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【25 黒渦】

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「きゃあぁぁぁー!」

後ろから悲鳴が聞こえた。ウィッカーが振り向くと、真っ暗な闇、と言っていいだろう。
バッタの群れが結界に、隙間なく何メートルにも渡りへばり付き、まるで下水の泥のようにどす黒く、巨大な塊となって覆っていた。

一匹あたりの大きさは5cm前後、体は全体的に黒いが、半透明の羽には黄色の細かな斑点があり、腹は薄っすらと赤茶色だった。

黒く大きな目には僅かに赤い光があり、結界の外からジッとこちらを見て、発達した大きな顎をジキジキジキと鳴らし続けている。

無数のバッタが鳴らす声は、まるでこの世の不吉を全てはらんだ呪詛のように結界内に響いていた。
王宮から派遣された女性の魔法使いは、その異様な光景に怯え、ただ悲鳴を上げていた。

その時、炎の竜が唸り声を上げて、目の前のバッタの群れを呑み込み焼き尽くした。
竜はそのまま縦横無尽に暴れまわり、次々とバッタを焼き払っていく。

「怖い、よな・・・でも、大丈夫だ・・・絶対に、守るから!」
ウィッカーは僅かに顔を後ろに向け、呆然とする女性魔法使いに向け、声を振り絞った。
結界が発動してまだほんの1分足らずだが、額から流れる汗が頬を伝い落ち、
歯を食いしばって両手を上げ魔力を放出し続ける姿は、この魔法の過酷さを物語っていた。

やっぱり・・・制御は無理だ・・・1体、
たった1体・・動かしただけで・・・意識が、飛びそうに、なった・・・
維持するだけで・・・精一杯・・だ・・・

結界は物理攻撃でも破壊は可能である。
もちろん術者の力量、使用する結界魔法で強度は変わり、ブレンダンの天衣結界は並大抵の攻撃では破壊はできない。

だが、今回は事情が違った。
無理に首都全体を覆ったため、本来の強度より大きく落ちており、更に所々脆い箇所がある。
バッタとは言え、数百億の圧力に耐えきれるだろうか?

自分が倒れても結界自体は維持できる。
だが、この状況下、これほどの広範囲、一度に全てカバーしきれるものだろうか?
1か所でも、ジャニスの修復が追いつかない圧力が加わればそこでお終いだろう。

ウィッカー兄ちゃん遊んで!
次はいつ来るの?
今度は負けないよ!
みんなで食べると美味しいね!

すでに凄まじい疲労に襲われ、倒れそうになったウィッカーだが、
瞼の裏に、孤児院でのかけがえのない日々が、子供達の笑顔が映り、気力を振り絞った。
死んでも倒れる訳にはいかない。
「まだだ!・・・まだ、倒れる訳には・・・皆が、子供たちが・・・待ってんだ!」
ウィッカーの灼炎竜は、その魂に呼応するかのように激しさを増した。


「・・・ウィッカー様」

ウィッカーの優しさ、強さ、そして何もできない己の無力さ、
さまざまな感情が胸を締め付け、女性魔法使いの目に涙が浮かぶ・・・。

国から派遣された魔法兵達は、皆魔力が平均より少なく、王宮仕えではあるが、与えられる仕事は雑用がほとんどだった。
ブロートン帝国と戦争になった場合、最前線に送り出される運命だったが、失敗を前提に考えていた大臣は、今回のバッタの襲来で、国民へ兵を出したという体裁のため、捨て石のように出兵させたのだった。

国中の魔法兵を総動員させ、仮にバッタを殲滅する事ができたとしても、毒を持ったバッタが数百億も相手では、こちらも甚大な被害は免れない。
ならば農作物は諦めるしかないが、備蓄分の食料と、主力の兵は城で守り、国民も家でバッタが去るまで避難という手段をとったのだ。

最初はタジームの発言に呆れていた大臣だったが、実質4名で到底成功するはずの無いバッタ殲滅に挑む事は、タジームをあわよくば亡き者にと考えていた大臣にとって、渡りに船であった。

手懐けられない王子はいらない。
自分の言う通りに動く人形になれないのならば消えてくれ。
カエストゥス国は、大臣ベン・フィングに掌握されていた。


タジームは結界が張られる直前に、風魔法の応用で空を飛び結界の外へ出ていた。
全身に纏った風は、風の刃となって向かってくるバッタを切り刻み寄せ付けずにいた。

チラリと背後に目を向ける。
ブレンダン、ジャニス、ウィッカーの三種合成魔法、灼炎竜結界陣。
荒ぶる炎の竜が次々とバッタを焼き尽くしている。
炎を抜けたとしても結界がバッタを通さないため、結局は炎の餌食であった。

20メートル級の灼炎竜を30体は制御ができず、竜は暴走状態で正面から結界にぶつかり、バッタではなく結界を攻撃している竜も見られた。

ただでさえ無理やり首都全体を覆っている結界は強度が落ちており、竜の攻撃には耐えきれず、
一撃で亀裂が入ってしまうが、ジャニスのヒールにより、次の瞬間には修復され元に戻っていく。

三人の結界が続いているうちは後ろは気にしないでいい。しかし、10分、いや5分持たないだろう。タジームはそう判断した。
急がなければならない。タジームの心に僅かな焦りが生まれた。

タジームには分からなかった。なぜ俺はあの三人を気にしている。
この世に信じられるものなどあるのか?

ブレンダンはいつも俺を心配し気にかけている。

ジャニスは自分にあまえていいと言い、いつもかまってくる。

ウィッカーは俺に気を使いながら、なぜかいつも話しかけてくる。

三人はいつも俺を見ている。俺は・・・

タジームは頭を振り、考えるのをやめた。なぜ自分が今焦りを覚えたのか分からない。
今は目の前の虫の殲滅だけを考えればいい。

タジームは両手の平を、胸の前で向かい合わせ、魔力を練り始めた。
向かい合わせた手のひらの空いた空間に、黒い波動が渦巻き出し、それは30cm程の球体となった。

「呑み込め・・・黒渦」

タジームが球体を上空に投げると、球体は一瞬のうちに空一面に広がる巨大な渦巻く闇となり、
大気を震わせながら、闇の渦はバッタを呑みだしていく。

吸い込まれていくバッタは、その強力な圧に耐えきれず、捻じれ、擦りつぶされ、原型ををとどめず闇に吸い込まれていった。

飛び散る血すら、一滴残らず闇の渦は呑み込み、容赦なく生命を蹂躙していく。
それはまさに地獄絵図だった。

「あ、あれ程・・・とは・・・だが、あれは・・・」

3日前、会議を後にしたブレンダンは、タジームに具体的な策を聞いてみた。
その時初めて見せてもらった魔法が、この黒渦であった。黒渦はタジームが独自で作り出した魔法である。

孤児院で試しにと、手のひらに少さな黒渦を作り、ネズミを吸い込ませて見せると、
これを首都全体を覆う大きさで展開させ、バッタを殲滅すると口にした。

「あれは・・・本当に・・・魔法なのか・・・」
ブレンダンの目には、バッタを殺し呑み込んでいく闇の渦が、まるで意思を持ち殺戮を喜んでいるかのように見えた。
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