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第2章──少年期5~10歳──

042 無理とは行うのが非常に難しいこと

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(何か、無理させちゃってるなぁ。いまだに怒っているって事は、物理的には反撃をしていないんだろうね。やらかしたってさっきも言ってたから、怒りの感情を向けたくらいかな。まぁそれだけでも、マットあの子にはかなりの衝撃だったろうけど)

 大将子息マットが飛び掛かってきた事は覚えているのだから、フェリシアにもグーリフの怒りの矛先が彼であったと想像がつく。

<グーリフは、シアの為に怒ってくれたんでしょ?>
<それは……、そうだが……。あの後、本気で……アレが死んでも良いと思って、殺気を向けた>
<でも死んでもいないし、誰も怪我をさせてはいないんでしょ?>
<……結果的に失神させただけだ。でも、アイツだけは許せない>

 魔獣であるグーリフにとっては些末な感情の放出も、相手が弱者であるヒトに対しては、大きな影響がある事を既に彼は知っていた。
 精神的に強そうな──実戦経験のありそうなライモのような場合は別として、本来ならば幼いマットに向けてはならなかったのである。──見る限り、到底我慢が出来るものではなかっただろうが。

「えらいねぇ」
「っ?!」

 フェリシアはスキル【以心伝心】テレパシーではなく、言葉で伝えながらグーリフの頭を撫でた。
 酷く驚いたように肩を揺らしたグーリフだったが、大人しくそのまま頭部を撫でられている。

 殺すつもり・・・で殺気を放ったのは頂けないが、グーリフが本気ならば確実に死んでいるだろう。そうしなかったという事は、少なくともフェリシアと一緒にヒトの生活をして、グーリフの中に変化があったのだろうと思えた。
 魔獣としては良くないのだろうけれども、フェリシアはグーリフをヒトの外敵ただの魔獣として考えていない。
 出会った初めから、フェリシアはグーリフに助けられているのだ。さらには、本当の姿が角のある巨大な馬であろうが、今はフェリシアと変わらない五歳児の容姿をしている。

「グーリフがいてくれて、シアはとってもとっても助かっているんだよ。我慢をさせてしまっているのは申し訳ないんだけど、一緒にいてくれるのはとても嬉しい」
「……んだそれ………………恥ずかしいやつ」

 ベッド横の椅子に座るグーリフを、少し強引にベッド上から抱き締めるフェリシアだ。体格は彼の方がわずかに大きいので、実際にはフェリシアが首元にしがみついている感じではあるが。
 本音の感謝の言葉を告げるフェリシアに、グーリフは口では突き放すようにしながらも明らかに赤面していた。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

(今日はガウ兄かぁ)

 フェリシアは今、ラングロフ邸の中庭に面するテラスでお茶をたしなんでいる。その横には当然のようにグーリフがいるのだが、目の前にはガウリイルが笑顔で同じようにカップを傾けていた。
 あの大将邸での茶会の後から、きょうだいのうちの誰かがそばにいるようになったのである。──何故か、常に。

 内心で溜め息をきつつ、目の前の銀色を観察した。
 同じ銀狼としての外見を持っているガウリイルは、瞳の色と髪の長さが違う程度の、フェリシアと並ぶ美しい容姿をしている。

 自分の事を『美しい』と表現するのはどうかとも思うが、フェリシアは『記憶』から考慮しても美醜の判断は間違っていないと開き直っていた。
 色合いが同じでもヨアキムはガタイが良くて、がっしりとしたマッチョでは『綺麗』と表現するには苦しい。けれども十歳のガウリイルは、剣の鍛練をしていてもまだ細いのだ。それこそ逆に、キレイな筋肉がついていて美麗である。

「どうしたのですか、シア。そんなに熱い視線を向けられていると、いくらわたしでもおかしな・・・・気持ちになってしまいますよ?」

 銀色の瞳を細め、ガウリイルはいつもと同じ丁寧な口調で微笑みを向けてきた。
 その言葉にピクッと馬の耳を動かせたグーリフだが、ガウリイルの言動は初めからこうなので不快感をわずかに漂わせるだけである。

「おかしな?……えっと、ガウ兄は、シアが見ているとおかしな気持ちになるの?」
「ふふふっ。そうですよ?可愛い可愛いシアがわたしだけに視線を向けているのですから、すぐに抱き締めて幾つも口付けを落としたいくらいです」
「却下」
「はいはい、すみませんグーリフ。ですが、シアが可愛くて愛らしくて可愛いのは貴方も認めるところでしょう?」
「勿論だ」
<え、即答?グーリフ、ガウ兄に脳内汚染されてない?さっきもだけど、可愛い二回言ってるし>
<本当の事だからな>
<あ~……、そう>

