流されて

まひる

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第四章 冬

4の5 過去を記したもの

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「初めまして。大宮塔子とうこと申します。大宮杏梨あんりの祖母という立場ながら、その子との信頼関係は皆無です」
「あ、大丈夫です知ってます。母親である礼香れいかさんと杏梨さんの関係も聞いてますから、今さら取り繕う必要はありません」
博嗣ひろつぐ、少しは歯に衣を……まぁ、良いか。今さらだな。今日は墓前にお参りしたついでにご挨拶に伺ったまででして、あくまでも杏梨くんの心情を優先したまでです。どうやら、そういうなのだそうで」

 祖母が自己紹介をし、事実を公表する。──というか、初めて祖母のフルネーム知った。
 ともあれ、博嗣さんとパパさんが攻撃的である。
 この二年の間、私は色々な事を彼らに話していたので。祖母に対する印象がゼロどころか、思い切り振り切ってマイナスにめり込んでいるようだ。

「まだ幼いアンちゃんに心無い言葉を浴びせた事。母親を亡くしたばかりの、親の庇護が必要な年齢であった心細いだろうアンちゃんにおこなった事。子を持つ母として、私は貴女の事が許せません」
「……事実ですね」

 ママさんの追加攻撃にも、祖母は全くひるまない。
 そんな事くらいで心変わりするようなら、とっくに私への対応を変えていただろうから期待なんてしてないよ。

「私は事実を事実として認識しているだけです。この子の存在は私の認めるところではありません。……ただ」

 淡々と応えていた祖母が、急に言葉を区切った。そうして、すっと背に隠していた一冊のノートを差し出す。
 それはかなり古ぼけていて。普通の大学ノートだけど、何度も何度も人の手がれている事は明らかだった。

「これは礼香れいかが……。その子の母親が書き残したものです。今では、遺品といえますが。どうぞ、拝見下さい。これも、事実ですから」

 ぽつりとそう告げた後、何も言わなくなる祖母。
 事実事実って、さっきからそればかり。にこりともしないで、初対面のパパさんママさんと博嗣さんへの応対。もう本当に早く帰りたい。

「どうする?杏梨さん」
「あ……。私は、ちょっと……」
「俺が読んでも良い?」
「うん。博嗣さん、お願い」
「分かった」

 母親の書き残した日記的なものらしいけど、私はとても見る気にならなかった。
 そんな私に気を遣ってくれて、博嗣さんが目を通してくれるらしい。──はあ、出来るイケメン。素晴らしい。

※ ※ ※ ※ ※

 杏梨さんに断りを入れて、俺がノートを読ませてもらう。
 書き初めは、妊娠して堕胎出来ないと知った頃みたいで。かなり荒れた内容だった。憎しみ。恨み。──正直、ここまでの憎悪をいだいた事はない。
 俺も同じく性被害者の一人ではあるから、心境的には分かるけど。何しろ幼かったから、語彙力がそこまでなかった。

 事件でも知った事だけど。
 犯人がストーカーであった事。妊娠に至る経緯。堕胎出来ず、養育しなくてはならなくなった腹部の子への憎しみ。──だが。その後、子が待ち受けるものへのわずかな罪悪感。
 流れ行く時間と共に、様々な心境の変化が書き記されていた。
 そして。子が女の子であると判明した、母となる心境。名前を考えなくてはならなくなり、苦労した事。そうして考えた名前、『杏梨』。
 『杏』は美しい花が咲いて美味しい実がなることから、容姿だけではなく中身も素晴らしい人に育ってほしいとの願いが込められ。『梨』には愛情豊かな人になってほしいとの願いが込められた。

 自分と同じく十八歳になった時に、同じ運命が訪れるであろう事。自分は愛情をもって育てる事は出来ないけれど、もしその運命からのがれる事が出来たなら。
 どうか──自分とは違う、素敵な人と出会って──幸せになってほしい。

 これは杏梨さんの母親の、心の叫びだった。
 読み終えて、父さんにノートを渡す。母さんと読み始めたのを視界に納め、杏梨さんを抱き締めた。──婆さんの前だけど関係ない。

「博嗣さん?」
「大丈夫だよ、杏梨さん。父さんと母さんにも、知っていてもらおうね」
「それはもちろん良いんだけど。……怒ってる?」
「杏梨さんには怒ってないよ、当然でしょ」
「うん……うん?」

 こわごわ見上げてくる杏梨さんの頭部を撫でながら、瞳を合わせてにこりと笑みを返す。──少しだけ混乱しているような杏梨さん、可愛い。
 婆さんは相変わらず動かないで、ソファーに座ったまま手元の茶器を見ている状態。それでも飲むでもなく、硬直しているだけだ。──考え込んでいるのか、心ここにあらずなのか。

 俺にしてみれば、婆さんは杏梨さんを虐待した人間。杏梨さんの母親も同じく。同情の余地はあれど、情状酌量の余地はない。──子は親を選べないのだから。

 内心の溜め息をし殺しつつ、時計を見た。
 まだ観光する時間はあるけど、杏梨さんの精神的負担はどうかな。──ここに良い思い出がないだろうからこそ、何かしら作ってあげたいと思うのは傲慢ごうまんだろうか。
 とにかく。ここを出たら、父さんと母さんに相談してみよう。あ、もちろん杏梨さんの気持ちが最優先だけど。
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