ローランド・ライアン。この男は生かしておいてはいけない。
生きている限り、己の欲のために数多の不幸を生み出し続けるだろう。
事前の策では、式場で戦いになった場合、弥生がセシリア・シールズ。
ウィッカーがジャキル・ミラー。
ジョルジュがルシアン・クラスニキを相手にすると決めていた。
だが、風の正体が皇帝だと知った今、ジョルジュはたとえこちらが全員敗北したとしても、皇帝だけは討ち取らねばならないと考えていた。
一階、二階の各所に、仲間達がブロートンの動きに注意を払い、いつでも動けるように備えている。
そして、タジーム・ハメイドは、現国王の前に膝まづいている弟マルコから、数メートル後方で仮面をかぶり両手を後ろに組み控えていた。
カエストゥス国の黒魔法使いのローブに身を包み、王宮仕えの紋章が刺繍されたエンブレムを胸に付けている。
六年もの間、城へ入っていないタジームだが、やはり顔を出せば気付かれるだろうという判断のもと、両目と鼻を隠すだけの簡易な物だが仮面をつける事になった。
この六年で体もずいぶん大きくなり、顔さえ隠せばタジームと分かる者はいないだろう。
なにより、ここにタジームがいるなど、誰一人想像すらしているはずがない。
仮面をつける事で、貴族達から多少の注目は集まったが、マルコの護衛としての立ち位置にいるため、初めて見るが新しい護衛だろう。くらいの声が聞こえた程度で、すぐに注目は王位継承の儀を行っている現国王と、マルコに集中した。
一般の魔法兵や剣士には、タジームの事は伏せてあるが、新しい魔法使いがマルコの護衛に付くと話してあったため、仮面には少し驚いていたようだが、兵達もそれほど騒めく事はなかった。
弥生達は大きな緊張を感じながらブロートン帝国の一挙手一投足に目を気を配っていた。
ブロートン帝国皇帝が、何を考えていたかは分からない。
だが、神経を擦り減らしながら自分達の動向を注視している弥生達をあざ笑うかのように、ブロートン帝国は何一つ動きを見せなかった。
そして数十分の後、王位継承の儀は終わりを迎えた。
現国王ラシーン・ハメイドから、第二王子マルコ・ハメイドへ。
無事に王位は継承され、式場は大歓声と拍手に包まれた。
ウィッカーの前にはカエストゥス国の貴族達が席についており、一見すると彼らの護衛のように見える。
だが、大陸一の黒魔法使いと言われるウィッカーの顔は、当然他国に知られているだろう。
そして五年前の話し合いの場にいたウィッカーを、同席していたブロートン帝国皇帝の後ろに控える、三人が忘れているとも思えない。
素性を隠す必要のないウィッカーの視線は、十数メートル先のブロートン帝国の席を堂々と見据えていた。
皇帝も護衛の三人も、当然その視線に気付いている。
だが、カエストゥス側からなにか仕掛けて来れるはずがないと分かっている帝国は、その視線に対し何も行動を起こす事はなかった。
だが、あまりに露骨な視線に、青魔法使いのジャキル・ミラーは不機嫌そうに眉をしかめ、ウィッカーを睨み返していた。少々気が荒いのかもしれない。
ミラーの隣に立つルシアンは、相手にするな、とでも声をかけているのか、長身ゆえの見下ろす形で、ミラーに何か言葉をかけている。
そして、ウィッカーから一定の距離を保ち、同じく貴族達の後ろで待機しているのはリンダだった。
五年前の話し合いの場にリンダもいたが、発言する事もなく、剣士として名を売っていたわけでもないリンダは、ウィッカーと違い、顔を覚えられていない可能性もあった。
そのためブロートン帝国側には視線を送らず、あくまで貴族の護衛として後ろに控えているという印象を出していた。
ウィッカーが露骨に視線を送っていたのは、ブロートンの意識をできるだけ自分に向け、リンダや他の仲間へ注意がいかないようにする目的もあった。
万が一の時、ウィッカーならば対処できるという信頼の表れでもある。
二階、弥生と反対側の通路にはジョルジュが弓を携え柱の陰に身を潜めていた。
ジョルジュは風を読み、一階の様子を完全に把握していた。
そしてなにか起これば、目に頼らなくても風を掴み、瞬時に矢を射る事は可能である。
後ろを向いたままでも狙いをつける事ができ、振り向いた瞬間に対象に正確に放つ事ができる。
