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第1章──幼年期1~4歳──

015 思い出させちゃダメ

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「あ、あれ?怪我してなかった?」
「大丈夫ですよ、御嬢様。マルコ様の御怪我は、プイッと飛んでいきました」

 にっこりと笑顔で答えたミアに、フェリシアは彼女のスキル【神の眼】説明書を思い出した。
 スキル【白魔女(魔力補正×2)】とは、白魔女として強い治癒系の魔法が使える。そして魔力値が2倍になる。後継者に与えられるとある。
 つまりは彼女の称号の【白魔女の後継者】というものが、実際に作用していたのだ。

「そっか……、良かった」
「よ、良くはないぞっ。すっごく心配したんだからなっ」

 いつになく熱血な様子のマルコに、フェリシアは目を丸くする。
 そして彼の視線から、自分の姿がヒト型に戻っている事に気が付いた。そして、いつの間に夜が明けていることも。

「あ、戻ってる……」
「……フェリシア御嬢様。覚えていらっしゃるのですか?」

 ぽつりと呟いた言葉に、ミアが眉尻を下げて問い掛けてくる。
 何をとは言わなかったが、獣型になっていた、誘拐された時の事だろうと推測された。

「うん、狼だった!」
「あ~……そう、ですね」

 楽しそうに答えたフェリシアに、ミアは困ったような泣きそうな顔をする。
 本来、ヒト科獣属が獣型にならないという事を、フェリシアはまだ知らないのだ。

「……シア?あのな、良く聞いてくれ」
「ん~?どうしたの、マル兄」
「うん、あのな。ぼく達は普通、変身しないんだ」
「ほえ?」

 それまで置いてきぼりだったマルコが、フェリシアの肩にれて注意を向けさせてから、ゆっくりと口にする。
 理解出来なかろうが、それが真実なのだと、フェリシアに教える為にだ。
 マルコの言葉を受け、フェリシアは彼の後ろにいるミアにも視線を向ける。そして、二人して同じような困った顔をしている事に気付いた。

「え?シア、狼だったよ?あれ?狼だったのに。え?何で?」

 嘘じゃないとばかりに、フェリシアは何度も何故を繰り返す。
 それを見たマルコは、首を横に振りながら告げた。

「うん、分かってる。シアは狼だったね。でもね、自分で変化した訳じゃないだろ?」
「あ……、うん。痛くて、苦しかった……」

 マルコに言われ、あの時の痛みを思い出すフェリシア。同時に呼吸が困難になり、身体が硬直していく。

「あ……っ、あ……っ」
「待って、シア。大丈夫だからっ。落ち着いて……、ゆっくりと息をしてっ?」

 フェリシアの異常に気付いたマルコは、慌てて背中を叩きながら声を掛けた。ミアも回復魔法の準備の為、魔力の集中を始める。
 PTSD──心的外傷後ストレス障害だ、とフェリシアは頭の片隅で思った。
 勿論そんな事態に『記憶』の中でも陥った事がなかったので、実際に自分がどうなるかなど知らない。けれども知識としてはあった。

(だ、大丈夫……。あの時は確かに、痛くて苦しかった。でも、今は違うから……っ)

 フェリシアはギュッと強く目を閉じ、歯を食い縛る。
 ──泣きそうになる。叫びそうになる。暴れて、逃げたくなる。
 でも今は──ここは何処だと、冷静になれと自分に言い聞かせた。マルコとミアがいるという事は、ラングロフ邸だとフェリシアは推測する。
 ──それならば、もう危険はない筈なのだ。
 ふっ、ふっ、ふっと、短く呼吸をするフェリシア。
 恐怖に呑まれてはならないと頭では分かっているが、心が悲鳴をあげている。一人では乗り越えられそうになかった。

(……グーリフ)

 思わず心の中で、フェリシアはい願う。
 すると遠くの方から、騒ぎと喧騒が聞こえてきた。そして近付いてくる。──いまだに現状維持する事で必死なフェリシアは知らないが、ラングロフ邸を有り得ない速度で駆け抜けるものがいた。
 ドカン、と壁が突き破られる。即座にマルコは防御結界を張り、ミアは短剣を片手に戦闘体勢に入っていた。
 ゴウッと風が吹き、砂煙が飛ばされる。そこにいたのは、灰色の巨大な馬。否、魔獣である。

「グー、リフ……」

 魔獣の背後から迫る喧騒や罵声、マルコとミアが向ける殺気を全て無視して、フェリシアはその存在を認識した。
 倒れるようにしてベッドに横たわったものの、視線を向け、冷や汗に濡れた疲れた顔を見せながらも、薄く微笑んだのである。
 その瞬間、マルコとミアはさとった。フェリシアが求め、それに応じたのがこの──ヒトならば誰でも恐れる魔獣なのだと。

「くっ……」

 悔しさに顔をゆがめながらも、マルコは結界を解除した。驚愕に目を見開くミアを視界の片隅に入れながらも、ゆっくりと後退する。
 けれどもミアは動けなかった。彼女はフェリシアと魔獣の直線上にいた為、魔獣からの視線を浴びていたのである。

「邪魔だ、どけ」

 単にグーリフは、フェリシアに近付く為に、ミアが障害であったからだ。
 しかしながら魔獣の言葉が分からない周囲にとって、それが唸り声であり、威圧でもある。

「ミア……、引くんだ」
「し、しかしっ」

 マルコも、当たり前ながら魔獣の言葉は分からない。けれどもフェリシアが求めているものは察する事が出来る為、ミアから身を引くように告げた。
 勿論、もし魔獣がフェリシアに対して何かしようとするならば、全力で叩きのめすつもりでもある。

