「結婚しよう」

まひる

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第十章

9.これはもう動かない【2】

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 辺りはシンと静まっています。そして誰も口を開きませんでした。
 当たり前ですよね──私がメソメソ泣いていては、誰だって声を掛けにくい筈です。でも頭では泣き止まなくてはと思っていても、だらりと力なく下がったままのヴォルの左腕を見ると涙があふれてきてしまうのです。

「……すまない、メル。俺は……、泣かせてばかりだ」

 ヴォルから苦しそうに告げられました。
 違うのに──そうでないのに、喉が詰まって何も言葉に出来ません。そこで私はそうではないのだと伝える為に、必死に首を横に振りました。

「優しいねぇ、メルは。こういう時は、ビシッて言っちゃって良いんだよ?ガツンと言わなきゃたぶん一生分からないよ、こういう朴念仁ぼくねんじんにはさぁ」

 両手を広げて『お手上げ』の意思表示をするベンダーツさんです。
 でも、何の事を指摘されているのか分かりませんでした。そして私はその感情のまま、少しだけ首をかしげます。

「あ、だからね?私が物凄く心配したのにっ、とか。人前で口付けなんて恥ずかしいからっ、とか?」

 ニコッと笑顔を見せたベンダーツさんは、スラスラと私の心情をさらしてくれました。
 その言葉に、さっきまでとは違う感情を思い出してします。あまりの心境の変化に、さすがに涙も止まってしまいました。
 私は一旦は落ち着いていた心臓の動きが、再度爆発したかのように暴れだすのを感じます。

「も、もうそれは良いのですっ」

「すまない、メル」

 熱くなった顔で声を荒げた私に、ヴォルがまた頭を下げました。最早もはや何に謝罪されているのか、分からなくなってきた私です。
 とにかくもうヴォルに怒ってはいませんでした。ただ私はヴォルの身体が心配なのです。
 現時点で左腕が動かないのは魔力が足りないからなのでしょうが、それが今だけの事なのかそうでないのかの区別もつきませんでした。ただ分かるのは、一時的な事でも彼が不自由な思いをしてしまうという事だけです。
 私は様々な思考の中でどう伝えて良いのか分からず、混乱しそうになっていました。

「……分かった。メル、左手は再度マークに依頼する」

「俺?」

 私の内心の問いに答えるかのように、ヴォルが告げます。
 そして急に名前を呼ばれて驚いたようなベンダーツさんは、自身を指差して問い返していました。

「えっと……あの、……はい」

 私は戸惑いつつも、とりあえず頷きます。
 ベンダーツさんが義手に詳しい事は、既に私も知っていました。ヴォルの腕を治せる技師を、他に知らない事も事実です。

「それと一つだけ。完全に俺の魔力がなくなった訳ではない。げんにこうして精霊と会話をしている」

 淡々と言葉を繋ぐヴォルでした。
 魔力がなくなった訳ではない事は分かりましたが、今も精霊さんと会話をしているとの事です。
 これが意味するのは──どうやら、私の心の中の問いを精霊さん通じて聞いているようでした。
 ──って言う事は、内心駄々漏れではないですかっ?!

「問題ない。私的情報は開示かいじされない」

 相変わらずヴォルは、無表情で答えてくれます。
 本当に『内心駄々漏れ』なのだと突き付けれ、私はそれまでとは違った意味で頭の中を血が上がったり下がったり、忙しく駆け巡りました。
 ──ちょっと精霊さんっ。私の心の中を、勝手に通訳しないでくれますかっ?
 私は見えない精霊さんに向かって、心の中で思い切り苦情を告げます。本人の承諾もなしに、思っている事を全て相手に伝えられては大変困るのでした。
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