蒼玉の瑕疵~それでも廃公子は呪われし令嬢に愛を告げる~【完結】

古芭白あきら

文字の大きさ
上 下
16 / 50

第十五話 湖畔のアイリス

しおりを挟む
 王都で父や友人、家人達の裏切りという仕打ちを受けたレイマンは、ナーゼルに来てから人を寄せ付けなくなっていた。それがエリサベータと関わるようになってから変化が見え始めた。

 冬の氷の様に冷たく硬化していた彼の顔つきが、本来の温暖な柔らかい表情に変化していく様に、ナーゼル家の家人もほっと胸を撫で下ろした。

 エリサベータの美しい容姿に魅了されていたレイマンは初めのころ随分と緊張していた。しかし、彼女との会話を重ねていくうち、普通に接することができるようになってきていた。

「エリサ!」
「まあ、レイ様!今日は如何いかがなされたのですか?」
「少し散策でもどうかと思ってね。迷惑だった?」
「とんでもございません。とても嬉しく思います」

 今ではレイマンもこんな誘いの文句を自然と口にできる。

「エリサにこれを」
「まあ!カーネーション。素敵……」

 白いカーネーションの花束を差し出すと、エリサベータの顔がほころんだ。

「とても嬉しいです」

 エリサベータの喜ぶ姿に、レイマンの表情も柔らかくなる。

 最初にピンクのガーベラを花束ブーケにして持参して以来、彼はエリサベータの元に訪れる際によく花を贈るようになった。

 二回目の訪問時にはピンクと白のアスチルベを、前回はリナリアだ。そして、今回は白いカーネーションの花束ブーケ……

 エリサベータは花を受け取りながら、ちらりとレイマンの綺麗な顔を盗み見た。

──偶然でしょうか?

 ディノとカティナの仕込みに気付かぬレイマンは、エリサベータの喜ぶ姿に微笑むだけであった。

 彼女は自分ばかり意識しているのかと頬を赤らめた。

「近くに涼める湖があるらしい」
「そうなんですの?」
「景観も素晴らしいと聞いた。そこまで行ってみないか?」
「喜んで!」

 小さな紳士がエスコートを申し出ると、小さな淑女は微笑んでその腕に手を添えた。そんな二人の愛らしい姿に、お互いの家人が相好そうごうを崩した。

 湖畔まで歩いて小一時間ほど。

 太陽の光をいっぱいに浴び、キラキラと湖面が輝いていた。水辺には木々が自生し、その日陰にアイリスがひっそりと咲いていた。

「思ったよりも距離があったな……エリサ疲れただろ?」

 レイマンのいたわりの言葉に彼女は軽く首を振る。

「これくらいなら大丈夫です」
「そうかい?僕は少し疲れたかな。あそこの木陰で休もう」

 何気ないレイマンの気遣い。レイマンは自然と他人を思いやれる所がある。いつもの彼の小さな優しさがエリサベータには嬉しい。

 小さな事を大事にし、積み重ねる。簡単なようで、それがどれ程難しいことか……

 強い日差しを避けるため、レイマンはエリサベータを木陰の一つにいざない、家人が用意してくれた敷物の上に腰を下ろした。

 木漏れ日が湖面に反射し、その光がエリサベータを包む。
 初夏の風が湖面を吹き抜け、木陰で休む二人に涼を運ぶ。
 揺らいだ湖面が、光を散乱させて生まれる小さな煌めき。

 その瞬きは水辺の白いアイリスを幻想的に装飾し、エリサベータの心を打つ。

──綺麗なアイリス……

 エリサベータは隣に座るレイマンをチラリと伺う。

 彼女がナーゼルへ来てからまだ日が浅い。レイマンとの会って話す機会も多くはなかった。だが、彼との僅かな会話の中でその為人ひととなりは雄弁に語られていたとエリサベータは思う。

