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かいこい編──第二章『出会い』──
その11。幸運と衝撃のダブルパンチ 3
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※ ※ ※ ※ ※
──何なの、何なの~っ?!私ってば、どうしちゃったぁぁぁぁぁぁ。顔、超熱いんですけどぉ~っ?
三階の更衣室に駆け込んだ美鈴は、自分のロッカー前でしゃがみこんで頭を抱え、心の中で絶叫している。その顔も耳も真っ赤で、頭頂部からは湯気が出てきてもおかしくない程、全身が羞恥に染まっていた。
だが実のところ、美鈴は自身のこの心境が分かっていない。対人スキルどころか、異性への接触すら学生時代の『御遊戯』以外にないのだ。
それが、半ば抱き締められるかのような──否、実際に抱き留められていた──先程の距離である。結果、混乱してしかるべきなのだ。
──でも………………良い匂い、した……っ?いやいやいやまってそれって私が変態みたいじゃんっ。
あの距離で見つめ合っておきながら、残念ながら美鈴の脳裏には先程の男性の顔が記憶されていない。
ただ覚えているのは美鈴の嫌悪すべき人工的な香料ではなく、石鹸のような清涼感のある匂いが印象的だった。──たったそれだけである。
しかしながらそれがどうしてか、己の鼓動に異常を起こしている原因なのだ。
──あ~……う~……意味分かんないけど、嫌な苦しさでも……ない、のよね?
深呼吸をしながら美鈴は自己解析をする。
記憶の中では既に、先程の男性の顔にモザイクが掛かっていた。──非常に残念である。
──あれ?さっきの人の顔……、どんなだった?……背は高かった……と思うけど……。
少しずつ冷静になってきた美鈴だが、手を伸ばせば触れられる程の距離に相手の顔があったにも関わらず、全くといって良い程に覚えていない。
目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。そんな当たり前の位置関係は分かるのだが、普段から何となくの雰囲気で人の顔を認識しているのだ。その為、二重だとかほくろがあるとか、そういった細部に気を配る事が出来ない。
──ダメだ……。次に会っても、判別出来る自信が全く欠片もないよぉ。一応謝ったけど、ぶつかったのは私だよねぇ?階段を降りる人、優先だよねぇ?
混乱していたとはいえ、あの謝罪の仕方は社会人としてどうなのかと今更ながらに美鈴は頭を抱えた。
しかしながら、既に相手が何処の誰かも分からない。階上から下りてきたので、社内の人なのだろう的な感覚しかなかった。
「はぁ……。もう着替えよう。考えるの、疲れちゃった」
美鈴は大きく溜め息を吐きながら、ノロノロと身体を起こした。先程までの早く帰社出来そうだという喜びは、既に萎んで消えてしまっている。
けれども無意味に更衣室に座り込んでいても仕方がない為、内勤者用の制服──女性社員と倉庫業務の男性社員にだけ割り当てられている──から、自分の服に着替える事にした。
──帰りにお酒買って帰ろっと。やっぱり、桃系とか葡萄系とか、甘くて美味しい物が気持ちを上げてくれるよねぇ~。
もはや自棄酒気分──ちなみに甘いお酒が好き──で、美鈴は気持ちを入れ替える事にする。
美鈴は会社から地下鉄三駅の距離のアパートで、もう一年半程独り暮らしをしていた。
実家は通えない距離ではないが少々交通の便が悪く、公共交通機関で通勤するとなると二時間程掛かってしまう。元々寮に入れてもらうつもりでいたが、その年の社員が多かったからとかで、会社からの直線距離を言い訳に省かれてしまったのだ。
──直線距離で通勤出来ないんだから、その辺りは考慮してほしかったよね。
今更何を言ったところで変わらないが、不満として美鈴の心の片隅にいつまでも残っている。
入社当初の美鈴は、陽の上がる前に起きてバスに乗り、更には電車と地下鉄で通勤していた。
しかしながら慣れない社会人としてのストレスと、通勤のストレス。家を出たかったというストレスのトリプルパンチにより、十九歳の冬──初ボーナスと二度目のボーナスを使い──親に相談せずに賃貸契約をしてきたのである。
勿論当時は未成年であった為、『仮押さえ』という形で手付金を納め、両親に承諾のサインを半ば強引に書かせた。
『独り暮らしなんて、出来る訳ないでしょ!』
『出来るよっ。一切、援助なんていらないからっ』
とまぁ、売り言葉に買い言葉があり、母親と一悶着を起こしたのであるが。父親の方は比較的美鈴に寛容であり、心配そうな顔をしつつも認めてくれたのだ。
更に自営業であった事もあり、引っ越し作業の為のトラックなどを出してくれて、美鈴としては引っ越し代金は一切発生しなかったのである。
そして美鈴は独り暮らしを初めてからというもの、年に数回帰るくらいだった。車で三十分程の距離にも関わらず、金銭的援助も物資的援助も頑なに断っていた。──ようは頑固なのである。
──はい、はい。今日も無事……とは言い難いけど、終わりました~っと。
ロッカーの鍵を閉め、美鈴は気分を切り替えて更衣室を出た。
もう先程の衝突事故の事は、美鈴の頭の片隅に追いやられている。現在は帰りに寄るコンビニでどんなお酒を買おうかと、そんな事を考えていた。
そうして一番最後の階段を降りきった時──。
──何なの、何なの~っ?!私ってば、どうしちゃったぁぁぁぁぁぁ。顔、超熱いんですけどぉ~っ?
