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第2章──少年期5~10歳──
041 かんしゃく玉
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「マット。何故ここに来た」
「だって~。ちちうえ~。ぎんいろが~」
ピリッとしたライモの空気に気付かないのか、子供は襟首を摘まみ上げられたままの状態でありながら、先程と変わらず自分の意見ばかり主張する。
存外幼子などはそのようなものだが、四歳にしてこれでは少しばかり発達が遅いのではないかと思われた。否、フェリシアは前世の記憶がある為、こんな風に癇癪を起こす事はなかっただけだろう。
そう考え、目の前の子供が単に幼い故の情緒不安定になっているのだと結論付けた。
「初めまして。フェリシア・ラングロフと申します」
彼を落ち着ける為、フェリシアはまず始めにマットに挨拶をしようと試みた。
本当は礼儀作法に則って、立ち上がってからのちゃんとした挨拶をしようとした──のだが、腹部に回されたグーリフの腕は外してくれる気配を持たず、ミアもすぐ傍に膝をついたままである。
つまりは二人とも警戒を解いておらず、いつでもその場を回避するなり攻撃に移行するなりが出来るという現れなのだ。
さすがに大将宅で戦闘行為などを起こそうものなら、幾ら相手に非があったとしても無罪放免にはならない。
こういった場合、単純に勝ち負けや善悪ではないのだ。
「……ラン、グ、ロフ?」
「はい。『銀色』の意味でもありますね」
フェリシアから話し掛けた事が功を奏したのか、きょとんとしたマットの視線がフェリシアに向けられる。
涙の跡があるものの、今だけは取り乱していないようだ。
良く見れば、さらりとした黒髪と赤い瞳。確かにライモとフェツィエナの子である。
「えっと、僕、マット」
「マット様ですね。宜しくお願いします」
彼からの挨拶に微笑み返せば、パアッとその表情が輝く。
その時、フェリシアは忘れていた。己の『笑みを向けるだけで魅了出来る』という天使の微笑みの存在を。
(あ、マズイ)
そう思った時には既に遅く、何処にそんな瞬発力があったのかと驚く程の勢いで飛び掛かられた。
フェリシアに激しい痛みが襲い掛かる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「にぎゃっ!!」
「てめぇっ!」
「おいっ」
悲鳴と罵声が飛び交う。
マットはライモの身体に脚を踏ん張る事で足場を作り、その跳躍を真っ直ぐフェリシアに向けた。正確な目標は、フェリシアの臀部に存在する『ふんわりふさふさな銀色の狼の尾』である。
グーリフに抱き留められてはいたものの、尾は潰さないように横へ流してあった。
そしてマットが飛び掛かってくる事を察したグーリフにより、クルリと回転するようにして背後へ回避させられたのが仇となる。オオカミ種であるフェリシアの尾は、背後へ流れるように存在しているからだ。
グーリフも、狙いがまさか『尾』である事までは読みきれず、逆に目標物が丸出しになったのである。
フェリシアは知らなかったが、獣人故にあるその獣由来の部位は非常に敏感だ。その為、他者の獣部位に許可なく触れる事は禁忌であると、暗黙の了解になっている。
しかしながら、『それ』は起こった。
いきなり力の加減なく尾を掴まれた事で、背筋を走るような強烈な刺激が脳天を突き抜け、耐性のなかったフェリシアは即座に意志が飛んでしまったのである。
当然、フェリシアに向けられた害悪をグーリフが許す筈もなく、カッとなった殺意をまともに喰らったマットは失禁して気絶。
ライモは強烈な敵意にフェツィエナの時と同様で剣の柄に手が伸びるも留まる。今回は明らかな己側の失態であると認識出来る為、マットの身柄だけを自らの懐に抱き入れるに至った。
この間、数秒の事である。
「申し訳ありませんでした」
睨み合うグーリフとライモの間に入って来たのは、先程まで茶の席にいたフェツィエナだった。顔色が悪いのは、グーリフの敵意の影響だろう。
それを証拠に手足が小刻みに震えているが、グーリフの視線を真っ直ぐ受けても尚、その場から離れる事はしなかった。
「わたくしどもの息子の不手際により、ラングロフ令嬢にお怪我をさせてしまった事、深く御詫び申し上げます。つきましては御令嬢のお怪我を治療させて頂きたく……」
「いらん」
「………………え?」
「いらねぇって言ってるだろ。ってか、これ以上フェルを、お前らの誰にも触れさせる訳がねぇ」
