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交際編──第七章『ブザーは押さないと意味がない』──

その60。空気を読む

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 スッと空気が冷えた感覚が襲う。
 美鈴みすずは不思議に思い、周囲を見回した。

「……あら、且元かつもとさん。ごめんなさいね?息子が来たものだから、つい話し込んでしまっていたわ」
「いいえ、私は大丈夫です」

 美鈴へ向けていたとのは真逆の、とても良い笑顔を浮かべる脩一しゅういち母である。
 どうやら推測するに、彼女と脩一の顔合わせが目的だったようだ。
 美鈴は不安になって脩一を見上げると、先程の眉間のシワが消えている。──というより、表情すら消えていた。

「脩一。こちら、且元恒穂つねほさん。御父様は大手銀行の頭取なの」
「………………初めまして、牧田脩一です」
「あ、御丁寧にありがとうございます。私は且元恒穂です。初めまして」

 会釈する脩一に倣い、大和撫子改め且元も頭部を下げて挨拶を交わす。
 それにしても、且元の身長はかなり小柄だった。脩一と並ぶと、且元の目線が脩一の肩位置よりも低い。
 けれども場所はホテルのロビーで、更に見知らぬ男女の顔合わせだ。──美鈴が隣にいなければ、見合いとしか言いようがない。

 そんな中、美鈴は脩一母との出会いを思い返してみた。
 しかしながら初見の時は、その直前にストーカー犯との邂逅かいこうがあったのである。既に脩一母との出会いはそれだけで、普通の状況ではなかった。
 二回目は、美鈴が誘拐の上で拉致・監禁され、救出後の病院。それも当然、普通の状況ではない。
 三回目の今回、脩一母が見合いの席を改めて設けたのに、またしても呼んでいない美鈴の登場と印象付けられたようだ。

 ──もしかして私……脩一さんのお母さんにとって、疫病神的な立ち位置かも?

 深く考えなくとも、脩一母に好かれる要素は今のところ美鈴に全く見当たらない。
 思考はそこまで行き着き、自然と美鈴の足が一歩退いた。けれどもそこで、脩一と繋がれた手が動きを止めさせる。
 反射的に見上げた美鈴の視線が脩一と合う。彼の怒りで消えていた表情が、驚きから苦痛に変わった。

「申し訳ありません。母がどのように御伝えしているかは分かりませんが、現在私には交際している女性がいます。そして、他の方と御近付きになるつもりは一切ありません」
「ちょ、脩一っ」
「……あら、そうでしたのね。私もお見合いは気乗りしていませんでしたが、父から言い付けられてこちらに参りましたの。これで御断りする口実が出来ましたわ。それでは、失礼致します」

 脩一は真っ直ぐ且元に向き直ると、丁寧に頭を下げてそう告げる。
 焦ったような脩一母だったが、言葉を続けるよりも先に、且元が緩やかな笑みと共に返してきた。真意は不明だが、見合いの場に女性同伴でやって来た脩一に対し、良い印象を受ける筈もない。
 結果的に、脩一が悪者になった気がする美鈴だ。しかし、且元が立ち去った後の脩一母のヒステリーにより、それどころではなくなる。

「脩一っ、なんて事をしてくれるのよっ。場を設けるのが二回目だったから、本当に苦労したのよっ。それなのに、ようやく足を運んでくれた先方に何て態度かしら、恥ずかしいわっ」
「……母さんこそ何考えてるんだ。俺ははっきりと言った筈だ。美鈴と付き合ってる。彼女と結婚するつもりだ。母さんのくだらないプライドで美鈴を傷付けるな」
「貴方ねぇ。相手の家柄も考えなさいよっ。うちは」
「もう良い、十分だ。俺は母さんの為に結婚する訳じゃない。言いなりになる息子が欲しければ今からでも捜すんだな。絶縁する」
「なっ」
「脩一さん?」

 互いにヒートアップしたゆえだろう。ホテルのロビーで衆人環視である事は、二人ともすっかり頭から抜け落ちているようだった。
 美鈴は喚くような脩一母と、静かに怒りを見せる脩一の間に入る。そして繋がれた手はそのままに、もう一方の手で脩一の胸辺りにれた。
 間に美鈴が入り、ボディータッチをされた事で脩一の意識が向けられる。

「あのね、ここでは他の人の御迷惑になると思うの」
「……………………お騒がせして申し訳ありませんでした」
「場所を移しましょう。ちょうど……というか、そのつもりではなかったのだけれど、食事を用意しているの。……美鈴さんが嫌でないのなら、だけど」

 美鈴はわざとゆっくり脩一に告げた。そうする事で状況を察した脩一は、己の怒りを圧し殺して周囲へ向けて謝罪する。
 一言で場を納めた美鈴へ思うところがあったのか、脩一母は先程のヒステリーを見せない静かな口調で、脩一と美鈴に言った。

「そんなの」
「大丈夫よ、脩一さん。経緯はともかく、ちゃんと話し合った方が良いと思う」
「……分かったよ。で、場所は何処?」
「奥のレストランに個室を取ってあるわ」

 ピリッとした物言いの脩一に、美鈴は安心させるように微笑む。
 せっかく脩一母が譲歩してきているのだから、ここで脩一に怒りを再燃されても困るのだ。
 本音を言えば、脩一の見合い場所だった所に招かれ、愉快である筈がない。けれども今この二人だけにすれば、話が纏まるどころかとんでもない事になりそうだったからだ。
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