三階の更衣室に駆け込んだ美鈴は、自分のロッカー前でしゃがみこんで頭を抱え、心の中で絶叫している。その顔も耳も真っ赤で、頭頂部からは湯気が出てきてもおかしくない程、全身が羞恥に染まっていた。
だが実のところ、美鈴は自身のこの心境が分かっていない。対人スキルどころか、異性への接触すら学生時代の『御遊戯』以外にないのだ。
それが、半ば抱き締められるかのような──否、実際に抱き留められていた──先程の距離である。結果、混乱してしかるべきなのだ。
──でも………………良い匂い、した……っ?いやいやいやまってそれって私が変態みたいじゃんっ。
あの距離で見つめ合っておきながら、残念ながら美鈴の脳裏には先程の男性の顔が記憶されていない。
ただ覚えているのは美鈴の嫌悪すべき人工的な香料ではなく、石鹸のような清涼感のある匂いが印象的だった。──たったそれだけである。
しかしながらそれがどうしてか、己の鼓動に異常を起こしている原因なのだ。
──あ~……う~……意味分かんないけど、嫌な苦しさでも……ない、のよね?
深呼吸をしながら美鈴は自己解析をする。
記憶の中では既に、先程の男性の顔にモザイクが掛かっていた。──非常に残念である。
──あれ?さっきの人の顔……、どんなだった?……背は高かった……と思うけど……。
少しずつ冷静になってきた美鈴だが、手を伸ばせば触れられる程の距離に相手の顔があったにも関わらず、全くといって良い程に覚えていない。
目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。そんな当たり前の位置関係は分かるのだが、普段から何となくの雰囲気で人の顔を認識しているのだ。その為、二重だとかほくろがあるとか、そういった細部に気を配る事が出来ない。
──ダメだ……。次に会っても、判別出来る自信が全く欠片もないよぉ。一応謝ったけど、ぶつかったのは私だよねぇ?階段を降りる人、優先だよねぇ?
混乱していたとはいえ、あの謝罪の仕方は社会人としてどうなのかと今更ながらに美鈴は頭を抱えた。
しかしながら、既に相手が何処の誰かも分からない。階上から下りてきたので、社内の人なのだろう的な感覚しかなかった。
「はぁ……。もう着替えよう。考えるの、疲れちゃった」
美鈴は大きく溜め息を吐きながら、ノロノロと身体を起こした。先程までの早く帰社出来そうだという喜びは、既に萎んで消えてしまっている。
けれども無意味に更衣室に座り込んでいても仕方がない為、内勤者用の制服──女性社員と倉庫業務の男性社員にだけ割り当てられている──から、自分の服に着替える事にした。
──帰りにお酒買って帰ろっと。やっぱり、桃系とか葡萄系とか、甘くて美味しい物が気持ちを上げてくれるよねぇ~。
もはや自棄酒気分──ちなみに甘いお酒が好き──で、美鈴は気持ちを入れ替える事にする。
美鈴は会社から地下鉄三駅の距離のアパートで、もう一年半程独り暮らしをしていた。
実家は通えない距離ではないが少々交通の便が悪く、公共交通機関で通勤するとなると二時間程掛かってしまう。元々寮に入れてもらうつもりでいたが、その年の社員が多かったからとかで、会社からの直線距離を言い訳に省かれてしまったのだ。
──直線距離で通勤出来ないんだから、その辺りは考慮してほしかったよね。
今更何を言ったところで変わらないが、不満として美鈴の心の片隅にいつまでも残っている。
入社当初の美鈴は、陽の上がる前に起きてバスに乗り、更には電車と地下鉄で通勤していた。
しかしながら慣れない社会人としてのストレスと、通勤のストレス。家を出たかったというストレスのトリプルパンチにより、十九歳の冬──初ボーナスと二度目のボーナスを使い──親に相談せずに賃貸契約をしてきたのである。
勿論当時は未成年であった為、『仮押さえ』という形で手付金を納め、両親に承諾のサインを半ば強引に書かせた。
『独り暮らしなんて、出来る訳ないでしょ!』
『出来るよっ。一切、援助なんていらないからっ』
とまぁ、売り言葉に買い言葉があり、母親と一悶着を起こしたのであるが。父親の方は比較的美鈴に寛容であり、心配そうな顔をしつつも認めてくれたのだ。
更に自営業であった事もあり、引っ越し作業の為のトラックなどを出してくれて、美鈴としては引っ越し代金は一切発生しなかったのである。
そして美鈴は独り暮らしを初めてからというもの、年に数回帰るくらいだった。車で三十分程の距離にも関わらず、金銭的援助も物資的援助も頑なに断っていた。──ようは頑固なのである。
──はい、はい。今日も無事……とは言い難いけど、終わりました~っと。
ロッカーの鍵を閉め、美鈴は気分を切り替えて更衣室を出た。
もう先程の衝突事故の事は、美鈴の頭の片隅に追いやられている。現在は帰りに寄るコンビニでどんなお酒を買おうかと、そんな事を考えていた。
そうして一番最後の階段を降りきった時──。
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