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【132 慰め】

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ヤヨイさんが孤児院に来て数日が経った。

名前以外は覚えていないという事だったが、どうやら本当に何も知らないように思えた。

この国の通貨も知らなかったし、国王の名前どころか、ここがプライズリングという大陸である事や、カエストゥスという国の名前も知らなかった。

この国の人間ではないのかもしれないが、仮にクインズベリーや、ロンズデール、ブロートン帝国の出身だったとしても、あまりにも知らなすぎる。

しかし、人が生活をする上で必要な知識は問題ないようで、物の固有名詞などは普通に認識できている。

ヤヨイさんがこの国について何も知らない事に、子供達もさすがに驚いてはいたが、すぐに自分達が教えてあげるといって、ヤヨイさんにこの街の事など、色々と話して聞かせるようになった。

ヤヨイさんも、教えてもらう事は嬉しいようで、子供達の話しにきちんと耳を傾けている。

焦る事はない。少しづつ、慣れて行けばいいと思う。





「ヤヨイさん、大丈夫みたいですね」

取り込んだ洗濯物を入れたカゴを持つメアリーが、俺の隣に立った。

視線の先には、女の子達と木陰で歌を歌っているヤヨイさんがいる。
その表情はとても柔らかく、もうここになじんでいるように感じた。

夏の暑さも今日は控えめで、時折気持ちの良い風も頬を撫でていく。外で遊ぶにはとても良い日だ。

「・・・うん。そうだな・・・良かったよ。疑って悪い事しちゃったな・・・」

「ウィッカー様・・・やっぱりあの時、私をご心配されていたんですね?」

メアリーは嬉しそうに目を細め、俺に顔を向けた。


「ん?あぁ、気付いていた?心配ないかと思ったんだけど、やっぱり素性の分からない人を、メアリーと2人きりにするのはちょっとね・・・でも、俺の杞憂だったみたいだ。ヤヨイさんは純粋で優しい人だと思うよ。疑ったりして悪かったな」


「嬉しいです!私を心配してくださったんですね!ウィッカー様はやっぱりお優しいです!」

そう言ってメアリーは笑顔を見せると、そのままじっと俺を見つめてくる。

あまりに熱のこもった視線に、思わず目をそらしてしまう。

キャロルに魔法教えなきゃ、と咳払いしながら口にして、孤児院内に足を向けると、やっぱりメアリーは追いかけて来た。




ブレンダン師匠が帰って来たのは、その日の夜だった。

時刻は20時を過ぎ、子供達を寝間着に着替えさせていると、玄関が微かに軋む音を立てて開き、膝丈まである深い緑色のマントを羽織った師匠が一人で孤児院内に入ってきた。


眉間に強くシワを寄せ、難しい表情を浮かべている。

昼は晴れていたが、今は少し雨が降っているようだ。
水が滴る程ではないが、濡れた白い髪は額に張り付き、マントも水を吸って湿っぽい。



「師匠、お帰りなさい。長かったですね?」

「あぁ、ただいま・・・ウィッカー、色々あってな、後で話す・・・」


師匠は言葉少なくそう口にすると、着替えて来る、と言い残し、そのまま通路奥の自分の部屋へ歩いて行った。



その後ろ姿は疲れ果て、力を無くしているように見えた。



孤児院は二階建てで、一階では食事をとる広間と、師匠の部屋、子供達の大部屋、そして使っていない空き部屋もいくつかあるが、主に女の子達の着替えに使用したり、遊び場になっていて、ボールや人形が置いてある。


二階にはジャニスの部屋と、王子の部屋、空き部屋もいくつかあるが、一つはヤヨイさんの部屋になった。

俺は元々は通いで来ていたが、ここのところずっと泊まり込みなので、二階は俺も入れて4部屋埋まっている。

メアリーは住み込みではないので、夕飯が終わるといつも帰っている。


「ウィッカー、ちょっと見えたけど、今師匠帰ってきたよね?・・・王子は?」


上から声をかけられ顔を上げると、階段の踊り場で、手すりにつかまりながらジャニスが身を乗り出していた。

「ジャニス、危ないから止めろよ」

俺が注意すると、ジャニスは、ごめんごめん、と軽い調子で言葉を返し、1階まで早足で降りて来た。


「師匠、一週間くらい王宮に行ってたよね?バッタの報告で何があったんでしょ?あと、王子は帰って来なかったの?」


ジャニスは師匠が歩いて行った先、誰もいなくなった通路奥の師匠の部屋をじっと見つめている。
俺も気になったが、師匠の様子がいつもと違く、聞き辛くて問いかけられなかった。


「・・・様子がおかしかったんだ。普通雨降ってたら、青魔法使いなら結界張って濡れないようにするだろ?でも帰ってきた時濡れてたんだよ。そして難しい顔をして元気がなかった。ただ、あとで話すと言っていたから・・・今は待とう。ヤヨイさんも紹介しなきゃ」


