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かいこい編──第二章『出会い』──

その9。幸運と衝撃のダブルパンチ 1

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 ※ ※ ※ ※ ※

「回線、切り替わります」

 フロアの遠くで声が聞こえ、これで本日の受注時間は終了となる。受注専用の電話回線が閉じられ、そちらに電話をしてもアナウンスが流れるだけになるのだ。
 美鈴みすずが時計を確認すると、既に十七時を過ぎていた。
 そしてこの後の時間からのメンバーは、基本的に当番の受注担当とパラパラ帰社してくる営業担当になる。そして電話は営業専用回線のみ通じる形になっている為、全く通知音が鳴らないわけではない。
 そんな中、当然のように当番ではない者達が、一人また二人とフロアから出ていった。勿論、神田女史と米子よなこさんもその中に含まれる。

「じゃあ、柊木ひいらぎさん。俺は当直だから、何かあったら来てね」
「あ、はい、分かりました。行ってらっしゃい、楳木うめきさん」

 わざわざ楳木チーフが美鈴に声を掛けていくのは、今日が自分の当直だからではなく、結構頻繁にある。──けれども美鈴はそれを、『面倒見の良い先輩』としか認識していなかった。
 ただ親切という理由で、美鈴だけ・・を気に掛ける筈がない。さらには楳木チーフがこうして声を掛けるのは、彼女にだけ──美鈴は気付いていないが──なのだ。

 ──さあて……。とりあえず今のところ、営業担当の帰社待ちだよ。『牧田さん』も現在進行形で不明なまま……うぅ、変にドキドキする。って言っても、まだ誰も帰ってこないんだけどねぇ。

 フロア内は現在、当番の受注担当が各課にいるだけだ。
 当然の事ながら、基本的に不要な残業をしないようにと社内で定められている。

 ──あ、課長が帰ってきた。ってか、一課の課長しかはっきりと分からないけどさ。

 営業一課のトップ、冨沢とみさわ課長が一番の帰社だった。
 営業課は一課から五課まであるが、営業部内の決まりとして、営業課長は必ず一人在社する事になっている。
 今日は三課の課長が残っていたらしいが、美鈴の座席からはフロアの柱があり、生憎あいにく目視出来なかった。──見えたところで、覚える気はあまりないが。

「冨沢課長。総務部からFAXが来てましたので、机に置いておきました」
「あぁ、今日は柊木くんが当番か。ありがとうな」

 身長の割りに体重があるようで、かなり横に広がりのある身体付きだ。けれどもどちらかというと、力士に近いだろうか。脂肪質ではなく、筋肉質で大きな肉体なのだ。
 美鈴が配属されて来た時の自己紹介で、冨沢課長は趣味を『格闘技』と言っていたのだが、あいにく彼女の記憶に欠片も残っていない。

「柊木くん。手が空いているようなら、この資料を集めてくれないか?」
「あ、はい……。あぁ、先月の営業実績ですね。分かりました、今からやります」

 特にやる事もなく、座席に大人しく座っていた美鈴へ、冨沢課長は総務部からのFAXを差し出してきた。どうやら次の会議に提出する為の、資料集めが依頼内容のようである。
 こういった資料集めは普段、神田女史がおこなっていた。彼女の受注担当経験が長い事もあり、こちらへく時間を捻出しやすいからだろう。
 対して美鈴は異動してきてから日が浅い事もあり、受注担当業務以外をあまり求められていなかった。
 それでも美鈴は『必要以上は手を出さない』性分しょうぶんである為、何の不満もない。そもそも過分かぶんに求められるのは困るし、出来るなららくをしたいのだ。

 ──まぁ、出来ない訳じゃないものね。えっと、一通り神田女史からは聞いているから……。

 実際にたずさわる事がなくとも、データベースのどのファイルに保存されているかは聞かされている。当番の際に聞かれて分からないのでは、営業担当の補佐として全く役に立たないからだ。
 そうして神田女史から聞いた事は、美鈴は小さなノートに書き出して纏めてある。所謂いわゆる『虎の巻』なのだが、今回はそれを確認しながら美鈴は必要データを探し出す事にした。

 ──このエクセルとこのエクセルと……。
「ただいま戻りました~」
「お帰り」
「おかえりなさいです~」

 誰かの声掛けに、冨沢課長が答える。それに反応するように、顔を上げる事なく美鈴も応じた。
 虎の巻ノートとパソコン画面を見比べながら、必要となる資料部分を抜き出し、新規のExcelシートに書き記コピペしていく。

「戻りました」
「お帰り」
「おかえりなさいです~」

 そんなやり取りを繰り返しているうち、ようやく冨沢課長から頼まれたデータを抜粋出来た。そして『終わった』と美鈴が顔を上げた時、既に各課共にかなりの営業担当が帰社していたのである。
 そしてあまりの人の数に、美鈴は思わずうんざりとした表情になってしまった。

 ──いつの間にか、こんなにも帰ってきてる……。しかも、皆が席を立ってうろうろしてて、誰が誰かさっぱりじゃんっ。

 もとより、美鈴は人混みが苦手である。様々な人が入り乱れる場所は、様々な臭い・・の入り乱れる場所でもあった。
 そして営業担当だからこそ、一日中様々な場所を巡ってきている。色々な臭いが染み付いているし、それを誤魔化す為の香水をつけている人もいた。

 ──あぁ、うんざりするぅ。神田女史程ではないけど……。皆、香水なんかつけないでよぉ。

 『臭い』の中でも、美鈴が一番苦手とするのは『香水』である。つまりは、人工的な香料がダメなのだ。
 更に言えば香水だけではなく、柔軟剤などのキツい香料も不得手としている。
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