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第四十三話 冒瀆の魔女
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ヴィーティン子爵領の外れにある湖畔の先、平野の更に先に『冒瀆の森』はある。上空には不吉な暗雲が立ち籠めているが、この数百年その雲が晴れたことはなかった。
その禍々しい森の中に、小さな屋敷が存在した。
それは、この『冒瀆の森』の主である『冒瀆の魔女』の住処。
「くっ、くくくくくっ……あぁはははは!」
その屋敷の一室で狂った様に笑いながら、ぐるぐると回る漆黒の美女がいた。
「ああ、愉快愉快。あの穢れをしらない清純そうな顔が、痘痕だらけの爛れた醜い顔に変わる様と言ったら……うふふふふ」
その楽しそうに微笑む顔は、とても美しく残忍だ。
「半分だけを醜悪に変えたのも良い趣向だった……残された美貌を見る度に、もとの自分の姿が思い起こされて、より苦しみを増すでしょう」
さも嬉しそうに笑う彼女の顔は歪んでいた。
「より憎しみが、より未練が、より絶望が、お前の心を乱し、闇で彩るのよ!」
先ほどまでの妖しくも美しい笑いから一転、けたけた笑う魔女は真に狂っているのかもしれない。
「あの美しい澄まし顔が憎悪で醜く歪む様を、その清純な乙女の心が闇に堕ちる様を想像するだけで心が躍る」
美しい魔女は笑いを治めると王都の方角に目を向け、しかし、今度は少しつまらなさそうな表情になった。
「本当はハプスリンゲの小娘も醜女に変えてやりたかったけど……」
子爵とは違い公爵家の守りはさすがに堅牢であった。
呪術に対する守りもされており、密かに送った黒百合は根付かずに枯れてしまった。ヴィーティンの屋敷ではあれだけ見事に咲かせる事ができたのだが……
もちろんこの魔女の力なら公爵家の守りを破って呪いをかけることは可能だろう。
しかし、この呪いの力は絶大だ。一度かかればもはや解呪はほぼ不可能。それだけに失敗した時や解呪された時の呪術者への負の反動も大きい。魔女とて無事では済まない。よって万が一にも失敗はできないのだ。
その為、魔女はアグネスへのちょっかいを控えたのだ。
そう言えば、と魔女は王都にいるもう一人の主役のことを思い出した。
「あの坊やは随分ともがいていたようだけど……無駄なことを」
聖女やエルフの秘薬を探し回るレイマンの姿を思い出して、くっと口の端を吊り上げて魔女は笑う。
「この呪いは絶対に解けない。聖女の力でもエルフの秘薬でも……」
過去にも同じように、何人もの人間が呪いを解除しようと試みた。そして、その全ての人々は絶望した。聖女の解呪もエルフの秘薬もこの『冒瀆の呪い』には無力だったからだ。
何せこの呪いの力の源泉は神。
今は『冒瀆の魔女』と呼ばれる彼女だが、遥か昔に世界を救い『救世の魔女』と呼ばれていた。心優しき魔女は人々を救う為に骨身を削って奉仕した。それを裏切ったのが王族や貴族達。
苦悩し、絶望し、怨み、やがて真っ白だった彼女は真っ黒に変わり果てた。いつしか、その怨嗟を貴族の美しい令嬢達に向け、『冒瀆の呪い』をかけるようになっていた。
王族が憎い!貴族を許せない!