「・・・そうだね。じゃあ、私ヤヨイさんに話してくるから、ウィッカーはキャロルと一緒に、子供達寝かしつけてよ」

「分かった。じゃあ、あとで」


そして、子供達を寝かしつけ、ヤヨイさんも連れて1階広間のテーブル席に3人で座り、師匠を待っていると、22時を過ぎた頃に師匠の部屋のドアが開く音が聞こえた。




深い緑色の寝間着に着替えた師匠は、ゆっくり歩いて俺達の前に立つと、ヤヨイさんに気付き少し目を開いた。知らない女性がこの場にいるので、驚いたのだろう。


師匠の姿を見て、俺達3人もイスから腰を上げた。
部屋で少しリラックスできたのだろう。帰って来た時よりは表情から硬さが取れている。



「師匠、紹介します。こちらはシンジョウ・ヤヨイさんと言って、数日前からここで住み込みで働いてもらってるんです」

俺が手を向け紹介すると、ヤヨイさんはあらためて名前を告げて頭を下げた。

立ち話しもという事で、とりあえず全員がイスに腰を下ろし、俺はヤヨイさんがここに来る事になった経緯を説明した。


師匠は腕を組み、目を閉じたまま黙って最後まで話しを聞くと、斜め前に座るヤヨイさんに向き直った。

ヤヨイさんは少し緊張した面持ちで、視線を下に落としている。


「シンジョウ・ヤヨイさん・・・大変でしたね」


師匠の声は、静かで優しかった。
ヤヨイさんが顔を上げると、師匠は目を細め、口元に笑みを作った。


「この孤児院は、ワシが作りました。ワシはずっと魔法の研究だけで生きてきましたので、独り身でしてな・・・今はこの孤児院の子供達が私の子供と思って育てております。
ですが、なんせ15人もいますから、メアリーも手伝ってくれるようになり、楽にはなってきましたが、まだまだ人手が足りませんでな。ヤヨイさん、あ、そう呼ばせていただいていいですかな?ヤヨイさんがここで働いてくださると、とても助かります。これからも、私の子供達のお世話をお願いしたいのじゃが、頼めますかな?」



「・・・よろしいのでしょうか・・・私は、お話ししました通り、名前以外何も覚えていない女です。ブレンダン様の大切なお子様のお世話に・・・こんな、私のような・・・・・・」



師匠の言葉にはとても思いやりが込められていた。

この数日間、子供達もヤヨイさんの周りに自然に集まり、ヤヨイさんもこの孤児院に馴染んできたように見える。

でも、師匠からあらためて優しい言葉をかけられ、心に閉まっていた不安な気持ちも思い起こされたのかもしれない。

自分は何者なのだろうと・・・・・・

自分で自分が分からない。もしかすると罪人なのかもしれない。そんな不安で心が埋め尽くされ、人の親切を受け入れる事に臆病になっているのかもしれない。

でも、俺はこの数日、子供達と心から笑って過ごしているヤヨイさんを見てきた。

あんな笑顔ができる人が、悪い人だとはとても思えないし、思いたくない。


「ヤヨイさん、まだほんの数日の付き合いだけど、子供達はみんなとても懐いてるよ。子供は素直だから・・・記憶を無くす前のヤヨイさんも、きっと面倒見が良くて、優しかったんだろうね。だから、安心していいと思うよ。みんなヤヨイさんがいてくれると助かるんだよ」


師匠に目を向けると、師匠も優しく笑って頷いた。

「ウィッカーも良い事言うね。私もそう思うよ。ヤヨイさん、これからもここにいてよ」

ジャニスがヤヨイさんに顔を近づけて笑うと、ヤヨイさんは目に涙を浮かべて頷いた。



「はい・・・私、この数日間・・・とっても楽しかったです。スージーちゃんも、チコリちゃんも可愛くて・・・ミルクあげてると、私も心が温かくなって・・・子供達みんな大好きです。私も、もっとここにいたいです。お手伝い頑張りますので・・・どうかここにいさせてください」

一言一言、とても気持ちが込められている。
ヤヨイさんもこの孤児院で生活を心から望んでいるようだ。


「こちらこそ、ぜひよろしくお願いします。ヤヨイさん、不安な事も多いでしょうが、この老いぼれでよければ、いつでも相談してください。今日からあなたもワシの家族です」


ヤヨイさんは、はい、と一言口にすると、それ以上こらえる事ができず泣き出してしまった。

今日まで安心して見ていたけど、きっと無理をしている部分もあったのだと思う。

師匠も温かく迎えてくれた事で、緊張の糸が切れてしまったのだろう。


無理もないと思う。
自分が何者かも分からず、生きていくという事は不安でしかないだろう。

師匠の性格なら、ヤヨイさんも温かく迎えてくれる事は分かっていたけど、本当に良かったと思う。

ジャニスがヤヨイさんの背中を撫で、大丈夫だよ、と優しい言葉をかけて慰めている。


話しの続きは、ヤヨイさんが落ち着いてからだ。
俺は席を立つと、キッチンでお湯を沸かし、人数分のハーブティーを入れた。



「はい、落ち着くから飲んでみて」

ヤヨイさんの前にカップを置いて、師匠とジャニスにもカップを渡しす。


「ウィッカーありがとう。あれ・・・これって、メアリーが入れてくれたのと同じ?」
ジャニスが一口飲んで、味に気付く。


「あぁ、メアリーがハーブを置いていったくれたんだ。自分がいない時、ヤヨイさんが不安になっていたら、入れて欲しいって頼まれた。入れ方も教えてもらったんだ」

「さすがメアリーだね。本当に気が利くよ。でも、私にも教えてくれても良かったのにな」

「あぁ、ジャニスとキャロルは、スージーとチコリの事で忙しそうだったから。俺が一番手が空いてたんだよ」

「あぁ、それなら納得!」

「・・・なんか、嫌な納得だな?」

俺とジャニスが話していると、ヤヨイさんが少しだけ声を出して笑った。


「ふふ・・ごめんなさい。お二人のやりとりが、ちょっと面白くて・・・」


その表情はずいぶん硬さがとれて柔らかくなっていた。


おいしいです。そう呟いて、目を細めハーブティーを口に含む。


メアリーのハーブティーは、ヤヨイさんの心を優しく包んだようだ

ゆっくりでいい
自分自身で向き合うしかない事もあるけど

ここで過ごす時間がキミの心を癒してくれればいいと
そう願った
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