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第三十九話 赤髪令嬢の叱咤

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 ナターシャはヴィーティン領の領主の館までやって来ていた。その建物を見上げながらナターシャは懐かしさに目を細めた。

「ここも久しぶりね」

 エリサベータがナーゼルへ通うようになってからナターシャも彼女を追ってナーゼルへ赴いていたため、ヴィーティンの屋敷は幼少期以来であった。

「お久しぶりでございます。スタンベルグ男爵令嬢」

 出迎えてくれたのは、幼少期から知るこの家の家令。

「エリサは戻っているのでしょう?」

 ナターシャは姿を消したエリサベータを探して、このヴィーティン領まで訪れたのだ。

 ナターシャの性格を知る家令は追い返す事はせずに、彼女をエリサベータの私室へと案内した。

 家令の案内でエリサベータの私室へと入れば、案の定エリサベータの姿があった。

 エリサベータはカーテンも締め切られ淀んだ空気に支配された部屋の中で、ベッドに腰をかけて暗く沈み項垂うなだれていた。

 ナターシャはエリサベータの横に腰かけるとエリサベータの膝の上でぎゅっと握られている両拳に自分の手を優しく添えた。

「ナターシャ……」

 ぴくりと反応したエリサベータは顔を上げて、自分に添えられた手の主に顔を向けた。

「レイマン様に婚約解消を願ったそうね」

 陰鬱な雰囲気に支配されたエリサベータの部屋でナターシャは横に座るエリサベータの強く握られている両拳を自分の両手で優しく包みながら尋ねた。

 普段は気が強く、鋭い眼光はいつも周囲を怯ませているが、しかし、今はその勝ち気な瞳に憐憫れんびんの色彩が見て取れた。

「このままレイマン様と婚約を解消してもいいの?」

 うつむいていたエリサベータの肩が、ナターシャの言葉にびくりと反応した。

「愛しているのでしょう?」

 エリサベータは顔を上げナターシャを見詰めた。その瞳には涙が溜まっており、顔を上げた拍子に流れ落ちる。

「愛して……います……」

 彼女の美しい顔も、変わり果てた顔も、悲痛に歪んだ。

「愛しています!でも……この顔ではレイ様のお側にはいられない!」

 ナターシャは初めて見る、エリサベータの声を荒げる様に少し驚いた。ナターシャの記憶にある限りでは、気性の穏やかな彼女が怒鳴った事はただの一度もない。

「私は顔の良し悪しなど気にする事に意味などないと思っていたの。人にはもっと大事なものがあるって……でも、いざ己の身が醜くなると人の美醜ばかり気にしてしまう」

 エリサベータは必死に苦しみに耐えるかの様に両手で頭を抱えた。

「顔だけではないわ。こんな事を思う私の心も醜い!」

 そう嘆くエリサベータに、ナターシャは溜息を吐いた。

「それは違うわエリサ。貴女は美醜を気にしなかったのではない。美醜に価値を見出さなかっただけ。でもレイマン様に恋をして貴女は初めて美醜の価値を知ったの」
「でも、私は嫉妬して……」

 エリサベータは自分とナターシャが並んで座る姿が映る鏡台を見た。己の醜い姿に対してナターシャの何と美しいことだろう。

「私は心配してくれているナターシャの綺麗な顔にまで嫉妬してしまう……私の為に動いてくれたアグネス様にだって……」

 アグネスはエリサベータへの誹謗中傷に苦言を呈していた。もっとも、公爵家令嬢のアグネスの制止も広まり過ぎた悪意の歯止めには至らなかったが。

 その話を聞きいた時、アグネスへの感謝と共に、自分の奥底にアグネスへの羨望と嫉妬が微かにある事に気が付き、エリサベータは愕然としつつ己を嫌悪した。

「アグネス様は貴族の矜持がとても高い方だから、規範となるべく振る舞うのよ。他の貴族の振る舞いに対しても」
「私はそんなアグネス様を妬んだのよ。あの方は誰よりも綺麗で、その心根も素敵で……それに比べて私は……」
「嫉妬や羨望は誰もが持つ感情よ。それは王都の貴族達だけじゃない。私にも、アグネス様にだって……もちろん貴女にもよエリサ」

 そう慰めるナターシャの声も、エリサベータの心には届かなかった。エリサベータの目から涙が溢れ、対照的な両頬を流れて落ちる。その光る雫はどちら側も変わらず綺麗だとナターシャは思う。

「レイマン様が好きなのでしょう?」

 こくりと頷くエリサベータ。ナターシャはその彼女の両肩を掴む。

「レイマン様を愛しているのでしょう?」

 こくりと頷くエリサベータ。ナターシャは掴んだ両肩を揺さぶる。

「レイマン様のお側にいたいのでしょう?」

 はっと顔を上げたエリサベータは、しかし直ぐにぐっと何か耐える様な表情になると、ふるふると首を振った。

「私の様に姿も心も汚れた者などレイ様はお嫌になられるわ。それにレイ様はお優しいから受け入れてくださるかもしれないけれど、それでは私はレイ様の栄達の邪魔をしてしまう」

 エリサベータの言いたい事は分かる。侯爵の様に高位の貴族夫人となれば顔もまた武器。逆に醜い、それも呪いによるものとなれば各方面からのあたりは強いだろう。政敵からの攻撃材料とされ、レイマンにも被害が及ぶ事は十分に考えられる。

「エリサ……貴女は頭で考え過ぎなのよ。もっとここで感じて動きなさい」

 ナターシャはエリサベータの前に立つと、自分の胸に手を当ててエリサベータを諭した。

「だけどレイ様に迷惑がかかったら……」
「貴女はとても賢いわ。それに恤民の心も篤い。相手を思い遣り、自分の身を犠牲にできる素晴らしい女性よ。だけど他人だけじゃない。自分の幸せも考えなさい!」

 ナターシャは段々と語気を荒くしていく。そんなナターシャの姿にいつも毅然としていたエリサベータは怯えた瞳で彼女を見上げた。

「ねえエリサベータ。貴女の幸せは何処にあるの?」
「ナターシャ……」

 ナターシャは顔だけではなく、その心まで弱く変わってしまった親友を悲痛な目で見詰めた。

「私は……私は貴女が幸せでない事を許せない」

 それだけ言い残すとナターシャはエリサベータを置いて部屋を出て行った。ナターシャは部屋を出る時に一度エリサベータを振り返って見たが、彼女はベッドに腰掛け俯いたまま微動だにしなかった。

──レイマン様は何をしているの!

 ナターシャは傷ついた親友を見て、彼女の婚約者に向かっ腹を立てた。

──ギュンター様がレイマン様を上手くいざなってくれるといいのだけど。

 王都の頼れる婚約者の事を想いながら、ナターシャは馬車に乗ってヴィーティンの屋敷を後にした。
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