長い歳月が魔女からその裏切りについての記憶を奪い去ったが、憎しみだけが、怨む気持ちだけが強く残ってしまった。そして、魔女の心が真っ黒に染め上がってしまった。
だからこそエリサベータへの憎しみが大きい。あの汚れていない真っ白な少女の顔を見ていると、憎悪で黒く染まった魔女の胸の内から得も言えぬ怒りが沸き上がった。
冒瀆の魔女はふと姿見に目を向けた。そこに映る己の美しい顔が、醜い感情に塗れている。
この醜い闇が己の中で膨上がる度に、美しい令嬢達を次々と醜女へと変えていった。それに使用したのが『冒瀆の呪い』であり、世界を救う際に得た神の祝福だった。
故に『冒瀆の呪い』は神の力そのもの。その神の力で神の信徒を苦しめる。神を冒瀆するこの行為が『冒瀆の呪い』の名の由来。神の力の前に聖女やエルフの秘薬など無力。
「この『冒瀆の呪い』を解除できるのは神の御業だけ」
漆黒の魔女はほくそ笑む。
神の力によってかけられた呪いは、その神の力でなければ解けない。
「神が愛を誓う二人へ贈る祝福を反転させたものが呪いの正体」
この呪いは神の祝福でもって、愛し合う二人を引き裂くもの。
「だからこの呪いを解く方法は一つ。真に愛する者と神の前で愛を誓えばよい。だが……」
それは貴族には、特に高位の貴族には絶対無理だ。
己は醜く、捻くれているくせに、貴族共は表皮の美醜に拘る。醜女を娶る貴族はいない。また、本当に愛し合っていても、正妻にするのは家の評判に関わる。高位になればなる程その傾向は顕著だ。
だから彼女はファルネブルク侯爵を失墜させて、レイマンをその位に付けるように計らったのだから。
だから彼女は王都にエリサベータの誹謗中傷が、蔓延する様に貴族達に負の感情を嗾けたのだから。
同じように魔女は過去にも多くの恋人達をこの『冒瀆の呪い』で苦しめてきた。
その恋人達の殆どは泣く泣く別れた。別れずに妾として囲った者などもいたが、どの道、この呪いを受けた令嬢には不幸な結末しか訪れない。
そう、契約の神の前で愛を誓えた者は未だかつて唯の一人もいないのだ。
「さあ、あの娘はどれ程に憎悪で顔を歪ませているか……」
冒瀆の魔女はテーブルの上に鎮座している水晶玉に目をやった。
「もっと怨嗟を、もっと慟哭を、もっと悲嘆を妾に見せておくれ」
魔女は再び笑い出した。
冒瀆の森に彼女の狂気に歪んだ笑い声が響き渡った……
その禍々しい森の中に、小さな屋敷が存在した。
それは、この『冒瀆の森』の主である『冒瀆の魔女』の住処。
「くっ、くくくくくっ……あぁはははは!」
その屋敷の一室で狂った様に笑いながら、ぐるぐると回る漆黒の美女がいた。
「ああ、愉快愉快。あの穢れをしらない清純そうな顔が、痘痕だらけの爛れた醜い顔に変わる様と言ったら……うふふふふ」
その楽しそうに微笑む顔は、とても美しく残忍だ。
「半分だけを醜悪に変えたのも良い趣向だった……残された美貌を見る度に、もとの自分の姿が思い起こされて、より苦しみを増すでしょう」
さも嬉しそうに笑う彼女の顔は歪んでいた。
「より憎しみが、より未練が、より絶望が、お前の心を乱し、闇で彩るのよ!」
先ほどまでの妖しくも美しい笑いから一転、けたけた笑う魔女は真に狂っているのかもしれない。
「あの美しい澄まし顔が憎悪で醜く歪む様を、その清純な乙女の心が闇に堕ちる様を想像するだけで心が躍る」
美しい魔女は笑いを治めると王都の方角に目を向け、しかし、今度は少しつまらなさそうな表情になった。
「本当はハプスリンゲの小娘も醜女に変えてやりたかったけど……」
子爵とは違い公爵家の守りはさすがに堅牢であった。
呪術に対する守りもされており、密かに送った黒百合は根付かずに枯れてしまった。ヴィーティンの屋敷ではあれだけ見事に咲かせる事ができたのだが……
もちろんこの魔女の力なら公爵家の守りを破って呪いをかけることは可能だろう。
