「結婚しよう」

まひる

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第九章

2.認めている【5】

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「行こう、メル」

「は、はい」

 私はヴォルにうながされ、ようやく宿屋に入ります。
 宿の中は木の板が剥き出しの内装でしたが、清掃が行き届いていてとても清潔な感じがしました。

「申し訳ございませんでした、ヴォルティ様。到着早々気分を害してしまいましたね」

「……お前の馴染みか?」

 苦笑いを浮かべるベンダーツさんへ、片眉を上げるように問い掛けたヴォルです。

「いえ、何かと因縁をつけられるくらいです。スマクトブ様は子爵の出自ですが以前から業績があまり良くなく、五年以内での実績を求められていらっしゃいます。今年はその最終年の筈ですが……跡継ぎであらせられるかたが騎士をされていると言う事は、実質爵位の継続はここでの業績次第となるでしょうか」

 ベンダーツさんは顔を伏せ、感情を乗せずに説明しました。
 それまでは何だか人の多さに呆気に取られてしまって、私はほとんど対応出来なかったのです。宿に入った事で人の目線から解放された私は、ようやく彼等の話に疑問を覚える余裕が出来ました。

「貴族のかたの爵位って、ずっと引き継がれていくものではないのですか?」

 不意に気になった貴族のくらいについて、ヴォルに問い掛けます。
 五年という期限があった事も不思議ですが、最後の年とか業績次第とかも気になっていました。

「爵位は皇帝から与えられる職種の様なものだ。継続的にその名に恥じない業績を残せなければ、爵位は降格も剥奪もされる」

 ヴォルがそう説明してくれます。
 つまりは貴族だからと、全員が地位に胡座あぐらいて座っている訳ではないようでした。皇帝様も考えられているようです。

「親から子へ、当たり前に継がれていくのだと思っていました」

「それですと、地位に固執して悪事を働くやからが増えますからね。現時点でも少なくはないのですが」

 私の呟きに、ベンダーツさんの冷たい言葉が降りかかりました。
 ベンダーツさん、相変わらず言葉が切れています。お仕事仕様でもへつらう事がないのはさすがでした。

「相変わらずだな。お前が認める臣下しんかはいないのか」

「その様な者がいれば、私の仕事も少しは楽になっていたのでしょうけどね。それこそ通常のヴォルティ様の補佐業務外で、まとわりつくコバエの清掃などを含む激務でした」

 わずかに苦い表情を浮かべるヴォルです。それに対してお城を思い出したのか、ベンダーツさんは眉を寄せて嫌そうな顔を見せました。
 でも、ただの従者ではないところがベンダーツさんなのだと私は思っています。

「お前にとっても、俺が皇帝にならない方が良かっただろ」

「どうですかね。ですが確立された地位があれば、それを後ろ盾にもう少し派手に動けたのやも知れません」

 ヴォルが溜め息をつきましたが、逆に悪そうな笑みを浮かべたベンダーツさんでした。
 何をしようとしているのか不明ですが──こういう時のベンダーツさんは怖いです。今は片眼鏡モノクルをしていませんが、雰囲気が丸ごと変わっているように感じました。

「眼鏡があってもなくても、ベンダーツさんはベンダーツさんなのですよね」

 私はしみじみと口にします。
 それは片眼鏡モノクルがない、人付き合いの良さそうなベンダーツさんをしばらく見ていた反動からでもありました。

「……メルシャ様。誤解のないようにお伝えしますが、私の眼鏡は書類処理用です。細かい文字を判別するだけではなく、書類に込められた魔力を見分ける事に使います。ガラス製作に魔法石を砕いた砂を混ぜてあるのですよ。……秘密ですけどね」

 本当に秘密を教えてくれているのか、口元に人差し指を当てて小さな声で説明してくれます。
 凄いですね、ベンダーツさん。片眼鏡モノクルは、ただの飾りではありませんでした。目が悪くて使っている訳ではないのは、ずっと外しているこの旅で分かってましたけど。

「俺の手元に届く書類は、必ずお前の目が通ってたからな」

「はい。ですがその様な工作された書類や書簡など、ヴォルティ様でしたなら開封前の一目で判別されたでしょうが」

 肩をすくめるヴォルに、ベンダーツさんはにっこりと告げました。
 なるほどです──魔力や魔法を使っての書き付けを送る事も出来るようです。
 使い方次第で色々可能な魔力は、使えない私からしてみれば本当に怖いものなのだと感じました。
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