「で、ですが……」
フェツィエナの先程までのコミュ障は鳴りを潜め、見た目五歳児のグーリフに大人としての対応をしている。だがグーリフは敵意を収める事なく、フェリシアを背に庇うように抱き締めたままだった。
そこでフェツィエナは、グーリフに抱き留められた意識のないフェリシアに、侍女が寄り添っている事に漸く気が付いたようである。
「光に求める癒しの力」
そこでは、ミアの魔法による治癒が行われていた。
光の手が対象を包み込む。マットの手によって乱れてしまったフェリシアの銀色の尾は、何事もなかったかのようにふんわりふさふさな状態に戻っていた。
「………………なるほど、レンナルツの者か。治癒魔法が使える者がいるとは知らなかったが」
ライモの淡々とした声が響くが、それに返す者はいない。
グーリフは当然返答をするつもりはなく、ミアは使用人枠なので、許可がない限り言葉を発する事は出来ないからだ。
そしてミアの出自がワシ種である事は、その容姿から分かる。そも国内に鳥族は少なく、四家しか存在しないのであれば判別自体容易だ。つまりはわざわざ応じる必要もない。
「帰るぞ」
「はい」
ミアによるフェリシアの治療が完全に終わった事を確認し、グーリフはフェリシアを抱き上げる。体格は殆ど同じなのだが、外見が偽りなので何の苦もなくだ。
周囲の者達は、当たり前だがグーリフの本質は分からない。だが先程気圧された事もあり、ただの五歳児ではないと嫌でも分からされていた。
(くそっ……。俺が傍にいながら、このていたらく。自分自身に腹が立つ)
内心の怒りが収まらず、グーリフから殺気と思える程の空気が立ち込めている。
何か言いたそうにしていたフェツィエナだったが、グーリフに背を向けられてしまった為、謝罪の意をもって深く頭を下げる事にしたようだ。隣ではライモが意識のない息子を抱きつつ、フェツィエナの肩を抱いている。
ミアは何も言わず、ピリピリとしたグーリフの後をついて行くだけだった。表情も見せない為、彼女の内心は判断がつかない。
そんな風に、最後は誰も何も出来ないまま、この大将邸での茶会が終了した。あまり後味が良いものでなかった事は、後々に拡がる噂のもとになる。それは幾ら大将とはいえども、回避出来るものではないのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
フェリシアが気が付いた時には、既にラングロフ邸に戻った後であった。しかも窓の外は暗く、完全に日が変わってしまっているだろうと予想される頃。
そしてフェリシアは自分の記憶に残っている部分を思い返し、どれだけ楽天的に考えたところであの後が良い結果になったと思えなかった。
(やっちゃったよね~、これ)
ベッドの上で頭を抱え、独り反省するフェリシア。
父親は中将なので、大将はひとつ上の位になる。上位の相手に対し、子供とはいえ非礼を行った事は処罰の対象になるのだ。
下手をすると、ヨアキムの降格にもなるかもしれない。次から次へと悪い考えが浮かび、フェリシアは胃が痛くなってきた。
<フェル?>
そこへ、静かに伺うような声が聞こえる。
俯いていた視線を上げれば、いつの間に部屋へきたのか、細く開けた扉の隙間からグーリフが顔を覗かせていた。
暗くてはっきり表情が見える訳ではないが、【ソウルメイト】として繋がっているフェリシアには分かる。──そしてスキル【神の眼】により、彼が落ち込んでいるという事もだ。
珍しく力ない歩みでフェリシアのいるベッドに近付いて来たグーリフは、そのまま傍の椅子に腰掛けただけで視線を落とす。
普段ならばすぐにでもフェリシアに触れてくる筈なのに、膝の上に置かれた拳は強く握りしめられていた。
フェリシアは先程意識が戻ったばかりであり、繋がっているグーリフだけがそれを察して部屋に顔を出したのであろう。
状況の把握は全く出来ていないのだが、フェリシアはあの時の攻撃によって己の意識が途絶えたであろう事は想像がついていた。そして、その後普通に考えてグーリフが反撃したであろう事も。
≪状態……【後悔】【憤怒】【自己嫌悪】≫
自然と視界に入るスキル【神の眼】は、グーリフの現在の内面を隠しもしない。
フェリシアがその文面に意識を向ければ、フェツィエナの時と同様、内心の思いを憚る事なく文字として読み取れてしまうのだ。
<グーリフ。何か、色々とありがとうね>
<礼などされる事なんかしちゃいねぇよ。……むしろ、俺がやらかしちまった事で>
<大丈夫だよ>
グーリフが悔やむ言葉を聞きたくなくて、被せるようにフェリシアは告げる。
