上 下
44 / 92
ストーカー編──第六章『光輝く』──

その44。共に歩む道 1

しおりを挟む
 ※ ※ ※ ※ ※

「あ……れ?ここ、何処?」
「もうすぐ湖に出る」
「えっ?」

 ようやく再起動した美鈴みすずは、現在地を知ろうとしているのかキョロキョロと周囲を確認していた。
 彼女のこういった動作が『小動物っぽい』と、脩一しゅういちは運転しながらも微笑ましく見つめる。
 昨夜はあまり寝られなかったようで、顔色があまりすぐれなかった。けれども病院を出てから二時間程仮眠を取れた事で、随分顔色が良くなったように思える。
 本来ならば真っ直ぐ家に帰してやるのが良いと頭では分かっていた脩一だったが、初めて覚えた『独占欲』を抑えきれなかったのだ。

「あ、あの……私、寝ちゃってたみたい」
「あぁ、少しだけな。夜はあまり眠れなかったんだろ。もう大丈夫なのか?」
「うん。さすがに昨日は、日中寝過ぎたっぽくて……。でも少し眠れてすっきりした。ごめんね、一人で運転させちゃって」
「別に構わない。気にするな」

 そう言いつつ、美鈴の頭を撫でる。
 脩一の行動に一瞬目を見張るも、すぐに瞳を細めて小さな笑みを浮かべる彼女だ。
 運転中でなければもう少し構いたいが、この反応を見れただけで今は自制しようと、脩一は再びハンドルに手を戻す。

「でも、どうして湖?」
「いや………………。正直、真っ直ぐ家に帰したくなかった」
「え……?」
「あ~……、もっと二人の時間が欲しいと思ったんだ」

 小首をかしげる美鈴に、一瞬内心を誤魔化そうかと思った脩一。しかしながら彼女に下手な言葉を言おうものなら、そのまま真に受けそうで怖くなった。
 多少格好が悪くとも、想いを言葉にしなくては伝わらないと知ったばかりである。

「脩一さん……、ありがとう。私も……」
「家に帰すと、手を出さない保証がなかったし」
「ぅきゅっ!」
「ごめん。美鈴を変に緊張させるつもりはないんだが……俺自身、人目がないと自制が効かない」

 身体を強張らせた美鈴に、脩一は素直に心情を吐露した。
 ストーカー犯と直面して、女性美鈴れられなくなった先週末を思い出す。そして誘拐事件があり、救出する事に必死だった先日の自分がいた。
 彼女を失うかもしれない恐怖を感じた為か、昨日は勿論、今日も脩一は美鈴にれられている。
 けれども、脩一のPTSDが完治したとは言い切れなかった。──それこそ、いつフラッシュバックが起こるか分からない。

「焦ってる自分は理解してる。でも……」
「大丈夫よ脩一さん、ゆっくりで。私はどちらかと言うと、グイグイ来られる方が身を引いちゃうかも」
「……くくっ、そんな感じはするな」

 自嘲する脩一に対し、美鈴は困ったような照れた笑みを浮かべた。
 男慣れしていない初心うぶな彼女も良いが、今の脩一の心は闇に怯えると同時に狼を飼っている。れられなくなる前に、その壁を壊したいと思っているのだ。
 だが、今はその時ではない。

「でもまぁとりあえず、俺の男心は揺らいでるんだ。美鈴にあおられて羽目を外す事がないように、衆人環視のもとでいたい訳」
「……何だか、男性も大変なのね」
「美鈴と普通のデートがしたいのも事実だ」
「あ、デート、なの?」
「そ。ほら、第一の目的地」
「あっ、大きな橋っ」

 正面に大きな湖に掛かる橋が見えてきた。
 通行は有料であるものの、金額的にたいしたものではない。そして支払うだけの価値があった。
 湖を西側から東へ行く追い越し車線の一部には、走行音がメロディーに聞こえる仕掛けがなされている橋なのである。

「ほら、少し窓を開けてみな」
「え?……あ、音楽?凄いっ、何の曲か分からないけど、ちゃんと聞こえるっ」

 車内の音源を切り、美鈴に確認させる脩一だ。
 ちなみにこれを聞きたいが為、皆が速度をある程度は守る。なかなかの発想力だと、脩一は感心した。──勿論、情報としてあらかじめ取得済みである。

「橋は歩いても渡れる。展望台があるが、行ってみるか?」
「うん、行きたいっ」
「分かった」

 そうして一度橋を通過した後、近くの有料駐車場へと車を入れた。
 徒歩や自転車で橋を渡る場合に料金は必要ない為、利用者が多い──と脩一の事前情報収集で頭にある。
 展望台までは少し距離があるが、今日は梅雨の中休みで晴れ間が見えていた。おかげで見張らしも良く、湖面を吹き抜ける風は心地好い。

「ふわぁ~、風が気持ち良い~」
「……そうだな」

 その声に視線を移せば、風に遊ばれて美鈴の髪が柔らかく揺れていた。
 普段は隠されたうなじが時折あらわになり、腰の辺りがゾクリとうずく。脩一はその衝動に息を呑んだが、細く呼気を吐いて自制する事に必死だ。

 ──まずい……。触りたい、抱き締めたい。美鈴彼女に……入りたい。……って俺、こんなにがっついてたか?

 冷静沈着な外面そとづらも、心の内では欲にまみれている。
 これまで単なる処理・・としてきた脩一にとって、『性的欲求を覚えたばかりの十代』としか思えない己の反応に内心で苦笑が浮かんだ。
 けれども美鈴と共に歩む道は、これまでにない程とても色鮮やかなものに見えていたのである。
しおりを挟む

処理中です...