 彼ならば自分を理解してくれる。

 そう信じたい……

「レイ様……」

 呼び掛けて見詰めてくるエリサベータに彼は優しく笑いかける。

「お願いがあります」
「エリサがお願いなんて珍しいね。いったいなんだい?」
「私は領地の孤児院を援助しております」
「うん。貴族の振る舞いとして立派だね」

 エリサベータは一拍置いた。
 彼女は少し緊張していた。

「それでナーゼルの孤児院にもと考えております」
「エリサ……それは領地を治めるナーゼル家の仕事だよ」

 他領の孤児院への寄付はその地を治める貴族にとって喜ばしい事ではない。満足に自領の統治もできていないと言われている様なものだからだ。

「寄付ではなく、慰問をしたいのです」
「慰問?」

 聞き慣れない単語にレイマンは目を瞬かせた。

「孤児院を直接訪問するのです」

 レイマンはエリサベータの言っている内容が理解できなかった。

 このクロヴィス王国は周辺諸国と比べて封建主義が根強い。その為、この国の王族、貴族は神の如き扱いである。王族は神の如き雲上人であり、貴族でも高位の者しか拝謁できない。貴族も同様で、庶民の前に無闇に姿をさらす事は決してしない。

 先進的な近隣諸国の中には、既に慰問が風習に根付いている国もあったが、それを知ったこの国の王族や貴族はいい顔をしなかった。

 これは王族の神としての地位を貶めるもので、封建社会を脅かすものであったからである。

「慰問というのは、不幸に心痛めている者、苦労に喘いでいる者、そういった世俗の者たちを見舞い慰撫いぶする事です」
「……」

 レイマンは顔付きは厳しいものになったが、エリサベータの話を黙って傾聴していた。その様相にエリサベータは少し不安を覚えながらも話を続けた。

「ヴィーティン領の孤児院にも慰問しておりました」
「ナーゼルの孤児院へも慰問したいと?」
「……はい」

 エリサベータはその美しい青の瞳を不安で揺らしながら、レイマンをじっと見詰めた。だが、その不安をよそにレイマンはにこりと笑った。

「分かった。行こう」
「え!?」

 即答だった。

「あの……宜しいのですか?」

 恐る恐る尋ねるエリサベータ。まさか考えもせずに返事が来るとは思わなかった。そんな彼女の姿にレイマンはしてやったりといった感じだ。

「ははは!今回は僕がエリサから一本取れたようだ」

 歳下の幼いエリサが成熟した大人の様で、レイマンは気後れした気持ちを抱えていた。それが今回はエリサの意表をつけたようで少し楽しげだ。

「エリサのその行動は、クロヴィスの貴族として褒められたものではない。だから正直に言えば僕にはその行動の意味が分からない。だけど……」

 柔らかい表情のままエリサベータを見つめ返すレイマンの述懐に、彼女は少し不安気ながら黙って耳を傾けた。

「僕は君がとても凄い人だと知っている」
「私はレイ様に言われる程のことは……」

 エリサベータの否定をレイマンは手を挙げて止めた。

「学問ではまさっている自信はある。だけど僕はエリサには敵わないと思ってきた」

 今度は何も言わずエリサベータは黙ってレイマンを見詰めて言葉を待った。

「能力で優っていながら敵わないのは、君の人としての品格が、心のありようが大きく優っているからだと気がついた。だから……」

 レイマンはエリサベータの両手を優しく取り上げて包み込む。

「僕は君の見ている景色が見てみたい。僕も君の知る世界を知りたいんだ」
「レイ様……」

 エリサベータは胸がいっぱいになって何も口にできなかった。

 レイマンは自分の理解の及ばない事でも排他せず、きちんと見極め自分の中で消化しようとしてくれている。それは決して簡単な事ではないとエリサベータは理解していた。

 これはレイマンのエリサベータを想う強さ。
 エリサベータは自分の予感が正しかったのだと確信した。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人

通木遼平
恋愛
 アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。  が、二人の心の内はそうでもなく……。 ※他サイトでも掲載しています

処理中です...