ジョルジュが史上最強の弓使いと言われる所以である。
いつも西から感じている嫌な風は、この日は特に近くで感じられた。
悪意の塊とも思える風の正体は、ブロートン帝国皇帝から発せられていたのだ。
ジョルジュは風と共に生きている。
風の精霊と心を通わせ、自然の温かい風、優しい風を感じる事がなにより好きだ。
街へ出ると、人間の負の感情を持った風を感じる事もある。
街には沢山の人が住んでいる。だから、優しい風ばかりを感じる事ができるわけではない。
それは分かっているが、やはり嫌な風を感じると気分が悪くなる。
ジョルジュは自然の優しい風だけを感じていたく、森からあまり出る事がなくなった。
六年前、ブレンダンとベン・フィングの試合が行われた闘技場、そこに行ったのは興味があったからだ。
ブレンダン・ランデルの伝説は知っていた。
魔戦トーナメント十連覇の生きる伝説。その伝説の男が一日だけ復帰する。
どれほどの実力か見てみたく、久しぶりに街に出た。
そこでも醜悪な風が渦巻き、思わず顔をしかめた程だった。
ブレンダンの対戦相手、ベン・フィングの嫉妬と憎しみの風はとにかく酷いものだったが、殺し屋ジャーガル・ディーロから発せられた、命を軽く見る嫌な風に気分が悪くなった。
悪意を持った二人の風は、ジョルジュがこれまで感じた中で一番酷い風だった。
その後、ジョルジュの住む北の森に攻めて来たディーロ兄弟の長男、ジャーゴル・ディーロも、弟と同様に、人の命を何とも思わない冷たく嫌な風だった。
しかし、そのことごとくを退け、もう二度とあんな風は感じる事がないと思っていた。
だが、一か月前から西から感じる風はそれ以上に、比較にすらならない程にどす黒い風だった。
殺戮、支配、あらゆる欲をはらみ、人の醜さを混ぜ合わせたような吐き気すら覚える醜悪な風だった。
そしてその風は正体は、一階にいるブロートン帝国の皇帝だった。
ジョルジュは確信した。
皇帝ローランド・ライアン。この男は生かしておいてはいけない。
生きている限り、己の欲のために数多の不幸を生み出し続けるだろう。
事前の策では、式場で戦いになった場合、弥生がセシリア・シールズ。
ウィッカーがジャキル・ミラー。
ジョルジュがルシアン・クラスニキを相手にすると決めていた。
だが、風の正体が皇帝だと知った今、ジョルジュはたとえこちらが全員敗北したとしても、皇帝だけは討ち取らねばならないと考えていた。
一階、二階の各所に、仲間達がブロートンの動きに注意を払い、いつでも動けるように備えている。
そして、タジーム・ハメイドは、現国王の前に膝まづいている弟マルコから、数メートル後方で仮面をかぶり両手を後ろに組み控えていた。
カエストゥス国の黒魔法使いのローブに身を包み、王宮仕えの紋章が刺繍されたエンブレムを胸に付けている。
六年もの間、城へ入っていないタジームだが、やはり顔を出せば気付かれるだろうという判断のもと、両目と鼻を隠すだけの簡易な物だが仮面をつける事になった。
この六年で体もずいぶん大きくなり、顔さえ隠せばタジームと分かる者はいないだろう。
なにより、ここにタジームがいるなど、誰一人想像すらしているはずがない。
仮面をつける事で、貴族達から多少の注目は集まったが、マルコの護衛としての立ち位置にいるため、初めて見るが新しい護衛だろう。くらいの声が聞こえた程度で、すぐに注目は王位継承の儀を行っている現国王と、マルコに集中した。
一般の魔法兵や剣士には、タジームの事は伏せてあるが、新しい魔法使いがマルコの護衛に付くと話してあったため、仮面には少し驚いていたようだが、兵達もそれほど騒めく事はなかった。
弥生達は大きな緊張を感じながらブロートン帝国の一挙手一投足に目を気を配っていた。
ブロートン帝国皇帝が、何を考えていたかは分からない。
だが、神経を擦り減らしながら自分達の動向を注視している弥生達をあざ笑うかのように、ブロートン帝国は何一つ動きを見せなかった。
そして数十分の後、王位継承の儀は終わりを迎えた。
現国王ラシーン・ハメイドから、第二王子マルコ・ハメイドへ。
無事に王位は継承され、式場は大歓声と拍手に包まれた。
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