 フェリシアはガウリイルの事はきょうだいとして勿論好きだが、彼の言動はいつもいきすぎ・・・・ていると思っていた。
 聞いているだけで背中の辺りがむず痒くなってくるので、正直に言うとやめてほしい。けれども彼のスキル上、嘘偽りではない事は明白なのだ。本心からのその言葉を、もはや完全に止める事は不可能である。
 それでもガウリイルとのこんなやり取りは、もうすぐ終わりを迎えるのだ。

 この国シュペンネルでは、十一歳から十四歳までの間を寮のある学園で過ごす義務がある。ロミが明ければ十一歳になるガウリイルは、花咲く頃であるサジルクタヴテから学生だ。
 長期休暇以外には基本的に帰省不可の為、そう易々と顔を合わせる事は出来ない。

「ガウ兄は、サジルクタヴテから学園だよね」
「はい、そうですね。毎イトネシアの可愛い可愛い顔が見られないというのは、わたしにとって非常に苦痛の連続となります」
僥倖ぎょうこう
「え?」
「酷いですね、グーリフ」
「な、なに?」
<ちょっとグーリフ、どういう意味?>
<くくくっ、思いがけない幸運という意味だ。つまりはヤツがいなくなるのが嬉しいって言ったんだ>
<え~……>

 難しい言葉でのあおりはやめてほしいところだが、フェリシアの前ではガウリイルも表立ってグーリフと喧嘩──という名の言い争い──をしないのだ。そも、物理では確実に勝敗が見えている。
 グーリフにしても、相手が楯突いて来ないならば基本的に放置しているようで。フェリシアの一番そばにいるのは自分である事が分かっているようだ。

「毎回の長期休暇には必ず帰ってきますから、わたしの事を忘れないでくださいね」
「忘れたりしないよぉ」

 どれだけ幼子だと思われているのかは分からないが、子供の五歳差はそれくらい大きな物なのだろう。実際にはフェリシアの精神年齢はもう少し──どころか、ガウリイルよりも年上なのだが。

 しかしながら普通に考えて、毎回の長期休暇に帰省する事は大変ではなかろうかと思えた。

「でも、学園は遠いんでしょ?」
「そうですね……。馬車で一ワイア間程でしょうか」

 さらりと答えるガウリイルだが、片道一ワイア間の行程をそう易々とおこなえるものでもない。

 フェリシアが聞いた所によると、ノゲムツロス学園は王都クワシーゼにあるのだ。そしてここラングロフ領地は国内の北西部に位置し、国境の亜人族が住む山脈ギャドゥイに接している。

<俺の脚なら三イトネと掛からないだろうな>
<さすがだね、グーリフ。それでも三イトネの距離かぁ……。王都クワシーゼ、遠いよねぇ>
「わたしにとって一ワイア間の距離は、シアに会う為ならばまばたきにも等しいです」
「いやいや、それはちょっと……。っていうかガウ兄、長期休暇ってどの程度あるものなの?」
「長期休暇はロミに二回。リンナクタヴテ七属性ラクスワイアバンガクタヴテ七属性ラクスワイアです。後は播種はしゅ期、収穫期の為にモコクタヴテネアンクタヴテに二ワイア間の休みがあるくらいですね」

 七属性ラクスイトネで一ワイア七属性ラクスワイアで一クタヴテ七属性ラクスクタヴテで一ロミとなるのだ。
 つまりは七属性ラクスが基本の数だから長期休暇は四十九イトネあり、往復に二ワイア間を消費してしまっても余裕はあるだろう。──労力は半端ないが。

「うぅ……とにかくガウ兄、無理しないでね」
「可愛いくて愛らしいシアに会う為に帰ってくる事に、無理などという言葉は値しません。それ以上に、愛おしくて可愛いシアに毎イトネ会えないわたしは、どうやって息をすれば良いのか分からなくなるやもしれません」
「大袈裟な奴」
「グーリフは我慢出来るのですか?」
「無理だ」
「それならばわたしの気持ちが分かるでしょう。愛おしく可憐で愛らしいシアに毎イトネ会えないのですよ?」
「……はぁ、分かるが仕方のない事なのだろう。あまりくだを巻いていると、フェルに嫌われるぞ」
「わっ、分かっています。分かっています、が……いまだに納得が出来ないのも事実なのです」

 最後にポツリと呟いた後、ガウリイルは俯いてしまった。
 学園に行かなくてはならない事など、もう随分幼い頃から言われて、頭では理解している筈である。それでもここまで我が儘に言い募るとは、どれ程フェリシアを愛してくれているのかが分かるものだ。

「ガウ兄、ありがとう」

 本当ならそばに行って頭でも撫でてやりたい。
 けれども今の小さな身体では思うようにいかない為、フェリシアは今の温かな気持ちを精一杯の笑顔に替えて告げるのだった。
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