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交際編──第七章『ブザーは押さないと意味がない』──

その52。昼食の傍らに

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 ※ ※ ※ ※ ※

 あれから一月ひとつきが経った。
 会社での美鈴みすずは、脩一しゅういちの婚約者であると大半の人から認識されている。当然認めたくない人達も少なくいたが、事あるごとに脩一は美鈴に寄り添ったのだ。──そう、物理的に。
 婚約指輪としてエタニティリングを身に付けた美鈴と、これまで社内の女性を寄せ付けなかったのに今は隠す事なく彼女のそばにいる脩一である。
 もはや立ち入る隙はないとばかりに、最近では直接嫌がらせをする者もほとんどいなくなった。

 実際に噂の顛末てんまつとしては、美鈴の金曜日の早退も脩一が一週間欠勤した事も、婚約手続きの為という事になっている。
 さすがに誘拐・拉致・監禁などの事件を公表出来ないし、脩一のストーカー事件もあまり公にはされたくなかった。これには双方の両親と会社側の意見が合致した為、『もう全てが婚約の為で良いか』とされたのである。
 その為もあって、美鈴としては脩一のプロポーズを受けてすぐであったにも関わらず、両家の顔合わせが改めてなされる事となった。
 そして脩一も機を逃さないようにか行動が早く、婚約指輪を作る為に宝石商へと美鈴と共に足を運んだのである。
 結果、現在美鈴の左薬指に堂々とした証が掲げられた。

「あの人も案外肉食だったのねぇ」

 同期の大野萌枝もえが、食堂の日替りランチを口に運びながら告げる。
 今日は美鈴が早番はやばんで、昼食を共に出来る日だった。

「肉食って……。人は雑食でしょ?」
「ヤダなぁ、スズちゃん。これは比喩よぉ。実際に牧田さんといえば、これまで社内で人気ナンバーワン・ツーを落とした事がない程の男よ?そもそも同じ二課営業担当の水納みずなさん以外競う相手がいないとされている容姿なのに、何故か女性社員に全くなびかない男として有名だったのよ?高嶺の華どころか、あっちの噂まで囁かれる程だったんだからぁ」

 そう言いながら、本日のメインである唐揚げを箸に刺した状態で美鈴に箸先を向ける。
 しかしながらその内容は、脩一本人が聞いたら卒倒しそうなものだ。

「もう、お行儀が悪いよモエちゃん。それにそんな内容は、あまり口にするものじゃないよ」
「だってぇ、ぱくっ……。結構これ、社内で有名な話なんだよぉ?でもそんな中、スズちゃんと電撃婚約だもんね。牧田さんは至ってノーマルだったって事だねぇ。あ、もしくはフェイク?彼氏いるけど、とかぁ?」
「あはは……」

 萌枝の指摘に、美鈴は苦笑いを返すしかなかった。
 美鈴が知らなかっただけで、人気がある者に噂は付き物である。しかも全国に支社があるAlbaアルバ社内でも、本社営業二課の営業担当へはどうしても人の目が集中した。
 真偽は別として、どうしても恋バナに発展させたいらしい。

「それ、俺の話?」
「「っ?!」」

 そんな最中、突然背後から声を掛けられた。
 話していた萌枝も気付かなかったようで、二人して肩を跳ねさせる。
 しかしながら声フェチの美鈴としては、姿が見えなくとも誰何すいかする必要性も感じない程に聞き慣れた肉声だった。

「ごごごごめんなさいっ」
「くくくっ、そんなに焦らなくても良いじゃない。で……俺の彼氏って、誰?」

 大慌てで謝罪を口にする美鈴の隣へ、スルリと流れるように腰を下ろす脩一である。──必然的に対面となった萌枝は、既に石化でもしたかのように硬直していた。
 何故なら、笑みを浮かべている脩一の、笑っていない瞳が萌枝に向けられている。

「ああああの……これは、そのっ」

 萌枝が何も話さないのを見て、何とか取り繕おうとした美鈴だった。けれどもそれを遮るかのように脩一の視線が向けられ、そのまま息を呑む。──余計な事は言わないでねという、無言の圧力を感じたのだ。
 社内での脩一は、いまだに穏和な態度で『営業担当の牧田』を演じていた。しかしながら美鈴は、の脩一本人がもっと『熱い』人間だと知っている。──勿論、暴力を振るったり暴言を吐くような狂暴さを見た事はないので、『激しい』という意味ではないが。

「……本当に、噂って当てにならないよね。こんなにも俺と美鈴が愛し合ってるのに」
「ふきゅっ」

 そして一瞬静まり返った食堂で、脩一は瞳を細めながら指で美鈴の唇に触れた。
 途端、食堂内にざわめきと美鈴のおかしな悲鳴(?)が響く。

「ちょっ?それ以上は公序良俗に反しますよ、牧田さん」
「婚約者なのに?」
「当然です。こんな人目が多いところで、これ以上スズちゃんのこんな可愛い姿を晒しても良いんですか?」

    萌枝と脩一の視線が美鈴に集まった。
 美鈴は萌枝が言う『こんな』の意味が分からなかったが、不意に脩一から唇をれられた事は非常に恥ずかしい。ゆえに赤面しているだろう事は分かるが、もしかすると変顔になっているのかもしれないと逆に不安になってしまった。
 そして真っ赤に染まった顔の、潤んだ美鈴の瞳と脩一のそれがぶつかる。

「……悪かった、やり過ぎた」

 すぐに脩一は謝罪を口にしながら、美鈴を抱き締めて腕の中に隠すのだった。
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