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第四話 赤髪の男爵令嬢

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 エリサベータの勇気と聡明さを見せたこの事件は、またたく間に領内を駆け巡った。自分達の領主の娘が、幼い身でありながら敢然と領民を救ったのだ。領民は大いに喜んだ。

 彼らはエリサベータを口々に誉めそやし、讃えた。
 我らが姫君、心優しき令嬢、勇敢な賢姫、美しき蒼玉。

 この様な声が上がり慌てたのは、彼の父親のオルトリヴィ伯爵だ。自分の嫡子が他領・・の領民をさらおうとしたのだから。クロヴィス王国の貴族の感覚として領民は所有物である。貴族が庶民に何をしようとも問題ではない。オルトリヴィ伯爵の感覚もクロヴィス王国の貴族として多分に漏れない。

 だが、自分の息子がさらおうとしたのは他領・・の領民だ。つまりは他所よその貴族の財産を勝手に持ち出そうとしたことと同意である。これは窃盗にあたる。

 しかも、その領の姫君に糾弾されたのだ。こんな大恥なことはない。こんな話を王都に広められれば息子だけでなく自分にまで非難が飛び火しかねない。オルトリヴィ伯爵はさっさと息子を掴まえて自領へと送り返し、ヴィーティン子爵に頭を下げて内々に処理をした。

 責任を取らされてマングストは廃嫡され、その後の消息は知らされていない。

 エリサベータはどの貴族令嬢よりも愛らしく美しいことも自慢だが、こういう経緯いきさつもあり、領民にとっては、これ程の逸話を持つ我が領のお姫様は凄いんだぞと誇らしげであった。

「ふふふ。朝早くからご苦労様です」
「お嬢様こそ……こんなに早くにどうされたのです?」
「いつものお散歩ですよ?」

 実は、エリサベータがいつも町中に出るのには目的があった。

 彼女はヴィーティン領内から外に出たことがない。いや、一般的な貴族女性なら屋敷の外にさえ殆ど出ないだろう。しかし、それでは無知のままだと思った彼女は知ることを欲した。

──屋敷の中だけで過ごしていては、町がこんなにも早くに動き出していることさえ分からない。

 今では領民の生活を知るだけではなく、こうやって庶民と言葉を交わすことで様々な話を聞き、領内外の様々な情報を収集していた。

 彼女の胆識は、こうやってつちかわれたのだ。

「お嬢様、春になったとは言え、朝はまだまだ冷えます。お風邪を召されては一大事です」
「お心遣いありがとうございます。確かにまだ寒い様ですので、お言葉に従いますわ」

 エリサベータは礼を述べると屋敷の方へと引き返した。

 吐く息が確かに白い。

──本当にまだ寒いのね。

 ここヴィーティン子爵領は王都の北西、隣のナーゼル伯爵領の北に位置する田舎である。クロヴィス王国の領土の中では北に位置しており、もうすぐ春が訪れようとしている時分にも関わらず、風が肌を刺す様に冷たい。

──それでもナターシャの領地よりは、まだ南だから暖かいはず。

 エリサベータは最近仲良くなった赤髪の少女に思いを馳せた。

 ナターシャ・スタンベルグ男爵令嬢。

 エリサベータの一つ歳上の彼女は、軽く波打つ夕陽を思わせる赤い髪と、新緑を思わせる深い碧色みどりの瞳の持ち主で、切れ長の目は瞳の色と相まって理知的で美しくもある。

 実は、このナターシャもまた、エリサベータとは違った破天荒な少女だった。

 エリサベータにとって、彼女との出会いは衝撃的なものだった。

 オルトリヴィ伯爵の件は手打ちとなり、緘口令が敷かれたため、領外ではあまり知られていない筈の事件であったが、どこで聞きつけてきたのかナターシャがエリサベータに会いにヴィーティン領へとやってきたのだ。

 突然やって来たナターシャは全体的に愛らしさより、美しさの際立つ令嬢で、冷徹な氷の彫刻の様だとエリサベータには感じられた。

 そして、その性格は容姿の通りの鋭く切れるものであった。

 つまりは誰よりも気が強かった。

「ふーん。貴女がオルトリヴィ伯爵のドラ息子を叩きのめした噂の『ヴィーティンの蒼玉』」

 やってきて開口一番がこれである。家の爵位はエリサベータの方が上である。これはかなり不躾な態度であった。

 礼節を重んじるエリサベータにとって、ナターシャの振舞いは目に余るものがあった。実際、エリサベータは眉をひそめた。

「あら怒った?」
「当たり前です。初対面の人に向かってしていい振舞いではありません」

 エリサベータは、ナターシャの非礼を更生しようとした。

 ところが……

「ふふふ。私が男爵家の者だからかしら?」

 ナターシャは意に介さない。エリサベータはむっとした。

「爵位は関係ございません。位の上下に関わらず初対面の方には礼節を持って当たるべきだと申しております」

 エリサベータの物言いに、ナターシャは面白そうに笑った。

 しかし、エリサベータは彼女の笑いが先程から邪気を感じるものではないと思っていた。それどころか、先程からの不躾な振舞いを目に余ると思いながらも、ナターシャ自身に悪感情を持てなかった。

──何故かしら?

 エリサベータはナターシャという令嬢を計りかねた。

「そうね。その通りだわ。まあ、位に関しては私たちの親のものであって、私たちとは無関係だけれど。ところで……」

 ナターシャは楽しそうに笑う。

「私と貴女では、私の方が一つ歳上よね」

 エリサベータははっとした。

 確かにその通りだ。

 子爵なのは父アムガルト・ヴィーティンであり、男爵であるのはナターシャ・スタンベルグの父である。自分達には関係がない。そして、彼女は自分よりも目上なのだ。

──この方は私を試している?

 自分はマングスト・オルトリヴィを遣り込めた事で驕り高ぶっていたのではないかとエリサベータは思い知らされた。もしかしたら、ナターシャは自分の驕りを矯正しに来たのではないか、エリサベータにはそう感じられた。それはエリサベータの深読みに過ぎないのだが、彼女にはこれが天啓の様にも思えた。

「これは失礼を致しました。私はエリサベータ・ヴィーティン。ヴィーティンの領主アムガルト・ヴィーティン子爵の娘でございます」

 エリサベータはいつも通りの美しい跪礼カーテシーを披露した。エリサベータのその見事な所作と感情の切り替えの早さに、今度はナターシャの方が驚きを現した。

「私はナターシャ・スタンベルグよ。なんだか貴女とは仲良くなれそう」
「奇遇ですね。私もそう思いました」

 二人は屈託なく笑いあった。

 その後、二人は何かにつけて行動を共にし、お互いの考えを率直に話し合った。

 その中で、エリサベータは彼女が直感的に物事の核心を捉えるところがあり、エリサベータには無いものを沢山持っているのだと感得した。

 そして、彼女の中心にあるものは、他者への思い遣りと優しさである事が分かった。

 だからだろう、不躾で気の強いナターシャとエリサベータは不思議と馬が合った。

 エリサベータは屋敷に戻る途中、ナターシャの住む領地である北の方角へ目を向けた。

「ナターシャは元気かしら?春になったら一度こちらに来ると言っていたけれど」

 おそらく、この国で一番気が強いだおう赤髪の友人を思い浮かべて、エリサベータは嬉しそうに微笑んだ。
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