全く大丈夫な訳はないだろうが、フェリシアの為に我慢させている今の状況は嫌だったのだ。
「だって~。ちちうえ~。ぎんいろが~」
ピリッとしたライモの空気に気付かないのか、子供は襟首を摘まみ上げられたままの状態でありながら、先程と変わらず自分の意見ばかり主張する。
存外幼子などはそのようなものだが、四歳にしてこれでは少しばかり発達が遅いのではないかと思われた。否、フェリシアは前世の記憶がある為、こんな風に癇癪を起こす事はなかっただけだろう。
そう考え、目の前の子供が単に幼い故の情緒不安定になっているのだと結論付けた。
「初めまして。フェリシア・ラングロフと申します」
彼を落ち着ける為、フェリシアはまず始めにマットに挨拶をしようと試みた。
本当は礼儀作法に則って、立ち上がってからのちゃんとした挨拶をしようとした──のだが、腹部に回されたグーリフの腕は外してくれる気配を持たず、ミアもすぐ傍に膝をついたままである。
つまりは二人とも警戒を解いておらず、いつでもその場を回避するなり攻撃に移行するなりが出来るという現れなのだ。
さすがに大将宅で戦闘行為などを起こそうものなら、幾ら相手に非があったとしても無罪放免にはならない。
こういった場合、単純に勝ち負けや善悪ではないのだ。
「……ラン、グ、ロフ?」
「はい。『銀色』の意味でもありますね」
フェリシアから話し掛けた事が功を奏したのか、きょとんとしたマットの視線がフェリシアに向けられる。
涙の跡があるものの、今だけは取り乱していないようだ。
良く見れば、さらりとした黒髪と赤い瞳。確かにライモとフェツィエナの子である。
「えっと、僕、マット」
「マット様ですね。宜しくお願いします」
彼からの挨拶に微笑み返せば、パアッとその表情が輝く。
その時、フェリシアは忘れていた。己の『笑みを向けるだけで魅了出来る』という天使の微笑みの存在を。
(あ、マズイ)
そう思った時には既に遅く、何処にそんな瞬発力があったのかと驚く程の勢いで飛び掛かられた。
フェリシアに激しい痛みが襲い掛かる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「にぎゃっ!!」
「てめぇっ!」
「おいっ」
悲鳴と罵声が飛び交う。
マットはライモの身体に脚を踏ん張る事で足場を作り、その跳躍を真っ直ぐフェリシアに向けた。正確な目標は、フェリシアの臀部に存在する『ふんわりふさふさな銀色の狼の尾』である。
グーリフに抱き留められてはいたものの、尾は潰さないように横へ流してあった。
そしてマットが飛び掛かってくる事を察したグーリフにより、クルリと回転するようにして背後へ回避させられたのが仇となる。オオカミ種であるフェリシアの尾は、背後へ流れるように存在しているからだ。
グーリフも、狙いがまさか『尾』である事までは読みきれず、逆に目標物が丸出しになったのである。
フェリシアは知らなかったが、獣人故にあるその獣由来の部位は非常に敏感だ。その為、他者の獣部位に許可なく触れる事は禁忌であると、暗黙の了解になっている。
しかしながら、『それ』は起こった。
いきなり力の加減なく尾を掴まれた事で、背筋を走るような強烈な刺激が脳天を突き抜け、耐性のなかったフェリシアは即座に意志が飛んでしまったのである。
当然、フェリシアに向けられた害悪をグーリフが許す筈もなく、カッとなった殺意をまともに喰らったマットは失禁して気絶。
ライモは強烈な敵意にフェツィエナの時と同様で剣の柄に手が伸びるも留まる。今回は明らかな己側の失態であると認識出来る為、マットの身柄だけを自らの懐に抱き入れるに至った。
この間、数秒の事である。
「申し訳ありませんでした」
睨み合うグーリフとライモの間に入って来たのは、先程まで茶の席にいたフェツィエナだった。顔色が悪いのは、グーリフの敵意の影響だろう。
それを証拠に手足が小刻みに震えているが、グーリフの視線を真っ直ぐ受けても尚、その場から離れる事はしなかった。
「わたくしどもの息子の不手際により、ラングロフ令嬢にお怪我をさせてしまった事、深く御詫び申し上げます。つきましては御令嬢のお怪我を治療させて頂きたく……」
「いらん」
「………………え?」
「いらねぇって言ってるだろ。ってか、これ以上フェルを、お前らの誰にも触れさせる訳がねぇ」
「で、ですが……」
フェツィエナの先程までのコミュ障は鳴りを潜め、見た目五歳児のグーリフに大人としての対応をしている。だがグーリフは敵意を収める事なく、フェリシアを背に庇うように抱き締めたままだった。