しかし、この呪いの力は絶大だ。一度かかればもはや解呪はほぼ不可能。それだけに失敗した時や解呪された時の呪術者への負の反動も大きい。魔女とて無事では済まない。よって万が一にも失敗はできないのだ。
その為、魔女はアグネスへのちょっかいを控えたのだ。
そう言えば、と魔女は王都にいるもう一人の主役のことを思い出した。
「あの坊やは随分ともがいていたようだけど……無駄なことを」
聖女やエルフの秘薬を探し回るレイマンの姿を思い出して、くっと口の端を吊り上げて魔女は笑う。
「この呪いは絶対に解けない。聖女の力でもエルフの秘薬でも……」
過去にも同じように、何人もの人間が呪いを解除しようと試みた。そして、その全ての人々は絶望した。聖女の解呪もエルフの秘薬もこの『冒瀆の呪い』には無力だったからだ。
何せこの呪いの力の源泉は神。
今は『冒瀆の魔女』と呼ばれる彼女だが、遥か昔に世界を救い『救世の魔女』と呼ばれていた。心優しき魔女は人々を救う為に骨身を削って奉仕した。それを裏切ったのが王族や貴族達。
苦悩し、絶望し、怨み、やがて真っ白だった彼女は真っ黒に変わり果てた。いつしか、その怨嗟を貴族の美しい令嬢達に向け、『冒瀆の呪い』をかけるようになっていた。
王族が憎い!貴族を許せない!
長い歳月が魔女からその裏切りについての記憶を奪い去ったが、憎しみだけが、怨む気持ちだけが強く残ってしまった。そして、魔女の心が真っ黒に染め上がってしまった。
だからこそエリサベータへの憎しみが大きい。あの汚れていない真っ白な少女の顔を見ていると、憎悪で黒く染まった魔女の胸の内から得も言えぬ怒りが沸き上がった。
冒瀆の魔女はふと姿見に目を向けた。そこに映る己の美しい顔が、醜い感情に塗れている。
この醜い闇が己の中で膨上がる度に、美しい令嬢達を次々と醜女へと変えていった。それに使用したのが『冒瀆の呪い』であり、世界を救う際に得た神の祝福だった。
故に『冒瀆の呪い』は神の力そのもの。その神の力で神の信徒を苦しめる。神を冒瀆するこの行為が『冒瀆の呪い』の名の由来。神の力の前に聖女やエルフの秘薬など無力。
「この『冒瀆の呪い』を解除できるのは神の御業だけ」
漆黒の魔女はほくそ笑む。
神の力によってかけられた呪いは、その神の力でなければ解けない。
「神が愛を誓う二人へ贈る祝福を反転させたものが呪いの正体」
この呪いは神の祝福でもって、愛し合う二人を引き裂くもの。
「だからこの呪いを解く方法は一つ。真に愛する者と神の前で愛を誓えばよい。だが……」
それは貴族には、特に高位の貴族には絶対無理だ。
己は醜く、捻くれているくせに、貴族共は表皮の美醜に拘る。醜女を娶る貴族はいない。また、本当に愛し合っていても、正妻にするのは家の評判に関わる。高位になればなる程その傾向は顕著だ。
だから彼女はファルネブルク侯爵を失墜させて、レイマンをその位に付けるように計らったのだから。
だから彼女は王都にエリサベータの誹謗中傷が、蔓延する様に貴族達に負の感情を嗾けたのだから。
同じように魔女は過去にも多くの恋人達をこの『冒瀆の呪い』で苦しめてきた。
その恋人達の殆どは泣く泣く別れた。別れずに妾として囲った者などもいたが、どの道、この呪いを受けた令嬢には不幸な結末しか訪れない。
そう、契約の神の前で愛を誓えた者は未だかつて唯の一人もいないのだ。
「さあ、あの娘はどれ程に憎悪で顔を歪ませているか……」
冒瀆の魔女はテーブルの上に鎮座している水晶玉に目をやった。
「もっと怨嗟を、もっと慟哭を、もっと悲嘆を妾に見せておくれ」
魔女は再び笑い出した。
冒瀆の森に彼女の狂気に歪んだ笑い声が響き渡った……
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