「ミア」
「……わ、分かりました……」

 再三のマルコからの指摘に、ようやく首を縦に振るミアだ。
 渋々ながらではあるが、ゆっくりと、マルコがいる辺りまで下がっていく。
 パラパラパラ、とグーリフの上に崩れた壁の残骸が降る。それは彼が動き出した証拠であり、それもすぐさまネアンの魔力で吹き飛ばされた。

「フェル。……待たせた」
「う、ん……待っ、てた……グー、リフ」

 グーリフのブルルッという反応に、フェリシアは苦し気ではあったが、言葉が通じているかのように応じている。
 そして歩み寄ってきたグーリフに手を伸ばし、寄せられた顔に抱き付いた。
 周囲の面々は、その行為に息を呑む。
 けれどもグーリフは、静かにその場に膝を付き、体を床に沈める。それはまるで、フェリシアに身を寄せるかのようで、守っているようにも見えた。
 そしてフェリシアは、静かに目を閉じる。

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 静かな、緊張した空気が漂う中。
 マルコが魔獣の隙間から伺う限りでは、フェリシアの呼吸も正常化したようで、顔にも赤みが戻っていた。
 しかしながら、マルコ自身が納得いかない。目の前では唯一無二の最愛の妹が、何故か魔獣に寄り添われて、穏やかな表情で眠っている。

「……何だよ、これ」
「さ、さぁ……」

 マルコとミアは、疲れたように互いの顔を見合わせる。
 外ではまだ状況が分かっていないらしく、ザワザワと声をひそめつつ言葉を交わしているようだ。
 とりあえず状況説明を含め、誰かがこの場を納めなくてはならない。

「はぁ……、仕方ない。ぼくが外に説明をしに行って来るから、ミアはここに待機していてくれないか?」
「あ、はい。かしこまりました。いざとなれば、この身をもってフェリシア御嬢様を御守り致します」

 完全にグーリフに気を許した訳ではないミアは、疲れたように溜め息をいたマルコに、拳を握って意気込みを見せた。──勿論、その片手には先程から短剣を所持している。
 それを見たマルコは、再度小さく溜め息をいた。
 見ているだけで危ないし、何より魔獣の気分を害しでもすれば、その間近にいるフェリシアに危険が迫る。

「うん、そうだな。とりあえず、剣はしまっておこう」
「あ、了解です」

 ミアの返答を聞き、マルコは無理矢理気分を入れ替えた。そして、片手を軽く振りながら室内の扉へ向かう。
 既に部屋と言っては語弊があるかもしれないが、さすがに魔獣の背後にある風穴から、外に出る気はしなかったのだ。
 廊下に出たところで、再び溜め息が出そうになる。何故ならば、物凄い形相の父親ヨアキムが、これまた必死な表情の執事ノルトに羽交い締めにされていたからだ。

「何をしているの、父様」
「ぐっ……、何をか、聞かねば、分からぬか……?」

 あきれつつも問えば、ヨアキムの口から予想通りの返答が返ってくる。──だが、怒りに我を忘れた状態であるのは確実だ。
 ヨアキムの力量からかんがみて、本来ならばノルトに力押しで負ける筈がない。それが易々と押さえ込まれている。
 元よりノルトは、他者の力を己の力にする戦いが得意だ。力の方向を受けるのではなく、無理のない流し方をする事で、自分に都合の良い力場を作る。

「父様。ここで騒ぎを起こすのは、それこそ愚者のする事。外へ行こう、他の者と一緒に説明をするから」
「し、かし……っ」
「ノルト、頼むね」
「はい、マルコ様」
「おま……っ、ノルト……っ。主人、を……っ」
「はいはい、うるさいから。ぼくは先に行くよ。遅れたら説明聞けないから」

 怒りもあきれも隠そうとせず、マルコは自身の父親に対して言い放った。
 この場で長々と時間サッドをとってはいられないのである。
 いまだにノルトと押し相撲のような状態のヨアキムを放置し、マルコは一人、屋敷の外に向かった。

「は~い、ちょっと良いかな」
「マルコ様」
「「マルコ様」」
「「マルコ様」」

 ぐるりと外に回り、フェリシアのいる客室の外に出る。そこでは予想通り、護衛役の使用人達が今にも客室に飛び込みそうだった。
 マルコが声を掛ければ、口々に名を呼び返してくる。──総勢五名。門番二名と護衛二名、馬屋番一名だ。

「うん、お仕事ご苦労様」

 マルコはとりあえずとばかりに、彼等をねぎらっておく。
 早朝からこの騒ぎで、まだ一日の仕事が大半残っているのに、彼等が一番の被害者かもしれなかった。おまけに、この壊れた・・・客室の修理も追加になるだろう。

「あのね。結論から言うと、あの魔獣はシアのだから」

 マルコは彼等をねぎらった口で、痛恨の一撃たる言葉を告げた。
 案の定、皆がガヤガヤと口々に反論めいた事を言い出す。──その反応も予測済みだ。
 そして、そこへ遅れてヨアキムとノルトが現れた。否、ヨアキムはなかば引きられている。
 それで良いのか当主──とも思うが、今は些末さまつな事なので、マルコは放置した。
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