そこでフェツィエナは、グーリフに抱き留められた意識のないフェリシアに、侍女が寄り添っている事に漸く気が付いたようである。
「光に求める癒しの力」
そこでは、ミアの魔法による治癒が行われていた。
光の手が対象を包み込む。マットの手によって乱れてしまったフェリシアの銀色の尾は、何事もなかったかのようにふんわりふさふさな状態に戻っていた。
「………………なるほど、レンナルツの者か。治癒魔法が使える者がいるとは知らなかったが」
ライモの淡々とした声が響くが、それに返す者はいない。
グーリフは当然返答をするつもりはなく、ミアは使用人枠なので、許可がない限り言葉を発する事は出来ないからだ。
そしてミアの出自がワシ種である事は、その容姿から分かる。そも国内に鳥族は少なく、四家しか存在しないのであれば判別自体容易だ。つまりはわざわざ応じる必要もない。
「帰るぞ」
「はい」
ミアによるフェリシアの治療が完全に終わった事を確認し、グーリフはフェリシアを抱き上げる。体格は殆ど同じなのだが、外見が偽りなので何の苦もなくだ。
周囲の者達は、当たり前だがグーリフの本質は分からない。だが先程気圧された事もあり、ただの五歳児ではないと嫌でも分からされていた。
(くそっ……。俺が傍にいながら、このていたらく。自分自身に腹が立つ)
内心の怒りが収まらず、グーリフから殺気と思える程の空気が立ち込めている。
何か言いたそうにしていたフェツィエナだったが、グーリフに背を向けられてしまった為、謝罪の意をもって深く頭を下げる事にしたようだ。隣ではライモが意識のない息子を抱きつつ、フェツィエナの肩を抱いている。
ミアは何も言わず、ピリピリとしたグーリフの後をついて行くだけだった。表情も見せない為、彼女の内心は判断がつかない。
そんな風に、最後は誰も何も出来ないまま、この大将邸での茶会が終了した。あまり後味が良いものでなかった事は、後々に拡がる噂のもとになる。それは幾ら大将とはいえども、回避出来るものではないのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
フェリシアが気が付いた時には、既にラングロフ邸に戻った後であった。しかも窓の外は暗く、完全に日が変わってしまっているだろうと予想される頃。
そしてフェリシアは自分の記憶に残っている部分を思い返し、どれだけ楽天的に考えたところであの後が良い結果になったと思えなかった。
(やっちゃったよね~、これ)
ベッドの上で頭を抱え、独り反省するフェリシア。
父親は中将なので、大将はひとつ上の位になる。上位の相手に対し、子供とはいえ非礼を行った事は処罰の対象になるのだ。
下手をすると、ヨアキムの降格にもなるかもしれない。次から次へと悪い考えが浮かび、フェリシアは胃が痛くなってきた。
<フェル?>
そこへ、静かに伺うような声が聞こえる。
俯いていた視線を上げれば、いつの間に部屋へきたのか、細く開けた扉の隙間からグーリフが顔を覗かせていた。
暗くてはっきり表情が見える訳ではないが、【ソウルメイト】として繋がっているフェリシアには分かる。──そしてスキル【神の眼】により、彼が落ち込んでいるという事もだ。
珍しく力ない歩みでフェリシアのいるベッドに近付いて来たグーリフは、そのまま傍の椅子に腰掛けただけで視線を落とす。
普段ならばすぐにでもフェリシアに触れてくる筈なのに、膝の上に置かれた拳は強く握りしめられていた。
フェリシアは先程意識が戻ったばかりであり、繋がっているグーリフだけがそれを察して部屋に顔を出したのであろう。
状況の把握は全く出来ていないのだが、フェリシアはあの時の攻撃によって己の意識が途絶えたであろう事は想像がついていた。そして、その後普通に考えてグーリフが反撃したであろう事も。
≪状態……【後悔】【憤怒】【自己嫌悪】≫
自然と視界に入るスキル【神の眼】は、グーリフの現在の内面を隠しもしない。
フェリシアがその文面に意識を向ければ、フェツィエナの時と同様、内心の思いを憚る事なく文字として読み取れてしまうのだ。
<グーリフ。何か、色々とありがとうね>
<礼などされる事なんかしちゃいねぇよ。……むしろ、俺がやらかしちまった事で>
<大丈夫だよ>
グーリフが悔やむ言葉を聞きたくなくて、被せるようにフェリシアは告げる。
全く大丈夫な訳はないだろうが、フェリシアの為に我慢させている今の状況は嫌だったのだ。
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